でも大都市やお祭りなどの人ごみにはほぼ近寄らずでした。

その25 最後に熊野詣で、そしていよいよ帰宅の途へ



熊野本宮はいつも通過していたのでお詣りをと考えたのですが?


果無集落をあとにしてからはしばし新宮方面を目指します。当然奈良とは逆方向なのですが、「このあたりまで来たなら、いつも目の前を通過していた熊野本宮にそろそろお詣りしておかねばイカンと思う」という思いからの篤い思いがあったからなのです。

しかし、熊野本宮に向かいながらそのことをおしんこどん母に申し上げると、開口一番に、



とおっしゃるではありませんか!え?え?熊野那智大社にはお詣りした記憶があります(正しくは別宮飛龍神社)。那智の滝を奉拝した記憶も、下りてきたところでソフトを食べた記憶もありますし。でも熊野本宮のほうはまったく記憶にない‥。

そこで「いやぁ、それはお母さんの記憶違いじゃないですか?」と申し上げました。現に、このページをアップする前の段階で拙サイト内をいくら検索しても「熊野本宮(熊野大権現)」という単語は引っかかってこなかったのです。拙サイトは自分にとって「1999年以降のマイお出かけデータベース」でもありますから、サイトに載っていないということは?と考えたわけです。

というわけでまずは駐車場へ。お盆明けすぐということで駐車場は混んではいましたが待ち時間なく止められました。というわけで、おしんこどん母には休憩所で待っていてもらい(階段がきついので)、おしんこどん姉と3人でお詣りに向かいました。で、参道入口の大鳥居(上画像)まで来たところで‥



と記憶を甦らせたTakemaでありました。おしんこどんはこと「訪問記憶」については非常に危うい部分ありなので(3回目の訪問とかでも「ここ、初めてだよね」とかいうことも時々あり)記憶がないのは仕方がないとして、自分は細かなデータはともかくとして、訪問時の目に写った景色とか印象とか出来事の記憶というのはかなり詳細に残るほうです。

このページをタイプしているのは旅行後5ヶ月後の2023/1中旬ですが、データ以外は当時のメモなしにとりあえず脳内記憶で旅行記をタイプできるくらいには覚えています。あ、ただし自分は「人の顔と名前」を一致させる記憶中枢機能は全然駄目ダメなのですが(おしんこどんはよく覚えられる)。

いずれにせよすでに訪問していたことが判明したわけです。おしんこどん母は御年80歳代後半なのですが、今なおとてつもない記憶力を有していることが証明された次第です(びっくり)。

でも、なぜ拙サイト内に訪問の記録がないのか?基本的にお出かけの記録は1999年/3の開設以来ほぼ全て網羅的にアップしてきたはずなのに?それは別のキーワード「那智大社」を入れて検索したことで判明しました。

明確に記憶している那智大社(別宮)訪問ですが、サイト内検索をかけてもこれまたヒットしないのです。と、ここでようやく思い出しました。



というわけで一件落着。ま、もちろんここまで来たのだから拝観料をお支払いして参拝しますよ。



時節柄狛犬さんもマスクをしていますが、そのマスクには八咫烏のワンポイントが!うん、何だかウイルス撃退にものすごく効果がありそう。このマスクには八百万の神々がついていて下さるのですから!確認はしませんでしたが、この「八咫烏不織布マスク(人間用)」を販売していたら絶対に買ったな(笑)。

なおおしんこどんがマスクをしていないのは、彼女が「おしんこどんパワー」を有している故ではなく、単純に撮影時ゆえ外しているだけです(笑)。







さていよいよ本宮の御社殿入口の神門なのですが、ここにも八咫烏の幟が掲げられていました。そしてここから奥の本殿は基本的に撮影禁止なので画像はありません。神様のおわしますお社を撮影するのは畏れ多いということなんでしょうが、コロナ前のインバウンド全盛時にはどんなことになっていたんでしょう(外人さんは)?いちおう撮影不可の絵柄マークはありましたが。



お詣りを済ませて帰りましょう。右上、この前日が慰霊祭だったようです。

このあとはもう帰るだけなのですが、来た道をそのまま戻るというのも面白くないのでぐるりと回り道をすることに。いや、ただ回り道をしただけなのでガソリンの無駄使いをしたに過ぎないのですが。



椿山ダムの脇を通って、有田ICから高速へ。



和歌山JCTから京奈和道に進み内陸へと向かいますが、この日も暑かったなぁ、とはいえ車外計で36度ということは「殺人的」というほどでもないですね。この感覚に慣れつつあるというのも困った話ですが。

さて実家までだいぶ近くなってきたところで「ひまわり畑こちら」という看板を目にしたので、話の種に立ち寄ってみることにしましたよ。





もっとも、到着時最初に目にした花々はこんな感じで(上画像マウスオーバーで画像が変わります)、すべての花がそっぽを向いていたので思わず大笑いしてしまったわけですが。

というわけで実家に戻り、その翌日はいよいよ千葉の自宅に戻ります。







しかし東京方面はしっかり事故渋滞で所要3時間以上ということのようです。駿河湾沼津SAで早めの夕ごはんとしましたが、結局御殿場あたりからはずーっと渋滞でしたね。ま、仕方ない。

というわけで7/27に出発し8/16に帰宅するまで、気がつけばトータル21日間(ジャスト3週間)、フェリー利用3回(大洗-苫小牧、苫小牧-八戸、仙台-名古屋)、そして‥



いやぁ、大お出かけでちょっと遊びすぎましたかね(苦笑)。そんなわけでこのあと2ヶ月半以上はお出かけなしで仕事に邁進しまくった次第です(ホントかいな)。以上、2022夏の旅行記これにて終了です。

[国内編トップへ] [みちのく行脚編へ] 2022東北奈良編へ