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【その4 網地島の春作業を見学しつつチャリで島めぐり】



うふふ、新鮮そのものを茹でてます。網地の春の風物詩とか。

【2021年3月22日~27日 その4】

実は網地島に至るまでにはちょっとした行き違いがありました。田代島の島内を歩いていた時にスマホの電話が鳴りまして、出てみると本日のお宿の女将さん。いわく、「あの、マーメイドⅡで来るっておっしゃっていたと思うのですが‥」。

うわ。自分の伝達ミスです。予約時に自分は「石巻からマーメイドⅡに乗船し、田代島で下船観光後に次の便で網地島へ向かいます」と申し上げたはずなのですが(計画立案時からそのつもりだったのでそれは間違いない)、伝達すべき内容によけいな情報を挟み入れるのはよくなかったですね(ビジネスマナーの初歩)。特に電話なので記録が残りませんので、おそらく女将さんは赤字の部分を記憶にインプットなさったのではないかと‥。

いずれにせよ紛らわしい伝達をしてしまった自分のミスです。女将さん申しわけありませんでした(女将さんはマーメードⅡ着船時に港まで迎えに出て下さったそうです)。とにかくお詫びを申し上げ、現在田代島にいること、次の便(最終便)で網地港に向かうこと、次の便が網地港に入港することは確認済みであること、そして港からは歩いて宿に向かうのでお迎えは不要であることを申し上げた次第です。



というわけで高台にある、港から一番近いお宿である「汐亭(うしおてい)」さんに到着です。この数日前に最大震度6を観測する地震がありましたし、おまけにコロナ禍に千葉県からのお客ですし、さらには到着予定を誤解させてしまったという三重苦の中、「招かれざる客」と思われていなければいいなぁと一部内心では思っていたわけですが、女将さんが明るい声で出迎えて下さったのでまずは一安心♪

到着が石巻方面からの最終便(16:24着)だったこともあり、お風呂はあとにして(なお温泉ではありません)少し寛いだあと18時に夕食ということにいたしました。いや、実はお相撲を見たかっただけなんですけれどね(笑)。



しかし食堂にもTVがあったので、結局はそちらで観戦することに。

これだと女将さんもスムーズに料理を出せますし、われわれもすぐに食べ始められるしというWinWinというわけです。そういえば夕日は水平線沿いに広がる雲のため特に赤く染まったわけでもなかったようです。まぁそれはしょうがないことで、さーていよいよ夕食です。





(予想通りではありますが)。

一般的なお刺身定番のマグロ切り身などは姿もなく、その代わりに鎮座ましましているのは「アワビ」ではあーりませんか!(まさに「役者」が違います)。もちろん地元産でコリコリのコリっ!またサイドに添えられているのは‥「むむぅ、地元水揚げ間違いなしの生クジラ肉」!すぐ向かいの牡鹿半島鮎川地区は昔からの捕鯨基地ですし、そこから30分もかからずフェリーで運んでこられるここ網地島で食べる生クジラ肉。もちろん絶品でありました!自分もおしんこどんも、食事の最後の最後までクジラ切り身を遺しておりました。お酒の最後のアテとして。

タコも刺身と酢の物とに登場しておりますが、三陸のタコですからやっぱりウマイ魚介類を食べているはずでいい味わいです。煮付けは何の魚だろう、メバルかなと思ったらビンゴでした!(Takemaが当てた!@ちょっと嬉しかった)。

天ぷらも揚げたてで美味しくいただきました。この日の宿泊客はわれわれだけで、そのためありがたいことに女将さん手作りの出来たてお料理をじっくりタンノーできたわけで、いやぁ美味しかった!

夕食後半からは女将さんもわれわれのそばの席にお掛けになり(ソーシャルディスタンスはそれぞれ取っています)、いろいろとお話しを伺うことに。

この時期はひじきが口開け(採集許可)になったので、みんな採りに行っています。
わたしも地域の仲閒と採ってきて、それを朝から釜で茹でして干しています。
茹で場はこの民宿からすぐ近く。え、見てみたい?明日は天気もいいみたいだから
朝一番で釜に火を入れるつもりだし、チェックアウトしたら見に来ればいいわ
(朝は
お忙しそうなので、朝食終了時に会計を済ませようっと)。

