ペレ・ラ越えの道は長かった −その1 登り編−
− その1 ワンデュ〜ペレ・ラ(峠)手前まで −

こんな感じの道がごく普通というべきか。乗り物に弱い人は気をつけましょ。

さて、ワンジュから東に向かう道はいきなり絶壁の途中をいく激しい道になります。ちなみに、パロからブムタンの一連の道路状況の中で、一番整備が良くないのがこのワンジュ〜トンサの間という感じでした。舗装状態も良くないし、どこまでが路肩でどこからが崖なのかも判然としない道をいくのですが、その途中、眼下に見える川の脇にある学校のような建物、それは刑務所だということでした。中庭ではバスケットボールをやっているようでした。何だか楽しそうだったんだけれどな(苦笑)。

10kmほど進み、やがて道が谷に降りたところに旅行者用の宿なんかもある小さな町があったりします。このあたりにはミカンの果樹園などもあったりして、ちょっと南国を感じさせないでもありません。よく見ると、はるか山の上に物資を運ぶためのロープウェイなんかもあったりします。

そこから少し行ったところで川を渡るのですが、新しい橋への架け替え工事中。鉄筋コンクリの立派な橋になるようで、太い鉄骨がいくつも置かれています。しかし、何気なくそこにあった看板を見てみると‥。

「Dai Nippon Costruction BHUTAN」?

どうやらこの橋は日本企業との合弁工事というか、日本のODAによって建築中の橋ということのようですな。それにしても会社名を見たときは大日本建築?そんな、戦前の帝国みたいな名前の建築会社あったっけ?」と不思議に思っちゃったっけ。よく考えてみれば「大日本土木」という会社のことでしょう。

ちなみにブータンの橋の多くで現在掛け替え工事が行われており、その多くに日本が関わっています。見たところを思い起こしてみれば‥。
ワンデュ〜ペレ・ラ間の橋(この場所):日本との合弁事業(工事中)
ペレ・ラ〜トンサ間の橋:
日本との合弁事業(工事中)
ブムタン(ジャカル)市外の外れにある橋:
日本との合弁事業(完成済)
といったところでしょうか。他にもまだまだあるはずですが、それぞれの現場には、必ず日本の社員が現場を指揮する監督として派遣されてきているそうです。ここのような山奥で何ヶ月も働くというのはなかなかに大変なんだろうなぁ。私ならいたい気もするけれど(笑)。

運転手が橋の板組みを直していると、牛が「ぬわぁにやってんのぉ〜」と見物に来た。この直後、牛は「じゃまだっ!」とばかりに蹴る真似をされ、さっさと退散。
さて、だいぶガタのきている古い橋を渡ると、ここからはひたすら山の斜面を地道に登っていくことになります。

向かいの斜面を見ていると、山の上のかなり高いところに家が点在しているのがわかります。家の周囲には棚田が広がっていますから、当然現役の家なのですが、耕すのも大変だろうし、町への買い出しなんかも大変だよなぁ‥と思っていたら、もともと自給自足を前提にした生活立地なんだから、町から遠いか近いかというのはあまり関係がないんだそうな。なるほど、自分たちの常識で考えちゃいけないわけね。

ウマは荷物を運ぶよりも道草の調達のほうが大事そうだった。

標高が上がるにつれ、どんどん道が悪くなってきます。と思ったら、峠の手前、最後の部分は新道が開通して随分道が良くなっていました。道路沿いのあちこちで、道路整備の工事に携わるインド人労働者の姿を見ましたが、この話は峠を降りていくところで詳述しましょ。

どんどん標高を上げていくにつれ、あたりまえだけれど寒くなる。やっぱり冬の3300mは伊達じゃないなと思っていたら、しっかり道に雪が出てきた。運転手アジェくんの運転もさらに慎重さを増します。ちなみに、かつては峠に降雪があるとそれこそ1週間とか道路が閉鎖されるのが普通だったそうですが(なお、ブータンではこの道が東西を結ぶ唯一のルートです)、最近では雪が降るとすぐに小石(砂とは言ってなかったなぁ)を撒いて滑り止めにするので、よほどの大雪か降雪直後でもない限り通行止めにはならないんだそうな。でも、スノータイヤとかチェーンとかは使わないんだろうなぁ。おお恐い。

さ、そんなこんなで登っていくうちにいよいよ峠が近くなってきました!

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