- その5 萩を越えてさらに東進、有福温泉へ -



静かな東光寺にて手を合わせます。

(2024年7月26日-8月2日 その5)

翌日はまず萩を目指します。萩には以前仕事で来たことはありましたが、そもそもこの界隈は観光的には初訪なので、どこに行くべきかもよくわかりません。ただ、まずはメジャーなところで吉田松陰絡みの松下村塾がいいのかなと。



とりあえずやってきました。暑い。



細かな経緯はともかく、ここで学んだ方々が近代日本の礎を築いたわけで。


このあとは(実は以前にも訪問したことがある)東光寺へと向かいました。前回の出張時、フリータイムがあったので今さらながらに感謝。駐車場は小さいながらも無料でありがたい。拝観料を箱に入れて寺院敷地内に入ります。





あとから調べたのですが、これは「魚鼓(ぎょこ・ぎょほう、などいくつか呼び方があるようです)」といい、木魚の原型ともいわれています。木魚といえば法要時にお坊さんが叩きながら読経をするイメージですが、これは場所柄寺院内の人々に儀式法要等の開始を知らせるために使われているようです(胸びれのあたりは叩かれ続けてエラの模様がなくなっています)。

口には玉が咥えられており(訪問時にはよく見なかったのですが、左上画像でも少しだけ見えています)、これは煩悩を象徴しているのだとか。魚鼓を叩くことによって煩悩を吐き出させるだとか何だとか。以上、訪問当時はまったく知りもしなかった知識を披露しました(苦笑)。



ちなみに訪問中お寺の関係者には1人も出会わなかったのですが(なお拝観者も数名だけ)、敷地内はきちんと整備されておりました。まぁ正面からではなく脇の駐車場から入ったからかも知れませんが、どのくらいの寺院関係者が普段からどれだけ手を入れておられるのでしょうか(大変です)。



こちらの東光寺(黄檗宗)はそもそも毛利家の発願により創建されたようで、そのため奥には毛利家代々(なぜか奇数代だけらしいですが)の墓所があります。そちらに行ってみましょう。



やや湿気のあるエリアを通り、墓所の門をくぐると‥





この石灯籠は500基を超える数があるそうで、その一番奥の方に毛利家一族のお墓があるのですが、そこにはなぜか神社の鳥居が。神仏習合の時代ですからその関係と考えれば特に問題はないかと。なおそれぞれの墓石については撮影を控えました。



反対から見ると右上画像のように見えます。

というわけで東光寺をあとにして次は‥国道沿いにあるからという安直な理由から「反射炉」へ。こちらの反射炉(金属溶解炉)は試作炉ということで実際に大砲の製造等に寄与したわけではないようですが、当時の世相を反映した遺構といえるのでしょう。



整備された階段&坂道を上がりきったと同時に、すぐ反対側(隣)を通る山陰本線を列車が通過していきました。残念、あと2-3分早く上がってきていたら反射炉と列車の合わせ技画像が撮れたはずなのに‥。



というわけで反射炉(の煙突部分)を見学します。肝心の炉の部分は一段上右上画像の植え込み部分にあったようです。

なおこのあと突如として○意をもよおしたTakemaですが、駐車場に隣接してきれいなトイレがあり事なきを得たことをご報告申し上げます(そんなの申し上げなくっていいんだって)。

さてこのあとは萩の町を上から眺めようという「ナントカと煙大作戦」のため、笠山展望台を目指します。頂上展望台にはカフェが併設されており、景色を見ながら飲み物でも‥という算段だったのですが。




(またも下調べの甘さを露呈)

そして、期待していたはずの萩の町並みは‥展望台からもあまり見えません。ゼロではないのですが、木の間越しにちょっとだけという感じです。ただその代わり‥







なお、展望台には「鳶(とび)の巣」という愛称が付けられており、その名の通り上空には獲物を探してゆっくりホバリングする鳶(たぶん)の姿が見えていました(右上画像マウスオーバーで拡大画像に変わります)。ほかにお客さんの姿はなく(カフェが休業日だと知っていたから?)静かな滞在でした。

なお山頂直下には噴火口があり、遊歩道で下まで降りていかれるのですが、実は5月のGWにやらかした左足の骨折がまだ万全ではなく、ちょっと急だったこともあり行くのを断念しました(暑かったからというのもありますが。左上画像マウスオーバーで遊歩道入り口画像に変わります)。沖合には小さな島が点在していますが、かつてこのあたりでは火山活動が活発だったのだろうなと。



ここからはさらにR191を東進します。山陰の大動脈といえばR9をイメージしますが、R9は内陸の山口市や津和野町を経由しているため日本海に至るのは益田市からです。そこまではこのR191が海沿いの動脈‥というわけですが、実際の交通量はかなり少ない区間でもあります。