明日はレンタサイクルで長渡(ふたわたし)まで行くんだって?電動アシストの
自転車レンタルを潮美荘で?ああ、あそこはわたしの親族なんですよ。長渡までは
山越えだけれど(標高差100mちょい)、アシスト付きなら大丈夫でしょ。

東日本大震災の時は確かに揺れはすごかったし、あそこに見えている緑の屋根の
建物1階は完全に
水に浸かりました。でも、牡鹿半島の西側に位置している島ということ、
網地港は
島の北側にあるということもあって津波の被害は比較的少なくて済みました。

網地の集落は一人暮らしのお宅が多くなりました。でもみんなで助け合いながら
やっています。ひじきの作業も、近隣の女性ほか何人かでやっているんですよ。

網地集落の売りは目の前の砂浜だったんだけれど、津波で随分砂浜が細くなって
しまいましたね。それと防潮堤とで(以下略)。

コロナのワクチン接種、ここだと「網小医院」になるんだろうけれどいつになるんで
しょうね。田代島もそうだけれど離島の場合は発症者が出たら逃げようもないですし。

そのほかいろいろな話を楽しく伺いました。ひじき収穫も実は結構命がけの時があり、押し寄せた大波に「岩にしっかりつかまって何とかやり過ごすこともありますよ」とか、「東日本大震災の時は実は石巻で入院していたんです。手術が終わったあとの待機でしたからよかったですが云々」などなど。

というわけでゆっくりと島の夜をタンノーし、この日は静かに眠りにつきました(前夜は高速の深夜運転だったのでぐっすり)。



さて翌朝です。朝ごはん前にちょっとお散歩‥お、田代島仁斗田港始発の鮎川下り便が入港してきました(仁斗田6:40発、網地6:50着)。しかし、なぜ石巻や鮎川ではなく仁斗田港が始発&終着なのだろう?いろいろあるのでしょうが、津波対策ということもあるのでしょうが、もしかして「船長さんがそもそも田代島の住民」なのかな?(思いきり間違っていました@後述)。



浜を眺めながらの朝食です。白い屋根は夏の海水浴場用の施設のようで、整備は終わっているようですが昨年(2020)はコロナ禍ゆえ公式には開設されなかったようです。2021‥4月現在宮城県仙台市には蔓延防止重点措置が適用されており、こりゃ2021夏もだめかなぁ。

朝食をいただき、お膳をかたすタイミングで会計終了。あとは食堂で無料のコーヒーなどを飲みながらのんびり。女将さんは洗い物を片付けた上でひじきの作業場に出かけていかれたようでした。なおわれわれの荷物は「玄関脇に置いて下されば午後の便までそのままでいいですから」とのことでした。もちろん玄関には鍵など掛けられていませんでしたが(離島のデフォルト)。



さて女将さんに遅れてわれわれもお宿を出発です。なお網地港エリアにおいて、飲料の自販機はここ汐亭のすぐ下にしかありません。女将さんによる補充の度合いによって売り切れが出るのかも知れません。たぶん本来は夏のハイシーズン向けなのでしょうし。

少し進むと積み上げられた薪を目にしました。これはひじきを煮るための用材なのだろうと思われますが‥このあとちょっとびっくりしましたっけ。

さて汐荘の女将さんが作業をなさっている場所は坂を上ったすぐ先でした。わーい、見学させていただきます!



これは茹でたあとのひじき、このあと天日干しするそうです。



こちらではただ今ひじき茹で上げ中!釜は3つあるようでした。



天日干しゴザにはすでに猫が。そこは‥気持ちいいよね(笑)。

さてこのあとはレンタサイクルの借り出しへと向かいます。旅程立案時、田代島は歩いて移動で大丈夫だと思っていたのですが、悩んだのがこちらの網地島でした。

南北に二つの集落があり(北:網地、南:長渡(ふたわたし))、両集落を結んでいる道は島の内陸部ど真ん中を突っ切っています。道路距離は4.8kmあり(往復で9.6km)、しかも最高標高点は100m近くありますから、歩いて往復となるとトータル200m弱の上り下りとなり、結構ハードです。南端に位置する涛波岐埼灯台まで往復するとさらに往復で2.6kmが追加となりますし、うーむこれはどうしたものか。

