[もくじページに戻る]



【その3 田代島は本当に猫だらけでした】



えーと、あなたがた、まさに自由人ならぬ「自由猫」ですねぇ。

【2021年3月22日~27日 その3】

さて田代島の仁斗田港が近づいてきました(大泊港は抜港=寄港せず通過)。と、ここで操舵室から出てこられた船員さん(そこそこ年配=これ重要=このあとの運航について判断する方である可能性が高い)にお声掛けしました。以下そのやりとりです。

Takema 「すみません、ちょっとよろしいですか。」
船員さん 「はいはい。」
Takema 「中央港出港時に、出札の方から『このあとの
4便は仁斗田港に入港するかまだ未定』と
いうことでしたが、現在における入港の目途は
いかがなものでしょうか?」
船員さん 「あ、次の便ですね。大丈夫、海のほうも
落ち着いてきているのでもちろん運航は
しますし、仁斗田にも入港します。網地港に
行くのですか、そちらにも入港しますので
大丈夫ですよ。」



前に書いた通り「おそらくこの3便フェリー乗員が海の様子を確認した上で次の便以降の運航を判断するのだろう」と想像していたわけですが、まさに予想通り!よぉっしこれで計画通りに行動できます!

このあと先ほど切符を売ってもらった方ともすれ違ったので「仁斗田で下ります」と申し上げました。「仁斗田~網地区間の料金は下船前途無効ゆえ返金できませんが」とおっしゃいましたが、なぁに問題ありません。網地島ラインのラッキー収入としてくださいませ(ちなみにこのあと別途購入の仁斗田~網地区間料金と合わせて460円/人ほど追加で支払ったことになります)。ただそれを含めた往復でも、公式サイトにある「フリークーポン」\3,150よりは安かったかな。聞いたところによるとかのクーポンは7日間有効ということですし、使い回せば確かにお得なのかもしれません。



そんなわけで田代島到着です。ここ仁斗田港では数人が降りましたが、そのうち観光客はわれわれと若い男性2人(日本人と留学生かな?)だけだったかと(もしかしたらもう1人ソロ男性も)。さていざ歩き出そうとしましたが、愚かなことにプリントアウトしておいた島内地図を車に置いてきてしまいました。同じような地図が待合所にないかとも思いましたが、ないなぁ。島内の道路はシンプルですが、どこに何があるのかがわからないのはなかなか切ないものです。スマホにデータを保存してくればよかった‥。ま、計画時の記憶により何とかなりましたが(つまりはそれだけシンプルというわけです。案内板も要所にあります)。





猫のイラストが描かれているこの着船所は浮き桟橋となっています。潮の干満に限らず、その時々の波の上下で緑部分の桟橋も上下に動き、右上画像の2本のコンクリート柱がその上下動を支えています。ほぼ常に上下動のギーギー音がしていますが、これのおかげで干満に関係ないスムーズな乗り降りが可能になっているわけです。なお石巻中央港は立地の関係かこのような桟橋が設置できておらず、そのため干潮時には段差が生じてしまうのを帰着時に目撃しました。

この島は人口60人ほどの「かなり厳しい島」なのですが、いっぽうで「猫の島」としては有名で、ここを訪れる観光客の利用により網地島ラインが現在の運航本数を維持できているという話もあります(wikiネタですが)。

たしかにこの翌日の帰り便では、田代島から10数人の若者がワイワイと(時節柄ワイワイでいいのかどうかはともかくですが、皆さんマスクは着用していたのでとりあえず問題はないか)乗り込んできましたし、コロナ禍の状況におけるオフシーズンでも一定数の観光利用がある離島便であるとはいえそうです。



待合所はきれいに清掃されていました。その前には「ねこごはん おあずかりボックス」がありましたが、この建物周辺には猫の姿はありませんでした(戻ってきたときには1匹いましたが)。まぁここにいてもフェリー到着時以外には人もいないし、従ってごはんに与る可能性もないですからね。

少し陸側の園地にトイレがあります。またその手前に飲み物の自販機もあります。特に夏のシーズンは水分補給が大事ですが、田代島内に自販機は確認した範囲でここと(上陸したら必ず通る場所にあります)、あと「島のえき」にしかありませんでした(ただしこの日は「島のえき」が営業しておらず入口にチェーンが掛けられていましたので、「自販機のドリンク購入のためには不法侵入が必要」という切ない状況でしたが=買ってません)。

