[もくじページに戻る] 【その4 網地島の春作業を見学しつつチャリで島めぐり】 うふふ、新鮮そのものを茹でてます。網地の春の風物詩とか。 |
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【2021年3月22日~27日 その4】 |
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というわけで高台にある、港から一番近いお宿である「汐亭(うしおてい)」さんに到着です。この数日前に最大震度6を観測する地震がありましたし、おまけにコロナ禍に千葉県からのお客ですし、さらには到着予定を誤解させてしまったという三重苦の中、「招かれざる客」と思われていなければいいなぁと一部内心では思っていたわけですが、女将さんが明るい声で出迎えて下さったのでまずは一安心♪ |
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しかし食堂にもTVがあったので、結局はそちらで観戦することに。 |
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これだと女将さんもスムーズに料理を出せますし、われわれもすぐに食べ始められるしというWinWinというわけです。そういえば夕日は水平線沿いに広がる雲のため特に赤く染まったわけでもなかったようです。まぁそれはしょうがないことで、さーていよいよ夕食です。 |
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(予想通りではありますが)。 |
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一般的なお刺身定番のマグロ切り身などは姿もなく、その代わりに鎮座ましましているのは「アワビ」ではあーりませんか!(まさに「役者」が違います)。もちろん地元産でコリコリのコリっ!またサイドに添えられているのは‥「むむぅ、地元水揚げ間違いなしの生クジラ肉」!すぐ向かいの牡鹿半島鮎川地区は昔からの捕鯨基地ですし、そこから30分もかからずフェリーで運んでこられるここ網地島で食べる生クジラ肉。もちろん絶品でありました!自分もおしんこどんも、食事の最後の最後までクジラ切り身を遺しておりました。お酒の最後のアテとして。 |
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そのほかいろいろな話を楽しく伺いました。ひじき収穫も実は結構命がけの時があり、押し寄せた大波に「岩にしっかりつかまって何とかやり過ごすこともありますよ」とか、「東日本大震災の時は実は石巻で入院していたんです。手術が終わったあとの待機でしたからよかったですが云々」などなど。 |
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さて翌朝です。朝ごはん前にちょっとお散歩‥お、田代島仁斗田港始発の鮎川下り便が入港してきました(仁斗田6:40発、網地6:50着)。しかし、なぜ石巻や鮎川ではなく仁斗田港が始発&終着なのだろう?いろいろあるのでしょうが、津波対策ということもあるのでしょうが、もしかして「船長さんがそもそも田代島の住民」なのかな?(思いきり間違っていました@後述)。 |
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浜を眺めながらの朝食です。白い屋根は夏の海水浴場用の施設のようで、整備は終わっているようですが昨年(2020)はコロナ禍ゆえ公式には開設されなかったようです。2021‥4月現在宮城県仙台市には蔓延防止重点措置が適用されており、こりゃ2021夏もだめかなぁ。 |
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さて女将さんに遅れてわれわれもお宿を出発です。なお網地港エリアにおいて、飲料の自販機はここ汐亭のすぐ下にしかありません。女将さんによる補充の度合いによって売り切れが出るのかも知れません。たぶん本来は夏のハイシーズン向けなのでしょうし。 |
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これは茹でたあとのひじき、このあと天日干しするそうです。 こちらではただ今ひじき茹で上げ中!釜は3つあるようでした。 天日干しゴザにはすでに猫が。そこは‥気持ちいいよね(笑)。 |
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さてこのあとはレンタサイクルの借り出しへと向かいます。旅程立案時、田代島は歩いて移動で大丈夫だと思っていたのですが、悩んだのがこちらの網地島でした。 |
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というわけで借り出しました。こちらのお宿でも茹で終えたひじきが干されています。そういえばひじき干しの「天敵」は風なのでそうで、乾くにつれて軽くなっていくひじきは強めの風に吹かれると舞い散ってしまうのだそうな。さもありなん。 |
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最高地点近くまで上がってきたところで、左側に何やらの分岐が。すぐ奥には上画像のような看板が設置されておりました。なおこの看板を設置した「あじ朗志組」ですが、気になって調べたところ、過疎化と高年齢化が顕著な網地(あじ)島を少しでも活気づけるために島の住民が2004年に立ち上げた有志組織のようです。ただ、2016以降の活動が見られないのが気がかりですが‥。 |
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(「眺めいいですョ」という言葉は魅力的です)。 |
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分岐から先は未舗装ですが、最初のうちは軽トラか何かの轍の跡が付いています。自転車でも行かれそうでしたが、その先がどうなっているのか不明でしたので分岐にデポしていくことに。結論からいえば途中までなら自転車のほうが早いし楽ですが(道は基本的にずっと下り)、先に進むに従って道は細くなり、岩や段差が多くなるので自転車ではやや不適かもしれません(慣れていない人は特に)。「ここから先は帰り(上り)だとちょっといやだな」と思ったらそこに自転車をデポしてあとは歩くというのが一番賢いかなと。 |
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右上画像になると轍が消えて歩道化しているのがわかるかと。この先傾斜が増します。 途中には祠も。ええっと、この赤い実は?(あちこちにあり)。 |
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「700mってこんなに遠かったっけ?」とも思いつつ歩き下っていくと、進行方向側が明るくなり、よっしゃぁ「ヨッショ」に到着です! |
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白く塗られた長テーブルが1つ、そこに丸太の椅子が2つ、以上!これは実にシブイ!長テーブルですがそれほど高くもないためベンチとして利用することも可能です。またここにお弁当を持ち込んでランチにするのもありかと思います。まだこの時は全然お腹が減っていませんでしたが。 |
