秋にトキメキ&冬にドキドキ!
(2006年11月12日)
今年は春の訪れも遅かった記憶がありますが、それと帳尻を合わすかのように各地の「初雪の便り」も軒並み遅くなっているようです。
このところ忙しかったこともあって、ほぼひと月ぶりにお出かけしてみたのは上記11/12。例年ならもう紅葉前線もすっかり南下し、群馬の山あい界隈はそろそろ「葉を落として丸坊主」の山々を見ることになる時期のはずです。しかし、今年は違いました。
とある共同浴場で湯ったりしたあと、施設の前であたりの景色を眺めていたときに撮ったのがこの写真。山の稜線こそ丸坊主系ではありますが、秋の日射し(ちなみにこの時はまだ午前中ね)に照らされた山肌の木々はまだまだ何ともいい色合いではありませんか!よかった何とかきれいな紅葉に間に合ったぁ!と嬉しくなりました。
しかしこの時期のこの界隈(群馬県の吾妻(あがつま)川沿い)はまさに秋と冬とが交錯する、いわば「季節の交差点」(何だか格好いい表現ですな)。キレイキレイとばかりは言っていられません。嬬恋村にて昼食を摂ったわけですが、何と外は「雪だ雪(みぞれ)だぁ!」モード。
鈴木牧之(すずきぼくし、江戸時代末期の商人であり俳人)は、著書「北越雪譜」の中で確か次のように語っていたような気がします(引っ越して本が行方不明なのでうろ覚えです。あくまでイメージとしてね)。
「江戸の人にとって雪とは花鳥風月の一つに過ぎない。すなわち雪とは観て楽しむものだ。しかしここ越後では違う。雪とは「日常」でありそしてわれわれが戦わねばならぬものなのだ。戦わねば負けてしまう‥」
記憶をもとにした意訳なんで思いっきりアバウトですが(本を見つけたらここの部分は書き直しますので突っ込まないでね)、山一つ越えたこちら上州側にも「そのおこぼれ」はやってきます。しかしねちょっと待て、よりによってこのタイミングで北西季節風かい!
いやですね、この日は「軽井沢の町内を通りたくない(混むから)」という理由で嬬恋から地蔵峠経由で小諸ICに出ようと思っていたわけなんですね。しかし、ここ嬬恋村の村役場近くですでにTakema車の車外温度計は「2℃」。しかしここ役場あたりの標高はといえばだいたい900mくらい、そしてこれから越えようとする地蔵峠は何と「1732m」!
おいおいこの谷あいでさえ雪(みぞれ)なのに、ここから標高差にして800mも上がった峠はどうなっているんだい!しかも忙しくてタイヤ交換がする間がなく、この時のタイヤは「ミゾ減りまくりの夏タイヤ@今シーズンでお役ご免」なのですから!車は四駆ではありますが、滑り出したら二駆も四駆も同じだし‥うーん困った(笑)。
ただまぁ北側(新潟側)に抜ける道じゃなし(このあたりの積雪量は同じ村でも北部と南部で大きく違う)、昼間だから車もどんどん通っているし、いきなりの雪ということは地面の温度はそんなに低くないことだしと根拠なく「楽観」して、いざ行かん地蔵峠!
みぞれごときであればまぁいいんですが、標高をあげるにつれて徐々に気温計は下がり、「0℃」あたりになったところで新鹿沢温泉へ。うわ、向こうに見える山の斜面のスキー場は真っ白になってる!これからあのスキー場の一番上より高いところくらいまで上がるんだけれどなぁ。ヤバイかも。
さらに鹿沢温泉あたりの道の脇ではもうこんなに!ちなみにすでに気温計は「-3℃」。
やっぱりヤバイかなぁ、あと標高差にして150m。
鹿沢温泉からは峠道、道の傾斜もきつくなります。路面にも雪が付き始め、「あと少し、あと少し、峠まで上がれば南斜面だし季節風の陰にもなるし」と思いながら進んでいきます。
だいぶきわどい状況になってきました。
と、カーブの先でミニ渋滞。うわ、FRの乗用車が先に進めなくなってます!(このあたりはかなり傾斜が急だし)。踏み込むアクセル、むなしく空転する後輪!でも何とか脱出できたようです。というわけで四駆のTakema車はおそるおそるも大丈夫でした。
峠を越えてみれば雪も一切なくて快適そのもの。落葉松の黄葉を眺めながら峠の坂を下っていったのでした。
さ、次のお出かけの前にスタッドレスに履き替えようっと。ちょいと肝を冷やした秋の峠道でありました。