「レンタカー」はカーシェアとして存在してはいるようですが、ネットで見つけた限りでは「1週間前までに要予約」ということで、調査時点で出発の数日前だったため可能性は消えました。というか、レンタカーじゃ大げさですし(でも徒歩ではやや荷が重いという感じ‥)。

次に考えたのが片道を海路にするという作戦。そう、往路か復路をフェリー利用ということにすれば往復区間は涛波岐埼灯台だけですむわけです。また、島内には二つの集落を結ぶバスがフェリーの時間に合わせて運行されており、それを利用するという手もありそうです。

しかし、いずれにせよ「時間を気にしながら」というのは何となくいやだなぁと思っていたところで、「電動アシストのレンタサイクルがある」ことに気づきました。坂があるとはいえ、アシスト付きということでこれなら大丈夫そうです。というわけでさっそく予約しました。ちょっとお高めですが(1日2000円/人)、時間を気にせず自由に走れるというのはお値段を補って余りありですしね。



というわけで借り出しました。こちらのお宿でも茹で終えたひじきが干されています。そういえばひじき干しの「天敵」はなのでそうで、乾くにつれて軽くなっていくひじきは強めの風に吹かれると舞い散ってしまうのだそうな。さもありなん。

なお電動アシスト自転車で気になるのがバッテリーの保ちですが、説明をしてくれた潮美荘の方によると、「ほとんどの人は同じようなルートで島内をめぐってくるわけですが(集落を結ぶ道は1本しかないので)、その場合、バッテリーは半分またはそれ以上残っていますから安心して下さい」とのことでした。

またアシストについてはロング&オートモード(平地用)とパワーモード(坂道用)があり、上り坂ではパワーモードがいい仕事をしてくれました。筋肉痛になることもありませんでしたのでなかなかです。なお潮美荘のレンタサイクルは2台だけのようです(他にはありません)。

さて出発後、両集落以外の場所ではマスクを外していました。「密」どころか途中で人に出会うことは皆無で「疎」そのものの状態でしたからねぇ(涛波岐埼灯台には地元の女性が一人居られたので着用)。

網地の集落を出ると、道はぐんぐんと上り坂になります。電動アシスト付き自転車に乗るのは初めてですが、確かにこりゃ楽だわ。というか、アシストなしだと相当きつそうです。でもおしんこどんも含めて「自転車を押すことなく」上がっていくと、突然片側1車線の高規格道路に変わりました。島の中央部の高地は地形がなだらかで、道路もまっすぐ、道の傾斜もぐんと緩くなります。いっぽうで集落から高地部分までは道幅も狭いくねくね道で「昔ながらの島の道」といった感じです。



最高地点近くまで上がってきたところで、左側に何やらの分岐が。すぐ奥には上画像のような看板が設置されておりました。なおこの看板を設置した「あじ朗志組」ですが、気になって調べたところ、過疎化と高年齢化が顕著な網地(あじ)島を少しでも活気づけるために島の住民が2004年に立ち上げた有志組織のようです。ただ、2016以降の活動が見られないのが気がかりですが‥。


(「眺めいいですョ」という言葉は魅力的です)。



分岐から先は未舗装ですが、最初のうちは軽トラか何かの轍の跡が付いています。自転車でも行かれそうでしたが、その先がどうなっているのか不明でしたので分岐にデポしていくことに。結論からいえば途中までなら自転車のほうが早いし楽ですが(道は基本的にずっと下り)、先に進むに従って道は細くなり、岩や段差が多くなるので自転車ではやや不適かもしれません(慣れていない人は特に)。ここから先は帰り(上り)だとちょっといやだな」と思ったらそこに自転車をデポしてあとは歩くというのが一番賢いかなと。



右上画像になると轍が消えて歩道化しているのがわかるかと。この先傾斜が増します。



途中には祠も。ええっと、この赤い実は?(あちこちにあり)。

「700mってこんなに遠かったっけ?」とも思いつつ歩き下っていくと、進行方向側が明るくなり、よっしゃぁ「ヨッショ」に到着です!





