その6 山梨の湯*2のあと渋滞なしの中央道で帰宅。



高曇りになっちゃいましたが、それでも富士山は尊い。

(2022年3月21日-23日 その6)

さて下諏訪から千葉に帰る日ですが、急ぐ必要もないですし甲府までは下道(R20)を利用します。というか、R20の長野/山梨県境の雰囲気って結構好きなんです(めったに通りませんが)。



せっかくなので諏訪湖畔道路へ。2021/22冬シーズンは久々に全面結氷して「あとちょっとで御神渡りが」というところまでいったようですが残念でした(ちなみに全面結氷もしない年は「明けの海」と表現されるそうです)。もちろん3月下旬のこの時には氷もすっかり溶けているわけですが。

そういえば今から40年くらい前、自分が中高生の時に夜行列車で八ヶ岳に来ていた頃は、冬枯れた田畑の真ん中に「凍り豆腐、凍り餅」などが干されていたのをよく見た記憶があります。3月末の赤岳鉱泉でも夜は普通に-20度とかになっていましたからねぇ(何と昼の日焼けのなせる技か、Tシャツ1枚で小屋に水汲みに行き、入口脇の温度計を確認してびっくらした記憶があります)。今はどうなんだろうか?



中央線を踏切で渡ります。ところで新宿-松本を結ぶ特急が頻繁に走る中央東線ですが(もうそんな在来線も少なくなりました。昔は急行アルプスだって(古))、実はこの諏訪区間の一部はいまだに単線なんです。中央西線には単線区間も多く残されていますが、それこそ茅野-韮崎区間のようなやや利用者が少ない区間も全て複線化が完了しているのに、茅野(の先の信号場)-岡谷区間という人口の多い区間がいまだに単線だというのはちょっとびっくりです。

古くからの宿場&家屋密集地帯ということで「複線化用地買収のタイミングを逸した」ということなんでしょうけれどね(うーむ)。とはいえ首都圏下のような過密ダイヤを組むほどではないということでそのままになっているのでしょうが(なお左上画像は上諏訪駅の近くだったのか複線になっているように見えます)。

やがて橋を渡る‥ん?橋の渡り口に鳥居が?実はこの道は諏訪大社 上社に続く参道となっているようなのです。しかし橋自体は古く「大型車のすれ違いは困難」と書かれていましたが。それにしても下社の春宮もそうでしたが、時間があるのに何で上社に参拝しなかったのかなぁ。やっぱりもうちょっと事前の下調べをしておくべきかも。



さて八ヶ岳の横岳や阿弥陀岳を眺めつつ、JRや中央道の中でももっとも高所に位置する富士見町の富士見峠を通過します(実にわかりやすい地名です。市町村合併などで改名しないでほしい)。ここから小渕沢方面に下り始めますがしばらくはまだ長野県、でもその昔どうやって県境を決めたんだろう?‥と思って念のため確認してみたら、小淵沢駅はすでに山梨県北杜市の駅だったことが判明(知らなかった)。富士見駅の1つ東側にはその名も「信濃境駅」があったのでありました(苦笑)。

このあとは道の駅白州(はくしゅう)へ。「白州」といえば、左党の方々(古いな)はサントリーの同名ウィスキーのことをすぐ思い浮かべることでしょう。かのウィスキーがなぜここの水を使うかといえば、甲斐駒ヶ岳山麓の花崗岩を通り抜けた地下水の妙味ゆえということだそうです(八ヶ岳は火山岩質なので味わい的に却下らしい)。

日本酒にしろウィスキーにしろやっぱりその基本に「水」があることは同じです。白州の蒸留所で造られるウィスキーは軟水由来の柔らかで滑らかな味わいが特徴なのだとか。

あ‥。ええっとTakemaは現在57歳、一応40年近く酒を飲み続けてきた人間です(一説には40数年だともいいます(モゴモゴ))。それなのに、「白州」ウィスキーについて「‥が特徴なのだとか」という伝聞表現とは?入手困難だから?いやいや?



