Takemaが初めてここを飛んだのは1990年の2月、まだ日本ではバンジーという単語すら知られていなかった頃でした。ワーホリも終盤戦にさしかかり、アプリコットの果樹園で一日かかって稼いだお金がほんの数秒でパーになってしまうという恐るべき理不尽に心を痛めながらも、「こっちに1年もいて、こんなわけの分からない遊びすらやらずに帰るってのもないよな」というわけの分からぬ論法で自分を納得させたのはまだ昨日のことのような気もするが、そうか、あれはもう前世紀の出来事なのね(笑)。

これが1990年の初ジャンプ。今見てみると情けないけれど恐怖で腰が引けています。当時の日本ではバンジー自体が全く無名の頃ですから、「飛び降りる」というのがいったいどんな感じなのかの予備知識は全くなかったわけです。橋の上で先に飛ぶ人たちを見ながら「なんだ、案外簡単そうじゃないか?」と思ったのが大間違い。

足にバスタオル!が巻かれ、ハーネスを付けられているあたりからえらく恐くなってきたわけですね。その恐怖心が最高潮に達したのが、あの、30×50cmくらいのお立ち台の上に立った時です。あたりまえだけれど前には何もない。いや、あまりにも広大なる空間が広がっているわけです。

それでもカウントダウン通りに何とか飛び出しました(躊躇したら二度と飛べない気もしたので)。気分は・・「涅槃で待つ(沖雅也の遺書の言葉。古いね。)」という感じ。でも、恐いのは最初の1秒くらいだけで、あとは何が何だかわからなくなって「うわーっっ」と叫んでるうちに終わってしまったというのが正直な感想でした。

そして1999年3月、なぜか再びTakemaは同じお立ち台の上に立ちました。BMWバイクでNZツーリングの途中、一度飛んでるんだし大丈夫だろうとたかをくくってエントリーしたのが運の尽きですな(笑)。で、結論はといえば、やっぱりブランクが長いと、昔の経験なんてどこかに吹っ飛んでいってしまうものだということがよくわかっただけでした。でもその可能性に気づいたのが再びあのお立ち台の上だったというのが情けない。結局10年前同様、まだ腰が引けた状態でダイビングしてしまいました。さらに今回は奮発してビデオもお願いしたのだけれど、足を蹴り出すときに腰が引けてたのまでしっかり写ってて、情けないったらありゃしないぞTakema!

ということで、このジャンプのあと息もまだ切れた状態で、さっそく明日朝一番、ここよりさらに高い(71m)スキッパーズキャニオンでのジャンプを予約してしまったのでありました。なぁ〜に考えてたんだか(爆)。

 
 

ちなみに、橋の上から下をのぞき込んでいる人々は観客ですが、この写真を撮っている側に大きな展望台が2ヶ所用意されていますので、何人かで行く場合は写真を撮る人とジャンプする人とに別れるか、または時間差をおいて飛ぶようにするとお互いの写真が撮れてナイスです(死語)。自分は展望台にいた人に頼んだのだけれど、ご覧のように光線は入ってしまうし、でも文句いえる筋合いじゃないし、ちょっと残念でした。

さてそんなわけで、翌日は午前中に同じAJ Hackett運営の71mを2本飛び、午後には102mのPipeline大ジャンプに挑むことにしました。お金がいくらあっても足らないといえば足らないほど、「一瞬のアクティビティ」なのですが、今飛んでおかないと次はいつ来るかわからないという勝手な観念のもと、豪勢に「1日のジャンプのべ高低差250m近く」を楽しみました(バカだなこりゃ)」。

しかぁし、人生何が起こるかわからないから楽しい。なんとちょうど1年後、2000年3月には再びNZを訪れておりました。しかもいわゆる「新婚旅行」で。おしんこどん@妻とタンデムジャンプに挑むか(さすがにまだそれは一度もやったことがなかった)、それともそれぞれ別々にジャンプするかの選択をおしんこどんに任せた結果、別個に飛ぶということでそれぞれジャンプということに。そのあたり、詳しくは動画ビデオ編を見ていただくのが一番ということで、ここでは割愛します。
Skippers Bungy×2
Bungy Video Page
Bungy Top Page