− その10 「大室南部神楽」復活舞台見学 −



来たよ来ましたよ「大室南部神楽」が今ここに復活の狼煙をあげました!

「2011年3月11日」は、少なくとも、現在小学生世代以上の誰しもの記憶に刻みこまれたはずです。それは直接間接を問わず、「津波」であったり「原発事故」であったり、または「液状化」であったり、さらには「3.12」たる栄村大地震、そして「未来への漠然たる不安」だったりするのです。

自分が震災直後何ができるかを考えた時、たぶん泥かき等の肉体系ボランティアはできない(ギックリ持ちの自分は2013/1の関東大雪で雪かきに励んだら2日間動けなくなり、その後ひと月アシモモードでの歩行を余儀なくされましたし)と考えた上で「自分ができるのは現地に行って見たままを自分の思い入れとともにレポすること(マスコミとは違ったもっと微視的な視点で)、そして現地で何かを買うこと&それをアップすること、すぐに行かれないエリアについては産業復興のための資金援助、さらには「それを継続し続けること」であると考えました。

で、意識はしていなかったのですが結果として資金援助は「おいそれとすぐには行かれない」三陸、それも石巻界隈への支援が多かったのです。それには現地情報をたくさん流して下さっていた「ぽちさん」の存在があまりにも大きかった気がします。宮城在住のぽちさんからどれだけ震災直後の現地情報&ツイッターのリツイートでのリアル情報をいただいたことでしょう。

そんなわけで、ワカメや牡蠣養殖の援助から始め、風評被害に苦しむ温泉宿への援助、復興商店街への援助、そしてさらに生活の立て直しのお手伝い等々、それぞれ僅かばかりではありますがいろいろな分野に支援をしてきたつもりです(福島や長野の栄村などは日帰りか1泊で行ってこられるので「現地で買う!(特に農産物)」を今でも実践中です。ただし栄村には2回しか行かれていませんが)。

で、緊急性の高い援助が一段落したころ、やはりぽちさんからの情報で「石巻市北部の十三浜地区では地域コミュニティの再生に向けてお神楽の復活を目指している」という話を耳にしました。「大室南部神楽」についての説明はあとでするとして、とにかくその一助にと寸志をお送りしたのは2012年のことでした。で、このGWを目の前にした2013年4月、一通の封書がとどいたのです。そこには‥


との旨(実際の文章とは違いますが)のお知らせと、復活祭のチラシが入っておりました(そのチラシについてはこのページにアップしてあります)。となれば万難を排して行かなければ!幸い千葉からではなく秋田からなので朝早く出れば10:00からの開始時刻にも間に合うでしょう。というわけで皆さんがまだ寝ている中(おとうはすでに起きていたらしいですが)、5:30ころ横沢キャンプ場を出発しました。

横手から秋田道を利用。GWゆえ早朝の秋田道でもそこそこ車が走っていましたがまぁ順調、東北道を若柳金成ICで下り、県道4号&R398の通称「本吉街道」経由で志津川方面へと向かいます‥が、途中の町であまりにも気になるものを見つけてしまいました。





というわけでさっそく寄り道することに(まだ時間的には余裕ありなので)。それにしても今回初めて知ったことなのですが‥




石巻市に「石ノ森萬画館」があることからそちらの出身だと思いこんでいたのですが、wikiによると、中高生時代に石巻市内の映画館に通い詰めていたことが縁であちらに萬画館ができたのだとか。

で、こちら登米市にも「ふるさと記念館」があるのですが、残念ながら朝早いこともあってまだ開館時間には間があります。うーん残念‥でも駐車場から4軒先に石ノ森章太郎氏の生家があるらしい?というわけで行ってみると‥


県道沿いに実家がありました。でもまだ朝8時を回った頃で入口には鍵が。まぁそれは当然なので中をのぞいた上で帰ろうとすると、ふと声をかけられました。「あ、いま開けますからそのままお待ち下さい」。

何と、こちらの生家担当の女性がちょうど鍵を開けにお越しになったところでした。あまりにもラッキー!(1分早くても駄目だったはずなので)。そんなわけで内部に入れていただくと‥


うわー広いというか奥行きのあるお宅にビックリ(しかも二階屋だし)。何でもご実家は父君が公務員、母君が雑貨屋を営んでいたそうで(だから三和土(たたき)部分が随分広い)、その三和土から上がった一番手前の部屋(左上画像)がリビングだったようです。でも章太郎少年は結構自分の部屋にこもっていたそうな?


