− その13 最後の一湯は馬場温泉、予想通りの高速渋滞は下道選択で正解 −

ここ数日の陽気で雪は随分溶けましたがそれでもまだ去年テントを張った場所は雪に覆われています(右上画像マウスオンで3日前の画像に変わります)。テントの撤収はいつものように時間がかかり、結局出発は9:30ころ。福島トンネルの登り坂を少しでも早い時間に通過しておくべきなのですが、こりゃ一番混みそうなタイミングで突入しそうな予感大。まぁそうなったらそうなったで下道に降りて磐越道のどこかで再度乗ればいいやくらいの気持ちです。

ちんさん(お休みは5/8まで)とおとう(年中お休み)はもう1日泊まっていくとのことでここでお別れ。2人でしっぽり楽しんでねー。

R13とR108の分岐からしばらくは綺麗な桜並木が続き、例年なら5/5あたりは葉桜になりはじめていたりもするんですが、今年はまだ花も1分咲き、いや0.5くらいかな。本当に春が遅かった2011年でありました。ただ今後は電力問題もありますからすなわち2010年のような「記録的猛暑」だけは勘弁して欲しいものです。

鳴子界隈でせめて1湯くらい入浴しておこうと思い、久々に馬場温泉に立ち寄り湯をお願いすることに。先客さんが入っているということでしたが時間はたっぷりあるので(あるのか?)のんびりと母屋の前で待たせていただきました。

ここ馬場温泉の湯には前に1度だけ入ったことしかないのですが、その時はおばあさんに母屋に上げてもらい、細工物を見せていただいたりお茶を頂いたりしてゆっくりしたんでした。「うちの人(おじいさん)が木工が好きでね、機材なんかもいろいろ買うものだからもう別棟はそういうのでいっぱいで大変」というようなお話を、一見(イチゲン)の立ち寄り湯客であるわれわれににこやかに話して下さり、馬場温泉の印象はいやが上にも高まった記憶があります。

しかしそれからしばらくしておじいさんが亡くなり、そしてかのおばあさんも先年ご逝去。旅館の奥さんに前回訪問時のことを申し上げると、「そうなんですよ、2人とも逝ってしまったので‥」と淋しそうなお言葉でありました。外から見た限り母屋内は綺麗に整頓されていて「お2人の在りし日」を彷彿とさせる雰囲気でしたが‥こうやって時は流れ進んでいくのですね(しみじみ)。

そうしているうちにもしばしの時が過ぎ、先客さんが出てこられました。それでは久々の馬場の湯を「今回の旅行の上がり湯」といたしましょう!

母屋正面にある共同湯は数年前に建て替えられたものですが、先代湯小屋のイメージを崩さぬような味のある造りになっています(先代の湯小屋に入ったことはなかったのですが聞いた話として)。男女別ではありませんが貸し切り利用が基本なので問題ありません。しかしふと扉の掲示を見ると‥(右上画像マウスオン)。

まぁあまり細かなことは気にしないということでいざガラガラと戸を開けて湯小屋内へ。



そうそうこれですこの浴槽この色です!(ただし見た目とは違い完全な黒湯ではありません)。



ほどよい広さやや深めの湯船がいい感じです。お湯に映る天井の造形もナカナカ。

湯口からは無色透明に見える湯が豊富に流し込まれていますが、ウーロン茶系の色づき(右上画像マウスオンで別画像に変わります)を見せる湯の表面では無数の気泡がプチプチと小さくはじけ、微アブラ臭もある極上湯です。お湯は44度ちょいといった感じでやや熱めで、今回の〆湯としては最高の選択だったように思われます。

さてこの後はもう帰るしかないのでありますが、馬場の湯で湯ったりしたこともありすでに時刻は11時過ぎ、このまま高速に乗ったとしても渋滞はもちろんですがSAPAの食事処も大混雑が予想されますので、おしんこどんのおみやげ買い出しと合わせ、岩出山の道の駅で早めのランチといたしました。ここの道の駅も例年はものすごい数の車であふれかえっているのですが、今年はやはりやや少なめで、正面側の駐車場に車を止めることができたっけ。



