その7 長崎鼻のあと開聞温泉、そのあと「ガリっ!」。



少しずつ雲が薄くなり、徐々に晴れてきました開聞岳周辺。

(2023年2月8-12日 その7) このページはテキスト量が多いですがご勘弁ください。

さて続いて目指したのは長崎鼻、周辺きっての「観光地」です。というかこのあたり、いわゆる名勝というか観光地って少ないですよね?

いや、リゾート系の施設を作れと願うわけでは決してないのですが、何だか観光振興に使えそうな素材をあまり活かしてはいないような気がします(それがよいとも思うのですが)。開聞岳ひとつとっても、この名勝たる山そのものを観光資源としたちょっとしたベース地はないような気がしますし。

いやしつこいようですが大規模施設は不要です。ほんの少し展望台と駐車場を整備するだけで観光客はやってきます。その点うまいなと思うのは北海道で、ちょっと綺麗な場所を少しだけ整備して観光ポイントとしてアピールしていますよね(豊頃町の「ハルニレの木」とか、斜里町あたりでは「神の子池」とか「さくらの滝」とか)。

もちろんそこには失敗も多くあって、美瑛町界隈の「○○の木」とかは観光客が牧草地や畑に勝手に進入することから立ち入り禁止になったり木を切らざるを得なくなったり、「青○池」がオーバーユース(訪問)でぐちゃぐちゃになったりなどの事例も見られました。でもそこの根本には「少しでも自分たちの地域を訪問してほしい(そして地域でお金を使ってほしい)」という思いがあったはずで、それらの1つ1つが観光地としての北海道のトータル的魅力を高めてきたというのは間違いないところだと思います。

その意味でいえば上画像の「長崎鼻」は数少ない名勝として早くから観光開発がなされてきた場所なのでしょう。ただ、長崎鼻だけではリピーターは付かないのです。もっと「小物、中物」をちょっと整備してアピールしないと。そのように感じた次第です。というわけで前置きが長すぎましたが長崎鼻訪問記スタート!



長崎鼻は「鼻」が示すように海に突き出た岬です。先へ行けば行くほどスペースは狭くなるのですが、駐車場も面白いことに「先へ進めば進むほど有料になる」感じでした。手前のほうは私営ながら無料なのです。ただしあくまで私有地駐車場なので「こちらに駐めた方はこの先の○○で買い物してね」という掲示がありました。でもその○○では「どのお客がうちの駐車場に車を駐めたのか」を確認する術がありません(繁忙期はわかりませんがこの時駐車場には係員さんはいませんでしたし)。

何だか大らかなシステムだなと思いつつもう少し進んでいったところで見つけた(別経営の)駐車場には左上画像のような掲示がありました。首都圏近郊だともっとシビアに「不払いの方からは金○○○○円を徴収いたします」というような喧嘩腰の警告文が書かれていたりするのですが「演歌二曲」ですかそうですか(大らかだなぁ)。

で、このあたりまで歩いていくと、右下側には「長崎鼻パーキングガーデン」という観光施設があるようでした。が、上の道路から見てもわかる通り、パーキング(駐車場)の駐車スペースを示す白線はほぼ見えなくなっているようでしたし、その手前に静態保存された市電車両は上から見ても手入れがされておらず放置状態でした(右上画像マウスオーバーで拡大画像に変わります)。

営業自体はしているようでしたが、失礼ながらこれじゃ駄目なんですよ。変な話ですが駐車場に目にも鮮やかな白い白線が記されているだけで、市電車両がピカピカに手入れされ、植え込み部分の雑草が刈られて綺麗に整備されているだけで「何だろうあそこ、行ってみようかな?」という気にさせられてしまうのが観光客の「性(さが)」だったりするのですから!(笑)。

さてそんな思いはともかく長崎鼻に行ってみましょう。お土産を売る現役数店舗の先には営業を休止したシャッター商店がいくつか続きますが、気を取り直してさらに進んでいくと‥





上画像では人が写っていませんが、実際のところはかなりの人がお詣りしていまして、この2枚の画像を撮るのにもかなりタイミングを選びました(左上画像でも、柱の陰に2-3人いたはずです)。ちなみにインバウンド客はほぼいなかったように思いました。こちらの神社は通常無人だと思いますが、そこそこの方々がおみくじを引いていたかなと。この人気ぶりも、「手が入れられているからこそ」であり、くすんでいたら印象もだいぶ異なります。

このあと先端部に向かって進んでいきます。



確かに景勝地です(曇ってますが)。でも見るだけのスポットです。



観光協会さんもちょっとした「インスタ映え」?を狙って設備投資はしているようですね。でもここでなぜ地味な「茶色のハート」なのでしょうか?もしかしてここも龍宮神社の境内なのかも知れませんが、だったら神社のイメージカラーでもある「赤」は使えなかったのかなと。あと撮影ポイントになること必定なので芝が剥げることを考えて舗装はともかく石くらいは敷けなかったのかなと。何だか微妙に残念な感じです。

そんなわけで灯台へ。この先にもまだ陸地は続いていますが自分はここでいいやという気分です。一方こういう場所に来ると「少しでも先へ」と考えるのがおしんこどんであります。




(初日から雨か曇天、ようやく晴れるのか?)

