− 東日本大震災後のお出かけPart2(2) 最高のお天気の中採集生活、栄村の百合居温泉&道の駅経由で帰宅 −
朝5:00。同じ室内(続き間)に寝ていた叔父と叔母の小さなやり取りでいきなり目が覚めてしまいました(笑)。小さな声でのやり取りだったわけですが、その内容といえば‥
えーっ、もう起きるんですか!ご飯は8時頃だって言ってたのにこんなに早く起きてどうするんですかぁ!(笑)。とはいえ叔父も叔母もすぐに布団から出てくる気配がないのでそれはそれでいいのですが、いかんせん最初の何気ない会話にびっくりしてしっかり目がさえちゃったTakemaだったのであります。しばらく二度寝を画策して頑張ってみましたがくっそーこんな時に限って何で眠れないのさ!平日はあんなにも憧れる所行なのに‥。
そんなわけで5:45頃、寝るという選択肢を放棄してお風呂に行くことにしました。すると!
(ただしこのあと朝食会場で確認したところ少なくとも4組の「われわれとは別組のお客さん」がおられたようです)
朝一番の湯はゆったり入りたいものですし、朝一番ゆえにそう長湯をなさる方もいないはず‥ならば時間をずらしてまた後でとで考え、まずはお散歩に出かけるというように方針転換しました。上画像の通り天気は最高でしたし、まだほとんど誰も歩いていないはずの街中をポクポク歩いているのも風情があっていいじゃないかという読みだったのです。しかしいざ歩き始めてみると‥
ほんの15分くらいのお散歩だったのに、まず間違いなく20回以上は「お早うございます」という言葉を発したぞ。この早起きペースに「自分はこの市街中心部に移住することは不可能だ」と一瞬心しましたが、あとで聞けば「この日は月1回の大掃除の日、しかも先月までは積雪の関係でやれなかったのでこの日が数ヶ月ぶりの作業日だった」のだそうです。なるほどそれで家によっては道に面した側溝まで外して掃除していたわけですね、しみじみ納得。月イチなら大丈夫、住めそうです(笑)。
お散歩していたら雪に埋もれた神社を見つけましたが‥
へ?スキー神社?こちらにはスキーの神様がおわしますのでありました。
そんなわけで散歩から帰ってきて朝風呂の上で朝ごはんといたしました。ちなみにここ石田館さんは5階建てで、その最高階が朝食処となっています。その狙いはといえば‥
奇しくもこの日は御覧の通りの快晴。大展望をタンノーしまくったことは言うまでもありません。妙高山にはかつて秋2回とGWに1回登りましたが、「あそこが急だったんだよなぁ」と思いを馳せながらの朝食はとてもオイシカッタぞ。それにしてもこの日もお天気が悪かったら残念無念だったろうなぁと感じた次第です。
さて、先ほどのお風呂上がりにしばしロビーで女将さんと温泉談義をしていたのですが、どうやらその過程でTakemaの温泉好きがバレてしまったらしく(笑)、朝食後ロビーにいたらご主人が出て来られてそのままここ妙高温泉絡みの温泉談義となりました。源泉から8kmの距離を、今はパイプで引いているけれど昔は木製の湯樋を使っていたこと、山中に残るその遺構を調べると、材料の木は下から担ぎ上げたものではなく現地調達をしていたようであること、また現在の送湯パイプも内部にスケールが付着するので毎年計画的に交換していること等々。
実はその他に「オイシイ話」も伺ったのですがここでは書けません(情報独占のウフフ=性格悪)。また雪が溶けたらこちらに再訪することになりそうです(にょほほっ!)。
出発間際には「うちはここから湯を引き込んでいるんですよ」と、わざわざ引き込み部分を開いて見せてくださいました。左上画像がそのフタの部分、右上画像はそのフタを外し、さらなる内蓋*2を外しておられるところです。そして右上画像にマウスオンすると‥おおーっ、お湯だお湯だぁ嬉しいな♪
でいろいろとお世話になりました!今度は別目的メインでおじゃましますのでよろしく御願いしまーす!