あと、仁斗田港から歩いて島の駅や猫神社に向かう途中に1軒だけ商店があります。外観は商店ですが地元民相手なので営業しているのかどうかはわかりにくくみえます。でも飲み物の販売はおこなっているとのこと。お弁当とかは「Out of 論」です。食事についてはすぐ下で書きます。



さて港湾エリアから島の道路分岐にやってきたところには観光客向けの掲示板が。細かな地図もさることながら、一番上の「ネコ表示」が何ともいえない味わいを見せています(笑)。と、ここで第一島ネコがやってきました。そこそこ若そうな感じの白黒くんでした。

そういや思い出したぞ。自分が大学生の頃(遠い目)、やはり白黒の野良猫がわが家というか自分になつき、冬になると2Fにあった自分の部屋まで木を伝って上がってきて、窓の外で「にゃーニャー(開けて!入れて!)」という日々が続いていたんだよなぁ。ストーブの前で丸くなる姿を見るのは至福でした。ただ布団に入ってくることはありませんでした(そもそも野良ですしそれは幸いだったとも思います)。

問題はこのネコ(クロと呼んでいました)、出ていくときはうまく爪を使って窓を開けられたのですが(外側サッシは出っ張りが小さくて爪を引っかけて開けられなかったみたい)。何といっても残念ながら彼には「出たあとに窓を閉める」という発想及び行動がなかったわけで、その結果夜明け前になると自分の部屋は外気温と同じに冷え込み、おかげさまで冬場は早起きしていましたよ(笑)。

なお野良クロは、自分が長期間山に行っているときだったかにわが家のすぐ近く(場所は知りません)で車にはねられてしまったようです。Takema母はわが家の裏庭のどこかに埋めたそうです(聞きませんでしたが想像するにあの辺りかなと)。ただし以上は35年くらい前の話。というわけでリアルタイムの話に戻しましょう。



でもですね。港周辺園地の辺りにはこのクロくんしかいなかったわけなのです。おかしいなと思いつつも、集落方面へと坂を上がっていきました。



案内板があり、地図を置いてきた自分としても「自分が今いる位置とルート」がある程度想像できました。ネットが普及する前から海外国内をうろうろしている自分は、特に初めて行くエリアについてはじっくり下調べをする習慣が残っています。今回もそのおかげで「地図なしでうろうろできた」わけです。え、事前にグーグルマップに訪問地を登録しておけばって?それじゃカーナビと同じですよ、現地ではせめてオリエンテーリングみたいに回りたいのです(アナログ世代バリバリ)。

まずはクロネコ堂へと(すぐ近くですが)歩いていきます。でもネコの姿はまったくなく、「猫の島」たる田代島へのイメージが崩れかけそうな気もしてきました‥が。



少し上ったところにある「クロネコ堂」さんへ。あーしかし「Closed」の掲示です。平日だしコロナ禍だしなぁ。ここは島でも数少ない食事処でもありますが(あとは「島の駅にゃんこ共和国」ともう1ヶ所あったかな。いずれにせよこの日は休業でした)、週末以外やオフシーズンは営業していない(または営業時間限定)と思われるので、基本的に石巻で入手しておきましょう。ゴミガラはさっさとカバンにしまうこと。このあとの網地島で聞いたことですが「カラスは(猫も)白い袋をめがけてくる」そうなので。

さてお店の前界隈には‥



あー、いましたねぇ。それぞれ日向ぼっこです。室内にもいるし。ちなみにこのあとクロネコ堂の管理人さんとも話す機会を得ました。本当はお茶をしながらもっと話を伺いたかったのですが、「コロナ禍の平日」ゆえ仕方ないですね。

このあともう少し集落を歩いていくと‥




はい。確かに次々と出てきましたね。

確かに集落の大きさを考えると「猫密度」は高いようです。クロネコ堂の方が「昨日や今日の午前中は天気が悪かったから、たぶん茂みの中でじっとしていたんだと思います。でも晴れてきましたから三々五々日向ぼっこに出てくると思いますよ」とおっしゃっていたわけで、「雨後の竹の子」ならぬ「雨後に出る猫」ということなのでしょう。



