【とってもテキストてんこんもりなページですので念のため。】
(2007年4月25日)
4月21日、Takemaは突如として緊急入院いたしました。入院するのも初めてなら救急車に乗るのも初めてだったわけですが、あまりに突然の出来事だったこともあり、「これをネタにしない手はない!」(=めくるめくウェブマスター根性)。というわけで、発症「前夜」から退院に至るまでの入院日記をここにずずずいーっと綴っていこうと思います。
先日退院したばかりなのに、お暇なのねと言わないでください。今日も別の病院(整体院)から帰ってきたところですので‥
朝シャワーを浴び終えて身体を拭き、脱衣場で着替えを取ろうとした瞬間、腰の中央やや右に「ピキン!」と痛みが走る。「コ、コレハヤバイ!」と直感し、とっさに両手を洗面台について体重分散を図った。そのため致命的なダメージを受けるまでには至らず。
前屈みになったり、椅子から立ち上がったりするとき、また当然のことですが腰をよじったり大きな声を出したりすると「ぎくーん!」ときたりします。しかし、気を遣って行動すればまぁ何とか普通に動けたのも事実。というわけで、この後何日かはごく普通に出勤。金曜日土曜日などは出勤にバイクを使うまでに回復していったのであります。「ふぅ、ようやく腰の方も何とかフツーに戻ってきたな」という余裕、いや油断をし始めた数日後、それはあまりにも突然にやってきました!
仕事を終えて夕方家に帰ってきました。この日は何とTakemaの小学校のクラス会。一応自分は幹事(1/3)なので早め(スタートは18:00)に行こうかと思っていたんですが、思いの外仕事の方が押してしまい、家に帰ってきたのは17:00ころ。でもせっかくなのでシャワーを浴びて身を清め(意味ないけど、結果的には良かったかも(笑))、17:40に徒歩5分ほどの会場入り(地元なので何かと便利♪)。
しかし、実は数年前に行われたクラス会の写真(プリント)を自分が持っている、いや、自分しか持っていないということを少し前に知らされ、とりあえず全画像を高解像度でスキャンはしておいたんだけれどまだCDに落としていないという現実。うわぁどうしよ、ということで会場にノートPCを持ち込み、急いで近くのステイショナリーショップにCD-Rを買いに行きました。ここまでは、自転車操業ながら順調だったんです(笑)。
さて乾杯!昨年末に定年を迎えた6年担任の先生、そして今年度末で定年退職となる予定の5年担任の先生それぞれをお迎えし、そしてそれこそ数十年ぶりに顔を合わせる同級生(数年前の会には来られかったメンバー)、またわざわざ滋賀からこのためだけに?来ていただいた同級生と、これから数時間、濃厚に旧交を速攻で復活させるに如(し)くはなし、2次会でも3次会だって行くぞぉ!という気合い一杯まずは一杯いやいやどうも、で、最近はどうよ?系の話に入ったその瞬間、「こいつ」はいきなりどどんばばんと予告なくお越しになったのでありました。
‥そのとき私は、お座敷にて正座をしておりました。もともと腰が悪いとかそういうのじゃないんですが、何だか正座って落ち着くんで(ただし長くはもたないんで正座とあぐらを交互に繰り返すパターンですが)。で‥、4/16の微妙な後遺症というか感覚が残っていて、ちょっと前屈みになっていたとき、何となく背筋の方から「おーい、何だかきびしいよこれ!」というような指令がわがTakemaの優秀なるシナプスだかニューロンだかミトコンドリアだか(ミトコンはないよな)を介してさらに優秀なるTakema大歩危小歩危ブレインに伝えられたわけです。
優秀なるTakemaブレインは、賢明にもこう判断を下しました。「前屈みがきついのなら、一度後ろ側に身体を伸ばしなさい!」
ブレインが判断したことですからTakemaとしても従うより他はありません。「じゃ」ということで、正座をしたまま姿勢をやや直角より後方に向けたとき、この「魔女の一撃」は、あえて表現するならば「右投げ右打ちアウトロー直球を後方回転飛び膝蹴り by 伴宙太!」という感じで(意味ない表現だけれどね)思いきりTakemaを蹴飛ばしひねくりにっちもさっちもいかないまでのコテンパンに叩きのめしたのであります!