で、戻っていくうちにも空の雲は一気に取れ始めました(せめてあと30分早く晴れてくれればウレシカッタ)。で、われわれが駐めた駐車場持ち主の酒屋さんにてちょっと休憩としました。



どうやら「アイスキャンデイ」が売りのようだったのでそれぞれ購入。店先のベンチでいただくことに。えぇ、そこそこ美味しかったし気分転換にもなりました(右上画像マウスオーバー)。でも‥





店先のベンチでいただくアイスも悪くはないんですが(ベンチもあるし)、もう少し10分20分とコーヒーなどと合わせて寛げるとよりいいのかなぁと、そう思った次第です。ハイ。

このあと駐車場まで戻りました。上で書いたように「駐車無料、でもできればうちのお店で買い物してね」のスペースです。アイス以外にも黒糖を買ったりしたので駐車料金相応かなと。

さてこのあとはお風呂に入りましょう。20世紀末にこの界隈で宿泊したことがありますが、その時のお宿はもはや存在していないようです。まだ拙サイトを公開する前でしたし、その宿泊時でさえかなり草臥れた宿でしたからもう今は建物も残ってないかなと思われます。宿の名前も忘れてしまっています(そもそも当時は温泉に興味もなかったので)。

というわけで今回目指すのはその名も「開聞温泉」。有名な感じですがさにあらずでかなりローカルな感じで気になっていました。メインロード沿いにはバス亭に「開聞温泉」と書かれてはいますが目立つ掲示はなし、ナビが正しく誘導してくれたものの、これは「たまたまの気まぐれでふらりと立ち寄れる湯ではない」感じです。



この看板はメインロードから見えない場所にあります。さて到着です。



ドアを開けて中に入ると同時に先客なしであることがわかりよしよし。ちなみに番台にあたる構造物はありましたが係の方はおらず、基本的に無人なのでしょうか(この日は日曜日でしたからそこそこ混むはずなので)。というわけで入浴料をかごの中に入れてっと。

ところで、ちょっと趣の異なる手書きの掲示物がありました。ちょっとほのぼの&どきっとしたので、それぞれ文字に起こしておきます。

【その1 ほのぼの編】

淋しい心の痛みや体の痛み、見なれた人達と逢って話をし笑へば、少しでも
良くならないかなあと思って、休まずにお待ち申し上げていますよ。

【その2 どきっと編】

温泉Gメン保健所より

だにはどこにいるかわかりません。皆様を守る爲の制度です。
山やしばの上、畠で着たのは、上だけ車の中に必ずぬいで来てね。

ありがたいことです。


旧仮名遣いが混じっていること、そして若い世代にはもはや意味不明と思われる「Gメン」という用語などから、管理者の方がご高齢であることがわかります(日々の温泉管理、ありがとうございます!)。そんなわけでいよいよ開聞温泉です!





ちなみに源泉湯口からはわずかに湯が漏れ出ているだけで、奥の浴槽のバルブは完全に閉じられていました。いわゆる溜め湯状態です。かけ流しっていう情報だったけれど?

しかし「源泉のバルブは基本的にお客がいじるべきではない(加水栓はその限りに非ず)」という認識のTakemaですので、まずはこの手前側の浴槽の湯を汲んでかけ湯の儀から始めます。



入れないほどの湯温ではありませんが、それでも44度は確実に超えています。なるほど、これ以上熱い源泉を足すと熱くて入れなくなっちゃうから湯が止められているのですね。含塩化土類弱食塩泉ということですが、「弱」じゃなくてそこそこしょっぱいです。土類系の味覚も感知。

かけ湯+大事なところ洗いのあといざ入浴。ん?しばらく誰も入っていなかったのか浴槽底部は少し湯温が低いような?というわけで攪拌攪拌、少し湯温が下がったので快適入浴となりました。

さて続いては奥の湯です。まずは手湯検温の儀。うん、こっちのほうが熱いです。45度超えですね。しかもいざ湯に浸かってみると、こっちは底まで安定した熱めの湯です。

当然どちらも同じ温泉ですから、まずは先に手前の浴槽に湯を張り、時間差を置いてあとから奥の湯に湯を張ることによって「あつ湯」と「ぬる湯」とに仕立てているのではないかと思われました。







というわけで終始貸し切り状態で温泉を満喫しました。このあとは開聞岳へと向かったのですが、まさかあんな道になっていたとは‥

さていまだ未踏の開聞岳ですが、登る気などはさらさらありません(元山岳部員だとは思えぬ発言)。その代わりといっては何ですが、開聞岳の海沿いをぐるりとめぐる道路があるようなので、国道や県道でショートカットするよりも面白そうです。そっちを回ってみることに決めていました。

そんなわけで県道を離れて南へ向かう道路へ。うん、ちゃんと片側1車線のちゃんとした道路です。え?