単管パイプ利用の工事用ガードライン(正式名称は「単管バリケード」)も、この島では猫型ですね。それにしてもこのガードラインについては実にバリエーションが多いように思います。ちょっと調べてみたところ、その発祥は「仙台銘板」なのかと思いますが、公式サイトで現在の商品リストを見るとネコがありませんので同業他社製なのかなと。いずれにせよ「緊張の工事現場にちょっとだけほんわか」というのは悪くないアイデアだったと思います。あ、またネコがやってきた(笑)。



そういえば、ネコ目的で訪問する観光客に向けての「田代島ルール」というのがありまして、

ネコへの餌やりは不可
ネコを持ち上げ(抱き上げ)たりしない
道路の真ん中での撮影自粛
民家・私有地に入らない
飲食ゴミは持ち帰る

どれも当然のことですので守りましょう。特にフェリー到着後から30分くらいは仁斗田と大泊を結ぶ道はそこそこ多くの車が往来します(われわれの訪問日には大泊港を抜港したこともあり、大泊からの車?が何台も往来していました)。撮影はあくまで車の気配を気にしながらおこなって下さい。

さてこのあとは「猫神社」を目指して歩いていきます(上り坂)。



この道中にもあちこちでネコが出没&日向ぼっこ中。

ところで、田代島(仁斗田から猫神社までの往復だけでしたが)について気になったのが「廃屋の多さ」です。崩れかけたまま放置されている家屋がかなり多いのです。田代島は昭和30年代には1000人あまりが居住していたということですが、直近の公式調査では60人あまり。崩壊しかけの家屋は津波の影響を受けなかった高台にありましたが、このあと訪問した網地島では(こちらも人口減少が甚だしいにもかかわらず)そのような家屋はほぼ見受けられませんでした。今後「観光でやっていく(しかない)」田代島としてはこの「負の遺産」を何とかすべきだと思いますが、そこまで手が回らないのかなぁ@石巻市。

なお網地島でこのことについて伺ったところ、「網地島では震災復興関連で廃屋系家屋も撤去された」とのことでした(記憶内容が間違っていたらすみません)。両島とも震災前から石巻市になっていましたが、2005年以前は田代島=石巻市、網地島=旧牡鹿町だったこともあり、情報のアンテナが別々で対応も違ったのかもと思います。

さて話を戻して、いよいよ島の中央部=最高標高エリア=島の駅「にゃんこ共和国」へと進んでいきます。




(帰りには完全に日陰だったのにそのままでした)。

すでに廃校になっている田代島の小中学校、小学校の校舎(1989年廃校)はすでに跡形もありませんが(校庭はヘリポートになっているようです)、上画像の通り校門は校名標も含めてそのまま遺されています。「ここに学校があった」ことをいつまでも伝えていくための生き証人として遺されたのでしょうか。データの長期保存媒体として最強なのは「石」ですからね。

それにしても、このブルーシートの下には何があるのでしょうか。ここに保管しておくべき必然性がある何が?(別にツッコもうとは思いませんが)。



さて、この辺りから猫の数がどんどん増えてきましたよ。



われわれが行かなくても(行くけど)、猫のほうからわらわらと近寄ってきます。



もっとも近寄ってきても、多くの猫は近寄ったらそれでオシマイということのようです(一部の猫はすり寄りますが)。餌をねだりにきたというよりは、「何やら見慣れないやつらが来たから見にいってみようか」というような好奇心の発露といったところなのでしょうか。



そして、どうやら猫たちの拠点となっている「田代島にゃんこ共和国」に到着です。この日は残念ながら閉館しているようで残念でした(宮城県の緊急事態宣言発表に伴い臨時休業していたようです)。




(要はマイペースってことで)。







島のメインロードも完全にネコたちの寛ぎの場と化しています。



なお、敷地内(旧田代中学校)には、今や希少な存在なのかなとも思われる「二宮金次郎(尊徳)立像」が完全な形で残っていました。「歩きスマホ」の関係で、撤去されたり新たに「座像」に作り直されたりとさんざんな目に遭った二宮さんですが、ここではいつまでも安泰のようですね。

