2015GW、秋田キャンプはいい天気っ!

− 2015GW秋田キャンプ編 その3 三陸海岸を陸前高田まで北上、その後秋田入りしキャンプ場到着 −



ん?このテントといえば‥もしかして、もしかしました!

新北上大橋から北上していくとやがて十三浜地区です。酷い津波被害を受けたこの地域ですが、被災直後の混乱から抜け出たあと、地域に伝わる「大室南部神楽」を復活させるべく有志の皆さんが立ち上がり、2013のGWには「復活祭」がこの場所で執り行われました(その時の様子はこちら)。

いまは亡き「ぽちさん」というご縁があって、自分も僅かながらこちらのお神楽に復活のお手伝いをさせていただいたわけですが、2014年にはこちらに足をのばすことがなく、またこの2015年も特に下調べをしていなかったこともありそのままスルーの予定でありました。

大室地区に入り、この作業テント周辺に人の姿が見えないことをちょっと残念に思いつつそのまま通過。と、ふとバックミラーに目をやった次の瞬間、Takema車には一気にブレーキがかかったのでありました!(後続車はいませんでしたのでご心配なく)。というのも!





というわけですぐさま反転してテント施設へと戻ります。テントの南側には出入口がないため誰もいないように見えただけで、実際には約10名?くらいの方々がそれぞれに作業中でありました。

車を止め、関係者の方々にご挨拶申し上げました。もっとも直接のご挨拶は初めてでしたが、「実は神楽の幕に名前を云々の者で‥」と申し上げると、本番で使う幕を取り出して下さり「あ、本当だ」とお師匠さん以下皆さんで確認。もっとも最初にウェブサイトほかの担当者さんとお会いできたので「こいつはアヤシイ者ではない」ことをすぐにご理解いただけたわけですが(笑)。で、ここで驚きのニュース!



この地域(広域)としても、国立劇場で舞を披露したのは初めてのことだったそうです。いやぁたまげたっ!

そして2013はあくまで「大室南部神楽の復活祭」だったわけですが、どうやら2014からは「広域地域(女川や雄勝、北上、栗原、一関などなど)の伝統芸能披露」とともに、歌謡ショーやアコースティック系のライブまである「きたかみ春まつり」としてパワーアップしていたようなのです!(右下画像マウスオンで、撮影直前に掲示された演目表画像に変わります)。こりゃダブルでびっくらこきました!



翌日(5/3)の本番を前にした準備に忙しい中突然おじゃましたわけですが、これから掲げられる大漁旗なども何だかやる気満々モードでいい感じです。あぁ、でも明日ですか‥残念です。来年は同時期に開催されることを前提に計画しようかなと。



最後に、舞台に立たせていただき記念写真を撮影。いやでも実は最初「お師匠さんの皆さんと並んで記念写真を」「いや、それはあまりに畏れ多いので」というやりとりの末にお師匠さんを遠景にしながらの上画像撮影となったわけなのですが‥



師匠の御方々、大変失礼いたしました(陳謝)。なお、自分がアヤシイ者ではないとわかっていただけたことから、出発前には「端ぎれで作ったんですけれどね」と謙遜されながら名刺入れをいただいちゃいました!



いえいえ、内側までしっかり絵柄のある立派なものです。これから使わせていただきます!

とかく名刺入れといえば特徴のない不粋なものが多いのですが、飛び込み営業の場合はともかくとしても自分の場合はまぁルートセールスみたいな仕事なので、こういう名刺入れが「いっぷう変わっている」=差異感を出せるという点で有用かなと思います。だって、「その名刺入れ、ちょっと面白いですね」と言わせた時点で営業的にはOKラインでしょ!(大笑)。

