さよなら硫黄島


そして、短い日程にも関わらず妙に濃厚な時間を過ごした硫黄島ともお別れの日がやってきました。巨体をよじらせながら、3日ぶりに鹿児島行きのフェリーみしまが入港してきます。

この日は島で働く建設関係の人たちが島を離れる日にもあたっていました。花女里家でご一緒させていただいた方々です。皆さんの荷物をよく見ると「活伊勢エビ」のダンボール箱などが目に入ります。しまった、そんなおみやげまであったか。しかし我々にはかけがえのないおみやげがありました。

 

そう、この島からなくなって久しい「旅荘 足摺」オリジナルの紙袋です。さらに花女里家マスターからいただいた、この島でしっかり野生化した孔雀の羽を約20本あまり。ついでにすぐ前のページで紹介した、ヤマハ発行の平家物語和綴じ本。我々にとっては何よりのものといえるでしょう。

さておみやげの話はともかくとして、早めに船に乗り込んだ我々。出港までの時間をつぶすべく上部甲板に出てみると、次のような光景が。

 

あれま、各色揃った紙テープが配られたと思ったら、
見送りの人たちが一端を持ち、そしてもう片方がどんどんのばされて…

 

船側から引っ張られた一端。離岸とともにテープはどんどん切れていってしまう。
一見すると利尻礼文発稚内行きフェリーの光景に似ているが、見送るのは
みなお年を召した方ばかりであるところにこの島の真実がある。

 

島人を代表して挨拶をなさる方。もちろん我々向けのものではない。実は、この島で数年にわたって診療を続けてこられたお医者様が、どうやらこの船で島を離れるようなのだ。大勢の見送りの方々も、お別れの紙テープも、みなこの先生に向けられたものなのだ。「先生、島を離れても島のことを忘れないでください」との言葉には、離島に住む方々の切実な思いと感謝とが込められていたのだろうと思う。次のお医者様はもう赴任されたのだろうか。

フェリーの接離岸作業にたち働く人々の中には、予想通り花女里家のマスターの姿があった。さよなら、硫黄島。鬼界ヶ島。またいつか来るときも変わらぬ姿で迎えて欲しい。


というわけで、長々と書き連ねてきた薩摩硫黄島の旅行記、これにて終了です。様々なエピソードに富む、面白い島であることはTakemaが保証します。リゾートはもうなくなってしまったけれど、ゆったりと流れる「島の時間」は今でも健在です。一度は訪れてみてはいかがでしょう。

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