次から次へと仕事依頼がやってきた!!
            *** 地元の人たちの横のネットワークに甘えさせていただきました ***     
                       

(NZワーホリその5)

さて、Work Exchange の生活にもすっかり慣れてきました。日常会話はだいぶ出来るようになり、時には冗談すら(無理して)言えるようになってきました。時々休みをもらって Mt.Cook のあたりまで遊びに行ったりしてたのも車があってのことだし、普段はほとんど無駄遣いもしないから(何たって宿代もメシ代もないのだ。必要なのは酒・たばこ代と筋力だけなのだ)手持ちのお金の減少も最小限度で済み(少ないときは週にNZ$20〜30)、まことに平穏な生活を送っていたのですが、そろそろ Pay Work(お金のもらえる仕事) でも探したいなあと思っていた頃のことです。

9月に入った頃、奥さんのリンダさんがこんな話を切りだしてきた。「Takema、いい話があるんだけれど。あなた、前からお金になる仕事が欲しいって言ってたわね。ここから10kmほど先のAkaroaに、私の知り合いで住み込みで仕事してくれる人を探してる夫婦がいるけれど、良かったら行ってみない?」

悩むまでもない。答はイエスだ。すぐに電話してもらい、数日後にいくことで・・・決定。実は、ワーホリ中はこのパターンで次の仕事が自動的に見つかることが多く、自分から仕事を探したのは1月のフルーツピッキングだけだった。ラッキーといえば非常にラッキーだが、これも、ずっと同じ地域で仕事していたので自分の存在が徐々に知れていったことと、自分に車があって機動力があったからだと思う。同じNZでも、町中では決してこうはいかなかっただろうと思う。

相手の方に「○日に伺います」と連絡し、しばらくRonの家で生活したあと、いよいよAkaroaを目指すことに。AkaroaはNZの中では珍しくフランス系移民が入植したところで(道の名前も一部には Rue ○○なんてのがあったりする)、バンクス半島最大の町ではあるが、それでも人口は数百人。ごくたまに日帰りで日本人がやってきたりはするが、いたって静かな港町である。目指す家はすぐに見つかった。最初のようにおどおどはしない(さすがにもう慣れてた)。以下その会話。

「こんにちは。リンダさんから紹介されてやってきた Takema と申しますが。」
「ああ、あなたね。待ってたわ。何をしてもらうか、聞いてきた?」
「いや、きいてませんが。」
「この家ね、NZの独立よりも前に立てられた、古い家なの。で、内装を全部塗り替えようとしているんだけど、私は赤ちゃん(まだ生後数ヶ月)がいるし、夫は仕事があるでしょ(夫は芸術家)。だからなかなか進まなくて困ってたら、リンダさんが「うちにはそういうことのすごくうまい居候の日本人がいるけれど・・」というでしょ。それであなたに来てもらったわけ。あなた、日本でも住宅関係の仕事してたんだって?」

何だか話がわけわからんぞ。リンダさん、自分のことなんて紹介したんだ?たしかにリンダさんの家の内装工事は手伝ったけれど・・しかし、事態は急を要するのだ。「いいえ私は日本で教員をしておりました。ペンキなんてろくに塗ったことありません。」なんて言ったら、せっかくのリンダさんの好意が無駄になるし、自分の行き場所もなくなってしまうのだ。そこで・・「ええ、まあ、そんなとこです。」と極めて日本人的に答えたのであった。

結局、住み込みの時給制(何時間働いたかは自己申告による)、まかないは特にしないが冷蔵・冷凍庫のものは自由に調理して食べて構わない。夫婦そろってChchに何日か出ることもあるが、その間も留守番兼一人で働いていて欲しい、などの条件で合意。もともとこっちは条件なんてないに等しいのだから、この条件は破格である。

食事後、「あなたがどんな塗り方するか見たいから、この新しい窓枠だけ塗ってみてくれる?」との仰せ。さあいよいよだ。水性のペンキはもう用意されていたからあとはやってみるだけだ。マスキングする事くらいは知っていたが・・・

塗り終わった頃、背後に声あり。「うーん、塗り方はきれいなんだけれど。全体的にちょっと薄くない?」言われるまでもない。薄める水の量を間違え、やたら薄くなってしまったのだ。目地が見える位なのだから。そこでやむを得ずこう説明。「この枠は新しく作られたもので、まだペンキも塗られていませんでしたよね。だから、一度目は目地をつぶすために薄く塗り、それが乾いた頃に本塗りをするのです。逆に、もう下地がある場合は一度しか塗りませんがね」、と。半分嘘、半分は本当である。

