- その9 泉弘坊で身を清め、物部神社と出雲大社にお詣り -



出雲に来たからにはこちらへの参拝は欠かせません。



(2024年7月26日-8月2日 その9)

さて、やってきたのは「ちいさなお宿 泉弘坊」さん。こちらは1日2組限定のお宿で、あまり詳しい情報はなかったのですがのんびり過ごせるかなということで選びました。ちなみにこの日のお客はわれわれだけで、館内貸し切りでまさにのんびり。福島の谷地温泉田村屋さんに何となく似た雰囲気です。




この日も暑い日でしたが、エアコンの効いた部屋は快適。障子は絵が描かれた立派なもので何とも癒やされます。さてしかし、先ほどの酒谷の湯はいちおう野湯ですから、野湯の汚れを洗い流しにいきましょうか。



こちらのお湯は敷地内から出ている独自源泉。源泉温度は18.6度しかないので加温していますが、「ナトリウム-塩化物強塩冷鉱泉」の茶濁り湯は成分総計が32,370mg/kgでとぉーっても濃い!



湯の表面には油膜も広がっていました。溜め湯なのは仕方なし。

たぶん源泉蛇口をひねれば加温源泉も出てくるのでしょうが、勿体ないのでやめておきました。だってさ、



オーバーフローすることなくこの穴から流れ出てしまいますから(笑)。なお、部屋の窓から庭を見ると、その一角に小さな屋根がけが。もしや?と思ってうかがってみると、やはりあの場所が源泉なのだそう。

さすがの成分濃厚泉(しかも強塩泉)ゆえ湯上がりの大汗は言わずもがなでしたが、それでもちょっと表に出たりしてさらに汗を噴き出させたお散歩タイムをとりました。部屋に籠もるだけではせっかくこのあたりに来た甲斐もないですしねぇ。



とはいえ隣家のワンちゃんに注目されたくらいでしたが。

さてしばらくして夕ごはんです。てっきり玄関を入った先のテーブル席なのかと思いましたがちゃんと別室でした。考えてみれば玄関先で食事というのはそうそうあり得ない話で、あそこはロビー席的な扱いなのでしょう。



こちらの障子絵は影絵風情であります。

そして夕食となったわけですが‥







ホント、育ち盛りの頃であっても大盛りなんてほとんど頼んだ記憶もない自分ですが、還暦爺となった今では朝夕ごはんでさえご飯はお茶碗半分です。最後の麺(汁代わり)と炊き込みご飯、ほぼ残してしまいすみませんでした。以前は「残すは恥」とばかり無理しても食べたのですが、今はもうそれもしませんので。

というわけで夕食後は部屋で翌日の予定を確認します。そこそこ寄り道に時間もかかりそうですが、まぁあっちもこっちもと欲張らなければ大丈夫でしょう。というわけで「出雲大社参拝」をメインターゲットにすることに決めてこの日はお寝みいたしました。



明けて翌朝、朝湯でしゃっきりしました。そのあと館内をうろうろしている途中、お宿のご主人がある焼き物を調理なさっていたんですが、それがまさか‥





もう、卵焼きだけでお腹いっぱいでぇっす!そしてお魚は‥カレイの一夜干しかな。これまた焼き具合が絶妙でご飯が進みます。そうそう、そのご飯はといえば‥





というわけで土鍋ご飯以外は何とか完食しました。食事後ご主人と話していたところ、お宿は以前火災で焼失し、新築再建して現在に至るのだとか。大変な時期があったのですね。



玄関前の木花、散り始めた花が石の上で最後の美しさを見せていました。

それにしてもこちらのお宿は食事はもちろんお風呂も、そしてお宿の方との「適度な距離感」など、1日2組限定という規模と合わせてなかなかの「隠れ家的なお宿」であり、かなぁり気に入りました。また機会があれば泊まりたいものです。

さてそのお宿の方からの情報によると、近隣にある「物部神社」は石見国一の宮として由緒あるお社だとのこと。これはいいことを聞いたというわけで、チェックアウト後は早速参拝することにした次第です。



物部神社。6世紀初期に創建されたそうで、その名の通り物部氏の祖神を祀る神社です。「鶴に乗って降臨」したということで、神社の手水場手前には狛犬ならぬ「狛鶴?」が対になって安置されています。



その手水場は一つの大岩から成っており、富金石と呼ばれていてなかなか貴重な材質なのだとか(砂金が多く含まれているらしい)。岩に彫られた勾玉に触れると金運系のご利益があるのだとか。とりあえず1つ2つ触っておきました(欲がない?)。

