ポロシャツが届いた
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(2011年6月30日)
今さっき、注文していたポロシャツが宮城県石巻市から到着しました。上画像はバックプリントを撮影したもので、フロントは胸にワンポイントのみですが裏面はご覧の通り「しっかりとした主張=宣言」がプリントされています。矢口高雄さんのイラストが嬉しいですね。さすがに仕事では着られませんが、お出かけ時にはアピールを兼ねてどんどん着るぞぉ!(ちなみに黒色のように見えますが蛍光灯の下で撮影したのでこんな色になっちゃいました。実際はネイビーブルーです)。
このごろの被災地ニュースでは仮設住宅云々がよく取り上げられているように感じますが、住宅問題がもちろん大切なのは当然としてもそれ以上に大切なのは「皆さんの仕事=収入の確保」です。いうまでもなくそれなしに復興云々を語ることなど出来やしません。
このポロシャツも1ショップの商品ではもちろんなく、石巻を襲った津波で店舗を失った商店街の皆さんが結束し「まずはこれから」と始められた企画販売であり、このような「最初の一歩」をわたしたちはとにかく支えなければなりません。否、わたしにとっては「義務」だと感じています(この自意見を強制するつもりはありませんが)。
拙サイトのこのページをお読みの皆さま、震災後に何かしらの募金をなさった皆さま、被災した方々の生活再建はまさにこれからです。是非これからもこのような「最初の一歩」に貴重なご支援をよろしく御願い申し上げます。
ちなみに上画像のポロシャツは以下のサイトで購入することが出来ます。
クリックすると「石巻ZENKAI商店街」サイトのウィンドウが開きます。なお上記画像の著作権利は「石巻ZENKAI商店街」に属します。
そしてこれ以外にも様々な「被災地支援」の方法があります。6/30現在、拙サイトのメニューページにて紹介している支援サイトは以下の通りです(バナーをクリックすると新規ウィンドウが開きます)。
ちなみに、上記支援リンク先はすべて拙サイトからリンクさせて頂いている「づれづれ草」さんサイトから情報をいただいています。管理人さん、現地からの最新情報本当にありがとうございます。
このように少しでも被災地の人たちへの「恩返しが出来るように」と考えているTakemaではありますが、その中で日に日に大きくなる悔しい思い。それはやはり原発絡みの‥
「緊急時避難準備区域」。いわゆるかつての「原発から20km以上30km未満」のエリアがそれにあたります。たとえば飯舘村は今や「計画避難」の憂き目に遭いましたが、実は現在でも村内の事業法人は営業を続けています(建設業等=村内のインフラストラクチャー維持のため域外から通いで勤務)。またその周辺地域にあたる川俣町や田村市の「避難には及ばないが‥」エリア、さらには広野町やいわき市最北部などは、現在のところ「マスコミからもネット支援情報からも見捨てられたエリア」になっているように思われてなりません(これが「Takemaの情報収集能力欠如」によるものであれば幸いなのですが)。
このページをご覧の皆様、上記「緊急時避難準備地域」エリアへの個別支援のすべをご存じでしたら是非ともTakemaにご教授下さい。なお自治体への直接の寄付は除外させていただきます(自治体を信じないのではありませんが、自分としては現段階において直接支援こそ大切だと思っていますので)。
今を去ること34年前の中1の夏、親に「クラブの合宿だ」とウソをついて東北に一人旅。1週間ほど(全部駅泊&野宿で)旅行してきた中、「福島駅発浪江駅行」国鉄バスの車窓から見た風景はあの旅行の白眉の1つでした。それは「日本の山村の原風景」として今もわたしの中で保存されています。もちろん時代は流れてしまいましたが、あの時の余韻を残す現風景がいまや「立入禁止区域」になってしまったのかと思うとあらためてこの事故の悲惨さを感じずにはいられません。
だからこそ同時に「彼の地にお住まいだった皆さん、彼の地で営まれていた様々なお仕事」の先行きに多少なりともお手伝いをしたいのです。しかし「これ」というのがなかなか見つからない‥ちょっとじりじりしています。