−その8 陸前高田市山中の湯でちょっとのんびり。夕ごはんは復興商店街で −



陸前高田市=海沿い、というイメージですが、ものすごい山の中にあります。農夫と牛とがお出迎え。

(2014/7/28 その4)

旧市街地からR340で内陸に向かいます。ところで演歌歌手千昌夫氏のふるさとは陸前高田市で、旧市街地には千さんが経営にかかわっていた「キャピタルホテル1000」があったくらいなのですが(現在は移転新築して再開業していますが、千さんは無関係らしい)、実は千さんがもともと暮らしていたのは市内でも内陸の竹駒地区なのだそうです。

その竹駒地区ですが、津波の被害を受けなかったということで今や陸前高田の復興中心部的な位置づけという感じで、各金融機関やスーパー、コンビニ、そして復興商店街もここにあります。

ここ竹駒地区からこの日の泊まりである「霊泉 玉の湯」までは約5kmの山道(舗装林道)を延々と進みます。標高的にも結構上ってるよなぁと調べてみたら、国道の分岐との標高差は約330mくらいでした。途中にはいろいろと説明書きがあって、遠くから「あ、水が出てるな、何とかの清水で旅人の喉の渇きを癒やしたとかいうのかな?」と思いつつ近づいてみると「その昔、人を斬ったあとの刀を洗ったといわれ誰も飲まない」とかだったりしてびっくりしたりします(苦笑)。

こんな山の中なのにそんな古い言い伝えが残っているのは、現在の玉の湯近隣に金鉱山があったことに由来します。源泉は宿から10分くらいのところにあるそうです。あ、お風呂についてはまたあとで詳しくということで‥。

前にも書きましたがここは「簡易宿泊施設」という位置づけの公営施設です。しかし、「どこが簡易なの?」と思うくらいにちゃんとした中規模施設なんですよね。源泉は加温なのでこの入館料は妥当でしょう。ちなみに左上画像の奥側にはテーブルがいくつもあり、また畳敷きの広い休憩室もあります。さすが公営施設だけに「多目的交流室」といういかめしい名前が付けられていますが(笑)。

さてまずはお部屋へ‥へ、そっちなんですかこの渡り廊下をずんずんずんと進むんですね!受付や浴室、食堂がある本棟とはまったく別棟です。そして宿泊棟の通路にはなぜか右上画像のようなくつろぎ用のテーブルがあり、灰皿もあることからここをTakemaの喫煙所として利用することに決定です。

もっともその奥には流しや洗濯機も見えていますからテーブルを含め湯治客用のくつろぎ設備なのかも知れません(確か電子レンジもあったような気がする)。そして、部屋に入ってビックリ!(左上画像マウスオン)。

今宵も快適なナイトライフを満喫できそうなので(寝苦しさとは無縁という意味)これはよしよしです。では続いてお風呂に行ってきましょうかっ!もっとも加温循環なので期待はしてないんですが(笑)、どうやら旧鉱山からの湧水を利用しているようです(だから温泉としてではなく入浴施設としての営業です)。

と、浴室の前まで来たところで左上画像案内掲示発見!「旧館 お風呂始めました。」とあります。新旧がある場合、カランやシャワー等の施設では絶対的に新館がまさっていますが、お湯自体は旧館のほうがイイはずというのは全国温泉ファンの共通認識であり、まずは当然行きましょ旧館浴室!階段を下りていくというのも期待が持てますよね。男女とも脱衣場の戸が開けられたままで貸し切り状態のようです。さてしかしまずは先制パンチ(笑)。



というかこの時点で「期待しちゃいけないな」と覚悟はできたのでそれはそれでいいのか。で、浴室の戸を開けてみると‥



おまけにこちらの浴槽は加温しすぎで激熱。「湯温を少し高めに設定」っていうけれど、これ48度近いでしょ(笑)。源泉かけ流しでこの湯温ならともかく加温によるものであるので躊躇なく加水開始です。おそらくは加水蛇口は源泉でしょうから。

入れるようになったところで入浴です。うーんすべ感というよりキシ感がまさります。というか一番まさっているのが塩素臭で、左上画像の通りここしばらく誰も入った形跡がないほどにタイルが乾いていたので「まぁいいか」と湯上がりにシャワーを使わなかったこともあり、このあと夕食時に指の臭いをかいだら塩素臭が(苦笑)。

三陸沿岸や北上山中には高温湯の湧出がないので(そもそも北上山地自体が古い地形=老年期地形とか準平原とかに分類されていたようなことを小学校の時に習った記憶があります。よく覚えてるな)、全て加温循環湯となると「かけ流しのお手本」なしにやっちゃうので消毒がきつくなるのかな?また、震災後しばらくは市民向けに無料開放されていたそうで、その時のオーバーユースを前提に塩素玉を入れ続けているのかも?でも玉の湯さん、

ちなみに夜になって入った新館の浴場はそこそこましでした。こっちの方が入浴客が多いのと広いのとで湯がこなれていたか?いや塩素投入のタイミングもあったと思いますが(朝はさらにもう少しマシだった気がします)。まぁこの件に関してはこんなところにて。

さて夕食ですが、昨日のホテル観洋に引き続きこの日も外食です。竹駒地区にある「陸前高田未来商店街」に向かいます。

しかしですね、あらかじめ「ここでしょ!」と考えていたお寿司屋さん「鶴亀鮨」はなぜか臨時休業。そのほかに営業中の飲食店は2軒ありまして食いっぱぐれはないことは確定したのですが、どっちにしようかなぁ‥そして結論!