決してその時の感覚をリアルにお伝えすることは出来ません。が、あえてその瞬間を言葉にしてみるとこんな感じかなぁと。
えーっと、今だからこそ客観的にお話しできますが、この「後方ひねりギックリ」はとことんキツイものでした。4/16のようにどこかに体重の幾分かでも預けたいと思っても、正座で後方に重心を移動した瞬間ですからどうにもならなかったんです。ここで「じゃ、もう一度前に戻してテーブルに手をつけばいーんじゃないの?」と思ってしまったあなた、さては未経験者ですね(笑)。それが出来ようものならやってますって。出来ないからこそにっちもさっちもどっちもこっちもいかなくなっちゃうわけなんです!
で、この時さっきの優秀なはずのTakemaブレインはあまりにも厳しい指令をTakemaボディ本体に命じました。いわく、「体重をどこにも託せないのであれば、苦しかろうが悲しかろうがとにかく立ち上がれ!座敷の中では平気なはずだ!」(念のため申し上げますがアタックNo.1をもじった表現です:たぶん誰も気づかなかったと思いますんで強引に解説)。その瞬間のTakema内部指令はといえば以下の通り。
「立つんだTakema!」のカウントダウン(そんなもんはなかったですが)とともに立ち上がったTakema!すごいぞTakema、やったぞTakema!(以上周りから見ていたらこんな感じだったかもと想像)。
「うぐわごぉわ゛ぢぐわね゛ばわぃ!(逐語訳=イタタタタタタタタタタのタ!)」。こ、コレハ(正座状態ゆえ)そのまま横にもなれないし、や、やむを得まい、
壊れかけた第二エンジン(要は右腰部ね)を「壊れてもいいから最後のパワーオン」を使用して立ち上がるしかあるまい(ガンダムの気分で読んでね)、よし、機関全開、GO!ぐ、ぐはぁ!(痛み全開ながら起立=Takemaの本音)。
しかしまぁ、立ち上がれたのは紛れもない事実。しかし、立ち上がったままでは完全に「壊れて」しまうので、欄間の横木にしがみついて(体重を預けつつ)「だ、誰か、た、助けてHelp!」と叫んだことは言うまでもありません(基本的に泣き声系でね)。しかし、先生も同級生も「は?Takema、どうしたの?何やってんの?」という状況ですから(そりゃそうだ)、その説明を克明詳細にしたいとは思うんですが、いかんせんその身体精神的余裕は全くなかったわけで、「ぎ、ギックリが来ちゃいました!」と伝えるのが精一杯(悲)。
しかし、つかまり立ち(1才児じゃないんだけれど)にも限界があります。そう話しながらも手は震え腰は「を゛わわ」状態ですから。同級のSくんが「とにかく腰に荷重がかからないようにしながら横にしよう」といってくれたのはすごい!さすが元学級委員長!(自分もあの当時その立場になったことはあるけれど、やっぱ彼は立派だわ)。
ここで(痛んだ腰で)立ち上がったことにより、プラス面=とりあえずその場にいた皆様にしばしのお別れを申し上げる時間があった&マイナス面=腰に一気の負担を掛けたことにより復帰が遅くなった、という両面があったわけですか、あの時はあの選択肢しかなかったよなぁ。
で、状況を理解した皆様(同級生の中には看護師もいたし)からは、「とにかく今から間に合う整骨 or 整体院へ」というアドバイスが出ました。ただしこの時のTakemaはといえば「ちょっと動くも痛し、ただし動かぬも痛し」だったわけですが。しかし、にっちもさっちもいかないある種のドジョウ動きをしているうちに、「この姿勢だけは痛くない」スイートスポットを発見したのであります!というわけで、完全マグロ状態になりながらもつかの間の平穏を甘受したTakemaでありました。
しかし、このマグロからは全く動くことも出来ません。幹事のYくんからは「知り合いの整骨院に電話したら院長が『あと30分で本人が来られるなら診てあげる』(ちなみにすでにはるか時間外でした)」ということだし、院長さん曰く『とにかくウチに来られるかどうかが問題だ(タクシーに乗ることが出来ればOK)、患部を氷で冷やせば多少痛みも引くはずなので、それで移動可能であれば来て下さい、待っていますから』」という、心強い専門家のお話を伺い、さっそく氷嚢(懐かしいなぁこの言葉)を腰にあててあててあてて‥
