やっぱ不気味な雄別鉱山跡



とりあえず鉱山エリア入口の橋の上にバイクを停めておくことに。

「雄別鉱山」。釧路〜阿寒を結ぶ国道240号線から数km奥に分け入ったところにあった鉱山。秘湖シュンクシタカラ湖に行く途中にあるのですが、まずこの湖自体が無名に近いし、オンロードバイクは林道ときけば警戒して入ってこないし、オフ車でも鉱山跡と気づかぬまま通過してしまうライダーがほとんどでしょう(実際は雄別鉱山エリアまでは舗装済)。まして、かつて人が住んでいた「廃墟」といわれる場所は昼間でもある種独特の雰囲気を持っているわけで、普通なら「その方面」に興味のある人以外はなおさら近づきません。しかし、「せっかくだから行ってみようか」などと突然興味を示して行ってみた我々なのでありました。

ものの本(「なまら蝦夷」4号)によると、最盛期には家数1500戸、3000人が働き、昭和45年までは釧路から鉄道(国鉄ではなく炭鉱鉄道)も通っていたといいます。「巨大な煙突や病院、ガソリンスタンドなどの廃墟が緑の森に埋もれている」という描写を読んだら、現地に無性に行ってみたくなりました。ただし、上の描写に続いてこうも綴られています。「肝試しには絶好の場所だ」。うう〜む(笑)。

細い舗装道路をぐんぐんと降りていったら橋に出ました。ここから先はダートになっていますし、ちょうど石を撒いた後らしくブラックバードでは結構しんどそうだったのでここからは歩くことにしました。川の反対側の道沿いには古い石垣がずっと続いており、どうやらこのあたりも昔の住宅街であったことがしのばれます。ちなみに石撒きエリアはほんの100mほどだけでした。この後結構歩いたことを考えれば、あのままバイクで進んでしまえばよかったなぁと今となっては思います。

さぁて、石垣がとぎれたあたりから、草藪の中に分け入る道がありました。どうやらこの道を入っていくと何かがあるようです。結構踏まれたわかりやすい道をすすみ、数メートル登ったところ(荒れた林道沿い)にあったのは‥


ありましたありました。コンクリ2階建てのかなり立派な建物。ほぼ全てのガラスはうち破れ、壁にはアホにいちゃんたちがスプレーで書き殴った落書きがありますが、建物自体は頑丈なようで崩壊の危険は全然ないようです。今考えると、これは病院だったのでしょうか。

裏手のほうに回るともっと小さな建物があったので、そこから中に入ってみることにしました。とはいっても、おしんこどんは「私はいいや」というので、Takemaだけです。入口わきには懐かしい形の洗濯機。中は‥


壁が破られ、だいぶ荒れ果てています。雰囲気は‥結構気味が悪いです(あたりまえだ)。トイレの便器が妙にきれいだったのが印象的でしたが、あんまり長くいたい場所ではありません。それにしても、あちこちに書かれた落書きの主は真っ昼間に来たのでしょうか。夕方あたりから肝試しがてら書きなぐったのだとしたら、それはそれで根性あるぞぉ、と思わずにはいられません。

続いて、荒れた林道をしばらく歩いていきました。そうしたら鉱山関係の建物の残骸らしきものがいくつか残っている場所に出たので、またも階段を登ってみると‥


これは何?地下に向けて階段が続いています。まさか昔の坑道入口?そんなわけはないでしょうが、すぐ下で折れ曲がっている階段を下りていく気には全然なれませんでした。わたしゃ肝試しには向いてないなぁ。

再び来た道を戻り、もとの林道まで出てみると、木々の上から煙突が一本そびえているのが見えました。せっかくなので煙突の下まで行ってみることに。

 

かなり頑丈な造りのようで、近くで見てもまだまだ使えそうな立派な煙突です。内部に通じる扉には鍵が掛けられており見ることは出来ませんでした(いや!開いていても入らなかったに違いありません)。すぐ近くには昭和45年まで走っていた鉄道か、または鉱山トロッコのものかはわかりませんが橋桁が残っていました。

ちなみに、ここらへん一帯を見学していたのは我々だけ。やっぱり廃墟というのは気味が悪かったです。なんで行こうと思ったんだろう(笑)。

さて、今日はまだまだこんなところでぼやぼやしているわけにはいきません。今日の目的地幌加温泉まではまだまだ遠いのです。しかも最短距離で行かれそうな国道241号(足寄経由)を通らず、わざわざ石北峠経由で行こうとしているのですからなおさらの話です。というわけで、再びバイクにまたがり、阿寒湖方面に向けて走り出しました。