−その4 南三陸ホテル観洋に宿泊、夜は南三陸さんさん商店街でミニ宴会 −



この日のお宿は何と地域随一の大型高級ホテルだったんです。素泊まりだけど(笑)。

(2014/7/27 その3)

さて、上画像及び説明にあるとおり、この日の泊まりはTakema夫婦からするとかなり珍しいパターンの大型ホテル。しかも結婚式なんかもできちゃう高級系、われながら一体どうしちゃったんでしょう?(笑)。

実はこれには理由があります。この南三陸ホテル観洋さんは市街地から離れた海沿いの高台に立地していたことから、津波による被害は下部階(2F浴室)までしか及ばなかったそうで、また地震による建物本体への被害は皆無だったのだとか。

そのためこのホテルは水道や電気などの生活インフラが完全にストップした状態ではありながら、災害復旧の拠点として大きな役割を果たしました。そのあたりのことはこちらのサイトのアーカイブをご覧いただければ分かることなのですが、役場を含めた町内中心部が壊滅的な被害を受けた中、指揮管理機能がしっかり機能していたこれだけの規模の施設が残ったことはまさに僥倖だったのではないでしょうか。

こちらのホテルは気仙沼に本拠を持つ水産加工会社、(株)阿部長商店による経営です。今回の震災で、こちらの社長も自宅からヘリコプターで救出されたそうですが、震災後初めてホテル従業員に向けて行われた訓話が「あたりまえながら素晴らしい」ので、ここに引用させていただきます。(引用:南三陸ホテル観洋ブログ「ときめきピチピチ便り」2011/4アーカイブより)

自然のすることにいちいち腹を立てていては
前に進めません。

これは神様が与えたばちでもないし
私たちが反省するような内容の話ではない。

事実を受け止め、仕方がない。

もう一度はじめからやればいいと頭の中を
切り替えて、一日も早い会社の営業再開にむけて
頑張りましょう。

これにはね、一人ではだめ。
みんなの力を合わせて従業員一丸となって
やってもらわないと進めない。

どうぞ皆さんの力を貸してください。

ちなみに上記のブログでは、震災直後を含めその記述表現に被災者側としての「暗さ」をまったく感じさせないんですよ。被災者支援のために送られた衣料品配布すら「ファッションショー」にしてしまうところなどはその真骨頂(笑)。もちろん公式ブログですから一定の掲載基準はあったかも知れませんが、その記述スタンスを例えるならば‥
またこちらのホテルでは現在でも(2014年8月現在)宿泊客向けに翌朝「語り部バス」を運行しています(500円/人)。それにも乗りたいし、2014/7月に運行を復活させた「志津川湾クルーズ船」もあり、これがまたしっかり語り部バスに接続させている絶妙さ(笑)。

そんなわけで今回の計画時、南三陸での泊まりは最初からここ観洋さんに決めていて比較的早い時期に予約したわけです。あえて素泊まりにしたのは、特に夕食についてはホテル以外の場所=南三陸さんさん商店街で食べようと考えていたからなのです。

で、宿泊日の1週間くらい前になったところで、とてつもないニュース記事を目にしました!それによると‥
もちろんわれわれの日程(7/27.28)とはかぶるはずもないのですが、ほぼ似たような訪問計画でのご移動というのが何だか嬉しくて(笑)。

さてなかなか話が進まないのでタイムライン上に戻しましょう(苦笑)。
まずはお風呂。ええっとこちら、地下2000mからポンプアップしているれっきとした温泉なんです。もちろん加温循環濾過ですが(三陸沿岸は高温湯が出ません)、塩素臭がほぼ皆無に等しかったことにちょっとビックリ。またNa・Ca塩化物泉ということですがちょっと口に含んだ(すぐ出しましたよ)感じでは塩味もほとんど感じない?まぁ濾過のたまものかも知れませんがいずれにせよ悪い感じではありません。残念ながらお湯としての特徴はそれほどないですけれどね。

湯上がり目の前に生ビールのサーバーサービスがあるというのも大型ホテルならでは?でもそのためにちゃんとスタッフさんが常駐しておられるというのが素晴らしい(しかも小ジョッキ300円というのがイイじゃないですか!=右上画像マウスオン)。このことに限らずこちらのホテル、スタッフの方々の接客がしっかりしていてビックリです(数日前に両陛下がご宿泊なさったからというような急ごしらえレベルではなさそう(チェックイン時の待ち時間は要検討かなと思いますが)。

さてところで、この日の宿泊予約は素泊まり。もちろん経営母体が水産加工の会社なので海鮮系はお墨付きなのだと思いましたが、上にも書いたように夕食は復興商店街であるさんさん商店街へ行くつもりなのです。あ、すでにビールも飲んじゃってますしもちろんタクシーを利用しましたよ!


