− 人なつっこい子供たちもいたし、何だかほのぼのドゥゲ・ゾン −

さて、タクツァン僧院から戻り、再び車に乗ってドゥゲ・ゾンへと向かいます。もともとチベット軍の侵攻を防ぐために構築されたこのゾンは、1951年に火事で焼失してしまったのだとか。普通ならタクツァン僧院のようにすぐさま再建されるところですが、この頃にはチベットそのものが中国に「編入」(この辺のいきさつについてはいろいろな意見があるところですが、本題からは外れるので全部割愛)されつつあったこともあり、結局再建されないまま今に至っているようです。

ちなみにブータン側の車道はこの村で行き止まり。ここから中国国境へは山道を通っていくしかないのですが、実際はこのルートから中国製品の密輸入があるのだとかないのだとか云々。となるとここは昼と夜の姿が結構違うのかな。でも村の手前にはブータン軍のキャンプもあったし、そういうことはないのかも。何だ、結局はわからないままだ(笑)。

てなわけで、廃墟となったゾンを訪ねてみました。

こうやってみると確かに「廃墟」というか、「つわものどもが夢のあと」といった雰囲気。中には焼けこげた部分が結構残っていたりもするんですが、実際は結構修復保存されています。廃墟のはずなのに窓枠が再構築されていたりとか。もっとも、ゾンの本格的な再建予定はないようで、いわゆる「公園」としての整備というところでしょうかね。周回の歩道などは石畳が敷かれている場所もあったりしましたから。

別の道から村のほうに戻ろうとしたらこんなの発見。あれ、これは??



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普通のマニ車のほかに、流水を利用した水力マニなどもあるということは前のほうで触れてきましたが、ここにあったのは何と「風力マニ」。マニ車それぞれに風車がついていて、風が吹くごとにくるくると回っておりました。そうか、こういうのもありかぁ。ということは今後は「太陽光マニ」とかが出てきてもおかしくないですね。情勢が許されるなら「プルトニウムマニ」とかが出てくるのか?いやぁそりゃ勘弁ですな。

再び車まで戻ってくると、子供たちがお出迎え。驚いたことに、この子たちでさえもカタコトの英語が話せます。というよりは「覚えたての英語を使ってみたくてもう大変」という感じでしたが。いやぁ、人なつっこかったなぁ。夕方ということもあってあたりはもう結構涼しくて、子供の手がものすごく冷たかったのを覚えています(青っぱなは出ていませんでしたけど)。お別れの時に彼らが発したことばは「Good Morning!」‥ま、その年でそれだけ積極的なんだから、大人になったらネイティブばりに話せるようになるんでしょうな。何だかうらやましい。



さて、お次のお題は「ブータンのウォールペインティング事情」。ブータンの家々の壁に書かれた各種のイラストはいったい何を意味するのか??18禁らしき画像も出てきますが、あくまで民俗学的見地からのご紹介ですので念のため(笑)。だって実際の町中の写真なんだもん。

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