白く塗られた長テーブルが1つ、そこに丸太の椅子が2つ、以上!これは実にシブイ!長テーブルですがそれほど高くもないためベンチとして利用することも可能です。またここにお弁当を持ち込んでランチにするのもありかと思います。まだこの時は全然お腹が減っていませんでしたが。



正面に見えているのは牡鹿半島の鮎川です。網地島ラインのフェリーはこの鮎川と網地島、田代島、そして石巻を繋いでいます。昨年の同じ時期に鮎川を訪問した際には(この時です)、まさか翌年に向かいの島から鮎川を望むことになるとは思いもしませんでしたが(笑)。

さて再びメインロードに戻りますが、上でも書いた通り島の中央部分の高地は実になだらかな地形で、その場所に旧網長小学校(現在は「網小病院」として利用されており、離島としては設備の整った医療機関となっているようです。CTなどもあるようで、校庭はヘリポートになっています)や旧網長中学校(現在は「島の楽校」として、サマースクールなどで利用されているようです(ただしそのようなイベント時期以外は閉鎖されているようで、この時も車が駐まっていなかったので引き返しました)が立地しています。

それにしても田代島及び網地島に共通しているのが「学校の立地」です。「旧小中学校は2つの集落の『中間点』に立地」しているのです。その中間点に集落など無いにもかかわらず(昔は多少家があったかも知れませんが)。

どちらかの集落だけに学校を作れば、立地から外れた側の集落からは当然不満の声が上がりますし、かといって両方の集落にそれぞれ小中学校を作るのは効率が悪すぎる。そんなわけでの折衷案として「中間点に設置」となったのでしょう。しかし子どもたちは毎日浜の集落から標高差90mの坂を上っての通学だったのでしょう。自然に足腰が鍛えられそうです。なおそれより古い時代には網地と長渡それぞれの集落にお寺を利用した小学校があったそうですが。

もっとも現在は島に子どもたちの姿は見られません。いや居るのかも知れませんが、その場合は「スクールボート」で鮎川に通学ということになっているようです。

‥‥‥ん?ということは?


(このページ上方で「船長さんが田代島在住?」とかトンチンカンなことを書いてしまいました)。

さてしかし、ここで新たな疑問が。市町村合併に伴い現在は田代・網地島、そして鮎川も「石巻市」に属しているので問題はないのですが、合併以前は「田代島は旧石巻市に属していた」わけで(網地島は鮎川同様旧牡鹿町)、田代島の小中学校が廃校になったあと、子どもたちは旧石巻市まで通っていたのでしょうか?それとも「石巻市の住民ながら特例で牡鹿町の学校に」?

どうもそうではなかったようです。国交省のこのページ(PDFファイル)にこんな記載があります。

「網地島では本土への通学は,スクールボートの運航により可能となっているが,天候に左右される等,本土に比べて保護者の負担が大きい。田代島では距離や欠航率の高さ等の要因により,本土への通学も困難となっている。」(P27)

「困難」。だったらどう対策していたというのでしょう?やはり田代島の子どもたちは本土側の親族宅とかに住まわせるしかなかったのかなぁ。そもそも廃校になるほどしか子どもが残っていなかったとすれば、わずか数名のため早朝にスクールボートを2本出す(田代島から石巻&網地島から鮎川)ことは収支的にもペイしなかったでしょうし、また運航船舶の確保も困難だったでしょうから‥。

いずれにせよ現状において高齢化率、そして一人暮らし率が極端に高い両島となっており、それこそ10年後にはどんなことになっていくのかもわかりません。「猫」にターゲットをあてた田代島にはまだ何とか考えられる方策があるのかも知れませんが、いかんせん人口が60人余では出来ることも限られます。網地島は人口こそ300人余ですが、売りは「夏の海水浴」しかないわけで‥いずれにせよ先行きはなかなか厳しそうです。

さてここで、これまでの文脈とは全然関係ありませんが(苦笑)、島の中央部のなだらかな地形を確認していただきましょう。







(ハイここで質問です。「長渡」、どう読むんでしたっけ(笑))。

この頃になると雲も取れてほぼ快晴に(ヨッショのあたりではまだ雲が多かった)。ここでちょっと休憩というか、実はヨッショから戻る途中でやや「大」をもよおしていたので、「人としての尊厳」を何とか守れたというところです(笑)。離島ならどこでもだと思いますが、トイレの場所確認は貴重です。ちなみにちゃんと紙もセットされており安心安全に「運行」しました。