こちら、どうやら洋食屋であることは間違いない「Bricks 808(ブロック808)」さんへ。ところで「はじめてみました」って何だかとっても謙虚すぎる表現のような気が。そして玉の湯でも「旧館お風呂はじめました」でしょ、何だか陸前高田では「はじめました」がお好み表現なのでしょうか?(笑)。

内部はなかなかいい感じというか、仮設店舗にして仮設系の雰囲気をあえて醸し出すような雰囲気です。特に右上画像の外装はいったいどんな構造物の流用なんでしょうね(聞けばよかった)。まだそこそこ若いご夫婦?による経営でしたが、震災前の2008年に旧市街で開業なさっていたということで、やはり紆余曲折の末に今のお店があるのでしょう。平日の夜ゆえ空いていたので、いろいろお話を伺えばよかったな。実は「コースっぽい料理」(メニューにそう書かれているんです)を頼んでしまったので、お2人とも常に調理にかかりきりだったんです。ちょっと失敗。

おしんこどんは赤ワインのデカンタ、Takemaは帰りの運転があるのでノンアルコールビールで乾杯です(右上画像マウスオン)。


そしてこのあとは「コースみたいな」料理が順番にどんどん出てきました。実はメインごはんとしてのパスタも出てきたんですが食べるのに夢中で撮り忘れました(苦笑)。最後にコーヒーまでついて2500円/人。グルメサイトじゃないので各料理についてのコメントは書きませんが、雰囲気も含めてなかなかいいなと思います。

お腹がいっぱいになったところで真っ暗な山道を上り玉の湯へと戻ります。こちらのお宿は昼間勤務の方と夜間宿直専門の方がおられるので、遅くなりそうな場合などは「下界」にいるうちに連絡を入れておくべきかと。現地ではドコモすら圏外です(ただしアンテナがあるのかauだけバリ3=死語?。やわらか銀行は未確認ですがたぶんいうまでもないかと)。しかし!

さすが公営の施設はスゴイよなと思った次第です。素泊まりだと4000円+税なので、この設備を考えればかなりいいかも!(なお温泉施設としての登録ではないので入湯税はかかりません)。

戻ってきたあとは部屋で日記をタイプするTakema&赤ワインのデカンタにノックアウトされてふとんの国の女王様と化したおしんこどん(いつもの構図)なのでありましたが、この日はエアコン不要というか窓から入ってくる風は寒いくらい‥じゃなくて真面目に寒いんですが!

というわけで計測してみたらご覧の気温!やませが吹きこんだのかと思いますがこの気温下降は一体何?というレベルでした。

ちなみに「3つ押せばOK」という安直スタンプラリーは無事コンプリーテッド。応募期間はまだ始まったばかりなので「早いエントリーがいいんじゃないの?」。結局はこの2日後まで寝かせたわけなんですが(苦笑)。

さて朝ごはんは食堂へ。左上画像に当然のごとくごはんとお味噌汁がつくわけで、この場所のこの朝食で500円+税ってとっても安い!


新館のお風呂でひと浴び。塩素臭は旧館よりだいぶマシで、湯温も万人向けでありましたよ(右上画像マウスオン)。
そんなわけでこの日は大船渡市を皮切りに釜石市、大槌町、山田町と進んでいく予定なのです。10:00に大船渡津波伝承館で予約をしているので今度こそ遅刻しないようにしなければなりません。あ、でも考えてみれば一本松の下まで行ったことなかったんだというわけでそこだけあらためて立ち寄ることに。

R340とR45がぶつかる三叉路脇に見学者用の駐車場が設けられていたので駐車。しかし朝食時間が8:00からだったこともありあまり余裕はないよなぁ、大丈夫か?といういつものあたふたぶりです。

交差点を横断すると何やら真新しい建物が。看板には「やぎさわCafe」とあります。ははぁ、あのしょう油や味噌の「八木澤商店」の直営店ですね。工場が全て流されたにもかかわらず、流された樽が釜石で見つかり、そこに僅かに残されたもろみを元にして事業を再開しているという話は聞いていましたが、まさかここに直営店を出しているとは!営業時間前だったので内部は見られませんでしたが、次回来るときには必ず寄ります!

何度も書いていますが震災遺構は見る人に圧倒的な力をもって何かを訴えます。今は見るのもつらい存在であっても、それらは未来への警告遺産であると同時に、「いま」を支える貴重な観光資源にもなるのです。その意味で、この「一本松直近の一等地」にはやばやと直営店を構えた八木澤商店さんの慧眼には頭が下がります。BRTのバス停もすぐそばだし、車で一本松を見にくる人たちは必ずやこのお店の前を徒歩で通るわけなのですから!

なおわれわれの訪問後、駐車場内にも商業施設がオープンしたようです(建物はすでにありました)。確か一本松再建のときにも「そのお金があったら復興に回せ」という意見が出ていたようですが、すでに一本松は集客のシンボルとして機能し始めているわけです。急ぐべきところは急ぎ、しかし拙速に走って「悲しき宝物」までなくしてしまってはいけないというわけです。

さてこのページも長くなってきたので、一本松方面は次のページにて。

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