章太郎少年の部屋は2階への階段を上がったところにありました(説明してくださった方は何度も「先生は‥」とおっしゃっていましたが、わたしにとっては直接の師ではないのでここでは敬称を使いません。小学校時代からサイボーグ009は読んでいて、どうもその時の記憶が自分のベトナムという国のイメージに大きく関与しているとは思うのですが)。

それにしても長男とはいえ5人兄弟なのに自分の部屋をあてがわれていたというのは何だかスゴイです。やっぱり家がある程度裕福だったんでしょうね(この家を見ればわかります)。ちなみに松本零士氏と生年月日が完全に同じだったそうで、松本氏の父親は戦争時にパイロットだったにもかかわらず自衛隊入りを「敵の飛行機には乗りたくない」という理由で断り、結果として赤貧の生活を選び、そのことを松本氏も「潔し」としていたそうです。その影響はやはり松本氏の作品に強く表れていたような気がします(その昔「男おいどん」を全巻持っていたTakemaです)。

上中央画像は章太郎少年が中二の時に製作した本棚だそうです。わたしも本棚を作った記憶はありますが、それはただの「棚」でした。しかし画像ではよくわかりませんが下段に引き出しが2つ!引き出し付きとなると一気に難度が高くなると思うのですが、製作後50年を過ぎた今も立派にその形をとどめているって‥あ、もちろんわたしが作った本棚ははるか昔(以下略)。

そしてさらに、右上画像は中三の時に作った「松笠亀」だそうで‥これはまさにすごい!すごすぎる!石森氏が中学生の時の美術作品が今でも形をとどめているのみならず、その造形美がすごい!(そもそもこの材料アイデア自体が卓越してます)。いやーたまげました!

ちなみに知らなかったので「目から鱗」だったのが改名の話。「昔は石森章太郎だったのになぜ途中から石ノ森」に?」というエピソード、ここは今でこそ登米市の一角ですが以前は石森町(いしのもりまち)だったのです。ふるさとの名前をペンネームに冠したのはいいものの、東京では誰も「いしのもり」と読んでくれないことをずっと気にかけておられたようで、デビュー30周年を機に「ノ」を入れて「必ずふるさとの読みになるように」したそうです。故郷のことを決して忘れておられないこの改名エピソードは、たぶんこの地域の人々の心に響いたでしょう。だからこそ記念館があり生家が今も一般に開放されている(無料)と思うのです。

それにしても惜しむらくは逝かれるのが早すぎました。1998年没で享年60歳とは。同い年の松本零士氏が2013年現在75歳で現役、比較に意味はないですがやなせたかし氏は94歳でいまだ現役宣言ですからねぇ。でも裏を返せば、60歳で逝去なさったにもかかわらずあれだけ多くの作品を残した漫画家も少ないのではないでしょうか。だって、現在進行形で増殖している「仮面ライダーほにゃらら」はすべて石ノ森ワールドのさらなる拡大にほかならないのですから!

というわけでアニメ世界に別れを告げて峠越え、三陸方面に向かいます。


山を越えて志津川までやってきました。寄り道で時間を使ったせいで時間的余裕がなくなり、南三陸さんさん復興商店街への寄り道は痛恨のパス。次回は必ず立ち寄って買い物しますからね!

空き地には相変わらずのがれきの山が残されておりました。ただしコンクリートのようだし、もしかしてがれき再生リサイクル用なのかな?(コンクリートは再生利用するべく研究中で一定の成果を上げてきているようです)。

石巻へと向かう道中は「ずいぶん手が入ったなー」と思わせられるところと「全然変わってないなー」というところが結構極端でした。もちろん平均的に同時進行というのはあり得ない話なのですが、それでも少なくとも「見かけ上の復興」は進んでいくことでしょう。大切なのは「目に見えない部分にある」わけですが。

しかし、これから向かう「大室南部神楽」はそうじゃない、見かけ上の復興には直接寄与しないと思いますが、地域の絆の復活(「絆」が軽い言葉になってしまったのは残念ですが)、かの震災を通してこれまで以上に強くなったであろう人と人との結びつきが本日見える形で披露される‥スバラシイではないですか!

