− その14 遠野を懐かしくうろうろしたあとは一気に帰宅‥いやその前に?(苦笑)
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お天気はイマイチですが傘はほぼ不要。しかも朝一番なのでカッパ渕駐車場もガラガラでした。いよいよこの旅行も(後半戦はキャンセルとなりましたので)最終日です。というか今日中に千葉帰着なんだよなぁ。遠いぞ長いぞ(笑)。
さて、カッパ渕といえば常堅寺、常堅寺といえばカッパ渕なんですが(あ、これだけじゃ明らかに意味不明ですね)、残念ながら常堅寺境内は立入禁止になっていました。地震の影響ではなく2012/4上旬に岩手県南部から宮城県北部界隈を襲った暴風のためのようです(右上画像マウスオン)。この時の暴風もかなりのものだったようですが、これもまた2011/7下旬の会津豪雨同様すぐに忘れ去られていくんだろうなぁ‥。
あ、上の段落冒頭の「カッパ渕といえば‥」の説明を忘れていました。実は遠野物語には常堅寺が火事になったとき、カッパが頭のお皿から「放水」して消火を手伝ったという逸話が記されています。実はその前に「馬を渕に引きずり込もうとして失敗し、村人に『もう二度としないから』と許しを乞うた」というエピソードもあるのですが、すっかり改心したというところでしょうかね。
それにしても、かつての神童Takemaは中1にしてすでに文語体で書かれた「遠野物語」を読んでいたわけで、その神童ぶりが成人に至るまで受け継がれなかったことを悔やむばかりであります(大笑)。
そんなわけで実際のカッパ渕へと行ってみましょう。ここの風景の記憶はかなりはっきりと残っているつもりなのですが、果たして現状との照らし合わせはいかに?
たぶん「もっとうっそうとしていた」ように思うのは季節の違い(8月&GW)によるところが大きいと思います。水草も同様でしょう。でも、もう少し深かったという記憶は「少年時代の記憶は何でも強調されるものだ」という説明だけで済むのかなぁ。いや、確かにもっと水量が多かったように思うのですよ。もしかしたら上流部の開拓が進み、灌漑のために使われる水が増えたということなのかも知れません。
一方で、こんな遊び心系のしつらえもあったりしました。
カッパが大好きだというキュウリが釣り竿に吊されています。竿には「名人専用」とありました(左上画像マウスオン)。ここまで凝った演出をすることにはいろいろな意見もあることでしょう。35年前の記憶では自分がここにいた間ほかの人は誰も来ませんでしたし、もちろんこんなしつらえもありませんでした(あくまで35年前の記憶ですが)。
今回は、到着時にはわれわれだけしかいなかったのでまぁいいのかなと思ってみていましたが、これがもし先客何十人モードで押すな押すな系だったとしたら、偏狭なTakemaは「来るんじゃなかった!昔の記憶のままにしておくんだった!」と嘆き怒ったに違いありません(笑)。ま、今回は大丈夫でしたんで、またいつか夏の時期に再訪してみたいと思います。
帰り道沿いではヤマザクラが満開でした。が、同時にかの暴風でかなりの木々がなぎ倒されたこともわかりました。お寺に倒れかからなくてよかったねぇ。そんなわけで境内には入れませんが名物の「かっぱ狛犬」を脇から激写(右上画像マウスオン)。
そんなわけで続いては「山崎のコンセイサマ」へと向かいます。もうすぐTakema母の緊急手術が始まるとは思えない悠長さですが、Takema自身が「このあとで帰る。一刻一秒を焦って帰る必要はない」と考えた以上、どこの誰にも文句は言わせません。もちろん「万が一間に合わないようなことがあっても自分としては後悔はしない」との決意のもとでですが。
Takema父が旅立ったとき、母は告別式でも涙一つ見せませんでした。いや、それどころか遺族代表挨拶でTakemaが語っていたときに「遺影に向かって手を振っていた」のが母でした。その時いろいろなことを考えました。そのことが今回「急いで帰る必要はない」を選択した大きな理由になっています。
そんなわけで山崎のコンセイサマ到着です。
ぱっと見にはごく普通の神社です。無人ですがちゃんと手水鉢には山水が引かれておりますし、整備も行き届いているようです。でも「コンセイサマ」と書いた時点で「うふふそのネタにいくんですね」と考えた人と、「何なのよコンセイサマって?」とそのままスルーした人に分かれると思います(普通は後者ですよね)。
でも、次の画像を見ていただければおわかりいただけるかと。
(右上画像マウスオンでご神体画像に変わります。何でも行方不明だったものがS47に再発見されたのだとか)
遠野にはもともと土着宗教としての石神信仰があり(何といっても遠野三山の1つが「石上(神)山」だったりしますから)、そのこともコンセイサマ信仰に関係しているのかなと(根拠はありませんが)。なお、境内には「陰陽石」も安置されておりました(左上画像マウスオン)。「生きること」についての不確定要素が強かった昔は、やはり「何らかの絶対性」に頼る度合いが現代よりも圧倒的に強かったのでしょうね。というか、「無神論者」でいられる人ってある種すごいなぁと‥。
ちなみに神殿のお隣には何やらトンネル‥ん?
