1990 4月の日記


4月1日 曇り時々晴れだったり霧だったり QT Stay

4月バカの日であるが、結局何の嘘もつかずに終わりそうである。昨日のドピカンに比べて、今日は風、雲共に多く、ワカティプ湖の西側には虹が出ている。雨が近いな。

今日はYHのチラシにもあったMt.Benlormont(コースタイム7h Return)にNくんと行くことに。途中かったるくなり、「やっぱやめようよ、帰ろうよ」と哀願するも、Nくん頑として聞き入れず。頂上まで行かされてしまった。上部は風が強く(コルより上)、鼻水が3cmくらい真横に伸びては切れ、NZの大地に吸い込まれていった。頂上は寒かった。結局往復は休憩込みで5h。

帰ってきてからYHに行き、19才ワーホリ君に車の試乗をしてもらう。結局少し値引きして$1***ということで決定。4/5Mt.Cook、Chchへと向かい、4/9か10日に引き渡すことになった。それまでは同一行動。

4月2日 QT〜Mt.Cook

QTともお別れ。変な天気で。晴れそうでもあるが大降りになりそうでもある。Cromwellでいつものように梨やらプラムやらを買い込む。そこからMt.Cookまでは強風、とくに80号線に入ってからは大変であった。Cook村は風雨。テントを張るかどうか考えるが、少し収まってきたようでもあるのでキャンピングエリアに向かう。QT出発時にNくんがウオッカ、自分がウイスキーを買い込んできていたので、今夜はよく飲もうということになる。

4月3.4日 Mt.Cook Stay

二日間とも天気が悪く、ミューラーハットまで行こうとするが体調不良(言わずとしれた二日酔い)も手伝ってたどり着けずに終わる。なお、以前にミルフォードトラックに行くと言っていた女の子に貸した、例の前後なし手編みセーター(セコハンショップで買った)がここに戻ってきていた。しかし、予想に反し、お礼にと言うことでもらった月桂冠一本はAlpine GuideのYくんの手中に収まった。理不尽な。

4月5日 晴れ Mt.Cook〜Chch

車を買ってくれるTくんと、Pukaki Junctionまで3人で行くことに。何たって輪行があるから大変だ。さて、何とか入った、ちょっときついがハッチバックを閉め、閉め…しまらんなあ。あとちょっとなのに、まあいいや、強く閉めて押し込めば。えい!

この瞬間、ハッチバックのガラスは無数のガラス玉になってきれいに砕け散ったのであった。その瞬間、自分は「アチャーッ!」というような奇声を発したようである。何てこった。売る段になってこれか、本当は今日はのんびりTekapoあたりでのんびりするつもりであったが、後部ガラスがないんじゃ何かと物騒だし、早く直さなくちゃ。一気にChchまで行くことにする。窓の部分にビニールを張り付けて応急処置をして、いざ出発。Nくんからカンパ$10いただく。ありがたいが、しかし、修理にいくらかかるんだろうと不安増大。それにしても今日は木曜日、今週がイースターじゃなくってホントに良かった。Windscreenは明日の午前中に予約を入れた(これは$200-300するというがしゃーない)。下にChchでやるべきことを書き出した。それにしても、もう一度Timaruでぼーっとしたかったなあ。

※ Chchすることリスト

・ 車Windscreen交換、4/6の8:30-9:00
・ 車名義変更Reg.
・ 車の保険手続き代行(というか付き添い) : これって、自分がこの車を買った時、居合わせた英語の出来る日本人にやってもらったなあ。懐かしい。
・ オイル買う
・ 金$14返す→金おろす
・ いるものいらんもの仕分け+送り返す(船便)→カウントダウンで段ボールもらってくる
・ 車両代金$1***もらう。
・ Akaroa挨拶まわり、RexにTEL、Ron家の手紙ピックアップ
・ SQ予約(日本まで)→出発日決める4/15 or later
・ おみやげを買う。コムハニー?

4月6日 晴れ Chch

明日はAkaroaへ行く。カセドラル前のSQオフィスでSingaporeまでのチケットも取った。Auckland出国は16日と決まった。あと10日後の今日はもう飛行機の中だ。NZに来たのが5/15、ちょうど11ヶ月と1日いることになるんだな。

さっきまで本を読んでいたら、Receptionのラジオから昔聞いたことのある曲が流れてきた。誰が唄っているのかさえ知らないのだけれど、何だかじーんとしてしまった。感傷的な気分にでもなっているのか。もう今はクックにもQTにもTe Anauにも戻ることはないのだ。次に来るのは一体いつになることなのか。もう二度と訪れることはないかもしれない。いや、すぐ戻ってくるかもしれない。

2001注 あれから3回戻りました。次も‥あるだろうな、具体的な予定はないけど。

とにかくAkaroaだ。何はともあれ自分が一番慣れ親しんだ場所だ。そしてそこへ二度と戻ることはなくても。

4月7・8日 Pigeon Bay 、9日→Chch

7日午後より8日いっぱいはRonの家でマキ割(とはいっても機械で)。久々の肉体労働なので腰が大変に痛かった。考えてみるとここから全てが始まったんだよなあ。今回は恩返しのつもりである。もっともメシもベッドもありがたく頂いたのだが。

