家の下には小魚が泳いでる。天日で干したらシラス干しみたいにならないかな。

さてさて、PASAR(市場)を一通りのぞいたあとは、この町のもう一つの名物?水上集落へ。いや、名物なんて言っては失礼。ここは観光地でも何でもなく、この町の人々の「生活の場」なんですから。それにしても、水の上に何でもある。食料品店や食堂はもちろんのこと、洋服屋や仕立屋、床屋もあれば集会場もあった。そして、なんとモスクまでもが水(海)の上に立てられているではないのさ。そして水上の町はどこまでも続く。あまりの奥行きの深さに、われわれも途中で引き返してきたくらい。

それにしても、不勉強ゆえどうもよくわからない。なぜわざわざ水の上に家を建てようと思うのだろうか。ここに住む人々がもともと「海の民」だからだという説明はもっともらしいけれど、もはやあえて海の上に住まなければならない必然性はないように思える。ここに定住=陸との関係の中で生活を営むという状態であるのなら陸に住めばより便利だし、陸にだってまだまだ家を建てるべき土地は余っているではないか。

ここでふと考えたこと。それは彼らが本当にマレーシアの国籍を持った人々なのだろうかという疑問。つまり、隣接するインドネシアやフィリピン(どちらも国境まではさして遠くない)の国籍であるが故に、陸(おか)での定住には差し障りがあるのはないかという可能性だ。たとえば、コタキナバルの沖に浮かぶ島にあるいくつかの水上集落は不法定住者のものであるらしいし。しかし、そことてわざわざ陸から離れた島に住みつくくらいの「遠慮」とでも言えるような雰囲気がある。ここは市内中心部の真横に隣接するような形で存在しているわけで、ちょっと堂々としすぎてる。もしそうだとしたらやはり政府が取り締まるよなあ。

でもこの疑問はふとしたことから解決できた。それは、ここの水上集落が隣国ブルネイにあるそれと同質のものではないかという仮定だ。ブルネイ政府は水上集落の住人に陸に上がって住むことを奨励し、実際に陸に家(団地)などを供給しているというが、集落に住む人たちの多くは陸での生活を頑としてうけ入れず、これまで通り水上の暮らしを続けているというのだ。もはや海の上に住む実質的な意味などなくても、慣れ親しんだ生活を続けたいというのはごく自然な気持ちだろう。さっき必然性ということばを使ったが、必然性とか実質とかを超越した、ほのぼのとしたこの環境こそが、彼らがここに住み続ける最大の理由なのかもしれない。

今なお建築中の家まであるこの水上集落は、まだまだ人々の生活の場として存在し続けるんだろうな。

 

水上集落の中心からちょっと歩いてきたあたりの「メインストリート」。真後ろには水上モスクが見える。
それはともかく、このあたり、だいぶ「道路」がいたんでると思うんだけどなあ。修繕しないんだろうか。
道が激しく上下に波打ってるよ。しかもそれぞれの渡し板の間に結構広い隙間があって、
われわれは結構おっかなびっくり歩き。地元の人は余裕なんだけど。
いったい年間何人くらいの人が誤って転落するんだろうか(笑)。

 

(左上)こうやって、水路の両側にずうっと家が並んでいる。水中の柱が腐食したら終わりだな。
家財道具一式も一気に海の中。あーおそろし。やはり陸の男Takemaには住めないな。
(右上)ここでもカメラマンは人気者。おっちゃん、「早く撮ってよっ」系で、何度もポーズをありがとう。

さて、この水上集落付近の段差にて名誉の?負傷を負ったおしんこどんではあったが、とりあえず大事には至らず。これから内陸の熱帯雨林へと入り込んでいくわけだからケガは禁物。というわけで、身体の中から消毒をというわけで、ムスリム比率の高いこの町では数少ないビールの飲める中国系の食堂を探し求めたTakema一行なのであった。



なお、マレーシアのチャイニーズ系食堂で扱っているビールは、タイガーとカールスブルグが圧倒的。
あとは店によってアンカー、ギネスなどを置いている場合も多い(この夜はギネスですね)。
ま、国教がイスラムなのに、ビールに困らないマレーシア、ホントにありがたい国だ(笑)。