そんなわけで山崎のコンセイサマから戻り‥時間的にオープンしたはずの「伝承園」へ。手っ取り早く遠野および北上山地のかつての生活を知るにはこういうところが一番かも知れません。ただし、
実は、Takemaが大学生だった頃このようなフィールドワークをおこなうサークルに属していまして、ここ岩手でも旧新里村(現宮古市)を調査したことがありました。パートに分かれての聞き取り調査だったのですが、北東北におけるオシラサマ信仰がかなり広範囲に及ぶものだとしてびっくりした記憶があります。
「オシラサマ」についてご存じのない方は(大多数だと思いますが)、wikiあたりで検索して下さい。
そんなわけで伝承園へ。昔はこんな施設もなかった‥って、35年前にはあるはずがありませんね。ついつい「湯殿」に心惹かれましたが、右上画像にマウスオンすればわかるとおり源泉かけ流しではない‥いや、湯そのものがありませんって(笑)。
しかし、移築された菊池家曲り屋の奥にあるオシラ堂はかなりのインパクト!(左下画像)。ここだけでも見る価値はあるのかなと思います。
で、このあとはどうする?おしんこどん母子は「もうすぐ始まる昔話語りを聞きたい」というのですが、実は35年前にもここ遠野で聞いたような記憶があるのか、それとも新里村で25年くらい前に各ご自宅にて伺ったことがあるのか、どうも気が乗りません。というわけで現実世界にワープ!
あれあれ、またも好き勝手コースを選択してしまいました(苦笑)。ちなみに出発前に曲り屋を見てみたら、語り部の方が縁側でのんびりとくつろいでおられました(右上画像マウスオン)。こういうのもいいよなぁ。
さて、そもそもここ遠野エリアには温泉がないというか、北上山地&三陸沿岸には温度の高い源泉が全く出ていません。Takemaが小学生の頃習った記憶によると「北上山地エリアは浸食が進んだ準平原地形」だった気がします。たしかに北上山地には火山もないし、今あらためて調べてみたら「圧倒的に古い地層」なのだとか。だからこそ内陸部では東日本大震災による建物破損被害が少なかったわけでしょう。
しかし温度はともかくとして「成分の濃い鉱泉」が出ていないわけではありません。旧新里村の金鶏山鉱泉はその代表的な存在でしょう(今は廃業しましたがその源泉を引き湯で安庭(あてい)山荘が引き継いでいます)。そして、ここ遠野でも「何だか濃い湯」があるというのでちょっと行ってみたかったわけですよ(前置き長すぎ)。
「踊鹿温泉 天乃湯」。実はこのページをタイプしながら初めて知ったんですが「踊鹿」って「おどりしか」じゃなくて「おどろか」って読むんですね。あ、「踊ろうかベイビー♪」というようなレベルでしかイメージできないTakemaをお許し下さい。
で、実際はそんなサタデーナイトフィーバーとはある種無縁の鄙び系施設でしたが、それでも結構大きいのでたぶんカラオケはどこかにあるんじゃないかと(笑)。しかし滞在時には爽やかなダミ歌声は聞こえてきませんでした。さすがにまだ午前中だったし。
浴室手前には飲泉場がありました。ちょっと鉄っぽいんですがこちらの湯は「単純弱放射能冷鉱泉」です!