結論「冷やすごときで動けるような生やさしいギックリではありませんでした!」(大悲)。
というわけで悲しいかな救急車のお世話になることに。同級生の看護師(女性)は、「なんだよー、今日はとことんTakemaも含めてみんなと飲み明かすつもりでいたのにー!」と、とっても嬉しいことをおっしゃりながらTakemaのあぶら汗(ホントにぽたぽた落ちてたんです)を拭いてくれるし。あー、馬鹿話したかったなぁと思いつつも、とにかくあまりの痛みに
何と、同級生のYくんがこの時の衝撃画像をプリントしてくれました(笑)。
左上画像の「あまりにも不自然な手のつきかた」、右上画像の「腰を支えて下さいお願いします」がとってもリアル(笑)。
と申し上げるのが精一杯でした(大笑)。で、結局救急車を呼ぶことに(悲笑)。
幸い救急車はサイレンを鳴らさずに来てくれたようでした(痛みのため気づかなかったのかも)。で、居酒屋に救急隊員突入!おーい、俺は急性アルコール中毒じゃないんだって!(そりゃそうだ。しかし、お店にいた他のお客さんからすれば普通はそう思うだろうな)。
お店は2F。エレベーターも階段もあるけれど、救急隊員の方いわく「ストレッチャーに載せるのもあなたにとっては痛いだろうし、車両まで運ぶ過程においてもたぶん相当の痛みを感じることだと思います。私たちがベルトを持って降ろしますので、直立のまま歩いて車両まで移動してもらってよろしいですか?」
ぐわぁ立ったままで移動かぁ。しかし事態はホントに急を要していました。かつてナミビアの砂丘上でこれ(ギックリ)をやったことがあり、あの時も「息ができない痛み」を感じた経験はありましたが、変な比較をすれば今回は「あんなん子供だましだったに過ぎない」レベルです。もはや素人考えによる判断は無理とわきまえ、「全てお任せします」とあいなりました。
かくしてまだクラス会も開始数十分ののち、Takemaは救急車で搬送されることとなりました。クラス会会場の映像として自分が最後に覚えているのは「かつての担任の先生と同級生全員がほぼ一列になってこちらを見送ってくれている光景」でありました。「みんな、見ないでよ!」と思いつつ「そりゃ、自分だったら『こいつ、大丈夫?』と思いながら見るよなぁ」としみじみしておりました。いや、痛みに苦しみつつ「息もままならない」モードではあったんですが、何だかその時の光景だけはよぉっく覚えてます。
救急車に乗り込んでも、横になることはおろか座ることも出来ない状態です。一番楽なのは、「救急車の天井部にあるパイプを掴み、懸垂状態で姿勢を維持すること」。長丁場にはキツイ姿勢ですがとりあえずはこれが一番楽でした。
このタイミングでおしんこどんに電話を入れますが不通(彼女はその時間フィットネスクラブにいるはずだったので)。幹事のYくんが「付き添いで行くよ」と言ってくれましたが、幹事3人のうちのメインである彼がいなくなっちゃダメでしょ。幸い実家からすぐの場所だったので、実母を呼び出しました(自転車で3分♪)。
で、いよいよTakemaのためにオペレートされた救急車発進!緊急車両は全てに優先するんですよね。見慣れた町、見慣れた地域を救急車は赤信号をモノともせずに進んでいきます!でも、先述したようにTakemaは、狭い救急車内において直立懸垂状態でしか心&身体の平安を保てなかったわけですから、楽しめなかったなぁ(笑)。いや、その姿勢(懸垂)をちょっとでも緩めたら
となっちゃうわけですからね。いやぁ最後は支える両手がプルプル震え、一応若い頃は鍛えたはず(だいたいこの慢心がよろしくないはず)の筋肉がへろへろになっておりました。で、この日の当番院である救急病院に到着!
この病院(ちなみに結婚後に住んでいた家の近くだったんで周辺状況はヒジョーによくわかってる)でとりあえず座薬を挿入され、「これで痛みが治まって帰れるようでしたらそれでOKです」と言われました。座薬を突っ込まれたのも初めての経験でしたが、「よぉっし、帰るぞ!」という気持ちで満々だったわけです(さすがに「宴会復帰」は無理だと思っておりましたが)。しかし‥
腰の痛みはまーったく治まりませんでした!というわけで「入院決定」!