注文したのはハンバーグだったりカレーバイキングだったり(右上画像マウスオン)とごく普通の料理でしたが。

さて古川ICからいよいよ東北道へと入ります。時間が時間だけに交通量もかなり多めで、仙台よりずっと北側の大和IC界隈でも「渋滞の卵」状態になりつつあり、これでは福島トンネルあたりにさしかかる頃にはすごいことになってしまいそうです。

何とか仙台宮城ICを通過したところで、「白石 − 国見断続渋滞11km」の表示が。うはー福島トンネルはおろかそのはるか手前から大渋滞が始まってます!というわけで白石ICで高速を下りてしばらく下道を進もうと考えたのですが、その白石ICの1つ手前、村田IC手前でぴたっと止まってしまった車列。こりゃダメだと作戦を変更し、村田ICで東北道に見切りをつけました。あとはナビくん頑張ってくれたまえ!




(ま、こんな快適状態ばかりじゃありませんでしたが)

しかし道の脇には「津波に流されてスクラップと化した乗用車の仮置き場(車が二重三重に積まれていた)」があったりして、この地から遠くない先に津波の被災地があることがわかります。

やがてナビは「阿武隈川沿いのR349を進みなさい」と指示してきます。川沿いで景色はいいんですが道は狭いっ!でもまぁ交通量も極少なので特に問題はありません。

竹林が多くなってくると徐々にあたりが開けてきて、やがて道路も再び片側一車線の快走路に。で、しばらく進んでいくと右上のような看板が。どうやら計画的避難地域のすぐ近くまでやってきたようです。

とはいえ自分たちが今いる場所自体はその指定エリアからほんの数km外側ではあります。スーパーも通常通り営業しているようですし、避難関係で出入りする車両が多いからでしょうか、車の通行量もかなりありました。しかし、車窓風景を眺めながら一番心にしみたのは‥

いかに避難対象地域ではないにしても、「福島のお米」、しかも「避難地域に隣接する地で収穫されたお米」に対する風評は今後ともかんばしいものとはならないでしょう。でもここ川俣の農家の皆さんは米を作るのです。結果がどうあろうと自分たちができることをする。

田植え作業をなさっている方々のお姿からはそんな決意が伝わってくるようでした。確かに(放射線物質の含有レベルという意味で)どんなお米ができるのかはわかりません。でももし、精米後の白米に含まれる線量が基準以下で「売れる」お米が収穫できたとしたら、わたしは是非とも買わせていただきたいなと思います!うちは子どもがいるわけでもないし、自分たちの判断で動けばいいだけのことなので。

さて、さらに南下し聖石温泉の前を通り過ぎ、やってきたのは往路でも立ち寄った道の駅東和。

ここでは往路でも多少おみやげを買ったのですが、今回はおしんこどんが「ジェラート食べたい!」と言ってきたのでハイハイハイと注文(右上画像マウスオン)。かなーり美味しかったらしく「またここに来たら絶対食べよう!」と意気込んでおりました(笑)。

その一方で駐車場の隅っこあたりでは、島根県から派遣された方々がガイガーカウンターで放射線量測定中という、「この地域の現実」も目にしました。もっともその係員さんたちもマスクは付けていなかったので数値的にはたいした量ではないのだと思いますが‥。

船引三春ICから再び高速に乗り磐越&常磐道経由で一路千葉を目指します。ラジオからは「東北道が渋滞でひどいことになってます」との渋滞情報が流れてきましたが、こちらは結局終点の三郷まで渋滞ゼロ。とてつもなく快調に戻ってくることができました。



そんなわけで2011GWの東北編もこれにて終了です。例年とは違って「思わされることが多かった」今回の旅行でしたが、東北の復興はまだまだ始まったばかり、原発の件を除いてもこれから何年もの継続的な取り組みが必要となること必定です。わたしはこれからもどんどん東北詣でにいそしみます!
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