この海沿いの道が有料道路だなんて情報は全くなかったので(というか、有料道路だったら検索によりもっと道路情報がヒットしたはず)、一旦道路脇に車を止めて地図を確認します。どうやらこの道を真っ直ぐ進むと「開聞山麓自然公園」および「いぶすきゴルフクラブ開聞コース」の2施設があるらしく、すぐ先の料金所はその入場料徴収所のようなのですね。

「そうか、手前のどこかに市道(「開聞岳一周線」)への分岐があったのかな」と思いましたが、そんな分岐などなかったはず。おかしいなと思いつつしばらく先の料金所方面をよく見てみると、その手前で左側に分岐している何ともか細い道があるのを発見しました。「うそ?これ?」。

しかしそれ以外の選択肢はないのでそちらへと進んでいきます。舗装はされているとはいえ完全1車線の道、舗装はさすがに軽トラ幅ではなく普通車が走れる幅ではありましたが、それでも本来の一車線の幅よりは狭いのです。



この画像はGoogleストリートビュー画像を切り取ったものです。

「えぇ、まさかずっとこんな道なの?」とびっくりしつつ車を走らせていたわけですが、ハイ、「ずっとこんな道」ではありませんでした。100mも行かないうちに眼前に姿を現したのは‥





とんでもない道に入り込んでしまったわけです。しかも途中からはトンネル自体がくねくねとカーブし始めるというおまけ付き!もうこの時点で考えていたことといえばただ1つ、「一刻も早くこのトンネルを抜けなければ!」これに尽きました。一番恐れていたこと、それはもちろん「対向車の出現」でしたから!

と、このあとの展開を記す前に、そもそもこのトンネルについて説明しておく必要があります。だってそもそも「天井に採光口があるトンネル」っておかしくないですか?(ならばトンネル自体不要なはず)。

これはあとで調べてわかったことですが、ここは本来トンネルを掘るような地形ではありませんでした。wikiの記載が何ともナニなので以下に引用します(赤字部分はTakemaが加工)。

【概要】

開聞岳の周囲を一周できる遊歩道の東側の入口部分にあるトンネルである。南北2つのトンネルから成っていて、北側の方が長い。南北2つのトンネルとも内部は曲がりくねっている。南北2つのトンネルの間には中庭と呼ばれる空の開けた鉄骨の骨組みだけのトンネルがある。トンネル内に人工照明は一切無く、明かりをとるための穴が天井部に一定間隔で開けられているだけで、非常に暗く、車、バイクのヘッドライトまたは個人で歩く場合、携帯電灯無しでの通行は困難を極める。

トンネル内部は車道としては非常に狭いため、
車の擦れ違いは不可能である。そのため、北側のトンネルには待避所が2ヶ所設置されているが、南側のトンネルには待避所は無い。車については普通自動車(中型)までが限界であり、待避所または中庭以外ではドアを開けることは不可能に近い。

【歴史】

元々このトンネルは、1966年に地元の観光開発業者が開聞山麓にゴルフ場と公園を建設する際、ゴルフ場や公園の利用者(特に外国人客)から、農作業等を行なう地元住民が見えないようにするための目隠しとして造られたものである。種村直樹は同地を訪れた紀行文の中で、「外国人の目には柴をかついだ農夫は風物詩のように映ったのではないかと思うのに、いかにも日本人らしい屈折した気くばりと批判している。

1966年という時代とはいえ(自分もまだ乳幼児)、レイルウェイライター種村直樹氏がいうように「屈折した気くばり」そのものだと思います。外国人というか当時の白人コンプレックスがこのような無駄な道路設備を産み出す原動力となって作用したというわけですね。

なお、こちらのページ(休暇村指宿スタッフブログ)ではそのあたりを随分マイルドに説明し、「インスタ映え」云々とも紹介しています。いっぽうで一部では「心霊スポット」云々と記したサイトもありますが、それは歴史的にも構造的にもまずないでしょうね。

それでは旅行記タイムラインに話を戻しましょう。現在は北側のトンネルを南に向かって進んでいます。しかし南に行けば行くほど道はくねくね度を増し、もちろん出口は見えずヘッドライトの明かりがほぼ唯一の頼りです。‥う゛!



しかも、よりによってですよ、現れた対向車は「1.5t~2tのトラック」であったのですよ!ぐわーお互いに万事休す!