そしてその通行量の少なさは沿道の施設数につながります。GSなどのインフラはもちろんのこと、道路通行車両、特に観光車両にとって楽しめる施設や、もっといえば、「お昼ごはん処」が少ない‥いや、ほとんどないのでありますよ(ごはんの心配ばかりと言われればそれまでですが)。



途中用があって郵便局に立ち寄りましたが、その先の看板には「いかマルシェ」と書かれています。前日のお昼ごはんがイカ刺し定食だったことは忘れてもいませんが、まぁ他のメニューもあるかなと思いつつ進んでいくと‥



まぁしょうがないので先へ進みます。こりゃ下手をすると益田市内までおまんまの食い上げ(死語)になりそうだなと思いつつ進んでいくと‥ん?今道路沿いに何かあったぞ!行き過ぎたので戻って確認するとどうやら洋食屋さん系、というわけで少し離れた駐車場に車を駐めていざお店へ。





というわけでいざ入店。幸い満席ということはなくカウンター席へと案内されました。ランチはA-Cセットの3種類と、この日は平日ゆえステーキランチもある様子。そんなわけでおしんこどんはAセット、Takemaはステーキランチを注文しました。


 




ステーキがちょっと固かったというのはおしんこどん談ですが、まぁ思いがけない場所で思いがけずの洋食お昼ごはんだったのでよいではないですか。というわけでお腹も膨れたところで大移動です。というのも、萩・石見空港のあたりから無料高速が開通しているのでスピードアップが可能になるから。通過エリアにも実はいろいろとあるのでしょうが、今回は「まずはさくっとあちこちを」という予定なので(日程的にもそうせざるを得ない)、まぁいいのです(意味なく自己肯定)。



まだ工事中の区間を横目に、さらに浜田まで一気呵成に移動。

ようやく島根県に入り、途中で「道の駅 ゆうひパーク浜田」に立ち寄ったわけですが、こちらのインフォメーションコーナーになかなか秀逸な掲示物を見つけました。





いやぁこういう情報掲示って、作る手間はもちろんですが情報を更新する維持管理の手間のほうが大変なのは、自分も先人のご苦労を長年見てきて知っています。21世紀初頭にキラ星のごとく登場した「ホームページ」は、個人も団体もとにかく「情報のるつぼ」たる自覚からかこういう情報サイトを目指していたような気がします。

が、たとえば温泉宿の新規開業・休廃業等の情報はともかくとして料金や営業時間などの情報更新のあまりの手間に、放置プレイ化するサイトが続出しました(笑)。個人サイトはともかくも、当時は観光協会とかのサイトでもそんな感じだったんです(更新にかけるマンパワー不足が原因)。これは「お勧めキャンプ用品紹介」などのサイトでも同じで、そのページをアップロードした瞬間からその情報は陳腐化します。「常に最新情報を維持」って実に大変なんです。

え、拙サイトですか?拙サイトは旅行記サイトですから旅行当時の情報は書くにしても記載情報の更新なんぞハナから考えたこともありません(開き直り)。だから、拙サイトをご覧になり「いい場所あるじゃん」と思って出かけてみたら(国内・海外とも)、現地で「そんな場所はもう20年前になくなっとるわ、ふぉっふぉっふぉ!」と古老に笑われる可能性もありますのでご注意下さい(何のこっちゃ)。

だから、上画像のようにこまめに新情報を更新している掲示物はスゴイのです。それでもまだ古い情報が残っていたりすることがあるので厄介です(基本は現地に問い合わせないとわからないので)。というか現地の担当者でも曖昧なこともあったりすると、伝家の宝刀「不定休」の語を使いたくなるんですよね。「『火曜日定休』とあったので水曜日に行ったが休みだったぞゴラァ!」という面倒な人たち対策で。

話が長くなりましたのでそろそろ高速を下りましょう。1区間だけ有料道を利用して高速を下りました。



ハイ、この日のお宿は美又温泉なのであります。しかし考えてみればこの日は萩市内を除けばお昼ごはんと移動しかしていないような気が‥。というわけで、こちらも気になっていた有福温泉に立ち寄ってみることにしました。どうせ通り道だしね(この記述を見て「えーっ!」と思ったあなた、正解です(苦笑))。

しばらくは里山を背にした長閑な田園風景を目にしつつ快調に進みます。何だか街路樹として植えられているものを含めてあちこちにサルスベリの花が咲いているのが特徴的でした。このあと東北でも(後編)、そして千葉に戻ってきても、9月になっても職場近くのサルスベリの花は元気に咲いています。花期が長いから街路樹や庭に植える木としては好まれるんでしょう。