そんなわけでやって来ました南三陸さんさん商店街!(タクシー片道1390円)。しかしですねぇ‥



最初はびっくり、「何よこの閑散度って‥」。でも18:00を回ってますから一般商店はすでに閉店しているわけですわ(笑)。



しかし下調べの通り何軒かの飲食店は遅くまで営業中!松原食堂さんにおじゃまして地元のお酒でカンパーイ!
でも夕食兼の飲みですから、いきなりうに丼をオーダーするというような「一気に終了」系の不粋行動には出ません。さーて何食べようかなぁと夜メニュー表を眺めていたところで(=おしんこどんが「たこ唐揚げ食べたい」と言っていたところで)!


こ、こ、これがですね、「コケコッコー物件バウアーイナバウアー、ブーゲンビリアにアブドーラ・ザ・ブッチャーが乗ってる!」というに足る美味しさっ!(意味不明)。

いや、ここ南三陸町が国内有数のたこの産地であることは存じていましたが、揚げれば身が締まるはずと思っていたたこが、揚げても食感プリプリ驚き桃の木セントルイスなのですよ!(この段落内で表現がだいぶ乱れてますがご容赦下さい)。

そしてもちろんこのあと頼んだ刺身盛りにもたこ本尊が鎮座なさっていたわけですがこれまた絶品!お酒がずんずん進む!


健康的に野菜炒めとかもしっかりいただいてますよ(さすが夜は居酒屋)。生ビールにも手を出したTakemaです(笑)。
‥というところで、さっきから気になっていたあのボトル‥。あれはオーダーできるのかなぁと思っていたのが‥


限定ボトルだろうしなと思って聞いてみると「どうぞどうぞ」とのこと。ほんじゃいきますかね両上画像マウスオン!(笑)。ついでにいえば「飲みきれないと思うので持ち帰っても‥」という件についても全てOKでした。
ところでこの日、お座敷席には地元の男性の方々が集まって宴会中でしたが(自分たちより年齢層はちょっと上だったかな?)、お店の方の手が空いたところでちょっとお話を伺いました。

津波前のお店は市街地の松原公園近くにあり(屋号もそこから)、野球場(松原グランド)にほど近かったことから多くの野球ファンが常連さんだったのだとか。いろいろな大会で勝ち得たトロフィーをお店に飾ってほしいということから、気がつけば収納の箱も全部うちで預かっていたんだよねということでした(全て津波で流されてしまったそうですが)。そして女将さんいわく‥

「わたし、正直言って両陛下に話しかけられても涙が出るって思っていなかった、でもたまたま隣のおばあちゃん90歳を背負って助けたことをお話ししたとき、皇后陛下が『大変でしたね』とかじゃなく『助けてくださってありがとう』とおっしゃってくれたんです。その時には‥」。

ちなみに左上画像は両陛下がさんさん商店街を訪問した際、お知り合いの方が携帯で撮影なさったものだということ。「菊の御紋もしっかり写っていてねぇ」。確かにこの画像はすごいわ。これは1990年にTakemaがNZで撮影したエリザベス女王の生画像に匹敵します(笑&左上画像マウスオン)。
まぁそんなことはともかくとしても、やはり被災後には被災者間においてもいろいろあったそうです。最大の問題は世帯単位で給付される支援物資だったそうで、そりゃまぁ確かに‥またここには書けないようなこともあったそうなのです。

ただ、今はこうして商店街の中でやっているけれども、今後ここを出て新たな土地を買って商売を‥ということになると「たぶんやらないでしょうね」とのこと。震災前、お子さん方を社会に送り出したあと「店は夫婦で細々とやれればいいかな」と考えておられていたということなのですから。

ただ、お酒を飲みながらの記憶なので(マスコミ関係者とかじゃないので即時メモとかはしません)詳細は定かじゃないですが、間違いなくおっしゃっていたこと。それは‥

というようなお話でした。もちろんそこには前向きなお話のみならず負の面の話も含まれているわけですが‥(詳細についてここには書きません)。

いろいろなお話を伺っているうちに酔いのほうも時間のほうもちょうどいい感じになってきました。そういえばわれわれよりも先に宴会をお開きにした地元男性の方々、「あ、BRTの最終、もう出ちゃったかな、ちょっと見てくるわ」とおっしゃっていました。ちゃんと地元の方々の足として機能していますねBRT(また「飲んだら乗るな」も徹底されていることもね)。ちなみにBRT志津川駅はさんさん商店街に隣接しています。

と、ここで何と、お店の女将さんが自分たち(ともう1人のお客さん=確かじゃないけれどたぶんBRT最終に乗り遅れたのかと)をそれぞれ送って下さることに。こりゃ何とも有難いやら申し訳ないやらで‥
というわけで帰りのタクシー代が浮いちゃいました(感謝)。道中は被災エリアのため街灯もなく真っ暗。津波の前には家々が立ち並んでいたはずなのですが‥。このあとはお宿に戻り、ぐっすりと眠りましたとさ。

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