2014年2月、只見の雪まつり東京発バスツアー顛末記
− 2014/2 その4 厄男大集合の裏場面見学、そして火付け、餅撒きもっ!−



ん?ナニ?何が始まるのでしょう?実はこの皆さん全員昭和48年度生まれなんです!ということは‥

ちなみに上画像は雪まつり会場内ではありません。たまたま「凱旋門」あたりをうろうろしていたらおしんこどんが「何か勇ましい人たちが来たよ」というところから偶然見ることが出来た皆さんの準備風景です。もちろんこの方々も雪まつりイベントの重要な要員でありますが、その件についてはこのあと追々紹介していきますのでまずは「この皆さん、何?」というところから説明していきましょう。

あとの動画を見てもらうとわかるのですが昭和48年度生まれということは西暦1973年生まれです。今年2014年-1973=41ということでこちらの皆さんは「数え年で42歳=厄年」にあたるわけです。その厄払い儀式をこの雪まつりでやっちゃうというところにローカルなイイネ感満載なのです(1964年生まれの自分はもう随分前に通過しちゃいましたが)。それにしてもこの雪の中半裸で登場というのは覚悟の上とはいえやっぱりきついよなぁ(同情)。

しかし登場時には「ぜんぜん寒くねぇ!」と皆さん強がり系の発言をなさっています(ただし時に弱気発言も)。また厄払い男衆の身体に触れるというか叩くと「御利益」があるということらしく皆さんがパチパチと叩いていました。

おそらく皆さんは地元高校の同級生なのでしょうが、卒業後地元を離れた方々も来ておられるらしく「○○さんは本日東京から」とか「郡山から」とかの紹介があとのほうでありました。たぶん卒業の時とかに、


というような堅い「再集合の約束」が誓われていたのではと推測されます。そしてそれこそ素晴らしい地域の絆なのかなと! さてそんなことを勝手に想像前提で書いていても大した意味がないので、この厄年軍団の皆さんの正式出陣までの風景を静止画&動画でご覧下さいませ!



入場前の厄男軍団諸氏は松明を手にして準備&気合いを入れていますが、この直前まですぐ近くの某食堂でオメデタ系のワイワイをこなしてきたらしいです。


40歳を越えてこのノリというか団結。かなーり好きだなぁ。でも雪の中サラシ1枚というのは本当に寒そうです。



タイムライン的には一部いい加減になってますが、会場ステージでは神事が始まりました。

さて、この只見ふるさとの雪まつりに来る前は「花火もあるっていうし、冬の観光振興策なんだろうな」と勝手に思いこんでいたのですが、考えてみれば第42回という歴史ある行事ですし、もともとはこのあとで出てくる郷土の年中行事がルーツで、それにさまざまなイベント性が加味されて現在に至るということなのかも知れません。だから「さっぽろ雪まつり」のように数多くの雪像氷像のような派手さはないけれど、ただ見るだけではなく「町民参加型」のほのぼのしたお祭りになっているのでしょうね。われわれ観光客は「そこにおじゃまさせていただきその時だけ臨時町民気分にひたらせてもらう」というくらいのスタンスが一番いいような気がします(もちろん部外者だからといってアウェイ感を感じるなんてことは一切ありません)。



雪まつり会場入りした厄男の皆さん、場内に何ヶ所かあるかがり火に着火中です。ではここに至るまでの動画もご覧下さい。


神職の唱える祝詞の合間に絶妙のタイミングで只見線列車のホイッスルが聞こえてます。そして厄男たちによる火付け厄払いも。


厄男の皆さん全員が舞台に上がったあと、まずは大雪像たるオペラ座に礼を尽くします。このあたり、フツーの日本人にとっては特に違和感もないのですが、つい前日まで重機を入れて造っていたこの雪像に「いつ神が降臨したのか?いつ神殿になったのか?」を一神教徒の方々に説明するのは結構難しいかも知れませんね(笑)。ムスリムの方々はステータス(象徴たる偶像)否定の観点から「ここに神はいない」とお考えになるような気もしますし、クリスチャンの方々にとってみれば「そもそも異教徒が造った建物を模したモノにどうして日本の神とやらの神性が瞬時に宿るのか」について「??」となってしまわれるかも知れません。でもこれが「八百万の神々」をいただくわれわれの感覚なのですよね。鷹揚な宗教的感覚をもとに自然にそう振る舞える日本人のこの感覚を外交方針にも是非取り入れて欲しいと思ったりするTakemaです(ただしその感覚が相手も理解可能であると思いこんだりしたら薮蛇ですが=ありがちなので)。