そしていよいよ現地到着は開始時間の15分くらい前でした。よかった間にあった。




国道の脇に設営された大型テント。普段は作業場か何かで利用されているそうですが、こと今日に関しては大イベント会場です。上画像では屋外のパイプ椅子に数名しか座っていませんが、神楽の披露が始まると一気に満席に。またその様子を見た通りがかりの方々も「何だ何だ?」と数多く立ち寄られたのではないかと思われます。何人もの誘導員の方々、ありがとうございます。


で、われわれはテント内から鑑賞すべくまずは受付でお祝いをお渡しし、空いている席‥うーん、後方の椅子席はすでに満席、でも前方の枡席や砂かぶり席、いや大相撲じゃないんですからそんな言い方はしませんよね、とにかく前方座布団席が空いていたのでそちらにおじゃますることに。初訪問なのに図々しいとか言わないでください、そこしか空いていなかったので(苦笑)。

プログラムと「開運 干支あめ」をいただいた上で着席完了。正式な復活祭は10:00からなのですが、その前から寄せ太鼓、そして神職によるお清めなどが行われました。


そして10:00の開式。司会は何と地元東北放送の女性アナウンサー氏。実はこの日の模様は後日東北放送のTVやラジオで紹介されたのです。だってねぇ、地域の人々が実際に「前に進んでいく」様子は地元マスコミとしても当然取り上げたいでしょうし、もちろん取り上げてくださってありがとうございますなのです。変なバイアスが仕切ることのない「本来の報道」がここにありました(後日ご送付いただいたDVDで番組の様子を知ることができました)。

で、このあと正式に復活祭がスタート!会長さんの挨拶はここ大室地区を襲った悲劇を含むものでしみじみとさせられました。ただしわたしは津波を直接目の当たりにしたわけでもなく、家も仲間も失わなかった人間なのです。しかしここに集っておられる皆さんのほとんどは「その逆」。おそらく万感の思いでお話を聞いておられたことと思います。

この保存会も、神楽に関する全ての物品を津波で失い、聞くところによると「大師匠」もまだ見つかっていないとの話です。面やら太鼓やら衣装やら、とにかく完全にゼロから出発し本日この日に至ったわけなのですから、関係者の皆さんの思いも格別だと拝察いたします。

で、ご挨拶のあとはもちろん「黙祷」。わたしも心から頭を垂れました。


さてここからはいよいよ「晴れの舞台」たるお神楽のスタートです!とはいえわたしはお神楽を見るのが実は初めて。そんな奴がなぜわざわざ見に来たのかって?だって、だからこそ見てみたいじゃないですか!しかも、わたしとしては某および準国営劇場とかで鑑賞なんてしたくない!料金が問題なのではなく、また逆の意味で徹底的に洗練された芸術としての神楽でもない、「地域で奉納される神楽」を見てみたかったのです。

その意味で今回のお誘いは絶好の機会でした。しかもわざわざ事前にお手紙でお誘いをいただいたのですからおじゃましても迷惑をお掛けすることはなかったでしょうし。そして‥




少子高齢化、人口減少、そして限界集落の問題にほぼ無策な政府や中央行政(自民党でも民主党でも同じです)。地方でもまだ規模がそこそこある拠点都市はまだしもとして、その周縁に位置する集落はまさに今「滅び」に向かってまっしぐらだと感じます。だって真面目な話、お年寄りの比率が圧倒的に高いのですから。

そしてその過程において三陸沿岸地域を襲った大津波。多くの命が失われ、そして生活の基盤を根こそぎ流され「ゼロ、いやマイナスからのリスタート」を余儀なくされた方々‥。そう考え捉えててしまえば「ネガティブからのスタート」に他なりません。

ただし。

つい先日届いた1枚の葉書があります。「石巻ZENKAI商店街」さんからのもので、これまでの支援についてのお礼を記しておられましたが、そこにはこう書かれておりました。実は未許可なのですがたぶんお許しいただけると思いつつ勝手に掲載(あのね)。


この文章を拝見していてぐっと来た章節が「しかしそれ以上に得たものがあります」でした。その文を読んだ刹那、恥ずかしながら自分は「それ以上に?本当に?」との文にある種の疑問を感じたのです。