しっかし、こう考えてみるとナミビアの砂丘における急性ギックリも、あの程度で済んでよかったなぁと思うことしきり。それとともに、つい20日くらい前に行っていたバヌアツにてこんな状況になっていたら絶対帰ってこられなかったよなぁ。地元であたふたしたのは結果的に非常によろしかったのかも。
で、いろいろの検査のあとに病室に通されたのは22:30頃。ストレッチャーからベッドに移動する(平行移動)のはかなり厳しかったんです。でもここで看護師さん3人グループのついうっかりが(笑)。
そしてその直後、Takemaがベッドに移動しようとした瞬間、その悲劇は起こったわけで(悲笑)。
あのさぁ、お願いだからストレッチャーベッドと本体ベッドとが引っかかってるのくらいは気づいてよね。自分が渾身の力をこめて(一番痛い&微妙な姿勢で)移動しようとした瞬間、その引っかかり部分が外れてストレッチャー側が数cmだけ落下。しかし、一番「勇気ある移動」の瞬間だけにこれはこたえました(笑)。その瞬間は声も出ず、数秒後やっと「いっつーっ」。看護師さん、今後は気をつけてね(ホント)。
一通りの検査も終えたのは23:00頃だったか。身動き一つ出来ず。おしっこすらままならないのがわかっているだけにどうなるかと危惧していたが、この夜は大小ともにもよおすことなくほっとしました。というか、一晩身じろぎだに出来なかったのよホント。
えーっとですね、人生シビン、昔大洋ホエールズにいたのはシピン(その後巨人に移籍したかも)、どっかのお菓子メーカーでは「スピン」なんてのもあったような気がするし、キレイなお姉ちゃんも「スッピン」だとその辺のおばちゃんになっちゃうというし‥いや、そんな話をするつもりはなかった、本題は最初の「人生シビン(溲瓶)」なのでありました。
いや、Takemaはこれまでの人生の中で骨折も脱臼も、そして入院も手術もないままに42年9ヶ月の人生を過ごしてきたわけであります。となれば溲瓶(しびん=尿を入れるアレ)に自らの神聖なるナニをどうするこうするというのももちろん初体験だったりしたわけです。
しかしまぁ、身体が自由に動けばそんなもののお世話になることもありません。問題は「にっちもさっちもどっちもこっちもいかない」わが身体。
この日は地獄でした。身体をほんの僅かすら動かすことも出来ず、それでも悲しき新陳代謝、苦しみながらおしんこどんに支えてもらいつつとりあえず「コトを行い‥」。しかし、いつか来たるべき「大」への怯えを恐れつつ‥(わたしゃ結構快食快便人間なんです)。
その昔読んだ本の中に「ふとんの国の王様」とかいう下りがあったのを思い出します。「ふとんの国か、あそこはいいぞ」というようなフレーズがあったような気がしますが、その本の中に「排泄の苦しみ」については書かれていなかったな。いや、主人公にとっては死と向き合っている中での戦いだったんだろうけれど、まず間違いなく生還できるだろう状況に置かれたTakemaにとっては「生きる苦しみ」も結構たいへんでしたっけ(笑)。
ちなみにこの日、おしんこどんが「闘病生活にいそしむTakema」の撮影をしてくれました(笑)。
左画像だけだと「神妙に闘病生活を送っている」ように見えますが、右画像に握られた本を見ると欲望満々ですね(笑)。
深夜03:30、その悪魔のタイミングはやってきました。いやもう、その30分前から眠れませんでした。それは‥
というようなとっても切なく、そして理性もこの日までのはるかなる人生経験全てをも無視したとしか思えない、Takemaブレインの房総、いや違った暴走的命令だったのでありました。
22日は全く動けませんでしたし、また動けるとも思えないほどの激痛が身体を巡っておりました。ベッドから起きあがるなんてのは夢のまた夢、ほんのちょっとだけ身体を動かすのさえ「ぐわ、ぐぶぶ」系の痛みが伴っていたわけですから。
しかしまぁ話を戻しましょう。Takemaのお腹は午前3時半あたりに「行きたいよトイレに行きたいよ」と痛烈な叫びをあげ始めたわけであります。その要求に対してTakemaブレインがもちろん「行ってよし!」という指令を出したのも事実です。しかしご本尊なるわが筋肉体は「はいはいわかりました」と簡単に安請け合いするわけにはいかないのです。痛いのです。動けないのです。どうしようもないのです!