なおこの日は曇りながらやはり暑かったせいか、手水のみならず散水というかミストシャワーが設置されておりました(というか手水場は手や口を冷やす場ではないですし)。ただ、その散水口がなかなか面白い形状をしておりまして、最初見た時には「ん?これって蛇?というか超巨大キングコブラっしょ!」と思った次第です(ここまで現地での思惟内容)。

ここからはこのページをタイプしている時の思いですが、だったらオブジェ的に飾り付けしたらどうだろう?いやでもここはインドではなく石見国なのでキングコブラは合わないし。あ、鶴か!これは防水で軽量に出来そうな気もしますし、何よりこの神社ゆかりの鶴から発せられる御神水(湧水)は霊験あらたかだし!神社の関係者諸氏、ただの思いつきなのですがご検討いただければ幸いです(笑)。

このあとは当然拝殿にご挨拶申し上げ、続いてはその左脇へ。



「勝石」は、創建の由来となった祖神たる宇摩志麻遅命がこの地に(鶴に乗って)降臨した際にまず腰を掛けたという由来を持つ石です。触ってもよいようですが(公式サイトにOK記載あり)、その割には手前あたりが自然石的な尖りを残しており‥あ、皆さんてっぺんの平らな部分を多く触ってきたのかなと。

神社内にはこの他にも御神墓や末社などいくつものご挨拶すべきポイントがあるのですが、そこそこ大きな神社となるとその全てをめぐるだけで相当な時間を要することになりますので今回は以上です。ただ、このページをタイプしている時に知ったのですが、「シンボリルドルフの先祖馬」が神馬として祀られていたんですね。これは知りませんでした(まぁでも競馬はやらないのであまり残念でもなかったりしますが)。



さて物部神社参拝のあとは大田から山陰道を利用して出雲多伎インターまで。ここからは海沿いのルートを利用して(ページトップの画像でおわかりだったと思われますが)、出雲大社を目指します。物部祖神と出雲の神々、対立関係になかったことを祈ります。ま、出雲は全国の総本山だし(あ、総本山って仏教用語ですよねごめんなさい)。



海沿いを進んでいくといきなり出てきたのは「日本海を正面に見てのハイジブランコ」。こちらは利用できないような措置がなされていましたが、これはほぼ間違いなく個人の所有物でしょう(近隣に駐車スペースは皆無)。そもそも最近は使われていないことが(足の接地面の芝にまったく擦り痕がないことからも)わかります。

でもある意味魅惑的な施設であり、一般開放したら人気施設に‥いや、そうすると遅かれ早かれ勢い余って崖下にダイブする輩が出て危険施設扱い&損害賠償‥そうなるとある意味罪作りな施設となってしまいます。今のままがいいのかもしれません(設置した意味云々はともかくとして)。



ところで途中で沿道の除草作業現場を通過したのですが、これは初めて見ました。左上画像は「草刈り機で雑草を刈った」あとなのですが、中央画像の「何やらマシン」が活動したあとには‥



中央画像のマシンはロール製作マシンだったわけです。「すごい、こりゃ便利だ!」と思いましたが、ただ小さな切れっ端までは取れないようですし結局最後は別のマシンと人力(こっちがメイン)で排除せざるを得ないのかなぁと。でも左上画像を見ると草はかなり枯れており、まだ水分を含んだ草刈り直後だともう少し掬える気がしないでもないです。あ、人的リソースの問題もあるか。いずれにせよ、今後の人手不足顕著化を踏まえた前向きな取り組みだと思いました。というかこれまでの旧態依然的草刈りにこだわりすぎた?今は斜面を縦に刈るマシンも出てきているようですし。

 

途中に架けられた橋(くにびき海岸大橋)の中央に何やらのモニュメントがあり、この時は何も知らなかったので「ふーん、くじらのヒゲだか何かかな」と思っただけなのでしたが、あらためて調べてみるとなかなかに興味深い神話が。

最初に出雲市の公式サイトを見てみると「橋の中央部のバルコニーにあるモニュメントは、国引き神話の綱をイメージしたものです。と、当たり障りのない記載がなされています。でもこのモニュメントを制作したとおぼしきこちらの会社では、国引き神話について詳しく説明されていました。