とはいえこれまで使ってきた「黄八丈の名刺入れ」もなかなかヨロシイので(これでツカんだこともありますし)、これからは相手に応じて使い分けようかなと思います。

何だか気持ちほっこりのあとは南三陸町方面へと進んでいきます。



右上画像の平屋建ては以前「よみがえれ故郷 ふんばれ南三陸町」の看板が出ていた「さかなのみうら」さんの店舗でしたが、残念ながら2014に火事で撤退を余儀なくされました。でも建物の骨組みは残っていたということなのか、今は別業者さんの建物になっていました(右上画像マウスオン)。そんなわけで南三陸さんさん商店街へ。

前回(2014年夏)に「ホテル観洋に泊まりながらも夕ごはんはこちらで!」とおじゃました松原食堂さん。まだ営業時間前でしたが、仕込み時間のお忙しいタイミングに押しかけたにもかかわらず、女将さんが自分のことを思い出したときの第一声!



いや、夫婦関係に何らの問題もないこと(今回はたまたま系)をご説明申し上げて問題なしね(笑)。

ただ、三陸沿岸各地の復興商店街には徐々にタイムリミットが迫っています。もとより復興目的ゆえに入居費用や什器等にも援助があったと思うのですが、あくまでそれは「本格復興までの仮設」が建前です。そしてその仮設設置期限が徐々に迫っているのです。

計画では、このさんさん商店街の設置期限は2016年11月末日までとなっているようす。借地権の兼ね合いもあるのかも知れませんが、ではそのあとはどうするのでしょうか?

ここから撤退したあとの各店舗はそれぞれのツテに従って分散?そうしたらもう、少なくとも海側に商業集積地&被災地観光客の集まる場所はなくなります。高田松原ももうありません(そもそも高田松原も県外の人間にどれだけアピールできる観光資源だったのでしょうか)。

現在の復興商店街は同じ南三陸町海岸部でいえば伊里前同様、ある意味「最後の個人商店街」なのだと思います。不幸にも津波災害を受けたまたま集まったこの「商店街」をわざわざまた分散させる意味&効果はどこにあるのでしょうか?

松原食堂の経営者ご夫妻も「食堂は自分たちでおしまいですよ」とおっしゃっていた記憶があります。ということは2016年で閉店ということなんですか、それでいいんですか南三陸町の、特に野球関係の皆さん!(あ、それは関係ないか)。

うーん、部外者たるTakemaが言いすぎました。事情をわかったつもりで実はわかっていない輩が好き勝手に言うとろくなことはないというのは原発でも近隣諸国関連でも同じですのでもうやめておきましょう。



商店街内をうろうろしていたら当然のことながら海幸関係のお店発見。このお店、以前ネット通販で購入しようと思ったんですがこちらのお出かけ日程の都合で注文を諦めたお店なんですよね。今回はこの日の晩からキャンプなのですが、「そういや海鮮BBQという手があるぞ」ということで、買う気満々で入店。

結局ホタテと殻付き牡蠣、そしてやや小ぶりながら毛ガニを購入。しかし毛ガニは「焼き」ではよろしくないのだそうでこいつだけは茹でることに。しかし、「焼きホヤ」(右上画像マウスオン)という発想がアタマに毛頭なかったのは、このところのTakemaの身体的退潮みたいなもんです(掛詞)。



続いては北上して伊里前の復興商店街へ。こちらはさんさん商店街に比べてぐっと地元モードが濃くあまり観光客が買うものはないんですが、こちらの観光協会で以前購入した南三陸のTシャツがデザイン的に気に入っていたので&少しへたってきたので追加購入しようと思ったのですが‥残念、もう別デザイン(結構ありきたり系)に変わっていました。復刻してくれないかなぁ、生地もしっかりしていてなかなかよろしかったんですが。


さらに気仙沼方面へと向かいます。左上画像、震災後初めて来たときはまだ現在の仮橋も架橋されておらず、未舗装の左側の道を通った記憶があります。でも幹線道路ですから、やがてはきちんと整備されることでしょう。

一方で、BRT(バス)により「再開通」した気仙沼線の橋脚はいまだに当時のままです。震災当時の鉄道路線で再開通させることはもちろん無理な話ですが、JR東日本がこの路線を再開通させるつもりは‥ほとんどなさそうですね。今後どうなっていくことになるのだろう?只見線も含めて。

