2015GW、秋田キャンプはいい天気っ!

− 2015GW秋田キャンプ編 その2 夜中の常磐道をひた走り石巻で朝ごはん、さらに北上 −



GW初日の朝は日和山公園からのぞむ日の出から始まりました。

TakemaのGWは5/2(土)が初日なのでしたが、渋滞することが分かっていて2日になってから出発するはずもありません。5/1のお仕事終了帰宅後、急いで車にキャンプ道具等を投げ入れました。元々の予定では1-2時間ほど仮眠してから北上するつもりだったのですが、何だかそう眠くもないので(考えてみれば普段そんな時間に寝ているわけでもないですからある意味当然)、19:30に自宅を出発です。



2015/3に全線開通したばかりの常磐道を北上です。これまではいわきJCTから磐越道経由で東北道に進まねばならず、東北道の渋滞ポイント(福島トンネルとか)で鶴は千年亀屋万年堂のナボナはお菓子のホームラン王モードで案の定渋滞にはまってさぁ大変モードだったわけなのですが、これで東北の中北部方面に向かうのも便利になりました(放射脳の方々は使わないルートでしょうし)。

いわき中央ICから北側は基本的に片側1車線なのですが、さすがに車の通行量は少なく快適に北上します。ならはPAでトイレ休憩、よし、次の南相馬鹿島SAで大休止(仮眠)するかと考えてさらに北上です。

ここからは居住制限地域や帰還困難区域を通過していくのですが、ポツポツと外灯が灯っていて「生活の気配」を感じます。居住制限地域ゆえに実際は誰も住んでいないとしても‥(ただしこのGW期間楢葉町では特例宿泊を認めていたので、この時実際に帰宅されていた方々もおられたとは思います)。

そんなわけで南相馬鹿島SAに到着。トイレ前よりも道の駅的施設である「セデッテかしま」側の駐車場の方が暗くて寝やすいと思ったのでそちらに車を止め、さて一寝入り‥‥‥



アドレナリンが出まくっていたということでしょうか?しかし眠くならないのにここで停滞しているという道理もありませんから、「途中で眠くなったらともかくとして、とりあえずは次の仮眠地を石巻に決定」してさらに北上した次第です。

利府JCTから三陸道に進み、さすがに小腹が空いたので(夕ごはん食べていない)春日PAに立ち寄り(ミニストップが入居していたのでコロッケでもあるといいなと思いましたがショーケースには何もなし。とりあえずサンドウィッチを買って食べた)、そして石巻へ。日和山の公共駐車場に到着し、ここで本格仮眠‥とはいっても2時間くらいかな?(ここで仮眠中津波襲来の夢をみたのには自分でもちょっとビックリ)。



夜が明けてきたので起きましょうかね。ここで夜明かししたのは自分以外にあと2台。でもずっとアイドリングしながら寝ていたようなので自分としてはあまり関わりたい相手のようでした(寒くなかったのに)。まずは鹿島御児神社にお詣りです。



震災前には1度も来たことがなかったここ石巻の日和山ですが、震災後の訪問はもうこれで何度目になることでしょうか。そしてこの鳥居から眼下に見下ろす風景も、来るたびごとに随分変わりました。



津波の時にはこの山に避難をして助かった方々が多かったといいます。神社自体も無事だった‥わけでもないようで、正面の拝殿はともかく、その裏にある本殿は基礎部分がやられてしまったようです(左上画像マウスオン)。なお、手水舎脇にはしっかりネコが(右上画像マウスオン)。



北上川河口に架かる日和大橋の近くには石巻市民病院があったのですよね(左上画像マウスオン=2011/8撮影)。門脇地区方面に下りる階段のすぐ脇には、以前はなかった画像付きの説明板が設置されていました。

まだ日の出から間もない時間なのですが、早起きの方々が散歩&ジョギングなさっており、「おはようございます」の挨拶もそこそこ頻繁です。地域の皆さんもそれぞれに「今の生活リズム」を取り戻しておられるようで何よりです。このあと車で移動中「あれ、さっき日和山で出会った人だ、こんな遠くからやって来ていたんだ」とちょっとビックリしたこともありました。



