状況は‥前へ進むのか、それとも「永遠の停滞」へと向かうのか?

(2008年3月29日)

チベット暴動の勃発から約半月が経過しましたが、当局監視の下でラサへの外国人記者立ち入りを許可したりして「事態の沈静化」をはかろうとする中国政府と、開会式への不参加をちらつかせつつダライラマ14世との話し合いに持ち込ませたい欧米諸国、そして「なーんもしようとしない」日本政府、それぞれの思惑があまりにもわかりやすい状況になってますね。

ところで「そういえば」と思って引っ張り出してきたこのTシャツ、今から10年前にネパールはポカラの路上お土産屋で買ってきたものです。シンプルなプリントTシャツですが、これを売っていた彼らもまたチベット難民でした。

インド国内のチベット亡命政府のみならず、今やチベット難民は周辺諸国を中心にかなりの数にのぼります。その一方で、ネパールもそうでしたが「大国中国にさからうとろくなことにならない」ことへの警戒から、各政府が彼ら難民の声を代弁することはなく、いわば「飼い殺し」のまま難民を放置しているというのが実情のようです。そのことを一番よく分かっている中国ですから、今回の暴動についても「内政問題だ」と強気でいられるわけですね。そう、チベットのみならず東トルキスタン問題だって見のがしてはならない現実のはずです。

しかし北京五輪を前にしたこの時期に「この動揺」が起きたことは、チベットにおける新たな変化に向けた「最後のチャンス」であるような気もします。チベッタンエリアへの漢民族移住の増加により(これはたぶん「国策」なんでしょうが)、今現在現地で生まれ育ちつつある新たな「漢民族の子どもたち」は「ここチベットこそ自分のふるさとだ」と当然思うようになるでしょうし、その一方で各国の難民キャンプに暮らす難民の子どもたちにとっては、その土地に根を張って暮らす年月が長くなるに従って、自分が行ったことも暮らしたこともない「故郷」に対する愛着心は薄くなるか、または現実に即さない「神聖化」の方向へと向かわざるを得ない、少なくとも彼らの親がいだいてきた「祖国への心情」と同一ではいられなくなると思うからです。

自分としては北方領土問題も似たような意味合いを持っていると考えます。戦争末期以降のドタバタにおけるやり取りの正否はともかくとして、すでに国後・択捉が実質的なソ連−ロシア領になってから60年以上が経過しています。その間及び現在に至るまで両島で生まれ育ち、その地で暮らしてきた人たちを、「ここは日本領ですから」という大義名分のもとに押しのけたり虐げたりを果たしてやりとげられるのか日本、諸外国からそのことを批判されたときには「内政干渉だ!」と逆ギレできるのか日本?「なーんもしようとしない」日本?

だったら「返してくれ」というのはもうやめようよ、とも思ってしまうのであります。名より実を取りましょうよ、赤い国旗の国と同じことはどう考えてもできないんだから。

あれま、何だか支離滅裂になってしまった(失礼)。

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