久々に気仙沼市内へと向かいます。行くのはやっぱり‥魚市場周辺です。魚市場は再開していますが、そのすぐ手前までぐっと密集していた民家群はもちろんなく‥



いまだに撤去されていない建物もところどころに残っていました。で、気になったのが、しばらく前に張られたのであろう顔写真の数々(右上画像)。ズームすることがはばかられるほどにそれぞれ正面を向いた写真が建物に掲示されていました。おそらくはかの津波で命を落とされた方々のものだと思われますが‥合掌。



そして、かつてシェルのGSがあった場所のあたりに車を止め(左上画像マウスオン、この時は大潮で道路が冠水していました@2010秋)、当時宿泊した気仙沼ホテル&付属施設のゑびす振舞があった側に目をやると‥(右上画像マウスオン)、うーむ、間違いなくかつてかの建物群がここにあったことがわかります(2010秋のこの界隈旅行記はこちら、2011夏の同旅行記はこちら)。

いつもながらしみじみとしましたが、さらに北上することといたしましょう。続いては陸前高田なのですが‥





陸前高田では、昨年(2014)復興語り部さんに案内していただいたこともあり(その時の様子はこちら)、車内から写真を撮っただけで通過、ここからは内陸経由で一路北上市を目指すことに。あーあ、ホントは黒崎仙峡温泉だけでも行ってみたかったんですがまぁしゃーないです。



この陸前高田の市街地かさ上げについては今も「壮大な無駄」とか「かさ上げしても利用されないはず」とかさんざんなのですが、わたしはそうは思いません。近視眼的には確かにそうでしょうが、やがていつの日か規模の大小はともかく「必ず」また津波はやってきます。今回のかさ上げで、ここ陸前高田の海沿い平地が「東日本大震災クラスには対応できないけれど、7-8mの津波には対応できるようになる」というのはある意味すごいことだと思うのです。数十年後の未来までも含めて(もちろん数十年後にただの草原となっていたりしないための施策は必要ですが)。

あとはやはりきちんと「災害の記憶を引き継いでいく」ことが大切です。津波の防波堤の外側に個人の住宅があるというのは論外です(その「論外」がかつては当たり前になっていた面がありました)。このかさ上げ地区の山側には住宅エリアも造成されるということですが、50年後もそこに住む人に「これより下にはいつか津波が来る」という情報が共有されていること、そして「じわじわとなし崩し的に住宅がかさ上げ高さの低い海側に建てられることがないようにする」ことが肝要です。

でもこのことって、実は被災地以外の日本全土海岸沿いにいえることなのかなと。われわれは何だかんだいって「自己の経験」を優先します。しかし「今まで大丈夫だったし」というような経験論は、百年千年単位の自然の営みの前にはほぼ「根拠なし」としてあっさり論破されてしまうことでしょう。今から海に面した家を建て替えることはできないでしょうが、それでも今のうちに準備できることはたくさんあるはずです。あとはその準備を「するかしないか」で結果は大きく違ってくると思います。



さて内陸へ向かうR340に入っていくと、何とも長閑な&目に眩しい新緑の風景が広がります。このあたりも地震の揺れはかなり強かったでしょうが、生活インフラが復旧したあと普通の生活に戻るのは早かったのではないでしょうか(住田町界隈)。



北上市でお昼‥しかしナビで調べたお店に行ってみたら「すみません、今日はもうお蕎麦が終わっちゃったので閉店です」と、さすがGWという感じのアッパーパンチを食らっちゃいました(笑)。で、「じゃ、どこでもいいやお蕎麦屋さん探そう」と再検索して入店しましたが、うーんあまりインパクトのないお蕎麦でした。