その人は、画像中央の石ノ森萬画館よりさらに上流へと帰っていかれたようでした。

「そういえばこの下の門脇地区にはまだ下りていったことがなかったよな」というわけで、車で旧門脇小学校側へと下っていきます。津波による火災発生により焦土と化した門脇地区ですが、今はがれきも撤去され、残されている建物は旧門脇小学校を含め僅かしかありません。



小学校の校舎はカバーリングされていてその姿を見ることはできません。周辺の道路はかさ上げされるようですが(右上画像マウスオン)、Takemaとしてはこの学校を津波遺構として残して欲しい‥。画像や映像では伝えられない厳然たるインパクトゆえにこの建物には価値があると考えます。で、このあとは津波や火災にも本堂が耐え残った稱(称)法寺へ。



震災後には隣接する墓地の墓石が軒並み倒れていましたが、ボランティアの方々により墓石が再度立てられたという話は聞いていました‥が、本堂は遠目で見るのとは大違い、津波が壁を破って突き抜けたままでした(内部の片付けはされたようですが=右上画像マウスオン)。浄土真宗本願寺派の寺院ゆえ、この寺院建築を残していることには何らかの意味があるのでしょう。願わくは何とかこのまま維持がなされますように‥。



さてこのあとは内海橋を越えて石巻漁港へと向かいます。市内中心部を通る現在の内海橋は左上画像の通り震災の影響で波打っており、ある意味「よく頑張ってくれているな」というところなのです。計画ではこの界隈に2本の橋が架けられるようですが(右上画像は石巻かほくメディア猫の目さんサイトからの引用です)、本当に2本の橋が必要となるのかなとちょいと疑問。車線増と中州への取り付け道路追加で対応できるのでは?何だかこれはよくわからないなぁ。

さてまだ朝ごはんを食べていないので石巻の漁港食堂へと向かいます。と、しかし‥



しかし、スマホデビュー後10ヶ月のTakemaですからスマホのナビ機能があることぐらい知っています。かくしてナビアプリを利用して現在の斉太郎食堂(仮設)にたどり着くことができました。でも自分のスマホは接続容量が少なめなので、必要なとき以外は接続しにくいかな(ふん、どうせSIMフリーの安いやつですよーだ)。ちなみに旅行時以外は原則として電源オフにしてますが何か?(大笑)。ガラケーがあるしね。



ところでこちらの斉太郎食堂さんは市場の食堂ということで、朝6:30からオープンなのです。とはいえ自分はその前に到着したので少し待ちましたが、オープン後にはずんずん市場の関係者さんがやってきて席も半ば以上埋まりました(右上画像は開店直後のもの@自分が最初に入店しました)。で、自分が券売機発券で頼んだのは‥




(上画像マウスオンで丼に拡大します)

ちなみにこの1150円とはこちらのお店のトップお値段!たぶんこのメニューだけは観光客向けなのでしょう(ちなみに「ごはん少なめでお願いします」とオーダーし、「ちょっと少なめです」というお言葉とともに配膳されたので見栄えは本来のものより少ないかも知れません。でもどんぶりには10数品ものお刺身海鮮モノが見え隠れしていてかなりC/Pが高い!

某氏が「海鮮丼、値段を上げればそりゃ見映えも豪華にできるし。でもそうじゃなく値段に見合ったものがいいんだよね」とおっしゃっていましたが、こちらならOKですよね。ちなみにあとから来られた常連の皆さんは普通にラーメンやセットメニューを頼んでおられました。

朝食終了後はそのまま女川、雄勝方面へと北上します。



女川にやってきました。まずは国道から坂を上がった地域医療センターまでやってきましたが、ここから眺める光景‥かなり遅くまで残されていた旧江島会館の建物も撤去されてしまい、さらに地域全体がかさ上げ整備中です。でも。



