−その14 小本から島越、そして田野畑へ。三陸鉄道も頑張ってます −



震災前からあったこのデコレート水門は津波の直撃を受けながらも何とか持ちこたえました。



道の駅たろうは高台にあるため津波による被害は皆無でした。もともと防災拠点として位置づけられていたため、非常用発電機の準備もあり「おそらく田老地区で唯一」震災直後から電気が点いていた貴重な場所だったと思われます。また沢水を引いたトイレなども稼働させたとのことで、ここに避難した人や災害復旧の拠点として重宝されたのだろうなと。

この日もしっかり真夏の暑さで太陽がジリジリ。というわけで宮黒サイダーなる飲み物を購入。何でも宮古の海塩と青森県黒石市のリンゴを会わせてサイダーにしたというコラボ商品なのです。もうちょっと甘みが抑えられていればもっとよかったかなという記憶がありますが、いま改めて調べてみたら‥

(その後生産や販売が追加されたのかどうかはわかりませんが。もし上記の通りだとしたらかなりレアものだったはず!)

このあとはさらに北上し岩泉町小本へ。岩泉というと龍泉洞のある町ということで内陸をイメージしがちですがしっかり海にも面しています。そして小本温泉‥。

ここ小本も津波で大きな被害を受けました。しかしここ小本地区を流れる小本川の河口にある右上画像の水門が、かえって津波の流れを別方向(市街地)に向けてしまい大きな被害を出したようです。もっとも大津波警報が発令されたときに「水門をあえて開いておく」というマニュアルがあったとは思えませんし、そもそも「開けておけば無事だったのかどうか」という検証は難しいでしょう。「やるべきことはやった上での結果」ということなのかと。

左上画像の小本温泉。建物は残っていますが、正面右側の屋根下壁はいまだに剥がれ落ちたままです。駐車場では、宿の関係者とおぼしき方がドラム缶に木をくべて燃やしていました。真夏なのですから間違っても暖をとるためではありません。建物内の不要物なのかなぁ。しかし震災後の早い時期に「再開の意欲あり」という記事を読んだことがあるのに、実際はその気配すらありません。行政からの無駄なストップがかかっているのかなと思って検索してみたら‥

おそらくそれが真実でしょう。しかしネット上にはほんの数件ですが「営業を再開したようです」との記載が。単純な認識ミスによるコメントを別の人がそのままコピったのかなとも考えられますが、もしかして「営業はしていないが近隣のお知り合いにはお金を取らず云々」ということもあり得るか?でも見た限りそれもないように思うんだけれどなぁ‥。

いずれにせよ震災前、ここは三陸沿岸で一番訪問してみたかった温泉。一刻も早い再開を願わずにはいられません。そのときは確実に泊まりにいきますのでっ!

さてそんなわけでさらに北上。三陸北道路(岩泉道路?)とやらが開通していましたのでショートカットです。というのもここからしばらくR45は海から離れ内陸を行くことになりますんで、それならば躊躇なくというわけです。で、途中から県道44号線に入り島越&田野畑方面へと向かいます。途中の山道はかなり細くカーブもきついんですが、ちょっとした平地にはしっかり仮設住宅がありました。

また田野畑村ではすでに復興住宅の建設も始まっており(まだ整備中のようでしたが一部は完成 or 建設の最終段階)、そもそも小規模自治体で小回りが効くだけに動きが早いです。今調べてみたら小本地区の復興住宅はH25年度中に計画戸数(51戸分)がすでに完成していたようです。

というわけで島越駅に到着です。ここには真新しいコンクリートで覆われた土盛りが目に眩しいくらい。つまりこの区間は完全に一から作り直されています。かつてここには高架橋があったのですが流出してしまい、それでは今度は土盛りベースで?実は再建された橋梁はちょっと面白い造りになっているのです。

Googleの2014/9現在画像を転用します。上画像の上部に見えているのが現在の三陸鉄道島越駅。震災前は下部側にあったようで、その間を流れる松前川を高架橋で越えていたようです。

しかし高架橋は津波の勢いに負けて破損(南三陸の伊里前とかもそうですが、津波の負荷が少なそうな高架橋がやられてしまうっていったいどんな力がかかったんだよと思います。只見線でやられたトラス橋でもなかったわけですし)。

で、肝心なのは松前川の架橋部。面白いことに堤防のような構造物が見えています。つまりこれは「通常の川の流量&一定の増水には対応しつつ、かつ大津波には『堤防の役割を果たし一定流量しか内陸に流し入れないぞ』」という決意表明を示す設計なのかと(実際は駅側に車両1台分の貫通路もありますが川よりは上=右上画像)。

さてそんなわけで駅へと向かいます。三陸鉄道は南北リアス線とも2014/4上旬に全路線の運行を開始したわけですがこの日は7/30。でもそれなのに何だかまだ仮設の雰囲気ありありなのですがと思ったら‥

でもその優先順位は全く間違いありません。たぶんどんな鉄道マンであってもそういう発想をなさるでしょうし、地元にお住まいの方も当然同じでしょう。ではでは新装なった駅舎とホームに行ってみましょう。

真新しいホーム、そして路盤。さらには前のページでも書きましたが多額の援助をいただいたクウェート国への感謝を示す掲示(ただクウェートからの観光客がこの駅に降り立つ可能性はかなり少ないと思うので、ネット経由で伝わればいいなぁ)。

で、びっくりしたのがここでもびっくりドンキー、いや違ったここでもぎりぎりラッキーだったこと。それは、

つまりはまさにぴかぴか、出来たてほやほやの駅舎だったわけです!