そんなわけで栄村方面に向けていざ出発!だったのでありますが、ちょっと走ったところでいきなりの大休止となったのでありました(笑)。
実は昨日のフキノトウ採りから帰ってきたあと、Takema母が「おかしいわね、さっきまで使っていたハサミが見あたらないのよ」と言い出しました。現地に置いて来てしまった可能性があるとのことで、それならばまぁ、大して遠い場所でもないし寄り道してハサミを探しに行くことに。
車を止め、Takemaは母が最後の頃にフキノトウを採っていた場所に歩いていきます。あたりを探してみますが見あたりません。やっぱり実は荷物の中にでも紛れ込んでいるんでしょう、そのことを伝えようと車に戻りかけてみると‥
いやー「採り物」となると目の色が変わるというか欲が深いというか(笑)。まぁ急ぐわけでもないので、ここは「お2人に心ゆくまで」タンノーしてもらうことにしました。何だか芥川龍之介の『芋粥』に通ずる世界でもあるような‥(苦笑)。
雪が溶けたばかりの地面からは水仙系?の若芽が出ていましたが、そんな物には目をくれず狩猟採集民族化しているTakema母(右上画像マウスオン))。
さて小一時間ほどして「十分にタンノーしきった」2人が、ビニール袋一杯の「今日の収穫」を手にして戻ってきました。いや、「十分にタンノーしきった」は正しい形容ではありません。正確には「周辺に出ている全ての花芽を採り尽くした」から仕方なく帰ってきたと言うべきでしょう。あ、Takema母は根まで引っこ抜いて持ってきたぞ。いわく「畑に植えようと思ってね」。
このあたりで長年生き続けてきたフキにとってみれば「天地開闢以来の大災難」であったことは言うまでもありません。フキ一族も災難に負けずに頑張って欲しいと心に願うTakemaでありました(笑)。
さてこのあとは栄村を目指します。お隣の野沢温泉村あたりには目立った変化(路面のズレや家屋の損壊など)が見られませんでした。しかし村の境界を越えて栄村に入ったすぐのところでいきなり!
これには驚きましたが、そのあとしばらくは国道沿いに特に大きな被害は見あたりませんでした。あれれ結構多くの家屋が被害に遭ったということだったのに?
実は栄村の大地震(2011/3/12)はかなりのピンポイント系で起こったものらしく、強烈な地震の直撃を受けた場所もかなり限定されているようなのであります。だから隣村では比較的被害が少なくて済んだということのようですが、それでも「ピンポイント」におられた方々は大変だったろうなぁと頭が下がる思いです(ちなみに地震直後の村では秋山(郷)地区を除き全村避難が行われたそうで、被害の大きさが想像されます)。
さて、まず目指したのは「JA北信州みゆき栄出張所」。栄村の大地震に対する赤十字系義援金の受付もあるはずですが、復興に直接役立つ(すぐに使われる)お金として「栄村復興支援機構『結い(ゆい)』」へ直接募金を行おうと思っていたわけです。
そんなわけで国道から県道408号へ曲がろうとすると、そこには「全面通行止め」の看板が。うーむそれではというわけで遠回りではありますが少し先のもう一つの分岐、県道407号経由で行けばいいかと思って先へ進み、曲がってしばらく進んだあたりであることに気づきました。それはすなわち、
完全に崩れ落ちているお宅、そして右上画像のお宅は1F部分が斜めに歪んでしまっています。いずれにせよ居住不能。
それぞれの建物には赤紙=「危険」の貼り紙が。貴重品や家財道具は運び出せたのでしょうか(たぶんOKだと思います)。
一見したところ大きな被害のないこれらの倉庫?にもそれぞれ赤紙が貼られており、もう取り壊すしかなさそうです。
左上画像で誤解しないでいただきたいのは、この鉄筋コンクリートの建物が斜めにかしいだわけではないということ。運転しながらの撮影だったのでカメラアングルが悪かっただけです(苦笑)。地域の人々の避難所になっているようですが、1Fの壁には数多くの亀裂が入っていました(以上横倉地区)。
ただ、すでに最初の地震からひと月以上経っているということと、被災地域が狭い範囲に集中していたことにより生活のインフラ復旧作業そのものはかなり進んでいたようで、少なくとも水道は仮の水道管が道路際にあって仮復旧完了の様子、ということは「復旧の順番(電気−水道−ガス)」からして電気も大丈夫なのでしょう。残るはガスですが‥あ、各戸ともプロパンということならこれもまた大丈夫でしょうね。何だか少しホッとしました。
ここで百合居橋を渡って対岸にあるJAを目指したわけですが、橋と道路の接合部分はかなり痛みが激しかったらしく、でもこの橋がなければ奥の集落が孤立してしまうので応急工事をして鉄板を上に載せた状態で使われていました。右上画像は県道408号の通行禁止部分ですが、奥の方のスノーシェッドが崩落していたようです。もう1本のルート(407号)がなかったらかなり大変なことになったはず。
さて、そんなこんなで橋の向こう側のJAに行ってみたところで、われながら「お馬鹿系の現実」に苦笑いするしかありませんでした。
あちゃまーやってもうた。お隣のストアは営業していたようですが出張所そのものとは別組織らしく、従業員さんは「結い」の活動については詳しくないようでした。あちゃまーどうしよう‥では営業を再開している「道の駅信越さかえ」に行けば何とかなるかな、あ、でもちょっと待て!温泉好きのTakemaとしてはその前に!