この日中は風もなく実に穏やかな長渡港でありました。左上画像の小舟はこのあと出航。



フェリーの待合所内にはもっと詳しい手書きのマップもありました。PDF化してほしい。

さてお昼ごはんはお弁当のおにぎりを持参していますが(汐亭で作ってもらいました)、まだお腹が空いていないというわけで涛波岐埼灯台から戻ってきたあとにここで食べることにして、まずは灯台へ行ってみましょう。

と、集落内で道を間違えてお寺への行き止まり道を進んでしまったわけですが、ここの坂道が手強かった!パワーモードでも真剣に漕がなければ前に進まない!また戻る下り道もその急坂ゆえにちょっとキンチョーしました。ま、グーグルマップを使えば道を間違えることもなかったんですけれどね(やっぱりアナログ人間)。



このあとやってきたのはベーリング一行上陸地。「ベーリング海」という海名で知られている探検家のヴィトゥス・ベーリングは、1739年にここ網地島の根組浜(集落は一続きですが峠を挟んで反対側の集落と浜)にやってきて、島の人と少々交流があったようです。ただし、どうやらベーリング氏自身はここには来なかったようで「ベーリング配下の一行」が来訪しただけのようです。それでも鎖国ど真ん中のこの時代にこの島の住民が帝政ロシア国民と直接交流を持ったというのはすごい話でもあります。

しかしその根組浜の埠頭も今は静かなもので、カモメが防波堤で多く羽根を休めているばかりでしたねえ。



落ち着いていないのはわれわればかりというわけで(苦笑)。



このあとは涛波岐埼へと向かいます。読み方は「ドウメキ」だったり「ドワメキ」「ドミキ」だったりといろいろあるようですがまぁどれでもいいでしょう(北海道の岩見沢滞在中に地元のおばあちゃんが地元名を「ヤミジャワ」と発音していたことを思い出します)。



さて目指せ涛波岐埼!(右上画像は帰路のものですが)。自転車も「車両」なのですがね。







せっかくなので360度カメラでもパチリ。切り取っているので180度くらいですが。



島の最南端ということもあり南側の展望は実によく、また東側には、ヨッショからだと牡鹿半島が邪魔になってよく見えなかった金華山も、独立した島として見えています。

さてわれわれがここにやって来た時、ここには年配の女性が佇んでおられました。慰霊碑に手を合わせに来た地元在住の方ということで、聞けば、この島の沖合は海流が早い海の難所とのことで、これまで何度も海難事故が起きてきたということです。この岬の下は釣り人がよく下りていくようで、しっかり踏み分け道まで出来ているようでしたが、「迂闊に下りてはだめよ、波にさらわれたら一巻の終わりだからね」と釘を刺されました(そもそも下りるつもりは毛頭無かったのですが)。

この女性ともう少し話していたら、ちょっとびっくりする話が出てきました。それは‥



ここでおしんこどん、すかさず次の質問!「なるほど。ではあなたが子どもの頃はその壕に入ったりもしましたか?」「したよもちろん。」(この通りの会話ではありませんでしたがニュアンスとしてはこんな感じです)。

そうかぁ、ここに壕があったのか‥。網地島南端のこの場所は仙台湾防備の最前線でもあったわけで、集落からは離れていることもあり、住民避難ではなく軍や灯台の従事者用に掘られたものかもしれません。埋められてしまったのは今となっては残念ですが仕方ないか‥。

この女性が「あっちにも展望台があるよ」と教えて下さったので(女性はそう言い残して集落へ帰宅)、行ってみることに。しかし道は二本あり‥



自分は最初、踏み分け道のこっちに行っちゃいました(観音像はどこに?)。

もう一つはわかりやすい道で、その先には芸術なのか何なのかの施設が(ゲージュツはよくわかりません)。





正面奥が金華山です。実はまだ行ったことがないのですが(おしんこどんはある)。




確かに展望はこちらの方がいいですね。ちなみにわれわれが立っている下には地下室があるようです(無断立ち入り禁止で施錠もされていますが別に入りたくもありません)。

なお、岬の園地内には右上画像のような東屋も設置されています。ここでお弁当を食べるのもいいかもしれませんが、われわれは長渡港に戻って食べることに。あちらはのんびりした雰囲気だったのでねぇ。



ちなみに復路スタート時点でのバッテリー残量はまだまだ余裕綽々。

ええっと、中途半端なタイミングですが、ページが長くなったので以下は次ページにということで。

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