さて話をバイザウェイ系に進めることととして続いては「厄男代表挨拶」へと進みます。もちろん挨拶役は先ほどの動画で「者共、行くぞぉっ!」というお言葉とともに切り込み隊長としてすっ飛んで行かれた方なのですが、学生時代はやっぱり生徒会長とか体育系クラブの部長だったのかな?でもこのような「熱い男」がおられることで只見町の未来がさらに切り拓かれていくんだろうなと心強く感じた次第です。何だかジジイっぽい表現ですが、地方に熱い人材がいないとダメなんですよ!では再び動画で‥。


原発事故と会津豪雨という直接間接のダブルパンチを被ったのがここ奥会津。だからこそ頑張って欲しいのです!(でもケツ気をつけてね)。

いやぁ何だかいい感じです。地域のお祭りにちょいとおじゃましている感バリバリでよかったぁ。厄男の皆さん、おつかれさまでした!(と同時に、「只見に生まれ育っていたら自分も厄年に雪まつりでブルブル震えていたのかな」と勝手に驚愕というかそれがなくて安堵=千葉生まれ千葉育ちなので)。

さてこのあとは小龍包やラーメンを食べたりしてとりあえずお腹を満たしましたが、休憩所が少ないというか「食べ物を購入してからゆっくり食べられる場所が少ない」のはちと問題かなと。ずらりと店舗を並べて休憩所を数箇所に集約するというのは正直言ってイマイチな配置でした。休憩所も多くはテーブルがなくベンチだけなのですが、大人でもそうですが特に子どもの場合食べづらいのでは?またある意味子どもよりも勝手なことを言いがちな観光客のことを考えると(あ、自分のこと?)、休憩所の増設およびテーブルの設置は今後是非検討していただければと感じました。

せっかくアツアツの食べ物を購入しても、そこから雪の上を場所によっては50m歩いて休憩所に行ってみたらすでに満席というのではあまりに悲しいです(自分らがそんな感じでした)。今回は勝手に空きブースを利用させていただき勝手に座ってラーメンを食べましたが実は空きブースではなく目の前で手品が始まっちゃった!テーブルは無理でも長椅子はもっとあちこち(店の前)にあっていいかも。雪は椅子の上に積もっても手で掻けるので、飲食系出店の前に並べてもらうだけでも全然違いますよぉー!(この意見がどこまで届くかはわかりませんが)。

さて愚痴はともかくとして雪まつりはしっかりと進行していきます。何らかの「祝祭」とすれば、そしてそれが都市部ならぬ地方であればあるほど、その主催者がイベントの主催者側だろうが個人の上棟式だろうが、だいたいにおいて行われる基本形イベント、それは‥


しかし‥


実はステージ前に「お子さま専用サイト」が設置されていたのですが、後部にいた大人軍団は「全然来ないぞ!」とぶつぶつ!(笑)。

個人的に思うのは「お子さまをそこまで優遇するべきなのか」ということですよ。自分が子どもの頃神社で節分餅撒きに参加したときも「大人の力づく」で餅をゲットする力に圧倒された記憶がありますが、それで大人を恨んだ記憶は毛頭無いというかそんなもんだと思ってました。子どもが餅を取れないのはあたりまえ、だって大人の方が体力瞬発力で勝っているんだもん。そんな中しっかり餅ゲットをを見せつけることがそれこそ「お父さんお母さんってやっぱりすごいなー、よし、ボクもいつか」につながるんじゃないですか?

というわけでこの雪まつりへの最大の不満は「餅撒き子ども用優先サイト&そこをメインの餅撒き」でありました。都会の子どものみならず、只見の子どもまでも「精神的なもやしっ子」にする必要はないと思うのですが?(只見町教育委員会宛‥かな?サイトの設置は問題ありませんから「そこばっかり」に撒かなければいいのですから)。

まぁこの件についてはこれくらいにしておきましょうというか雪まつりプログラムはどんどん先に進んでいくのです(ちなみにおしんこどんは1つゲット)。このあと大きなイベントが待ちかまえておりました。それは‥


へ?「おんべ」って何のこと?とおっしゃる皆さまにご説明申し上げますが(自分もよくわかっているわけではないので間違っていたらご教授下さい in 会津の皆さま)。詳しくは次のページにて。何だかこのページ動画だらけだったような気もしますがたまにはよろしいかなと。

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