− その11 女川方面海鮮丼の道遠し、石巻でようやく!−



今回の神楽舞台の目の前には漁港があり、漁船が何隻も停泊していました(この日は地域の特別なお祭りでしたから、凪ではあってもこの時間に船は沖に出ていなかったと思いますが)。

しかしそこから少し走ったあたりには、このあたりで残念ながらデフォルトの「土のう堤防」がいまだ現役です。しかも震災後2年を経過したあとゆえ、袋が劣化して破れている状況を多数確認。このような物理的風化はやむを得ないとしても、われわれの震災や津波、そして原発事故に対する記憶は決して風化させてはいけないものだと確信します。

そして報道すべきマスコミはもちろんです。ネットが「目の前の情報しか上げない」のに対して(個人による情報更新ゆえこれはやむを得ないことでしょう)、マスコミの場合は「長期的な報道方針」に基づいた情報の収集および伝達が可能なはずです。しかし、いまや定期的に被災地の情報を全国波で伝えているのはNHKだけですよね。民放各波は原発問題を取り上げることはあっても被災地の復興云々にはもうほとんど興味がないようです。民放TVを含むマスコミ全体にいえることですが「視聴率やらの採算を度外視して『被災地のいま(うまくいっているところもそうでないところも)』を伝えてほしい、それが報道とやらに携わる者の使命なんでしょ?」と言いたいところです。

ネガティブな「ほーら地下水からさらにセシウムでたよトリチウム出たよ濃度増えてるよ」という報道はもちろん事実として大切ですし報道してしかるべきです。でも、それとは別に、たとえば「旧緊急時避難準備区域」(もちろん現在は解除)に戻った人々がいかに頑張っているかについての報道をもっとしなくちゃバランスが取れません。「煽るだけ煽ってあとは知らない」なんていうのは、個人ならともかく少なくとも「マスコミを標榜する団体」であれば‥あってはならないというか「それをマスコミとは言わないでしょ」と思うのですがどうなんでしょうね。


新北上大橋(の仮橋)を渡ります。実は震災前後を含めこの橋を渡るのは初めてです(最初にこの付近を通ったとき、まだ橋は落ちたままでした)。というわけで「大川小学校」訪問。多くの人々が訪れる震災遺構=ある種のステータスと化しているように感じましたが、それはやはり仕方のないことでしょうし、少なくともこの地を訪問した方々の記憶には必ず残ることを考えれば、現在の開放方針は間違っていないように思います(もちろん内部には立ち入り禁止ですが)。なお、右上画像に写っておられる方は地元の関係者のようで、千羽鶴を手にして建物内に入って行かれました。全国から送られてくる品々を安置する部屋があるんだろうなぁと想像。

ただ、今も被災児童の家族と市教委の間ではいろいろと論争が続いている今、大川小学校で起きた悲劇についての具体的な意見はあえて申し上げません(他のサイトにたくさん情報があるでしょうし)。わたしとしては「人間の判断力はそれまでの経験値により差が生じる」ということだけを申し上げます。新たにできた慰霊碑に手を合わせてこの地をあとにしました。

このあとは震災前後を問わずこれまで一度も通ったことのなかった「北上川河口−女川町」の海沿いルートを進みます‥が!



いやこんな喩えが今となっては正しいというかどうかもわかりませんが、この区間を初めて通る自分としては失礼ながら「原発のある女川町に続く道だからそこそこカーブ角も調整された道なんだろう」と思いこんでいたわけなんです。原発があることにより自治体には多額の云々‥という先入観がありましたので(これぞFixed Idea!)。

で、いざ雄勝エリアまで来てみると‥ああ、当然ながらこの湾の中もこてんぱんにやられており、最後に残った学校の校舎も取り壊し中でした。旧雄勝町庁舎の前には仮設商店街「雄勝 店(たな)こ屋街」がありましたが、周辺はコンクリ基礎ばかりが残る集落跡‥これでやっていかれるのか?とちょっと心配な気持ちになります。



しかしこの日はGWの中日ということもあり、特に食堂は大賑わいで順番待ち状態でした。しかしそうなると‥


出ましたTakemaの「並ぶのイヤイヤ症候群」!(笑)。わたしゃ「ウマイものを食べるために並ぶくらいなら、不味くてもいいから並ばない方を選ぶ」と豪語してはばからない人ですからねー。並んでいる=人気がある=みんなと一緒というのがイヤな天の邪鬼がこの日も降臨したというわけです。

あ、念のため申し上げておけば「味にこだわりがないとか実は味盲だ」とかいう話じゃありません。「並ばずにオイシイものが食べられれば最高」、だから都市部とか有名観光地、さらには旬の時期などを外す傾向があるというわけです。もっとも、それにこだわりすぎると「食べる機会」をそのものを逸する可能性もあります(そもそもお店が少ないんだから)。さてそれでは、この日はこのあとどうなったか?という話に戻りましょ。