でもこのタイミングでさらに登場するのが「人間尊厳としてのTakema」なんですね。動けない=動かしたい筋肉(でも動かない)、お腹=出たい出したい筋(勝手に動く)、この二律背反はどうあがいても如何ともし難いわけで、さらには所詮どちらも筋肉ゆえ、最後にはどちらかの妥協により「あわわわわあ」系の結論になってもおかしくないわけです。となるとTakemaブレインとすれば‥。
そのような結論に至るしかなかったのであります。
ちなみに「ナースコールは考えなかったの?」とお考えの方へ一言申し上げれば、「にっちもさっちもいかない=もうとにかく万難を排して行くしかなかった」Takemaにとって、看護師さんを呼び、「じゃ、どうしますか?車椅子で移動しますか?それとも○○で直で?」というような選択をするような余裕はなかったんです。要は「グルルギュルルキュル!」系の「目の前に悪魔」のような感じだったとご理解下さい(笑)。
で、やりましたよ動きましたよ死ぬ思いで(笑)。ベッドから起きあがるのはとにかく地獄三昧、腰は絶対使っちゃいけないんで腕を‥と思いながら、人間はやっぱり身体のいろんなパーツを同時に使いながら動いているんですねぇ。とにかくきつかったですがほぼ最初から最後まで息を止めながら二本足歩行モード完成(ただしネアンデルタール人よろしく前傾姿勢&両手で身体を支えていないと無理)。
とりあえず二足で立つことは可能となりました。しかし問題は、「自立歩行により通路斜め向かいのトイレまで行かれるのか?そしてそこできちんとコトをなせるのか?」というところにありましたのです。でも、ある種ここから先は簡単でした。ベッドから起きあがる方がはるかに大変ですわ。というわけでコトは完全達成。でもってこの深夜の決死隊経験、翌日以降どんどん応用モードに(良くも悪しくも)発展していったのでありました(苦笑)。
で、そのあと本格的に目覚めてみたら驚きどっきり。
痛いです、腰。でも、確かに痛いけれど、何だか昨日までとは違う?ベッドの両サイドのパイプを思いっきり掴んで(腹筋背筋は出来るだけ使わないようにして)起き上がろうとして‥うそ、起きあがれるじゃん!(かなり痛いけれど)。
昨日までは絶対に出来なかったことが今日は出来る!人間ってすごい(笑)。
起きあがれるとすれば‥よし、リハビリ!というわけで、入院4日目にして歩行訓練開始といたしました。
朝ご飯を食べた後ちょっと寝て、起きたあと病棟(3F)を手すりを利用してうろうろ。右腰を手で支えつつ、右半身をかばいつつとろとろと。かなり疲れたので再びベッドへ。寝転がるのがまたきついんですこれがまた。
11:00頃また起きてもう一回歩こうとしてみたら、これがまた何と、手すりを使わずに歩ける!(この時点ではまだ右足を引きずってましたが)。よぉっし本格リハビリじゃ!というわけで、1Fの外にある「喫煙所」へ(大笑)。行かれたのが嬉しかったのと、数日ぶりに吸った煙草のクラクラ感とでとにかくときめいちゃいました(笑)。で、てっちゃんご指摘の通り、ケムリの仲間を作ったことはいうまでもありません。
ちなみに一応病人としての「お仕事」として、ヘルニアの可能性を考えたMRI診断機器に入り込んできました。診断室に入るやいなや「シャー(ドン)、シャー(ドン)!」、いい感じの8ビートのリズムが気分を安定させてくれます。
「これはもしかして、患者の精神安定のためにずっと流されているリズム音なのだろうか?」と思いつつ、ずーっとドラム缶マシン内部で「オカズを叩いていた(実は高校時代ドラムをいじってましたんで)」Takemaでありました(あくまで心の中で。身体を動かすわけにはいきませんのでね)。
「はーい、終わりましたよ」と、存外に若い技師さんが出てきたところで、この謎の(勝手に謎にしてますが)8ビートの正体を聞いてみると、
なーんだ(がっくし)。
その一方で徐々に「喫煙所(ケムリホタル)仲間」もできてきました(笑)。というか本当は「先輩方に仲間入り」というほうが正しいのですが、その先輩方は「もう数ヶ月前からここにいる or 退院予定は夏頃」という方々ばかりなので、Takemaのような突発臨時メンバーはあくまで神妙にしているべきなのであります、はい。