このかさ上げにどれだけの意味があるのかはよくわかりません。でもかさ上げ区域にもう住宅は建てないでしょうからとりあえずはこれでいいのかな。仙台南部と違い、女川旧市街の周りはすぐに山があるので、地震発生後すぐに山に逃げれば命が助かる可能性は高いはず。そのことを見越しての造成であれば問題はないでしょう。大切なのは「今回の津波の教訓を子々孫々まで伝えること」なのです。

地域医療センターの横には「女川さいがいFM」のプレハブハウスがあり、ここから配信されるFM放送はインターネット経由で千葉のTakemaでも聞くことができていたわけですが‥






いや、事前に知ってはいたんですけれどね。それにしてもこちらのFM局、最近機材の故障や調整による番組の放送予定が変更されることが多いのが気がかりです。移転に関わる一過性の事情ということであればいいのですが。ちなみにこのプレハブハウス、5/15にトラックに乗せられ「次の利用地」へと旅立っていったようです(どこなんでしょうね)。



続いては、2015/3に再開業したJR石巻線の女川駅へ。何とも立派な駅舎ではありますが、その実態は温泉施設「ゆぽっぽ」がその大部分を占めています。そもそも女川駅自体が簡易委託駅で、JR職員は常駐していません。



駅前には無料の足湯施設もありますが、いかんせんこの時点でまだ7:50ゆえ湯が張られていませんでしたし、温泉施設自体も9:00からの営業ということで入浴は最初から諦めていました。ちなみに冷鉱泉かと思っていたのですが源泉温度は27.3度あるようですから温泉法上も立派な温泉なんですね(もちろん加温&循環濾過湯なのでしょうが細かなことは言いっこなし)。

改札はありませんのでホームをのぞいてみます。1線のみのホームですが、再開通時には相当のお祭り騒ぎだったようです。いや実際にお祭り「女川復興祭2015」だったのか(笑)。個人的にも震災後の女川町の取り組みはなかなかすごいと思っています。津波で町民の10%の方々が亡くなり、町の中心部はほぼ壊滅したというのに、この「明るさ」は何なのでしょう。ある意味「主導するのが誰なのか」というファクターが(以下略)。

女川町では2011のGW(震災から2ヶ月後)に最初の復興市を開催したそうで‥コンセプトも含めてすごい。リンク先の「復興祭ヒストリー」はリンクのPDFファイルも含めて必携だと思います。



さて話を2015の観光Takemaモードに戻します(笑)。駅前広場には観光案内の立て看板が。強風時には飛んでいってしまいそうな気がしましたが余計な心配でしょう(笑)。ここからは地域医療センターが見えていますが‥(右上画像マウスオン)。



といいながら、時間的な問題もあり女川では何も買い物も出来ないまま雄勝を目指すことに(苦笑)。



そんなわけで旧雄勝町の役場があった場所にある「おがつ店こ屋街(たなこやがい)」。前回訪問時もGW期間中で、お昼過ぎということもあって食堂には順番待ちができていた記憶がありますが、この日はやっぱり時間が早すぎてどのお店も開いていませんでした。ソフトドリンクの1本でも買いたかったのですが‥(あ、せめて自販機で買えばよかったのかと今になって後悔)。

商店街の海側には鯉のぼりが掲げられていたのですが、この日の陽気を象徴するかのように全然元気がありません(無風快晴気温高し)。穏やかな日和だったもんねぇ(右上画像マウスオン)。

このあとはさらに北上します。できれば大船渡あたりまで海岸線沿いを上がり、そこから一気に内陸に進んで秋田までという目論見なのですが‥。



旧大川小学校は今回立ち寄らず。新北上大橋を渡りますが、この橋はまだ仮復旧のままのようです‥と思ったら、右上画像正面に見えている橋梁は新設されたもののようです。今度来るときには真っ直ぐ1本につながっているのかな。

このあと、ちょっと嬉しい出会いというかニュースに出くわして嬉しくなったのですが、そのことについては次ページにて。

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