店こ屋街の近隣には蕎麦屋さんもあったのですが、海鮮ものランチにこだわっていたのでこの時はパス。まぁ女川まで行ったら何とかなるでしょと楽観的な気持ちでいたのです。上にも書いたとおり雄勝−女川区間を通ったのは今回が初めてでしたんで勝手もわからずでしたが、さてこの時の判断は吉と出るか凶と出るか?正解は‥



女川町の中心部は、津波に襲われた他の地域と同様に「根こそぎやられた」場所なのですから‥(鉄筋コンクリートのビルがいまだに横倒しになっていたくらいです)。でも、県道41号線を海岸沿いに少し進んだところに営業再開をしている海鮮系ごはん屋さんがあるという新しい看板発見!喜び勇んで行ってみると‥


待ち人リストを見ると7-8組待ってるし、GWゆえ家族連れやグループ客も多く、20人くらいがお店の周辺を所在なげにうろうろしておりましたんでこちらもパス。で、万石浦側に復興商店街「きぼうのかね商店街」を見つけたので「よーしよし」と思いつつ、30軒ほどのお店が建ち並ぶ商店街を歩き回ってみたのですが‥海鮮ものの食堂は一軒もなし(「女川カレー」のお店はありましたが)。

そんなわけで断念し(もう13:30を回ってるんですが=お腹と背中がくっつきたがってる=これこそ究極のダイエット甚句?)、石巻市内に勝負を掛けることにします!(というかもはやそれしか選択肢ないですし)。」


JR石巻線は2013/7現在石巻−浦宿区間が運転中、あとひと駅で女川なのに‥。しかしこの区間は山越えのトンネル区間であり、その出た先は津波被災地でもあることから、うーむそのままの路線を使うわけにはいかないということなのでしょうか

しばらく石巻線と国道が併走する万石浦付近。万石浦は汽水湖なのですが、海とつながる方角および地形がラッキーだったのかこのあたりでは住居に関する被害は「相対的」に軽かったようです。もっとも一番の基本としては「牡鹿半島が身を挺して松島側エリアの被害を抑えてくれた」という感じなのでしょう。

そんなわけでというかそれとは別件イナバウワーで(新旧2つのネタを合体させるとわかりにくくなりますね=何のこっちゃ)、結局女川から石巻市内にかけての国道沿いにはラーメン屋等はあるも海鮮系は見あたらず!日和大橋を初めて渡り、その先で市街地に向かって「海鮮食を求めんとする」われわれなのでありました。食べる気満々なのに!やっぱり下調べは大切ですね(苦笑)。さて橋を下りていくと‥


あちゃー。日和大橋の右岸(陸から見て右側)に大量の被災車両が集積されているというのは以前から見知っていたことでありますが(日和山から見えるので)、これにまだ手が付けられていないということ、、そしてさらに山の上からは見えなかった旧門脇小学校を目にしました。



左上画像が門脇小学校、右上画像の高いあたりが日和山公園でです。

この門脇小学校(右上画像、その右上が日和山公園)は、かの3/11の大震災で「校内避難児童の犠牲ゼロ」だった学校なのです(津波前に迎えに来た家族に引き取られた子は除く)。早めに裏の日和山公園に児童を移動し、避難してきた住民その他の方々に対しても、火災の危機が押し迫っているというわけで「教壇を裏の山に橋として渡し」、そこから全員が日和山に避難したということです。なおそのあと学校は津波による火災に巻き込まれたそうです。

そんな経歴を持つ門脇小学校ですが、これを見るのがつらいという市民の皆さんからの意見に基づき解体撤去する動きがあるようです。しかし‥現地に何らの係累を持たないわたくしTakemaが個人的に思うこととしては‥



もちろん、住民の方々の意向を無視してまでそのことを主張するわけにはいきません。ただ、今回の震災を語り継いでいくためには、その象徴としての「形あるもの」が必要です。ここで広島の原爆ドームを引き合いに出すのが正しいかどうかはわかりませんが、戦後の広島市があの原爆ドームを撤去し、ただ資料館しか作らなかったとしたら、そこを訪れる人へのインパクトは確実に弱くなってしまったはずだと思います。つまり「肌で感じること」こそが一番重要であると思うのです。

別の例でいえば、太平洋戦争の開戦は旧日本軍によるパールハーバーへの奇襲攻撃でした。あの時港内で沈没した戦艦ミズーリの上には見学台が設置され、今も誰でも訪問することが出来ます(有料ですが)。わたしも過去に2回行ったことがありますが、戦後半世紀を過ぎた今でも船から漏れ出す油のリングを確認し、それを見ながらあらためて戦争というものを気に掛けた記憶があります。

また、震災の記憶は世代を超えて受け継がれなければならないものですよね。わたしが学生時代に三陸沿岸某所でフィールドワークに携わった当時、どうしても納得がいかない不思議な風景を目にしました。それは‥


堤防=人の命を守るためにあるもの、だと思っていたわたしはその時の思いをずっと抱き続けてきました。そして今回の大津波。もちろん沿岸地域に設置されていた防潮堤が不十分だったのは言うまでもありませんが、その一方で「そこに住む人々の『根拠なき安全意識』もなかったわけではなかった」ように感じます。

今回の大津波の記憶は10年20年のスパンでは生かされるでしょう。しかしたとえば「今年生まれた子供が成人になる」ころになるとどうなのか?もちろん学校教育等でビデオを見せたり、震災語り部の方々がいろいろ伝えては下さることでしょう。しかし!