駅舎内には螺旋階段があり上部展望台へ上がれます。壁にはオープン日付の入ったイラストが。



ギャラリーにはここ島越の鉄路復旧工事や、再開通時の写真が飾られていました。

駅舎内には売店もありましたが品揃えはもう少し工夫の余地ありかなというところ。ここでは地元田野畑のドリンクヨーグルトと、盛岡の酒造会社「あさ開」の酒粕を練り込んだという「大吟醸アイス」を購入(右上画像マウスオン)。どちらもおいしくいただきました。

さて、時間的に列車はしばらく来ないはずなので駅から出て県道沿いの駐車スペースへと戻り車に乗り込もうとしたところで、遠くの方から「プヮァーン‥」と、列車の警笛音が聞こえました。あれれこの時間に来る列車はないはずだけど?と思いつつ、とりあえず坂を線路脇まで登って見ていたら‥。



あとで調べてみたら、この列車はお盆の時期だけ盛岡〜久慈間に運行された「さんりく北リアス」号だったようです。車両はJRのキハ58「Kenji」号。この日は運行前の試運転だったわけですね。見られてラッキーだったぞ!





そんなわけで気をよくしながら山越えの道を進みますが、左上画像のような深山幽谷の趣さえ感じられる場所にまで津波が押し寄せたわけで、やはり油断はできません。

再び海側に出てくると、田野畑駅近くの海側に水門発見。津波の直撃を受けたはずですがRC造のため何とか残ったのでしょう(窓ガラスとかは今でも割れたままでしたが)。この周辺には多くの家屋があったようですが全て更地になり、今は漁業関係のプレハブが並ぶばかりとなっていました。

やって来たのは、「銀河鉄道の夜」の登場人物名に由来するネーミングの「カンパネルラ田野畑」駅。この駅も浸水はしたそうですがやや高台にあったことから建物は残り、そこにご覧のようなデコレーションを施したことで、とても暖かみのある駅舎になっています(ネスレ日本の協賛による。2014/12まで?)。

駅の入口には当然のごとくNHKの朝ドラ「あまちゃん」のポスターが貼られています。ちなみに「あまちゃん」効果もあり、三陸鉄道の2014/4-6月期収支は何と3,776万円の黒字だったのだそうです。しかしその一方で定期券利用客数は震災前の半分になってしまったのだそうで、今後番組の効果が薄れるにつれ再び経営は厳しくなってしまうはずです。

しかし一方で新たな動きもあります。前にも書きましたがJR山田線の宮古−釜石間(2014現在津波災害により不通)をJR側の費用負担により復旧させた上で、上下分離方式(地上施設=自治体所有、運行=三陸鉄道)にて再開させようという動きがあります。自治体側は最初新たな維持費用の負担を嫌って「あくまでJRの鉄道としての再開」を要望したそうですが、そうなると「永遠のBRT」になりかねないという危機感もあり、どうやらJRの提案を基本的に受け入れるような流れのようです(2014/9現在まだ決定はしていませんが)。

再開通すれば、盛〜久慈間が三陸鉄道で結ばれます。盛以南のJR大船渡線がBRTのままなのは痛いですが、それでも長大な路線を三鉄一社で自由に運行させられるのは今までになかった強みでしょう。

何もせず手をこまねいていては地域はもちろん鉄道会社としても売り上げは尻すぼみです。ここは一発逆転の発想でさまざまな手を打つことが必要です。そして三鉄はこれまでも、さまざまな手を打ってきているのですから。

ただ、これからは三鉄の鉄道としての魅力には頼りにくくなってくるはず。となればやはり地域とのコラボレーション、特に今ある「観光資源」や観光関係者との連携はこれまで以上に重要になってくるでしょう。

南リアス線の場合今のところ鉄道駅としては「南の行き止まり」たる盛駅にいかに人を集めるかが喫緊の課題になってきます。たとえば気仙沼及び南三陸に大規模ホテルを有する「ホテル観洋」等との協力はできないかと思います。南三陸観洋の場合、仙台から宿泊者用送迎バスを運行しています。そのバスを利用して南三陸に泊まったお客さんを気仙沼・大船渡にと向かわせるツアーバスの運行などはその一例として考えられると思います。

各地の津波遺構や津波資料館、さらには復興商店街などでそれぞれ一定時間停車し、津波被災地の当時と今とを見てもらうこと、そして復興商店街で自由に買い物や食事を楽しんでもらうこと。そんなバスがあったらわたしだって乗りたいです。週末や連休などは1日数便運行して、「商店街でウニ丼食べてのんびりしてたらバス行っちゃった、ま、しゃーない次のバス(ツアーバスかBRTバスか)までおみやげ屋さんとか見ていようか」というのだって大いにありだと思うのです。

ちなみに全国でこのエリアにしかない「BRT」の体験乗車だってツアーにおける十分な観光資源であることを忘れてはなりません。最後はBRTで「盛駅1番線ホーム」にすべり込むというのは、自分だって一度は体験してみたいことですから。そしてそのまま3番線の三陸鉄道に乗り換えられれば最高です。

また北リアス線の場合は鉄路があちこちと繋がっているのですからもっと自由度は高いはずですし、現に2014夏も上記臨時列車が運行されました。でもこれからは「お客が来るのは夏だけではありません」。

これまではそうだったかも知れませんが、津波関係を目的として訪問する公私人は(視察等を含めれば)オールシーズンになるはずです。これこそ‥

そんなわけで次ページへと続きます。


再建された番屋を横目に‥うわ、北海道みたいな直線路!の先には?


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