 昔、ヤツカミズオミツノノミコトが、出雲の国を見て、「八雲立つ出雲の国は、細長い布のように小さく、まだこれからの国だ。どこからか国を引いてきてぬいつけなくては」と思い立ちました。

海の向こうを見渡して、新羅という国を見てみると、国のあまりがあります。
そこで、大きなすきを手にとって、大きな魚の身をさくように新羅の土地をぐさりと切りはなしました。

そこに三つよりになった強い網をかけ、霜枯れたかづらを「くるや、くるや」とたぐり寄せるように、また、河船を「もそろ、もそろ」と引くように、「国来、国来」と言いながら、引き寄せました。

くにびき海岸道路の神通川にかかるくにびき海岸大橋にこの網を模したモニュメントが建てられました。

引用:「ふるさと読本いずも神話」より

うーん、神話とはいえかつての新羅(主に現在の韓国東岸地域)の領土を引っこ抜いてというのはなかなかの所業です。今だったらロシアによるウクライナに対する侵攻と同じであり現代では到底許されません。

ただし当時の日本朝廷による新羅の領土割譲要請という事実はなく、たぶん任那のことを意味しているのだとは思いますが、それも何だかなぁと。専門ではないのでwikiも利用しましたが、何で韓国絡みになると異常なほどに詳しい分析がなされているのでしょうね(これは真面目な意味で皮肉です)。

さて出雲大社です。これまた下調べ不足で正面勢溜大鳥居手前の有料駐車場に車を駐めての参拝でしたが(神域脇にある参拝者駐車場は無料)、今考えればこれはこれでよかったかなと思います。というのも、







参道は比較的というかかなり空いていて(普段がどうなのか知らないので比較できないのですが)、自分たちのペースで歩けます。松並木の参道は八百万の神々専用ということなのでしょう、下々たる我々は脇を通ります。

 

そして拝殿の手前には「ムスビの御神像」という像が。大国主がまだ神となる前に、海からやってきたいくつもの魂を迎え入れ、その魂たちとのやりとりの中で神性を身に付けていき、やがては大神として国(出雲のみならず広い地域)を治めるようになったというわけです(認識が間違っていたらすみません)。

ちなみに皮を剥かれた「因幡の白兎」を助けたのもこの大国主大神ですが、「塩水で洗えばよい」と誤ったアドバイスをしたのは大神の兄弟たちだったのだとか(大国主大神は末っ子)。日本の神々って一信教のような唯一絶対で完璧な存在ではなく、大国主大神もそうですが「神に昇格」するまでのエピソードには事欠きませんし、いや神に成られてからも実に人間的な一面をのぞかせたりしますのが面白いところです。





というわけでとりあえず為すべきことはしたはずです。末社まで全部ご挨拶をというほどにまで信仰心は篤いわけでもありませんのでこれくらいでお許しを給わればというところですが、実は出雲大社参拝に関して、以前ツイッターX上でこんなツイートポストがあったことをうろ覚えていました。



というわけでまずは神楽殿へ。





拝殿の注連縄を見た時に「何だかこれじゃない感」を抱きましたが、やはりこの画像の記憶があったからなんです。

ちなみにわたくしTakemaが普段利用している理髪店の旦那さんは、以前家族で行ったときに「こちらで手を合わせて『出雲大社参拝終了』と勘違いし、本殿方面には行かずじまいだったんですよ」と語ってくれました。確かに駐車場からだとこの神楽殿が一番近いですし、この大注連縄の立派さに「これが本殿だ」と勘違いするのもわからぬでもありません。残念でございました。



そうそう書き忘れましたが、拝殿前から神楽殿に移動する途中には日の丸がはためいていたのですが、この旗が(画像ではピンときませんが)実に大きい!おしんこどんは「こんな大きな日の丸、見たことないわ」と話していましたが、それもそのはず、



その昔、NHKの放送開始&終了時には「はためく日の丸映像と君が代の曲」が流れていましたが(ナウなヤングは知らないかも)、あの日の丸映像はどこでの撮影だっただろう?あらためてネット上で確認してみましたが、相当ズームされていて塔も映されていません。ただ、はためき具合からするとかなり大判の旗ですし、もしかして?