しかしあらためてもう一度読み返してみれば、言外に示された(これ重要)ZENKAI商店街の皆さまの思いがよくわかった気がします。たとえ自分の誤解であるとしても自分としてはなるほどなのです(以下このことについて細かな説明はしませんが)。

ZENKAI商店街さんのコメントに込められた思いはここ十三浜大室地区にお住まいの方々はもちろん、この大室南部神楽保存会の皆さまにとっても共通なのだと(勝手に)思っています。

ハイ話を戻しましょう復活祭です(舞の画像は演目順と前後していると思いますがお許し下さい)。


演目は午前中「三番叟・岩戸入り・宝剣納め・田村三代」と続きます。残念ながら時間的に午後の部までは見られないので(たぶん最後の「屋島合戦」が一番の見所なのではないかと思ったのですが)、ここまでのお神楽の様子を動画で‥いやちょっと待てその前に自己主張的紹介が!(大笑)。

えぇっとですね、わたしは確かにこちらのお神楽支援金を僅かな額ながら拠出いたしました。で、そのナニとして‥





案外個人での寄付が少なかったのかなと。でも又聞きながら自分と同じ非地元からの寄付がそこそこあったとのことで「嬉!」。

そんなわけで動画で大室神楽をお楽しみ下さい。ただし悲しいかな撮影者のTakemaが「お神楽の見どころ」について何もわかっていないままブチ切れをつなぎ合わせていますのでお見苦しい点もあるかと思いますがお許しを。


三番叟の舞&語りの一部です。

岩戸入りは舞い手がどんどん増えてきて楽しい。



このあとは祝いごとに恒例の「餅撒き」です。前から3列目という絶妙の場所だったのでしっかりゲットしましたが、それにしても左上画像のおしんこどん、両手を中空に突き上げて「取る気満々」モード炸裂です(笑)。


やはり餅撒きは燃えますなぁ♪



さてここで芸能タイム!プロ歌手の辰巳幸二郎さんが演歌を熱唱!実はこの方、保存会会長さんのご実弟なのだそうで、つまりここ十三浜はこの方の故郷でもあるわけですね。津波という大災害があった上でのこの復活祭、見知った方々の前で歌を披露するお心持ちはいかようだったことでしょう。



さて舞台は再びお神楽の熱演モードに入ります。が、ここでTakemaは席を立ち、上記画像のように見る位置を変えてみました(落ち着きがないだけとも言います)。そうか、三方に張り出した舞台構造=神楽殿なのですね。



太鼓と鉦の拍子を耳にしながら、「ああまた来るぞ来るぞ」と意味なく嬉しくなってました(笑)。


田村三代では、幕越しの迫力に圧倒されます。



さてテントの外にはこういう場合つきものといえるテント屋台&直売所が出ておりました。くっそぉうまそうなニオイがするのにビールが飲めないとは!(苦笑)。もちろんこういう屋台を本業とする方々ではなく地元の方の運営です。皆さんにとってもこのイベントは震災後最初の晴れ舞台だったのかも知れません。まだまだ生活復興までの道のりは長いことでしょうが、こういう催しを通して「時には息を抜きながら笑い合いながら」さらなる前進を目指していただきたいと思います。



あ、十三浜といえば肉厚のワカメですのでもちろん購入、そしてウニめかぶをこの場でチュルチュルっと。

なお地元の子どもたちがここ十三浜の名物を染め抜いた手ぬぐいを売り歩いていましたので迷うことなく購入。こういう品こそ外から来たわれわれが買うべきだし買いたいものなのです。うーん、しかしすでにこの旅行から2ヶ月以上が経ったいま現在‥あれぇどこいった?(苦笑)。

最後まで見たい気持ちは山々でしたが(午後の部の出し物は間違いなく大物揃いでしょうし)、時間の関係もありこれにて失礼することにしました。掲示板等でやりとりをした方々とは直接はお会いできませんでしたがそんなことは構いませんし気にもなりません。だって、



なお、後日保存会の方々から当日の様子をおさめたDVDをご送付いただき、その動画を拝見してようやく「当日の舞台を全部観たぞ系のコンプリート感」を持つことができました(笑)。そんなわけで、後ろ髪を引かれつつもしゅっぱぁーつ!


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