桁違いのボリュームの差に考えたこと

(2010年5月28日)

昨日までカナダに出張していました。11日間ですからそこそこ長く、Takemaのベタベタ英語が唸りを上げたのは何だか酒が入っている時ばかりだったような気がしますが、誰も知らないはずなので「ちゃんと仕事をしてきたよ」とだけ申し上げておきます。

で、仕事も一段落ついた週末、ビジネスパートナーにあたるご夫婦がホームパーティに招いてくださいました。そこで出てきたBBQステーキがこれ。どどんがどん!

もちろんこれが1人前というわけではありませんが、それにしてもものすごく巨大な肉の塊がわれわれを圧倒します。だってですね、

一枚あたりの厚みが約2cmくらいあるんですよ。これはTakemaにとってかなり苦しい難行荒行です。でも頑張って2枚食べました(笑)。ちなみに奥さんが料理上手なのか、さして堅さを感じることはなく結構ジューシーでした。ある種固くて有名なアルバータ牛のはずですが、BBQでこんなにおいしいステーキを食べたのは初めてかも(お世辞ではなくホント。何でも8時間タレに漬け込んだ肉をじっくり焼き上げたのだとか)。

これが最初に自分で盛ったプレートです。こうしてみると大したことないように見えますが、「この皿+牛肉もう一枚なら全く問題ないでしょ」とおっしゃる方、わたしはあなたとは違うんです(笑)。

まぁそれはともかくとして、カナダにしろアメリカにしろファストフードやレストランにおける料理の「盛り」や飲み物のサイズが日本とは全然違うということはご存じの方も多いと思います。でも、一体なぜあんなに盛りが多いのかと考えたことは?そしてその原点にあるものとは?

これまで自分は「あっちの人は身体も大きいからよく食べるんだろうな」と思っていました。でもよく考えてみるとちょっと違うかなと。

台湾もそうですし、行ったことはないですけれども中国などでも「食べきれない量の料理を出すのがおもてなしのマナー」ですよね。だからこそ「ゲップ」はかの国々では失礼にあたらないわけで。実は北米でも同じような発想の元に料理が出されるようになったのでは?歓待の気持ちを量で表明するというのは、それほど裕福ではない人々にとって「ハレの日くらいは無理をしてでも準備して‥」ということにつながるわけです。

この発想に基づく歓待は世界各地で見られますし、そのもっとも顕著な例が途上国における結婚式でしょう。歓待の準備が出来ない限り結婚できないというのはまさに「他利」の精神にほかなりません。

そういう仮説のもとに考えてみれば、アメリカやカナダで肥満率が高いのもうなづけます。それはつまり「移住初期には無理してでも『食べきれないご馳走』を出すことが最高の歓待であった」のが、ある程度生活が安定してくるとそうすることはそれほど困難ではなくなった、にもかかわらずレストランなどではこれまで通りの量を出すことに執心し、そしてやがてその量を「あたりまえ」だと思って食べる世代が登場し、今に至る‥。今日も、バーガーキングで巨大バーガーをしっかり食べ終えていた女性がいたっけ(自分では無理です)。

何の根拠もなく綴った文章ですが、このことに関して詳しい方のコメントをお待ち申し上げます。とにかくはっきりしているのは、「このステーキ、最後は苦しくて仕方がなかった」ということですね(笑)。

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