このあとは秋田自動車道に乗って湯田ICへ。ここで北上して真昼温泉に立ち寄ります。加熱かけ流しという話だったので‥。

窓が開けられていたのでさほどでもありませんでしたが塩素臭。確かにオーバーフローはあるんですけれど、浴感もそれほどインパクトあるものではありませんでした。立地なんかはかなり好きな部類なんだけれどなぁ。なお先客後客さんがおられたので湯足画像等はありません。

ちなみにここ真昼温泉からこの日の集合場所@仏沢温泉キャンプ場までは直線距離にして10kmちょいくらいなのですが、そこには「真昼山地」たる県境の山がどどんとそびえています。林道上の雪が溶けているとしても(いや残っているでしょうが)整備の手がGW時点で入っているとは思えませんので、再び来た道を戻り、横手経由で約60kmを走ることになります。

湯田まで戻ってきましたが、高速に乗るまでもないので下道で横手方面へと向かっていくと‥


(実は1つ北側のR46沿いにあると思いこんでいました@温泉アルツ)

でもですね、「心の準備なしに」アブラ臭の聖地たる某食堂が目の前に現れたら皆さんどんな気持ちになりますか?(この場合の「皆さん」とはかなり限定的な方々を指すことはいうまでもありません(苦笑))。でもまだお腹は空いていないので、とりあえず「落ち着けてイイ湯」だという静山荘に急遽のピットイン。



幸い貸切湯だったので、湯足画像などを撮影しながら(右上画像マウスオン)SNS経由で「そんなわけでちょっと遅くなります」と呟いたりしておりました。ちなみにこちらには露天湯もあるのですが(左上画像マウスオン)かなりぬるかったな。源泉温度は高いはずなので加水しすぎだった?

横手市内で買い出しをした後は‥あれ、うそ、市内で道に迷いました。というのも、よせばいいのに山手にある「みずほの国ロード」に接続する道をTマップルで見て「うん、これが一番近い!」と思って進んでみたら悲しいかな立体交差だったんです(ボケ)。

というわけでナビで検索してみるとなぜかあくまでR13に進ませようとするし、もうやめてよ!(懇願)。

そんなわけで這々の体で仏沢キャンプ場に到着してみると‥(17:05着)。





いや、SNSで遅くなるとつぶやいていたものですから、皆さんあいそを尽かしてお風呂に行っちゃった様子です(笑)。温泉は循環湯ですが徒歩圏内で、やがて三々五々戻って来られました。

ちなみにキャンプ場は道路脇にありますが環境は悪くないです。そもそも温泉に来る車しか通らないのでトラック等は来ないし、温泉が閉まってしまえばもうホント全然車通りもないですし。道路を隔てた反対側にはため池があり(右上画像マウスオン)、今年は季節が早かったためもう蛙が鳴き始めてました。ただ池の近くということで夏は虫が多そうな‥いや、このGWはすでに虫が出まくりで「被害者も出た」わけなんですが‥(後述)。

さてそんなわけで皆さんも揃ったところで宴会開始です!



まずは自分のおつまみとして、南三陸町で購入した毛ガニを茹でましょう。甲羅を下にして茹でること、塩は1Lあたり30-40gだと聞いていたのですがやや減塩。うーんもう少し入れた方がヨカッタかも。というわけでまぁまぁ美味しくいただきました。

なお今回のGWキャンプにはあおもりくま(゜(エ)゜)さんが初参加して下さいました。(゜(エ)゜)さんと自分たち夫婦が初めてお会いしたのは2004年でしたからもう10年以上前なんですね。その後われわれが青森方面に足をのばすときには毎回のようにわれわれの泊地近くまで来て下さる、「普段の生息地は遠いけれど近い関係の親友」なのであります。今回は秋田の中南部まで下りてきてくれたというわけです。

参加者一同、(゜(エ)゜)さんの食べっぷりにびっくりしながらも和気藹々と宴会は進んだわけでありました。よかったヨカッタ。

とはいえ翌朝、その(゜(エ)゜)さんに突如として悲劇が訪れたわけですが、その件ほかについては次ページにて。

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