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正面に見えているのは牡鹿半島の鮎川です。網地島ラインのフェリーはこの鮎川と網地島、田代島、そして石巻を繋いでいます。昨年の同じ時期に鮎川を訪問した際には(この時です)、まさか翌年に向かいの島から鮎川を望むことになるとは思いもしませんでしたが(笑)。 |
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(このページ上方で「船長さんが田代島在住?」とかトンチンカンなことを書いてしまいました)。 |
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さてしかし、ここで新たな疑問が。市町村合併に伴い現在は田代・網地島、そして鮎川も「石巻市」に属しているので問題はないのですが、合併以前は「田代島は旧石巻市に属していた」わけで(網地島は鮎川同様旧牡鹿町)、田代島の小中学校が廃校になったあと、子どもたちは旧石巻市まで通っていたのでしょうか?それとも「石巻市の住民ながら特例で牡鹿町の学校に」? |
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「網地島では本土への通学は,スクールボートの運航により可能となっているが,天候に左右される等,本土に比べて保護者の負担が大きい。田代島では距離や欠航率の高さ等の要因により,本土への通学も困難となっている。」(P27) |
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「困難」。だったらどう対策していたというのでしょう?やはり田代島の子どもたちは本土側の親族宅とかに住まわせるしかなかったのかなぁ。そもそも廃校になるほどしか子どもが残っていなかったとすれば、わずか数名のため早朝にスクールボートを2本出す(田代島から石巻&網地島から鮎川)ことは収支的にもペイしなかったでしょうし、また運航船舶の確保も困難だったでしょうから‥。 |
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(ハイここで質問です。「長渡」、どう読むんでしたっけ(笑))。 |
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この頃になると雲も取れてほぼ快晴に(ヨッショのあたりではまだ雲が多かった)。ここでちょっと休憩というか、実はヨッショから戻る途中でやや「大」をもよおしていたので、「人としての尊厳」を何とか守れたというところです(笑)。離島ならどこでもだと思いますが、トイレの場所確認は貴重です。ちなみにちゃんと紙もセットされており安心安全に「運行」しました。 |
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この日中は風もなく実に穏やかな長渡港でありました。左上画像の小舟はこのあと出航。 フェリーの待合所内にはもっと詳しい手書きのマップもありました。PDF化してほしい。 |
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さてお昼ごはんはお弁当のおにぎりを持参していますが(汐亭で作ってもらいました)、まだお腹が空いていないというわけで涛波岐埼灯台から戻ってきたあとにここで食べることにして、まずは灯台へ行ってみましょう。 |
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このあとやってきたのはベーリング一行上陸地。「ベーリング海」という海名で知られている探検家のヴィトゥス・ベーリングは、1739年にここ網地島の根組浜(集落は一続きですが峠を挟んで反対側の集落と浜)にやってきて、島の人と少々交流があったようです。ただし、どうやらベーリング氏自身はここには来なかったようで「ベーリング配下の一行」が来訪しただけのようです。それでも鎖国ど真ん中のこの時代にこの島の住民が帝政ロシア国民と直接交流を持ったというのはすごい話でもあります。 |
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落ち着いていないのはわれわればかりというわけで(苦笑)。 |
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このあとは涛波岐埼へと向かいます。読み方は「ドウメキ」だったり「ドワメキ」「ドミキ」だったりといろいろあるようですがまぁどれでもいいでしょう(北海道の岩見沢滞在中に地元のおばあちゃんが地元名を「ヤミジャワ」と発音していたことを思い出します)。 |
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さて目指せ涛波岐埼!(右上画像は帰路のものですが)。自転車も「車両」なのですがね。 せっかくなので360度カメラでもパチリ。切り取っているので180度くらいですが。 |
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島の最南端ということもあり南側の展望は実によく、また東側には、ヨッショからだと牡鹿半島が邪魔になってよく見えなかった金華山も、独立した島として見えています。 |
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ここでおしんこどん、すかさず次の質問!「なるほど。ではあなたが子どもの頃はその壕に入ったりもしましたか?」「したよもちろん。」(この通りの会話ではありませんでしたがニュアンスとしてはこんな感じです)。 |
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自分は最初、踏み分け道のこっちに行っちゃいました(観音像はどこに?)。 |
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もう一つはわかりやすい道で、その先には芸術なのか何なのかの施設が(ゲージュツはよくわかりません)。 |
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正面奥が金華山です。実はまだ行ったことがないのですが(おしんこどんはある)。 |
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確かに展望はこちらの方がいいですね。ちなみにわれわれが立っている下には地下室があるようです(無断立ち入り禁止で施錠もされていますが別に入りたくもありません)。 |
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ちなみに復路スタート時点でのバッテリー残量はまだまだ余裕綽々。 |
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ええっと、中途半端なタイミングですが、ページが長くなったので以下は次ページにということで。 |
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