− 殺生はよろしからず、しかはあれどもいかがはせん −

山歩きについて来た元気なワンちゃん。ちなみに当然のことながら、おしんこどんはホントに乗っているわけではありませんのでご安心を。
さて、しつこいようですがブータンは仏教国です。日本だって仏教国なのかもしれませんが、その教えが我々の日常生活の基本になっているかといえばなかなか肯定しづらい部分も多いといわざるを得ず、あえて言うならば葬式仏教国と呼んだ方がいいのかも知れません。

さて、仏教の教えの中には「むやみな殺生を禁ずる」というような内容が含まれています。それはおそらく輪廻転生からくる平等主義に由来するものなのでしょうが、ブータンではこの教えが日常生活の中にかなり深く入りこんでいるようで、たとえば「ブータン人は蚊が飛んできてもむやみにバチッとはやらず追い払うだけ」とか、「ハエを殺しただけで怒られた」、「うっとおしく飛ぶ虫たちは実は自分の親だった存在かもしれない、だから殺せない」、さらには「人間が生きていく上で何かを殺して食べなければならないのは人間に課せられた原罪だ」とまで考える現地の方もいらっしゃるようです。

市場でも、肉を扱う店は野菜その他の店とは別の場所、奥の目立たない場所や場外にあったりするのもその関係だそうで、さらには魚は聖なる存在としてほとんど捕らないし食べないようです(かつて放流された関係で川にはニジマスがうようよらしいですが)。

さて、話を本題のほうに戻しましょう。というわけでブータンでは生き物、特に小動物を殺すことに関しては基本的にタブーとされています。過去、ブータンに都市というものが存在しなかった頃はこのことで特に問題が生じることもなかったようなのですが、ティンプーのように都市化が進んできた場所で現在問題となっているもの、それは「野犬」の問題なのです。
子犬の周りに子供も集まる。 悠然とくつろぐ。犬には犬の毎日が。
クジェラカンの敷地内でも犬はゆったり。 純真な目は犬と人間との関係のバロメーター?
いじめられることがないからか、ブータンの犬はどこでも堂々と振る舞っている。かといってふてぶてしいわけでもなく、あえていえば愛らしいほうだ。タイあたりのいじけ犬とはだいぶ違っている。元犬嫌い犬恐い派のTakemaが思うのだからたぶん間違いない(笑)。
ティンプーには確かに犬が多いです。ちょっとした場所にはだいたい目に入ります。しかし飼い犬というのはほとんどいない?らしく(たぶんそれが「生き物の自由を奪う」仏教的な罪にあたるからでしょう)、まずもってみな野犬です。

この犬たちが日常的に人間に悪さをするわけではないし、むやみに人を噛んだりすることもなさそうです(ちなみに予防接種などは一切されていないので、むやみに構うのは危険かもしれません。念のため)。しかし、日常的に餌をあげたりする(「施し=仏教的功徳」ですし)人が多いため、必然的に犬の数はうなぎ登りに増えていってしまうわけですね。

ここで日本なら保健所による「野犬狩り」が行われるところです。そしてその犬たちの行く末は私たちの予想通りとなっています。しかし、ブータンではそうもいきません。そう、「増えすぎた野犬 vs 殺生禁断」のジレンマに陥っているのが現在のティンプー最大の?問題らしいのです。

実際、犬たちは夜になるとかなり吠えてうるさいです。わたしら夫婦の行った時期(冬)ですらそうだったのですから、春の発情期などはやかましくて仕方がないでしょう。そしてその数ヶ月後、新たな命たちがこの世に舞い出ることになるのです。

増えすぎた野犬をどうにかしなければいけないということで、ティンプー市は野犬狩りに乗り出しました。野犬を捕獲して一ヶ所に集めて‥。そこまでは同じです。しかし、お国柄「処分」はできない。

どこにあるのかは聞きませんでしたが、カルマさんいわく、郊外のある場所にこのプロジェクトで集められた「野犬センター」があるそうです。犬たちはそこで餌を与えられ、殺されることなく普通に暮らしているそうな。しかし、その施設だっていつかはパンクしてしまいます。都市化が招いた伝統意識とのジレンマ。ティンプー市の苦悩は今後のブータン全体の苦悩ともなっていくのかもしれません。



君たちは幸せなのかい?

翻って日本の場合はどうなのかといえば、少なくとも「臭いものには蓋をして見えない聞こえないようにする」というのが現状のようです。ペットブームの裏で引き取り手もなく「処分」されていく犬たち。気になる記事がありました。ご覧頂ければ幸いです。

四国新聞社のウェブサイト内記事なので、直リンクを張るのは差し控えます。YahooでもGoogleでもいいですから、「四国新聞 犬」というキーワードで検索してみてください。「死を待つ犬たち 1.2」という記事が出てくるはずです。
この問題に対し我々がどうすべきであるのか、正直言って私にはわかりません。同じような問題は日本の都市におけるカラスについてもいえることでしょう。人間の営みが他の生き物に影響を与える。もっと広く考えれば地球温暖化も同じ根元的問題を抱えています。そしてその一方で「より豊かに、より楽に、より楽しく」生きようと願う私たちがいるわけです。それは日本はもとよりブータンの人々だって同じこと。

しかし、「人間中心の文化」そのものはそろそろ考え直すべき時期に来ているのでしょうね。どう考え直すのかはともかくとして。



次のページでは話をころりと変え、ブータン和紙についてごくごく簡単に触れてみましょう。あまり期待しないでね(笑)。

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