彼女は納得してくれ(!)、本採用にこぎつけた。さあ、それからは働くこと働くこと。何たって働けばそれだけお金になるし、仕事が進んでいくのを見るのは自分でも楽しいし。午後も終わりの方になると、音楽流しつつビールを飲みながらやったりもした。もちろん「ビールでも飲みながらやるのもいいんじゃない?(その頃にはご夫婦も、こいつがちょっとのビールくらいで酔っぱらってしまわない人間であることは知っていた)」という有り難いお言葉に従ったわけだが。

ある日、夫婦とも数日Chchに行っていて家に誰もいない時のことだが、遅い昼飯を買いにAkaroa唯一のFish'n Chips屋に行ったとき、ハーバーのあたりで日本人の短期旅行者の女の子と出会った。日帰りだそうなので、「じゃ、バスまで数時間あるなら、うちきます?」と誘う(おいおいおまえのうちじゃないだろ)。庭の芝生で二人でビール飲みながら時を過ごし(勿論仕事は中止)、そして彼女はChchに帰っていった(ちなみに、やましいことは何一つありませんでしたので念のため)。

数日後、一日の仕事を終え、近くのパブに飲みに行くと、顔見知りのおっちゃん達がそこにいた。以下、その会話。
「おいTakema、この前の女の子はおまえの彼女か?」「いや、そんなわけじゃないけれど」「どうしてここに連れてこなかったんだよ。俺達にも紹介しろよ」「・・・」「(横にいた別の人)え、なんだよ、俺はそんな子見てないぞ、その子、こんどいつ来るんだよ」「・・・・・・」うーむ、あのノリ、村の青年会の会合そのもの、本能むき出しだったな(笑)。
子羊を羽交い締め

さて、このペンキ塗り(約2ヶ月)から始まり、すぐ上の家の家庭菜園(というには大規模だったが)の手伝い(これはペンキ塗りと並行しておこなった)、更にそこから紹介された牧場の手伝い(ペンキ塗りの終了後、約1ヶ月半)など、いろいろな仕事が舞い込んできた。左の写真は、子羊のテールカッティングにかり出されたときのもの。生後2週間から2ヶ月の子羊の尻尾を、病気予防のために切るのである。もっとも、巨大ペンチでブチッとやるのではなく、小さなゴムのリングを尻尾の根元まで押し込み、あとは血行不良で尻尾が落ちるのを待つという、一風変わった方法であった(NZでは普通なのだろうけれど)。まだ2〜3週間の羊なら楽でいいのだが、ときに「うーんこいつ随分早く生まれたな、やたらでかいぞ」というのがいて、そうなると羽交い締めも楽じゃない。思い切り腹にキックされたりしてさんざんな目に遭うこともある。

この頃だったか、歯茎が思いっきり腫れてきて、痛くて夜も眠れないことがあった。たしか旅行保険でも歯の治療は除外されてたし、参ったな・・とは思うものの、行かないわけにはいかない。でもこのあたりに歯医者なんかないし・・と思って相談してみると、学校の中にあるとのこと。何だかただの保健室のようなところで簡単な治療をうける。結局、歯茎にバクテリアが入って腫れてたとのことで、日本に帰ったらもう一度診てもらいなさい、とのこと。近くのファーマシーで薬を調合してもらい、一件落着。確か$25位で済んだ。

旧ソ連製トラクター

さて、それからはいろいろと仕事を紹介され始めた。午前中は別の家で苺のつみ取り、午後は戻ってペンキ塗り、また別の日は小屋の解体作業、etc.何だか、町の便利屋になったような感じではあるが、次々と仕事が増えていく(と同時にパブでの知り合いも増えていくわけだ)。そういう意味では理想的なワーホリでしたね。ワーホリを考えてる皆さんは、是非田舎へ。あなたのパーソナリティと運が勝負の分かれ目かも知れません。結局、約一年の滞在中、フラットを借りたことなど一度もなし。仕事は全部住み込み(勿論自分の部屋は支給される)で、出費も抑えられて言うことなしでした。

さて、さらに紹介された牧場へ。そこでの仕事は牧場のメンテナンス。家から軽四駆で牧場に入り、右のトラクターに乗り換え、鹿牧場を通り抜けて(ここは鹿たちを刺激しないように通り抜けないと奴らが群で攻撃してくるので注意!といわれてた)、目的のエリアでじゃまな樹木を取りのける、といった感じの仕事だったのですが、これについてはまた次のページで話すことにしましょう。

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