ここからはもう元気いっぱい夢一杯というか、とにかく好き勝手にやってました。さすがに痛みがないわけではないんですが(ちなみに日常生活にはまだかなり支障があるレベル)、病院内においては「ほぼ健康体」と見られていたはず?とにかく「起きあがれる喜び、直立歩行の出来る喜び」にときめいていたわけです。
またベッドだとかえってきつい姿勢も、普通のテーブル&椅子では何とかなる感じになってきたので、おしんこどんに持ってきてもらったノートPC(バヌアツにも持参した剛の者)を使って仕事(一部)と旅行記(バヌアツ編=かなり)をこなしたりして‥あ、さすがにこのページは作ってませんでしたが(ホント)。
午前中の回診では昨日のMRIについての説明は一切なし。ということはまだ結果が回ってきていないのかなぁと(どんなにシステム上の効率化が進んでも、所詮そのシステムを扱う人間がアナロギーである以上限界はあるんですな)。あ、ちなみにこの病院は数年前に立地も含めて完全にリメイクして、少なくとも自分の知る範囲ではもっとも先進的(に見える)機能を有しているように見えたんですけれど。看護師さんやリハビリスタッフ、そしてセンセも含めて活気のある、いい病院だと思いましたし。
検査の結果がまだ出ていない以上、いくら「もう二足歩行も出来るし(喫煙所にも何度も行っているし)、退院させてもらいたい」という希望を申し述べたところでどうしようもありません。「じゃ」というわけで、この病院の真向かいにある本屋さんに「外出」(ちゃんと許可願いを提出しましたので念のため)。で、買った本といえば‥
やっぱこれかぁ、奢ってリングモード♪
ちなみにこれまで毎年使っていたのは1997年版だったんで、そろそろ買い換えてもいいかなぁと思っていたんですけれどね。その昔(今でもそうだけれど)国鉄やらJRの時刻表さえあれば夢は無限に広がっていたもんです。今はそれが地図にまで広がっているんですけれどね。
というわけで夜はゆっくりと更けて‥いやそうはいかない、消灯は21:00!(悲)。
通路を歩いていると、看護師さんから「うわぁ、もうそんなに歩けるようになったんですか?」と激励の言葉を掛けられますが、一昨日の自分とはもう全然違うんです(笑)。ただし痛みがきれいさっぱりなくなったわけではなく、特に「何気なく椅子に座っている」ところからが恐い。こればかりはしばらく静かに油断せずというところです。
でも、もう「ベッドの背もたれ部分」に頼ることはなくなりました。というかその方が腰にくる。朝の回診で担当医の方に「そろそろ御赦免船を出して下さい」と訴えたら(実際は自分よりも若い感じの人だったので「意味がわからなかったら大変だ」と思い、こんな言い方はしませんでしたが)、どうやらMRIや心電図ほかの結果データも手元にあったらしく、「じゃ、一応リハビリを受けていただいてからの退院ということでよろしいですか?」
いやぁ嬉しかった!数日前に、にっちもさっちもどっちもこっちもいかない状態で「搬入」されたTakemaが、自らの意志、自らの足でこの病院を出られるとは!(あ、昨日向かいの本屋に行ったけれどね)。
しかし、うまくすれば午前のラストあたり、遅くとも14:00くらいには来るかなぁと思っていたリハビリの先生はとことんお越しにならず。14:30ころにしびれを切らせてナースステーションに問い合わせてみたら、「17:00ちょっと前に来るはずですよ」とのこと(うっそー!)。部屋(ベッド)で待っていて欲しいとのことで一旦ベッドに戻ってみるとなぜだか眠気が(笑)。そういえばここ数日、眠くなったらいつでも眠ることが出来ていた「一種不思議な環境」のことをあらためて思い出した。
17:40、全ての手続きを終えて退院。
大事を取って自宅静養&整体院へ。
整体は効いた!いやホント、一気に腰の痛みがひいたんですわ。今回の発症が一番最悪のタイミング(土曜日の夜)だったので救急病院へ搬送されたのは仕方ないとして、それこそ整形科じゃなくて整体(整骨)院に行くことが出来たら‥。
と思っていたんですが、夜になってまた痛くなってきた。でも納得できるのはどうやら右半身を使いすぎという指摘であります。身体はぜーんぶつながっているというのも納得したし、よーしきっちり運動すべし!
というわけで、とっても長かったミニ入院記、以上でおっしまいっと♪GWは湯治しかないなぁ(温めすぎるるのは腰には×らしいけれど(苦笑))。