このあとは再び本殿側に戻り、時計回りに本殿の後ろをめぐります。何でも「反時計回りがよい」という情報もあるようですが(さっき知った)、大国主大神がそれをお咎めになることもないでしょう。何なら蒲(がま)の穂のふわふわでTakemaを包んでくれるはずです(笑)。



本殿の西側に戻ると何やら参拝所(左上画像)が。ええ?そこに書かれていた説明板によると‥(意訳して転載)、



うーむ。この場所に来てみなければわからない説明で、一時流行ったポケモンGOでいろいろ探しまくっていた方々の気持ちがわかる‥いやそれは違うかな。あ、TakemaはポケモンGOをやったことがありませんし、ポケふたについてはおしんこどんに従っているだけです)。感覚的に近いのは日米対抗ローラーゲームとか(古)、いやこれそもそも全然関係ない(自爆)。

下らないネタに持ち込むのは止めて真面目に言えば、出雲大社(いずもおおやしろ)に関わる各団体諸氏にはもう少し努力してほしいものです。いまだに公式サイトには英語ページはなく、ネットで検索すると観光協会がこちらで紹介しているようですが‥。

事前に調べていなければ日本人でさえも神楽殿を本殿を勘違いして帰らざるを得ず、われわれとて「反時計回りが宜しい」など知らず、ましてや外国人の人々に対する情報提供も観光協会に任せるばかりって‥



八百万の神々に喧嘩を売るわけではないのですが、公式サイトには日本人向け&外国人向けにもう少し力を入れた「参拝ガイド」ページを作ってほしいですし(もちろんまったく同じ内容である必要はありません。外国人用には作法をメインにすればよいかと)、そもそも「事前に見ない人はまったく見ずに来る」わけですから、現地における同内容の案内看板設置は是非お願いしたいところです。



話が大きくそれまして失礼。本殿の裏に回り兎(因幡関係)のミニ像を見て、素鵞社(スサノオの命=大国主大神の先祖)にもご挨拶しました。このスサノオという神もかなり荒っぽくて、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)を対峙したのがこの神であるわけです。

上にも書いた通り古代日本では「人間が神に昇格」することを許すというのが一般的で、平安時代でも早良親王や菅原道真などは神として祀り上げられていますし、そもそも古事記や日本書紀に記載されている神々のそこそこは「時の権力者により征伐された土地の豪族」が起源になっていると思われます。当時の為政者の「政敵側の遺恨を残さない」という政治的才覚です(これまた違ったらゴメンナサイお教え下さい)。

さらに周回路を進んでいくと再び見えましたあの日の丸が!



続いては大社の東側に位置する「出雲教」の北島国造館、宗教法人としては別ですが同じ大国主大神を祀るお社ですからやはりお詣りしなければというわけです(こちらは正式には神社でなく神殿)。出雲大社脇から出られましたし、どこかで別れたとはいえお隣さんですし、それぞれの関係は悪くもないようです(詳しくは各自でお調べ下さい。自分も調べましたがそれを書くと旅行記からとてつもなく離れた話になってしまうので省略します)。



天穂日命(あめのほひのみこと)は出雲社の国造のご先祖にあたる神だそうです。滝が落とされている池には橋が架かり、脇には「天神社」との幟があったことから「え?これって心字池?まさか菅原道真絡みなの?」と思いましたが大いに間違い。こちらには別の神様(少名毘古那神=すくなひこのなのかみ)が鎮座なさっておられます。

それにしても八百万の神々、そのそれぞれの関係性はあまりに複雑で、自分は高校生時代に深入りするのを避けた記憶があります。いや日本史は好きでしたし(今も)確か高3全国模試の偏差値も70台半ばはあった記憶があります(自慢)。それでも「これは沼が深すぎる」と思ってしまったわけです。だから「古事記」「日本書紀」は今も苦手です。なお、本当に好きだったのは日本史ではなく地理だったのですが。



池の名は確かに心字池のようですが神様は別です。それはともかくとして池から突き出た岩は亀岩というようで、その名の通り亀が日向ぼっこをして‥おりました。おおこれはコレハ貴重な画像!という感じで撮影しましたが、実はそこそこいつもいるようでした。



亀自体も沢山いるようで珍しくはないみたい。なお右上画像は親子亀でしたが、この直後子亀の姿が見えなくなりました。深く潜ったのかな?(母亀は水面近くに漂うまま)。まぁあれくらい大きくなれば大丈夫でしょうが、ご覧のとおり鯉(雑食性)もたくさん泳いでいたので少々心配しましたっけ。



さてこのページは大変長くなりましたが、この日はこのあと大移動となり、温泉への立ち寄りもなく‥いや立ち寄ったか超メジャー湯へ(笑)。とにかくこの続きは次ページにて。

[2024夏、山陰編トップへ] [次へ]