で、脱衣場こそどなたもおられませんでしたが、浴室には常時5-6人の湯客がおられたので浴室画像は当然ありません。でも、11度の源泉そのまま浴槽も、42度近くまで加温された浴槽もどちらも茶濁り。実は手首に巻いていたロッカーの鍵がひょんなことから外れたらしく、発見するのに一人で苦労しました(浴槽底を手探りで発見)。
ちなみに茶濁りの湯ではありますが浴感のインパクトはあまりありませんでした。それよりも、この施設の雰囲気が何ともいえず「どこの運営なのよ?」という感じなので嬉しかったです(謎笑)。
入浴料はお高めの630円でしたが、休憩込みだと「時間 自由です」ということですので(謎笑)。
そんなわけで温泉の紹介は全然出来ませんでしたが急いで伝承園へと戻りおしんこどん母子をピックアップ。さぁてそろそろ現実へと戻りましょう、たぶん今ごろはTakema母が緊急手術の準備に入っている頃だぞというわけで新花巻駅へと向かいます。
曇天なので桜の色が全然出ていませんが、新花巻駅に向かうに従いどんどん花びらが少なくなっていきました。
そんなわけで新花巻駅にておしんこどん母子とお別れ。おしんこどん母は東京駅で東海道新幹線に乗り換えて新大阪までさらなるおつかれ行動をお願いすることになりますし、おしんこどんには‥
もっとも手術の開始には間に合わないでしょうが、まぁそれはそれとしていろいろとよろしくです。
ということでこちらも「東北道の人」となるわけですが、もうすでに午後1時を回っているし、高速に乗る前に食事をしておきたいぞ、それもできれば手打ち蕎麦がいいかなぁと考えていたところ、花巻インター直前に看板がありました。「手打ち蕎麦 かみや この先5km(だったと思う)」。5km先か、でも車ならすぐだしまぁいいかというわけでよしインターを通り過ぎて直進だ!
しかし、あれれ標識通りに進んでいくと花巻温泉に着いちゃったじゃないですか。しかし見る限り蕎麦屋さんは見あたらない‥。あ、まだ道は奥へ続いているのね。ではさらに進んでいくと‥。
なお誓って言いますが、ホントにお蕎麦を食べようと思っていただけです。故松本清張氏であれば「そもそも新花巻駅からもっとも近い高速のインターは釜石道の花巻空港ICのはず。それなのにわざわざ遠い花巻ICまで移動しているところが特にアヤシイ」などと推理の眼を光らせることでしょうが、だって新花巻駅近くに蕎麦屋さんがなかったんだものしょうがないんです。
ほらその証拠に、「いつかは寄ってみたいと思っていたマルカンデパート」にも行っていないでしょ、あそこのソフトクリームはすごいらしいんだけれど、「親が大変なときにソフトなんか食べてる場合か!」と心を鬼にして自制したわけですよ。
さてしかし台温泉です。その昔、まだ自分がNZワーホリに行くよりもさらに昔、厳冬期の早池峰山登頂を果たした上で下りてきてここ台温泉のどこかの宿に泊まったことがあります。しかしどの宿だったかは全く記憶なし(今回周回路をぐるりと回ったんですがやっぱり全然わからずでした。当時は温泉に興味なかったからでしょう)。うーんどの宿だったかなぁ、鉄筋コンクリだったのは覚えているのでこの廃業宿かなぁと思っていたとき、ふと心のタガがちょっとだけ緩んだようでした(笑)。そしてその一刹那を逃すまいとTakemaの中の温泉悪魔がこんなつぶやきを持ちかけたのです(「予想通り!」と思ったあなたはわたし自身よりTakemaにお詳しいのですね(笑)。)
うーむ温泉悪魔は言葉が巧みですねー(笑)。しかしエンジェルTakemaがこれに対抗し‥あれ、どこ行ったんだエンジェルTakemaの姿が見えないぞ、え、こ、こ、コケコッコー!(いつもながら意味不明)。
そんなわけでエンジェルの助力を受けられなかったTakemaは、善戦空しく温泉悪魔の軍門に下ることになってしまいました(何のこっちゃ)。でもそうなると、せっかくだから「いい湯に浸かりたい」ってのが人情ってもんでしょ(妙にやる気満々)。
