その昔、わたしゃ鉄ちゃんでした。


未使用の記念切符。成田空港の開港のころに運転が開始された京成電鉄のスカイライナー号(旧型)の試乗券だ。

当時小学生だったTakemaの愛読書は「鉄道ジャーナル」とか「旅と鉄道」。根っからの鉄道大好き少年で、日曜日になると国電に乗りに行くのが楽しみだった。とはいってもお金に余裕があるわけでもない当時のこと、子供の最低運賃(まだ当時は10円だった!)の切符を買い、「降りなきゃばれない」のをいいことに東京駅やら上野駅やらに行って、はるか見も知らぬ遠くからやってくる長距離列車を見るのが楽しみだった。いやそれだけでなく、高尾やら大宮やら木更津やらまで、検札にびくびくしながらの小旅行を楽しんでいたのだ。

その頃(昭和40年代後半)、地元を走る京成電鉄が空港新特急のニックネームを公募していた。空港開業に合わせて運行を開始する予定だったこの特急は、空港の開業が遅れに遅れ、すでに完成していた車両をむざむざ野ざらしにしておくのもどうかということで、暫定的に京成上野〜京成成田間で運行を開始する事になったのだと記憶している。

地元を走る新特急の名前!一生懸命に考えた。とはいっても所詮小学生のない頭で考えるのだから思いつく愛称名はたかがしれている。どうしても国鉄の特急名、しかも寝台特急の名前が頭に浮かぶ。今考えればカタカナの愛称名なんて思いもつかなかった。

そして「これにしよう、決めた」という名前が浮かんだ。(記憶に間違いがなければ)その名を「はやかぜ」。「あさかぜ」と「はやぶさ」を一緒くたにしただけのようなこの愛称名を、自信たっぷりにハガキに書き込んで、ポストに入れた(今思えばこんなベタな愛称名をよくもまあ自信たっぷりに送ったもんだと赤面しちゃいますが)。

それからどのくらいたっただろう。京成電鉄から自分宛に一通の封書が届いた。そこには次のように書かれていた(と思う)。
過日は弊社新特急の愛称公募にご応募いただきましてありがとうございました。厳正なる審査の上、新特急のニックネームは「スカイライナー」と決定いたしました。なお、貴殿作品は佳作として入選いたしました。つきましては、新特急の往復試乗券を贈呈させていただきます。今後とも京成電鉄スカイライナーをよろしくお願いいたします。
そしてそこには、紛れもない本物の(あたりまえだ)、燦然と輝く乗車券が入っていた。自分の投稿が採用された!有頂天になった。みんなに見せた。毎日毎日、手に取ってはしげしげと眺めてはニコニコ。しばらくはこれを見るのが何よりの楽しみだった(だからそれなりに汚れてしまっているのが今となっては残念)。

しかし、一番の悩みどころがあった。それは、「この試乗券を使うべきか使わぬべきか」という点にあった。正式運行前の列車に乗れる!しかもタダで!(もっとも地元から上野までの往復運賃はかかってしまうのだが)。でも、使ってしまったらこのチケットの右半分がなくなってしまう。どうしようと考えに考え抜いた。そして決めた。「これは記念にとっておこう」と。何よりも大切なチケットを箱の中に入れて、しまった。

あれから随分と年月が流れた。小学生だった鉄道ファンは、中1の夏、親にクラブの合宿だと偽って東北ワイド周遊券を使って旅に出た。仙台駅やら青森駅やら五能線の無人駅やらで過ごし、一週間後に家に帰ってきたら一発でばれてこっぴどく叱られた。

同じ頃登山関係のクラブに入ったが、最初は登山口に行くまでの列車に乗るたびに胸がわくわくした。しかし、徐々に列車よりも山のほうに心が動かされていき、いつの間にか山ばかりに気を取られている自分になっていった。

その後20台半ばで初の海外旅行@NZワーホリに出かけて海外で過ごすことの楽しさを知った。20台後半でバイクの免許を取り、国内でも海外でも、機会さえあればバイクに乗ることばかりが増えて、結果としてあれほどハマっていたはずの山にもほとんど足を向けなくなっていった。

でもやはり、今でも鉄道旅行となるとどうしても心がはずむ。夜行でもない限り寝てはいられない。確かに最近の鉄道事情についてはとんと疎くなったが、今でも列車に乗りこむときの気持ちは確実に高ぶっている。それは、飛行機ともバイクや車とも全く違う高ぶりだ。

この切符を見るたび、あの頃の自分にタイムスリップできる。懐かしい切符だ。
おまけ

ネットオークション華やかなこのご時世、このチケットはもともと非売品だったし未使用だし、汚れてはいるけれど少しは価値があるのかな。決して売ることはないけれど、どんな値段が付くのか見てみたいような気もするな。

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