そんなわが家屋上にもサルスベリの鉢植えがあるのですが、2024夏は咲かなかったなぁ。水が足らず「警戒アラート!鉢の土に水分が少ないので、水を多く必要とする花芽を付けてはならぬ!」とサルスベリ樹木内にお達しが回ったということなのでしょうか?(案外ありうる話かもしれません)。

ところで、島根県に入ったあたりから気になっていたことがありました。それは、





車内でそんな話をしつつ運転していたら、隣でおしんこどんが「これ、石州瓦っていって、この地域はこの瓦の産地らしいよ。この石州瓦って、日本三大瓦の1つなんだって」と、スマホで調べて教えてくれました。

あらためて調べてみると、石州瓦とは旧石見国であるこの地域特産の瓦で、他の瓦よりも高温(1200-1300度)で焼き固めるため厳しい気象状況にも対応し(特に低温)、また耐久性に優れノーメンテナンスで100年保つのだとか。独特の赤茶色は釉薬によるものとのことですが、今はいろんな色味の瓦があるようです。

ちなみに日本三大瓦とは「石州瓦(島根)・三州瓦(愛知)・淡路瓦(兵庫)」なのだそうで、根っからの東国人(千葉)であるTakemaは三州瓦しか聞いたことがなかったなぁ。

というわけで有福温泉に到着。こちらも前夜に宿泊した俵山温泉同様昔からの湯治場風情ですが、こちらの方が少し垢抜けた感じで、通りに飾られた統一デザインの照明や、ちょっとおしゃれなお店、また温泉街の要所要所に「観光客用駐車場」があり、立ち寄り客にも利用がしやすいようになっていてありがたいところです。



さて有福温泉には3つの外湯(共同湯)があります。手前から順に早月(さつき)湯、御前湯、そして弥生湯がそれですが、一番目立つのは日帰り客用駐車場のすぐ上にある早月湯でしょうか。われわれもそこに車を駐めて「さて」となったわけですが、浴室内からお客さんの話し声が聞こえてきます。少しでも空いているほうが嬉しいので奥の弥生湯へ。



そのまま歩いてすぐの弥生湯へ。



むむ、男湯のドアはベンチにより半ば恒久的に開け放たれています!(営業時間中の話ね)。中に入ると料金箱があり、そして男湯の靴箱には一足の履き物もなし!女湯も同様であるようで、よしそれぞれに独泉貸し切りで湯浴みじゃあ!

脱衣場や浴室は階段を降りた下にあるようでこれまた期待が持てます。なぜって、こういう造りの場合源泉に近い位置に浴室を設置している場合が多く、したがってより新鮮湯に与れる可能性が高いということを意味するからです。ではでは!







浴槽はだいたい4人サイズで、そこにちょろちょろと湯の投入が。真夏のこの季節ゆえ投入量も絞られているのだと思いますが、あとから知ったことには「3共同湯のうち、ややぬるめなのは弥生湯、逆にやや熱めなのは御前湯」なのだそうです。

施設内に掲示されていた分析表には「有福温泉 源泉42.5度 加温加水循環濾過なし」とありました。しかし、同じ「有福温泉」でも、施設によっては源泉温度が35度とか47.5度とかまちまちで、間違いなく(厳密には)別源泉だと思われます。源泉名の詳細は省いた掲示になっているということなのでしょう。ゆえに弥生湯の階段下浴室も独自泉ゆえの造作なのかなと。



湯から上がって駐車場に戻りました。あたりが日陰になっていたのはありがたかったですが、それでも暑いので水分補給というわけで自販機へ。あれま、有福温泉オリジナルのラッピング塗装が施されておりました。やっぱりこちらの温泉地を取り仕切る方々、将来に向けての布石をいろいろなところで打っていますね。今回のお出かけではともすればひなび度合いの目立つ温泉地も目にした中で、有福温泉のポジティブさには好感した次第です。

でもこの日の泊まりはここ有福温泉ではなく、ここから山一つ越えた先にある美又温泉なので、多少クールダウンしたところで車に乗り込み出発しました。し、しかぁーし!



画像がない(撮影しなかった)のが残念ですが、本当に「対向車来るなよ、来るんじゃないぞ」と祈りつつ、それでも「今のカーブのところ、ちょっと山側路肩にタイヤを乗せれば離合できそうだな」とか、いろいろ考えながらの運転でありました。

徐々にあたりが開けてくるにつれて道幅も少し広くなり「離合の不安」も解消されたころ、いきなり視界が開けて美又温泉の一角に出てきました。よーし到着、結局対向車は1台も来ないままでした。地元の人は道路状況を熟知しているがゆえにあえて避けたりもしているのでしょう)。

というわけで美又温泉到着。この続きは次のページにて。

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