宮之浦岳から縄文杉経由で荒川ダムへ 

年末年始頃の稜線は、花之江河方面から頂上までは多少天候が悪くても何とかなるとは思いますが、頂上から新高塚小屋方面については、ルートの凍結、常に風を受けつつの歩行となるので、単独行はやはりきついと思います。また、無雪期より時間もかかるので、淀川小屋を早立ちするに越したことはありません。takemaの行った時は2回とも悪天で、カメラを引っぱり出す気力もなかったので、新高塚小屋までの画像はありません。悪しからず。とにかく、南国の山だからといって甘く見るのは禁物です。また、雪は2〜3月のほうがよく降ると思いますので、その時期に入山される人はさらなる注意が必要です。


新高塚小屋(写真)は、淀川小屋と同じ2層式であっちよりちょっと大きめのきれいな小屋なのですが、シーズン中などは相当混むんだろうなあ。小屋の周辺は木の根っこと泥とでごちゃごちゃです。水場はないわけではないのですがあまり期待できなさそうなときもあります。小屋内の天井に数多くのばされた濡れ物干しロープの数の多さに、先人の苦闘ぶりが表れています。こっち側から宮之浦岳に登る場合は、ここと、ここから少し下ったところにある高塚小屋のどちらかをベースにすることになりますが、翌日の行程の長さを考えると明らかにここまで来てしまったほうが有利です。というか、高塚小屋からだと下手したら淀川に明るいうちに辿り着かない可能性だってあるから。
一方、高塚小屋は、小さく、じめじめとした雰囲気の漂うブロック造りの小屋です。収容人員も少ないので、あまりおすすめできません。もっとも、泊まれないという意味ではありませんが。縄文杉往復のつもりで上がってきたときにもしどしゃ降りだったら、杉見台(とでもいうのか?あの何ともばからしい台は?)のすぐ上にちょっとした休憩所というかあずまやがありますので、そこを使うか、あるいはこの小屋まで上がってきて休むのもいいかも知れません(距離もそれほどありません)。
これが旧(と言うべきなのか)高塚小屋です。ここから数分下ると有名な縄文杉なのですが、数年前に鹿児島県の手によって「大変に立派な、そしてものすごく不評の」杉見台が完成しました。何だか何十人が一度に立つことの出来そうな大きな展望台は、何ともいえずあたりの雰囲気とミスマッチしています。自分は、この縄文杉の株の下まで行けた時代のことは知らないけれど、1994か1995あたりまであった小さな展望台ではまずかったのかな?今のような広さが必要だったとしても、果たしてあんな3階建てみたいな形が良かったのかどうか(雨の多い屋久島では、ここまでびしょぬれになりながら歩いてくるのだが、3階建て的な造りでありながらもここでは雨をしのぐことは出来ません)。疑問に思うところです。斜面に合わせた段々の作りで十分だったんじゃないの?1997の時は、馬鹿らしかったのと、どしゃ降りで写真撮る気にもならなかったので、その台の写真はありません。代わりにその前の年に来たときの写真をのせておきます。
ここからかなり下るとウィルソン株に。この間は道も急だし、歩きにくいし(木の根が実に多い。覚悟すべし)、登りはもちろん、下りでも時間がかかります。途中、大王杉、夫婦杉(白楽天の長恨歌にある「連理の枝・・」とはまた違った、不思議な趣です)などを眺め、とにかくいらいらするほど歩きにくい木の根道をただひたすらに下ります。時間もかかりますのでご注意を。

 

ウィルソン株は江戸時代だったかに切られた株の根っこの部分が今でも残ってる、というとんでもない代物で、中は空洞で小さなお宮が祀られ、水も流れています(冷たくておいしい)何でもかつてこの中で焚き火をやったやつらがいるとかいう話を聞いたことがありますが、その善し悪しはともかく、それほどに大きな木であるのは事実です。もっとも、上部は抜けているので雨宿りは出来ませんが。

ここから、少しは緩くなった傾斜の道を下っていくと(「翁杉」とか、いくつか立派な屋久杉もある)、いよいよ森林軌道の線路が今でも残る小杉谷の上部におりたちます。ここからはとにかくこの軌道跡を忠実に、とにかくひたすら歩き続けることになります。高低差はなくなりますが、なかなか長いので、楽しむつもりで歩くこと。なお、軌道の間に板が敷いてあって(木道と呼ぶべきなのか?)一応思ったよりは歩きやすいのですが、濡れていたり霜が降りていたりするとやたらに滑りますので油断は禁物。特に、横方向に微妙に傾斜して取り付けてあるところなどはご注意を。ま、橋の上でもない限りコケてもヤバイことはありませんが。

さて、このルートで興味深いのが旧小杉谷集落の跡地。ここに来る前に屋久杉自然館で昔のビデオを見ておくとまた感慨無量かも知れません(個人的には必見だと思います)。かつて人工数百人(だっけ)を誇り、小・中学校まであった小杉谷集落。この山間の地にあってかなりの広さの校庭にはなぜかまだ木の一本も生えていないのですが(一面コケの芝生?になっている)、昔の写真を参考に、かつて家々が並んでいたはずのあたりに藪をかき分けて入っていくと、建物こそないものの、「あ、ここが風呂場だったんだ」「何でここにこんなに一升瓶が?」「こっちにも何かあるみたいだぞ」とまあ、何だか小学生の探検気分が味わえること請け合いです。時間があればちょっと立ち寄って下さい。左の写真は、校庭側から旧学校正門(階段を上ったところに門が残っている)を見たところ。階段に腰掛けてお菓子なんぞ食べていると、何だかノスタルジックな気持ちになるのですが、皆さんはどうなのでしょうか。この集落がなくなったのは昭和45年頃で、当然、安房あたりに行くと「俺は小杉谷小 学校出身だ」という方がかなりいらっしゃるようです。
ここで本流を大きな橋で渡って対岸へ。結構高度感があり、風があると恐いかも知れません。もっとも、荒川ダム方面から登ってくる場合は、最初にまず本流渡りがありますから、もう慣れているとは思いますが。なお、ここから下流の森林軌道は今でも使われており、特に小杉谷南沢方面に延びる軌道では奥のほうでまだ伐採も続いているのか、作業小屋もあるようです。そういえば、ここの希望分岐のすぐ上流には神社があります。相当急な、こけむした階段を上ったところにあるのですが、今でもきちんと人が手を入れているようでした。
この軌道は、安房集落のすぐ上までずっと続いており、今でも補修作業が行われています。もちろん一般に開放されているわけではありませんが、何でも、前にCWニコルが来たときには「特別に」トロッコに乗って山に入ったとか。うーん、有名人だからといってそんなことでいいのか!ぶつぶつ言うのにはわけがあります。荒川ダム下の林道終点には立派なトイレ(最近完成)以外何もなく、下山のためには公衆電話のある「荒川別れ」まで歩かねばならないんですが、この林道がきついんですよ。ずっと登りなんです。そんなときに限って一台の車も通っちゃくれないし。あの時は疲れてるだけにきつかったあ。
その他、詳しいことは登山関係のガイドブックをお読み下さいませ。あ、そうそう、帰りは林道終点にタクシーを予約しておくことを強くおすすめします。

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