当然それぞれの車はお互いの車両を視認するやいなやその場で停車しました。さぁって、どうする?

ええっと、この事態に至るまでの流れにおけるTakemaのミスは、「とにかくクラクションを頻繁に鳴らして『自分の存在をトンネル進入前の車両に知らせる』ことをしなかった」ことに尽きると思います。この北側トンネルと南側トンネルの間には上記wikiにもあるように、「中庭区間」があり、この区間はトンネル部分よりも多少幅広なのです。ただ、こちらのレンタカーが普通車としては多少スリムなスズキソリオではあったにしても、相手がトラックでしたから、中庭区間ではやっぱり離合できなかったような気もしますが‥。

相手のトラックは自分のソリオよりもさらに車両限界的に余裕がないはずです。しかしこの北側のトンネルは総延長が625mもある長大トンネルで、われわれは測っていたわけではないものの感覚的にはもう400m以上は進んでいたのではないかと思うわけです。となればバックは地獄絵図‥





ええっと、これもGoogleストリートビュートンネル内画像の切り取り。ここをバックよ。

何と殊勝なTakema!いや実はそれには理由がありまして、実はこの数十m手前を走行中「あ、ここの左側は離合(すれ違い)用に広くなっているな」と確認していたのです。そこから進んだ先で相手のヘッドライトの光を目にしたわけで、あの離合場所までこっちがバックすれば何とかなる!

しかし、とにかくトンネル内は暗いのです。自分が少しバックし始めたところで「こちらの意志」を確認したトラックドライバー氏が「眩しかろう」とライトをスモール車幅灯だけに消灯したことも災いしました(車両間にまだそこそこ距離がありライト点灯継続希望を伝えられなかった)。Takemaが約50mをバックするにあたり活用可能な灯りは「バックライト」「テールライト」、それに「ブレーキランプ」及び「ところどころにある天井の採光口(ほぼ役に立たない)」くらいしかないのです。これらの光を全て集めても前照灯のわずか「数分の一」でしょう。そして「その時」はやってきました。

うわやってもうた!右ミラーをトンネル内壁に当ててしまいました!ただおしんこどん、「こんなに暗いのにバックするスピードが速すぎたよ」と言っていましたから、自分が運転を過信していたのかもしれません(たぶんそう)。いったん前進して車両位置を修正し、再びバック開始、そしてそのまま離合帯にバック駐車完了しました。

トラックから「Takemaのミラー擦り」が見えていたかはわかりませんが(たぶん見えていなかったと思う。Takema車は前照灯を点灯していたので)、いずれにせよ離合時に手を上げて「おつかれさんどうも」のご挨拶。うむ、ミラーの傷つきレベルを確認したい、しかし今一番に為すべきは「とにかくこのトンネル区間から一刻も早く脱出することだ!」というわけですたこらさっさ。幸いこのあと南のトンネルを出るまで対向車は来ませんでした。

トンネルを出てしばらく進んだ広い場所に車を止めて状況確認。幸い思ったほどの傷は付いていませんでしたが、「あーあ、レンタカー返却時が面倒なことになったなぁ」とそこそこ落ち込みました。

ただ、この場合も自損とはいえ事故にあたりますから、本来は
警察への連絡が必要なのです。どうなったかはあとで書きます。

しかしこういうあたふたをやらかした自分がいうのも何ですが、「このトンネル区間、なぜいまだに施工当時のまま改良もされないのでしょうか?」。

1966年当時、地元民の農作業という営みを外国人ゴルファーに見せたくないということから設置されたこのトンネル区間ですが、そのゴルフコースは現在の「開聞コース」とは別のもっと海側にあり、この道に隣接する形でコースが存在していたようです。

しかしその後海側コースは維持管理が停止され、今はその跡地は森に還りつつあるようです(こちらのページに新旧の画像あり)。ならばこの区間を開削拡幅して走りやすい道路にするという発想は地元自治体にはなかったのでしょうか?

ちなみにこのトンネル連続区間以外の市道はセンターラインこそないとはいえほぼ片側1車線の幅を有する舗装路としての整備が(ずいぶん前に)行われたようでした。どうしてこの区間だけ「昭和中期の趣」にこだわるというかそのままにしておくのでしょう?「新たにトンネルを掘れ」という話でもないのに?まぁ令和の現在では「予算が‥」と言われてしまうでしょうが、もっと前に再整備できたのではないでしょうか、開聞岳の海沿いを巡る好展望のドライブ道路として。

ただ、この海沿い市道からはほぼ開聞岳を見上げることはできないんですけれどね(近すぎるので)。



トンネルを抜けた先の道路は左上画像のようにのどかな道でした。え?もう空豆が育ってる!



一周路を抜けて西側の集落近くまで来たところでパチリ。

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