まずは一歩前に歩んだようですが‥まだまだ!

(2012年5月8日)

東日本大震災の直後からTakemaもできるだけ被災地に足を延ばしたいと思って実行してきました。福島は原発という別の要因もありますしそもそも近いですから震災&原発事故後ももう何度も訪問してきました(数えてみたら震災後今に至るまで12回)。しかし三陸方面は千葉からかなり遠く、2011夏は迂闊に北海道から南下して訪問しようとしたら北海道で時間を取りすぎ、肝心の三陸は悲しい哉駆け足になってしまったという過去を持っていたりします(苦笑)。ちなみに本日現在未アップですが、2012GWには石巻から大船渡まで海岸沿いを北上しました。地元経済には最低限しか貢献できませんでしたが(汗)。

だからというわけではありませんが、せめて間接的に現地のお役に立てればということで、三陸漁業その他の復興寄付というか「前払い系の資金援助活動」にはできるだけ参加してきたつもりです。

そしてこのGW明けに届いたメッセージ&小包、それは‥







残念ながらというか、肝心のわかめパック(塩蔵)の画像は「早速さっさと食べ始めちゃったため」撮るのを忘れたのでありますが(笑)、確かに肉厚で噛みごたえありでした!十三浜の皆さま、本当にありがとうございます。

なお2012のGWに自分たちが当地十三浜を訪問した際、鉄筋コンクリート3階建ての相川小学校(あとで調べてわかった)は3階の窓サッシまで壊された姿のままでした。また十三浜を通るR398の「2車線の立派な国道橋(見ることはありませんでしたがたぶん立派だったはず)」も橋梁ごと流され、いまだに仮設道路で何とかしのいでいる状況でありました。もちろんそれだけの高さの津波がこの地を襲ったわけですから、平地にあったはずの家々はそれこそ「土台を残す」のみ。

津波から1年以上の月日が流れたにもかかわらずこの状況なのですから、津波襲来直後はそれこそとてつもない絶望的状況であっただろうことは想像に難くありません。そんな中で自分たちの漁業を復興させようと立ち上がり奮闘努力し、そしてその「努力の結晶」を、わたしのような毛細血管的微々たる支援者にまでお届け下さった十三浜の関係者各位にとことんお礼を申し上げる次第です。ワカメ、本当に美味しかったですよーっ!

と同時に‥

という思いに駆られまくるのであります。阪神淡路大震災と違い地域の経済規模そのものが小さく、またある種漁業モノカルチャーに頼ってきた三陸沿岸地域ゆえ、まずは漁業産品から復活の足がかりを考えるのが一番でしょう。そしてその次の一歩は「その延長上にある何か」なのだと思うわけです。

漁業従事者の高齢化が進む中、「震災前」に戻すだけではいずれ地域そのものが立ちゆかなくなることは自明の理。今回の津波で失ったものはとてつもなく大きいものではありますが、そのことは一方で、これまでのしがらみや既得権などの枠組みにとらわれない新たな地域経済構築の可能性を広げたともいえるのです。そしてそれが一定レベル以上の規模で回り始めたとき、初めてそれを「復興」と呼べるレベルになるのかと。

今はまだ足元を踏み固め始めている段階かも知れませんが、やがてそれがバンバンの舗装道路として十分に機能するようになる日が来ることを信じて止みません。頑張れ三陸っ!

[戻る]