現在Ronの家にはScotというNZerの居候がいるという。7日の夜はDavid、Scot、自分とTくんの四人でHilltopに飲みに行く。8日夜はSingaporeから先のボルネオ関係の本を読む。TくんとDavidはBayへカレイ突き(!)に行った。

今日(9日)は再びChchに戻ってきた。列車のチケットを買い、明日はKaikouraまで。明日は早い(8:10発、7:30に来いだと)。

4月10日 Chch〜Kaikoura

とうとうMazda323ファミリアともお別れだ。そしてChchとも。もっと感傷的になるかと思っていたがそうでもなかった。それよりも列車客室内禁煙というほうが悲しかった。もっとも荷物車の開放デッキで吸えたから良かった。羊達が車窓から流れていく。また来るぞ。必ず来るぞと思いつつDBをぐびっと飲む。

KaikouraではYHではなく駅近くのWhite House Backpackersに泊まる。何だかここは落ち着かないなあ。失敗。

4月11日 晴れ Kaikoura〜Wellington

いよいよ10ヶ月過ごした南島ともお別れだ。フェリーでPictonを離れるときに「おい、これでお別れだぞ!」と自分にいい聞かせてみたが、全然感傷的にならん。

Wellingtonの駅でBackpackersにTELを入れて空いていた宿に泊まっている。10ヶ月前に乗ったケーブルカーや、その上の噴水を遠望できる部屋だ。

今日はBeerを9本飲んでおり(列車3本、フェリー4本、ここ2本)、だいぶ酔っている。たぶんここにはもう一泊するだろう。次にはどこまで行くか?National Park? Taupo?Rotorua? or Auckland ???わからん。出国まであと5日。

4月12日 晴れ Wellington

今日したこと。BNZ本店に行ってUS$のT/Cを作った。次はRotoruaまでのバスチケット(Mt.Cook Landline)を買った。これでまずヒッチで行くことはなくなったわけだ。再び宿に戻る途中、前にシープスキンクッションを買った工場直売店を探すが既に別の店に代わり(さすがNZ)、Chinatown的なエリアでサトウキビジュースを買ってきたるべきアジアに少し身体を慣らし(うそつけ)、宿に戻って悠々とメシをつくって、そのあと2hほど昼寝した。起きたら18:30。変な時間だな。明日は7:30には起きるぞ。

4月13日 Wellington〜Rotorua

今日から16日(月曜、かつ出国日)までイースターホリデーで4連休。とはいっても明日は準平日の土曜日だから、NZ最後の酒の買い出しに走るつもりだ。明日はバスでAucklandへと向かう。いよいよ終盤戦だ。来る途中、Mt.Ngarohoeはガスっていたが頂上とglacierらしきものがちらりと見えた。10ヶ月前ここを通ったときの思い出がちらほらする。ついこの前のように思えるが、あの時同行してくれていた2人ももう日本に帰っただろうな。そして自分も、もうすぐだ。

2000注 とはいっても16日にNZを出国したあと3週間くらいマレーシアやタイをぐるぐる回って帰ったわけで、この時の帰国は5/10頃。1年オープンのチケットで363日目にやっと帰ったというわけですね。

少なくとも1ヶ月後はもう日本にいるのだ。どうしよう。

明日はポリネシアンプールと湖畔での昼寝だな。バスの出発は夕方近いから、のんびりいこう。

4月14日 曇り Rotorua〜Auckland
4月15日 曇り Auckland Stay

14日は午前から午後にかけて湖畔その他でワインを飲んでぼうっとする。ポリネシアンにはいかんかった。Auckland行きのバスはガラガラで、最前列の席に陣取ることにする。途中から雨が降り出し、やがて豪雨に。前が見えない。油ぎってる。クリンビューの必要性を強く感じた。しかし運ちゃんはよく平気だな。

Aucklandの到着は20:20。考えるのが面倒で新YHに泊まるが、キッチンがないとは!おまけに高くて馬鹿にしてる!明日一番でどこかに移るぞ!

4月16日 Parnell YH〜Auckland Airport

11ヶ月ものあいだ住み、まわり、働いた国NZともいよいよお別れである。とはいえこの日大した感慨を持たなかったのは、やはりここAucklandから飛び立つ、ということにあるのだろう。それでも飛行機が動き出したときにはRon一家のことやTony Banks Orchard(そういえば、今朝、時期はズレていたが「俺もTonyのところで働いていたぞ」というドイツ人に会った。世界は狭い。)、そしてRex、Wendy、その他多くの人のことを思いだした。その時だけはさすがにしんみりとした。こうして1年が終わろうとしている。初めての海外旅行、1年、何とかなった。これからも、ま、自分は何とかしていくことだろう。否、していかなければ。

そうそう、NZの出国審査を終え、ゲートに入ったら、いきなり誰かが自分の肩をたたいた。誰かと思って後ろを見ると、一緒に宴会やったSさんではないか。たまげた。「えっなんでここに?」「Takeさんこそ!SQ?」「そう。ということは…?」「そうよぉ、わたしもSingapore行きよ。」

この瞬間、シンガポール到着後の宴会が確定したのであった。

こうして旅はまだまだ続く。

(以下お話は続くのですが割愛いたします)

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