危機に瀕する利根シジミ



このシジミ、実は?

うーむ、何だかルポルタージュ風のタイトルだなこれは(笑)。

先日の日曜日、利根川河口まであと数kmという場所にある、川魚&貝(鰻、シジミ)を取り扱うお店に行って来ました。それというのも、その前日に新聞の文化欄で次のような記事を読んだからなのです(日本経済新聞 2002年2月16日夕刊)。
− 汽水域 −

千葉県銚子市。関東平野をゆっくりと流れ、板東太郎と呼ばれる利根川の河口は対岸までゆうに一キロを越す。ここには一月から春先まで、寒シジミ漁の船が何そうも浮かぶ。シジミ漁師の○○さん(注:あえて伏せ字にしました)がくま手で川底をかいて引きあげると、五百円硬貨ほどの大粒のシジミが十五、六粒。「冬眠中だから肉厚でしっかり栄養を蓄えていて、うまい」と、冬場の寒シジミならではの魅力を語る。
この記事を読んだら、誰もが「これは是非現地に行って現物を手に入れたいぞ!」と思うのは当然ですね。しかもわたしゃ千葉県在住、休日であればさほど苦もなく行かれる距離なのですから、自分も「よっしゃ明日行くぞ」と意を決したわけです。

そして翌日。どうせ近いんだから早出の必要もなくのんびりと10:30頃出発。たぶんこの辺だろうなぁと思いつつ車を走らせていたら(おしんこどんと一緒なのでバイクじゃないです)、まさに川魚&貝を取り扱うお店を発見。併設の食堂もあり、「これはここしかないぞ」とわくわくしながら店内へ。ウナ丼 with シジミ汁定食とはもうたまらないランチで、これぞここに来た甲斐があったってものよ、とひそかにほくそ笑みます。ちなみに鰻もこの地域(特に小見川あたり)の名産です。

 

出た出たぁ、ぷりぷりの身がどっさり、しかも注文してから焼いてくれるウナ丼とシジミ汁(画像の色が変なのは撮影の時に色の調整をしなかったこちらのミスですので念のため)の相性はばっちり!普段少食で、こんなに食べたらしばらく使いものにならなくなるはずのTakemaも完食!むはぁうまい。

と、ここまでは完璧でした。しかし、食堂を切り盛りされているお店のお母さんと話をさせていただいているうちに、次々明らかになる現実にびっくり。
Takema:「今年のシジミ漁の具合はいかがなんですか?」
お母さん:「いやぁ不漁なんですよ不漁。それもとんでもなくね。」
Takema:「というと、どれくらいなんですか?」
お母さん:「いや、全然取れないのよ全然。取れていた時期の1%もないよね。」
Takema:「え゛?(このTakemaの表現には脚色があります)」
お母さん:「実はね、これこれこうこう云々でね‥」
細かな話を、多少聞きかじっただけの部外者であるTakemaがもっともらしく書き記すのもよろしくないと思うので割愛しますが、要はこの利根シジミの激減は明らかに人災の部分があるということなのですね。川沿いをコンクリその他で固めることによる生息環境の激変はもちろんのことですが、何よりも漁業権を持たない外来者による乱獲が最大の原因という見方もあるようなのです。このあたりのシジミは浅瀬で獲れることからそれほど技術は必要ない、そこで決して「素人」ではない部外者の「漁師」(この言い方は正しくありませんが、少なくとも地元の人間でないことは確かです)が徒党を組んで押し寄せ、それこそ根こそぎ持っていってしまう、その結果、この2-3年で正規の漁師さん達の水揚げ量は激減してしまったというのです。

今回我々が訪れたのは地元の問屋さんとも言えるお店でした。しかし、そこにあるシジミは何と地のものではなかったのです。もちろん今回定食に出していただいたシジミ汁も。決して出し惜しみなどをしているのではなく、本当に獲れないのだから仕方がないということでした。本業の方が丸1日川に出て、それでせいぜい1-2kg獲れるか獲れないかというのでは、もはや生業としての漁業は成り立ちません。しかし、それが今年の利根漁師の現実なのだそうなのです。

さらに、「今シーズンの初め頃、出来上がった護岸堤防の外側(水の出入りがないため外来者は取りに行こうと思わない場所らしい)ではこーんな(それこそ五百円硬貨ほどの)シジミが獲れたよ。でもそこには小さなシジミがいない。つまりはそこには年を取って大きくなったシジミしかいないんだね。次の世代が育っていないんだよ。」このことばは今の利根シジミの現実を如実に物語っているのかもしれません。

今シーズン、いわゆる「部外者漁師」は利根川にほとんど現れないそうです。金になるものがないのなら無駄汗をかく甲斐もないのだから、彼らにとっては当然な話なのかもしれません。ただ、一瞬の利益、しかも自分だけの利益のため他人の権利を踏みにじり生活を困窮させ(実際陸に上がらざるを得なかった方もいるそうなのです)、その地に何千何万年もの間あり続けたであろう生態系をぶちこわして平気でいるだけでなく、さらに次の「獲物」をサーチする感覚だけは妙にとぎすまされている、そういう人がいるのが現実のようなのです。

気がつけばお店にお邪魔してから2時間もの時が経っていました。ただの昼食にしてはあまりにも長い(笑)。でもお母さんの話はあまりにも考えさせられることが多く、他の皆さんにもお知らせしたかったのでこうしてダラダラと書きつづった次第です。
おまけその1

しかし、日経の記者は今年全く現地取材していないで記事を書いたのではないか?と疑問を持たざるを得ません。毎年のことだから、数年前の取材をもとにしてさも今年のことのように書いたんじゃないか?不漁はこのシーズン当初からのことのようだし、今はみんな漁に出てないらしいぞ。

おまけその2

でもどうやらそういう意味でいいかげんなのは他の新聞社も同じことのようで、巨人びいきの○○新聞はしばらく前にこの利根シジミをめぐる問題を記事にしたらしいのです(その問題提起&目の付け所はいいんだけど)。しかしどうやら記者が「短い取材期間で一気に片を付ける」ことに主眼をおいた結果、なんとほぼ「架空の組合」のメンバーの言い分をもとにした記事を掲載してしまったそうです。当然その「架空の組合」とは‥?。そして、活字化されたその記事によってまた自体は引っかき回され‥。ん、もしかしたら日経の記者はこの記事をもとに??(全くの推量ですが)。

おまけその3

推量ですが、その「漁師」さんたちの一部は茨城の海岸沿いにて、保安庁の船よりも速いような大馬力船による「漁」を行っているとか。そうなるとそちらの資源枯渇も今後大変な問題となってくるであろうことは火を見るより明らかかも。今のところはかつてより安く手に入るハ○グ○も、いつかは‥?

その4

考えてみればハタハタやカニ、エビからウニに至るまでみな経過は同じなのですけれどね。需要あるところに供給あり、全ては消費者のニーズが根本にあるんですよね。そして自分もまた(悲現実)。

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