ここから少し先の「猫神社」へと向かいます。



そこそこすぐに到着しましたが、こちらにはネコの気配がほぼありません(猫神社なのに!)。まぁ餌やりの関係なのでしょうね。ここは陽当たりもそれほどよくなく、小さな祠があるばかりですから‥と思ったら一匹いましたねぇ(左上画像マウスオーバーで画像が変わります)。



というわけで戻りましょう(大泊港はこの日全便が抜港なので戻るしかない)。このポンプ場辺りにもそこそこのネコが潜んでおり、きょろきょろしていると出てきます。



平塚八太夫の蔵だということです。全く知らなかったのですが、江戸期後半に貿易で巨万の富を得た仙台藩や水戸藩の御用商人だったそうです(慶応年間に銚子で死去)。しかし、「二千石船でサハリンやフィリピン・ベトナム」って?まだ明治になっていないのに国際貿易を?「鎖国」というイメージからくるステレオタイプな発想ですが、江戸時代には民間の商人にそこまで自由な商業活動を許していたのでしょうか?そもそも千石船は外洋船としては不適な構造ですし。

江戸期に幕府が交易を認めていたのは(国交はともかく)オランダ、清と朝鮮、琉球、そして蝦夷くらいだったと記憶しています。あ、そうか「中継貿易」なのかな。千石船がベトナムに行っていたわけじゃないのですね(勝手に納得)。

しかし「巨万の富」を得た方の蔵にしては小さいような‥。平塚氏は関東太平洋側との繋がりがあったことがネットでも散見されますから、ここ田代島をベースに活躍していたわけではなさそうで、それ故の「小ささ」だったのでしょう。

それにしても島の廃屋同様相当老朽化が進んでいます。せめて着生している植物だけでも除去したらどうかとも思うのですが、予算も、そしてマンパワーも不足しているということなのでしょうか。



これらのネコ人形はたぶん外から持ち込まれたものが多いのでしょうね。それもどんなものかなとも思いますが、島の主要産業を「漁業」から「観光」寄りにシフトするより他に方策のなさそうな現状から考えるに(というか、この居住者数規模の島で「外部から人を呼べる観光資源が存在する」こと自体が奇跡的なことですから)、こういうのも過度にならぬ限りはいいのかとも思います。

ただ、やはり圧倒的に田代島側の受け入れ態勢が不足しているようには感じました。訪問時は3月下旬の平日とはいえ、この時期は学生が春休みに入っていることもあり決して閑散期ではありません(ただしコロナ禍でしたが)。実際この日もわれわれ以外にネコ目当ての観光客もいましたし(2組3人でしたが)、この翌日(平日の)午後便で田代島に寄港した際には、それこそ十数人の若者(たぶん日帰り)が乗り込んできてびっくりしました。

島に出入りする観光客は100%網地島ラインを利用するわけですし、その多くは仁斗田港を利用するわけです。そして観光客は間違いなく「乗り遅れないため早めに港に戻る」わけで、出入口たる港の直近にカフェ営業兼田代島の観光案内所でもあったら、みなそこそこの確率で利用すると思うのです。

残念ながら「クロネコ堂」さんは少し遠すぎますし、「にゃんこ共和国」は訪問のメインポイントですからその代わりにはなりません。港の近くに何とかそんな施設を作ってくれませんかねぇ。おばあちゃんが当番で「ネスカフェバリスタのボタンを押す飲み物以外には『地元産ひじきのおにぎり』しかないよ!」で十分(というかそれがサイコー)ですから。‥あ、マンパワー不足も深刻なのか‥。




われわれは次の便(下り4便)利用だったので、結局1時間ちょいの待ち時間。無人&観光情報皆無のこの待合所で船を待つこととなりました。あ、ネコはたまにやってきてくれましたけれどね(笑)。



こういうちょっとした心遣いイラストにはほっこりさせられます。



今度の船(シーキャット)は旅客専用船。室内、屋外とも着席定員は半分に制限されています。



最終の下り便ゆえガラガラです。で、約10分で本日の宿泊地網地島に到着。



シーキャットは方向転換するとすぐにすっ飛んでいっちゃいました。さすが高速船(笑)。

さてそんなわけで網地島に到着しましたが、この続きは次ページにて。

[もくじページに戻る] [次へ]