ウィスキーやスコッチやウォッカ、ジンやブランデーやラムなどは自分から購入したりオーダーすることはありません。近年は「ハイボール」もそこそこ人気ですがいまだに飲んだことはないなぁ。

いや大学生の頃は飲んでましたよ。少量で酔えましたからね(笑)。でも、学生ゆえお金がな買った時代に買えるウィスキーといえば安い銘柄に限定され、そしてそれを痛飲したらもう翌日一杯は二日酔いでボロボロだったわけです。そのようなことが積み重なり、「もう安かろう悪かろう的なお酒は飲まない!」‥とくればよかったのですが、なぜか



まぁ日本酒でも同じことは言えましたが、その後「美味しい日本酒」を知ってしまい(30代手前で「東西の地酒を楽しむ会」とやらに参加していました。現在は存在しません)、旨い日本酒はOK。そして屋久島で芋焼酎のお湯割を飲んだことに端を発して、現在は普段は芋焼酎、旅行先の食事では日本酒という感じの飲ん方となっている自分なのです(長々と失礼)。

話を「道の駅はくしゅう」に戻しましょう。いわゆる「銘水の里」ですから、敷地内には無料&24時間流しっぱなしの水汲み場があります。その昔一度飲んだことがありますが、今回も汲むことに。



ちなみに提供に際しては微量の塩素を加えているということですがまったくわかりませんでした。ここでも2L×6本汲みまして、旦過源泉と合わせて24L、さすがにこれで積んでいたペットボトルも満杯です。

さてこのあとは甲府盆地へとずんずん下っていく‥おっと、この界隈には七賢酒造もあったっけ(ずぅっと以前に見学しました)。ただ今回立ち寄ってみたのは酒蔵ではなく、





「信玄餅」といえば甲州土産としてとみに有名ですが、実は2社が「信玄餅」(金精軒)、「桔梗信玄餅」(桔梗屋)としてそれぞれ販売しており、通常品の形状及びラッピングは酷似しています。それでも両社が妙に争うことなく併存しているのはいいですね。

というのも、実はこの信玄餅、実はルーツは室町時代に遡りなどということは全然なく、桔梗屋は1968年、金精軒は1972年にそれぞれ売り出した「新参銘菓」だったようなのです(まぁそれでももう50年ですが)。

現在、それぞれの会社では派生商品をいろいろ生み出しており、今回訪問した金精軒ではこの「生信玄餅」(賞味期限は短いが昔ながらの風味)や販売時期&賞味期限超限定(出来上がり後30分)の「水信玄餅」などがラインナップされており、ちょっと金精軒のほうが攻めているかな(笑)。というわけで生信玄餅を購入。賞味期限を見ると2日先までのパックもありましたが、自分たちはこの日(3/23)に帰るので、翌24日までのパックを購入しましたよ。

このあたりのR20は車の通行量も少なく快適に走れるのですが、そういえば山梨県警が三角コーンを立てて何やら頑張っていたなぁ(もちろんTakema車はゆっくり目に走っていたのでスルーでした)。




(青空じゃないのは残念ですが)。



続いてやってきたのは韮崎旭温泉。2回目の訪問だと思います。1回目は2006年のこの時でした。ただ泡付きはだいぶ少なくなっているということでしたが‥



うーん確かに。残念ながら泡付きは20世紀の往時と比べるまでもなくという感じで少なかったです。というのもこの韮崎旭温泉、初めて入浴した時は湯口じゃなくても「ナニコレこの泡付きは!」とびっくりした記憶があったからなのです。

1990年代半ば、まだ自分は温泉へのこだわりはなくて「とりあえず帰る前にひとっ風呂」くらいのつもりだったのでびっくりしました。しかしそういうことから徐々に「湯めぐりに目覚めた」わけだったというわけです。

もともとオーナーさんの職場で勤めていた管理人さんはこちらの湯をとことん誉めておられましたし、もちろん今も確かにいいお湯であるのは確かなのですが、20年以上前からすると「湯力」はだいぶ弱くなっちゃったかなぁと感じた次第です。仕方のないことなんですけれどね、温泉は生きものですから。

さて、気がつけばもう13:00をとうに回っているのにまだお昼ごはんを食べていません。しかしこのあたりは韮崎市でもかなりの郊外にあたり、よって食事処が全然ないんです。というわけでネットで検索し、14:00のタイムリミット(ランチ営業終了タイム)前にお店にすべり込みました。



こちらがそのお店、「和ダイニング はつの」さん。お店はいわゆる「居酒屋やスナックが1つの建物に並んでいる長屋」形式の建物の端っこにあり(地方に行くとよくありますよね)、こちらのお店もたぶん「スナックの居抜き物件」に入居したという感じです。

