ああ素晴らしきトイレ掃除
TVでは毎日のようにグルメ番組やら大食い選手権やら、とにかく「食」に関する番組を放映している。しかし、食べることと切っても切り離せないのが「出すこと」であるはずなのに、我々は「出すこと」「出たもの」についてはあまりに無頓着というか、むしろ全く省みようとしないのが現状である。
この傾向はいつ頃から顕著になっていったのかと言えば、それはおそらくトイレ水洗化の進行と関連しているに違いない。コックをひねれば「汚物」は見えないところへ流れていってしまう。日常的に目にすることがないのだからこそ、かえってそれを特別扱い、すなわち忌み嫌われる存在として意識するようになったとしてもおかしくはないはずだ。ぼっとんトイレの時代や人糞を肥料として使っていた時代に育った人は、少なくとも今の若い世代に比べれば「出すもの」「出たもの」に対してそれほど嫌悪感を抱かないのではないかとも思う。
同じことは排泄時の必須アイテムである便器についてもいえる。我々にとってトイレ掃除というのは数ある室内の掃除においても一種独特の覚悟がいる作業である。「さぁ!トイレ掃除だ!やるぞ!」と気持ちを引き締め、開き直らないとなかなか取りかかることすらできないのだ。お皿洗いとか掃除機がけなどの通常作業とは気の持ちようが全く違う。また、自分の家のトイレならまだしも、不特定多数の人が使ったであろうトイレとくればこの開き直りの必要性は途端に倍加する。
でも、気持ちさえ開き直らせれば、トイレ掃除ほど面白いものはない。独特の緊迫感と集中力のなせるワザだろうか、「せっかくやり始めたんだから徹底的にやるぞ」というような気分になってくる。「むむっ、ここにこびりついているのは先人の遺物だな。よっしゃこすり取ったれ」というのも、はなはだ非日常的な作業であるからむやみに楽しい。こんな時はトイレアドレナリンでも分泌されているのだろうか。そういえば中学時代だったか、「学校のトイレ大掃除」は結構楽しかった記憶があるぞ。
さてこの写真は、千葉の房総山中にて建設中のライダーハウス「PAPASUNCHI(パパさんち)」トイレにて撮ったもの。塩素だらけの便器の中に手ぇ突っ込んでごしごしやった割に、見かけがさほどキレイになったようには見えなかったが、終わったときには何だか独特の達成感があった。自分はもしかしたらこうやってトイレ掃除の世界にはまりこんでいくのかもしれない(笑)。
なお、ここPAPASUNCHIを訪れたのはこの時で4回目だったが、仕事らしい仕事をしたのはこのトイレ掃除が初めてだった。いかにこれまで「飲んで食って騒いで寝て起きて帰る」だけの働かない訪問者であったかがよくわかる。PAPAさん、これからもトイレ頑張るから見捨てないでね(笑)。