しかし下調べはしていないので循環湯だったりしたらどうしようという不安もあり、「昔からありそうな宿なら多分大丈夫だろう」と考えて決めたお宿がこちらの「自炊旅館 吉野屋」さん。
うむ、自炊宿で循環湯というのはなかなか考えづらいのでこちらに決定!ちなみにこちらの吉野屋さんですが、「自炊の旅館」というわけではなく「自炊の素泊まりでも2食付きの旅館スタイルでもOK」のようです。
玄関に入ってご主人に入浴を乞うと、最初は「どうしようかな」という雰囲気でしたのであれあれとも思いましたが、湯上がりに話をしていたらとっても気さくな方でした。もしかして最初は湯のたまり具合か何かを気にしていたのかもしれません。さて入浴料(いくらだったか忘れましたが300円か400円だったと思う)をお支払いしていざお風呂へ。うむ、連休の谷間の平日なので先客さんの姿はなし。よーしというわけで浴室へ。
ちなみに台温泉は源泉が高温なので多くの宿が加水しているようで、こちらの浴槽でも山水がちょろちょろと注がれていました。湯口は窓際の浴槽内にあるため源泉の味見はできませんが、なぜかあっさりした味だった記憶があります(笑)。
浴槽内の湯温は推定45度弱くらいでやや熱めですが、これから500km以上車を運転する身にしてみれば、ここで「ガツンとくる湯」に入っておくことは何だか必然であったような気がするから不思議です(自己正当化)。
左上画像の真ん中ぐらいの深さのところに湯穴があります。上のホースは水なんですが、何も出ていないもう1つのホースは追加加水用なのかも知れません。ちなみに昔使われていたと思われる蛇口は完全に「封印」されていました(右上画像)。
天井は木造で風情あるものです。浸かったり休んだりを繰り返していたら20分どころか40分くらい浴室に滞在していたことはここだけのナイショです。しかし、この数十分が「大きな分かれ目」になったとしたら後悔しただろうなー(大苦笑)。途中で女湯にもどなたかが入ってきたようでしたが自分より早く出たみたいでした。
で、すっかり満足して「どうもありがとうございましたー!」と声をかけて出ようとすると、先ほどのご主人が出てこられてこうおっしゃいます。
えーっと、その女の人はともかく、40分の入浴時間って短いんでしょうか?(笑)。
「で、今日はこの後どこに行くんだい?」と聞かれたので「今日中に千葉まで車を運転して帰ります」というとちょっと驚かれたみたいです。もちろん「母が緊急入院したので」という帰宅理由はおくびにも出しませんでした(大笑)。
「でもその前に、このすぐ上にあるお蕎麦を食べていこうと思います」と申し上げると、ご主人は時計を確認した上で次のようにおっしゃいました。
そんなわけで、本末転倒臥薪嘗胆ニイタカヤマニノボレズ遭難系の台温泉訪問となってしまったわけでありました(大苦笑)。え、昼食はどうしたかって?ええもちろん食べましたよ、高速のPAで桜冷麺とやらを。ま、美味しかったからいいか(結局手打ち蕎麦にこだわる必然性など微塵もなかったわけですね)。
そんなわけでこの日の21:00ころだったか大学病院に到着し、すでに最初の手術を終えたTakema母と集中治療室で対面しました(母は全身麻酔中なので意識ナシ)。
しかし翌日の手術の結果「なんと腸の切除には至らず」、無事退院できた母でありました。もっとも手術前後の母の記憶は曖昧なので(全身麻酔時間が長かったのだから当然)、まぁいいかということでこの温泉訪問については黙っていようと思っていました。でもまぁ笑い話で済む感じなので言っちゃいましたけれど(苦笑)。
そんなわけで、2012GW編終了です。後半のキャンプでご一緒するはずだった皆々様申しわけありませんでした。でもそのあとほぼ全員とTakemaオフキャンプでお会いしているわけですからまぁいいかな?さて来年はどうなるのかなー。