入店するとカウンター席のみに見えた店内はほぼ満席の盛況で、「あちゃー駄目かな」と思いましたが、「何名ですか?」「2名です」のやりとりのあと、「ではこちらへどうぞ」と、左奥を指示されます。すると、その奥には広いお座敷席が!こちらには先客はおらず静かです(実はカウンター席で女性の2人組が食事中ノーマスクの状態でぺちゃくちゃ喋っていたので「何だかな‥」と思ったわけなのでその意味でも安心)。

自分は生姜焼き定食を注文。豚ロースは肉厚だし、タレは自分好みの味付けでよしよし。いっぽうこの時なぜだか具合が悪くなっていたおしんこどんは鶏南蛮うどんを注文(右上画像マウスオーバーでピンボケ画像に変わります)。いわく「つゆの味付けが濃くてねぇ」。そう、甲州地方は比較的濃い目の味付けなんですよね。ほうとうの味噌ももう少し手加減してくれればいいんですが。

さてこの日はバリバリ平日ど真ん中の水曜日なので、夕方の中央道上り線の悪夢には怯えなくてもよさそうです。となればせめて帰宅前にもう一湯‥でも下調べはしていない(いつものこと)。よって、





ただしおしんこどんは体調が戻らず車で待機とのこと(ちなみに帰ったあと&翌日に葛根湯を飲んだら楽になり、翌々日にはほぼ普通に戻ったとのことでした。ぬる湯の韮崎旭温泉でずいぶん待たせてしまったので湯冷めしてしまったのかも)。

でもご覧のとおり男湯は終始貸し切り!浴槽外の全面をとうとうと流れまくる、「たっぷりすぎる」湯量にあらためてびっくりです。



画像ではちょっとわかりにくいですが、浴室全面に湯が流れまくってます。



全量加水もなしのかけ流し源泉は実に素晴らしい!金気を感じるツルすべ感のあるお湯はもちろんですが、ここはあえて小浴槽のジェットバスを「お勧め」に加えましょう。噴き出すお湯によりとてつもない気泡が放出され、結果として「(疑似)炭酸泉」の様相を呈しています。

入浴後少しして二の腕に手を強めに当てると、逃げ場を失ったアワアワがパチパチという感じとともに逃げていくのがわかります。先ほどの韮崎旭温泉は天然の炭酸泉でしたがさすがにここまでの泡付きはなく、これはこれでいいよなぁと。



湯を上がりふと見ると、階段を利用したおひな様が並べられていました(もう春分の日も過ぎていたのですが)。おそらくは婚期云々を考慮すべきご家族はいないということでしょう(笑)。と、そういえばこの2Fは管理人さんのご自宅なのかな?でもその割には階段が広くて個人宅っぽくないし、もしかしてずっと以前は宿泊も受け付けていたとか?



2Fベランダには洗濯用の物干し竿も見られません(生活臭が感じられません)からねぇ、どうなんだろう?

温泉施設の正面にはやっぱり富士山がどどんと見えていました。近くに建造物がないのでいい感じで見えますね(高曇りとか前山や電線が邪魔とかとかは言いっこなし)。

このあとは中央道甲府昭和ICを目指して進み、R20との交差点へ。で、交差点名を目にしてちょっとびっくり。



あとで調べたところ、このR20国母交差点からかの国母温泉までは直線距離でだいたい800mであることがわかりました。「ほぼ始点にまで戻ってきていた」わけですね(苦笑)。

このあとは中央道に乗り東京、そしてど真ん中を抜けて千葉の市川まで帰ったわけですが‥



ま、そのあとの首都高新宿線は混んでいましたけれどそれはもうしょうがないとして(でも永福料金所の先から初台界隈あたりまでだったので渋滞距離としては短い)、その先首都環状線の南回りから湾岸線に抜けることにより(三宅坂JCT-霞ヶ関-浜崎橋JCT-レインボーブリッジ-有明JCT-千鳥町IC)、その区間は一切渋滞なしで市川まで帰ってこられました。休日でも普段からこんなにスムーズに帰ってこられるようなら中央道方面にももっと足繁く通うんだけれどなぁ‥実際には非現実的なので。

そんなわけで2泊3日のミニ旅行記、これにて終了です。


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