われわれ人間は「学べるようでいて実は学べない」存在です。なぜ「歴史は繰り返す」という格言が実際に成り立つのかといえば「経験のない世代がまた同じことをしでかす」からに他なりません。そこに至るまでの教育内容と自分とを結びつける術も必然性も感じられないまま突き進む結果「二の轍を踏む」のです(その「教育」に偏りがあった場合はもっと悲惨でしょう)。

震災遺構保存に関してはもう一つ意見があります。それは「三陸に人を呼び込むためのモニュメントとしての震災遺構」です。

今回の大津波で三陸地域の被害は大きく報道されました。NHKの「あまちゃん」の影響もあり今後ある程度の期間は少なくとも「集客力」があるでしょう。しかし問題はその先です。

震災の半年前の2010年10月、わたしら夫婦は三陸を旅しました。その時に思ったのは「観光で訪れる人を引き寄せるスポットがほとんどないなぁ」ということでした。龍泉洞はいはい、浄土ヶ浜ハイハイ、ではその他には??

この地を訪れる観光客は「この地でなければ見られない食べられない体験できない」ものを求めて来るわけです。龍泉洞も浄土ヶ浜も含めた上でそこに「何らかのプラスアルファ」を付け加えるとすれば、それは悲しきリアリティかも知れませんが前出の大川小学校、そしてこの門脇小学校であり、また気仙沼の「第18共徳丸」でもあると思うのですがいかがでしょう?

ちなみに2013/7現在、第18共徳丸の船主である会社の社長さんは「やはり解体する」という意向のようです。気仙沼市は全市民対象のアンケートを取っているそうですが‥。市民の声が解体であろうが保存であろうが、その意向を変えないという姿勢がちょっと気になります。

たとえば観光に来る人に「ほら、これだけ復興しましたよ、もはや津波の跡形もないでしょう?」と完全整備された街並みを見せても、観光客にとっては「ただの港町」にしか見えません。大津波の痕跡は、電柱に「ここまで冠水」のマークを張り付けるだけではだめで、やはりそのモニュメントとしての建造物が不可欠なのだと考えます。「実感」「肌で感じてもらう」ために!

というわけでさんざん思いを語ったところでこの旅行のタイムラインに話を戻すと‥んがっ!


しかし、震災を除いて考えても石巻が漁町であるがゆえ大問題が存在します。それは「地元の人はわざわざお店に海幸を食べに行かなくても横のネットワークで云々」ということなのです。そこに震災でいろんなお店の閉店が絡むわけで‥。

しばらく中心部のメインストリート&細道を走ったりしましたがそれ系のお店は見つからず。ちなみにGWだからか商店街を行き来する人の数はとてつもなく多くてちょっとぶったまげました。その多くが観光客であることを考えると「今こそ先を見据えた手を打つチャンス」なのだと思います。

しかし結局目指すお店も見つからず、すでに14:30を回っていましたからもうお昼の営業も終わりかなというわけでコンビニランチでしょうがないかと思って郊外へ進もうとしたその時!


のれんが掛かっているお寿司屋さんハケーン!急遽ピットインして食事の可否を訪ねると問題なくOKとのこと(左上画像の車はあとから来たお客さんの車です)。で、いろいろとご主人とお話を。内陸ゆえここまでは津波が来なかったこと(すぐ手前の信号まで上がったらしい)、なぜ海自の護衛艦ポスターが貼られているのか等々の質問をしていたら‥


と、大トロ2貫が来ちゃいましたがなー!(激嬉=左上画像マウスオン)。特におしんこどんはトロ好きなので満面の笑みでありました!「新鮮すぎるのも味わいの点ではどうかと思って、あえて寝かせるネタもあるんですよ」とおっしゃるご主人はもともとサラリーマンからの転向組だそうで、「ここの立地は石巻を出て行く人にとっては『最後の寿司屋』であり、来る人にとっては『最初の寿司屋』なんですよ」ともおっしゃっていましたが、車線的には「来る人」にとってはキビシイかな?出る側車線沿いなので(笑)。

このあとお腹が満ちて力が湧いたTakemaは運転にいそしみ、おしんこどんはドリームランドで敵と戦っているようでした(想像)。そんなわけで本日のキャンプ場である兵糧山へ!そんなわけでこの続きはまた次ページにて。


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