そんなわけで行ってみると‥おお、こんなに震源に近い(と思われる)場所なのに、特に被害を受けた様子もなく以前と同じ様子で建っていました!たぶんプレハブ造りで上物の重量が軽かったため大丈夫だったんでしょうね。
良かったヨカッタというわけで入口まで行ってみると‥扉が開いており、しかも男女それぞれ靴が1足ずつ。と、正面の貼り紙に目をやると、そこには思っても見なかった「現在の利用についての説明書き」が!(左上画像マウスオン)。‥被災者の方々へのご配慮ですね。それにしても源泉やボイラー設備(ここは沸かし湯)に被害がなくて本当に良かった。
で、このタイミングでうずうずと高まる胸の鼓動を抑えきれなくなりはじめたTakemaです。それはもちろん「お風呂は空いていそうだしやっぱり入りたい!」という、温泉好きの性のなせる心情なのでありますが、しかしその一方で、Takemaは出発前に「被災者の方々の迷惑になるような振る舞いはしない、よって被災者用の温泉などへの入浴は自粛する」と心に決めてきていたのであります。
でもね、その一方でうずうずうずの躍動はもう「高校生のように」たまらんのでありますよ(何のこっちゃ)。と、ここでこざかしいTakema脳髄がこのような「妥協案」を提示してきたわけであります!
す、スバラシイぞTakema脳髄の解決案!というわけで、こちらの無人共同湯の利用料は200円なんですが、料金箱に「お札」(どの券面なのかはヒミツ)を入れた上でいざ入浴を敢行させていただくことに(またも自己行動を強引に正当化してますなぁ)。母と伯母に「ちょっとだけ待っててね」とお願いした上でいざ建物内へ。脱衣場に入ると、男湯の先客さんはちょうど上がるタイミングだったようで、おお、貸し切り利用となりました!
ここのお湯は微アブラ臭なんですよね。地震による成分変化はなかったようで臭いも健在でした(嬉)。
加熱かけ流しの湯使いも以前のままで、思いがけず湯浴みをタンノーした次第です(いやホント、最初は考えてなかったので)。
そんなわけで湯から上がってくると突然Takema母が「じゃ、わたしもお風呂に入らせてもらおうかね」と、料金を入れてお風呂場へと向かっていきました。いやぁ、まさか母がこの「秘湯」に入る日が来るとは思いもしなかったぞ(笑)。ちなみにその間、伯母は道端や田んぼのあぜに生えているツクシ採りに夢中であったようでした(まだ採り物欲求は満足してなかったのね)。
温泉の前の水路には雪解け水がとうとうと流れ「間もなく春本番」を髣髴とさせる長閑な光景が広がっているのですが、その一方でちょっと遠くに視線をやれば、見えている建物は斜めにかしいでいますし、道路にも欠損が起きたらしくブルーシートが張られているのが見えました(右上画像マウスオン)。そう、ここ百合居温泉周辺はまさに「震源地(直近)」だったようなのです。
母が湯から上がったあと、いよいよ「道の駅信越さかえ」へと移動しました。ここ栄村を訪問した理由、それは「地元のいろんな産品を買い付けて(買い占めじゃないですよ)地元経済に少しだけでも貢献しよう!(そして義援金もね)」ということだったのですから、ここでは財布の紐を緩めなければなりません!(他に買える場所もないのです)。でも?
道の駅に向かう途中の青倉地区(国道沿い)にもかなり被害を受けた家屋が見受けられました。
道路の陥没による片側交互通行区間もいくつか。ちなみにR117は4/24現在大型車通行不可でした。
そんなわけで、いよいよ道の駅に到着!建物の前には農産物の直売売店があり、Takemaと同じような発想をなさった方々が「結構ムキになって」いろいろなものを購入なさってました(笑)。
時期柄青物野菜は県内の別産地から供給されたものでしたが(左上画像マウスオン)、それでもTakema母はかなりの種類を購入していました。昨日嬬恋村で買ったはずの行者ニンニクの苗もさらに追加購入してました(笑)。Takemaは「栄村産コシヒカリ」をどどん!
よく見ると道の駅の敷地内にも小さな段差が出来ている箇所がありましたし、窓ガラスが割れてサッシごと取り外されているところもありました。考えてみれば先ほどの青倉地区から直線距離で1kmくらいしか離れていないのですから、冷静に考えれば「よくこのくらいの被害で済んだなぁ」ということにもなりそうです。そしてその裏返しは「無事に見えた家々も、多かれ少なかれの被害を受けていないはずがない」ということになるはずです。
道の駅で昼食を食べ(なぜか母と伯母は珍しくラーメンを注文)、このあとはほぼ一気に塩沢石打IC経由で家まで帰ってきました。結局道の駅には義援金ボックスが置かれていなかったので、近日中(GW前)にJA経由で現地に送金しようと思っています(母からもお金を預かっているので)。
そんなわけで帰ってきたわけですが、母も伯母も「楽しかった!こんな旅行なら是非またしたい!」ということでした。何がどのように楽しいと感じたかを推察するに‥
ハイ、間違いないでしょう(笑)。合法的に無料で採れる場所があるからねー!
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