前日のうちに準備は整っていました。平日朝の出発ゆえ、ラッシュ時の通勤電車にピッケル付きの大荷物を持ち込むことは何としても避けたく、よって1日1本の「千葉発松本行き」特急あずさを利用することも決めていました。船橋発6:53かぁ、ということは5:30頃起床、シャワーを浴びた上で余裕を持って6:15頃家を出ればいいかなぁという目論見も立てた上で‥就寝いたしました。


そして朝。ふと目を覚ますと‥

しまった、大寝坊です(笑)。しかしまぁ、今から急いで家を出るにしてもラッシュの電車は避けられそうにありません。というわけでこうなったら仕方ない、多少ゆっくり目に準備をし、あえて混雑するJR総武線を使わずに始発の都営線経由で新宿へと向かいます。結局新宿を出発したのは10:30、予定より3時間遅れと相成りました。まぁこの日はとりあえず沢沿いの道をへらへらと3時間半くらいのものですから余裕で何とかなる‥はずでした(笑)。

茅野からはタクシーを使い、途中御柱祭で使われる丸太を眺めつつ美濃戸口へ。ところで御柱祭に使われる丸太はもともと阿弥陀岳西方の御小屋山付近から切り出していたそうですが、最近は太い木の数がぐんと少なくなってしまったため、今回の丸太も八ヶ岳を挟んで反対側の佐久側から調達してきたものなのだそうな。へぇ。

さて美濃戸口到着。初めてここに来たのははるか四半世紀前(恐ろしいことだ‥)、まだ中学生の頃だったことを思い出します。裏を返せば、25年前と今とでやっていることが全く変わっていないというわけで、「継続は力なり」と自分で自分をほめてやるべきか、それとも「ナントカなんとかの一つ覚えのように進歩がない」と自爆ツッコミするべきなのか、う〜ん、難しいところです(苦笑)。

しかしまぁ既に13:30を回っています。さっさと歩き出さないと途中で日が暮れちゃうな!というわけで雪の付いた林道をぽくぽくと歩き始めました。今年は雪が多いなぁ。

美濃戸あたりではもうすっかり雪景色。以前「小松山荘」と名乗っていた宿は「やまのこ村」という、何ともかわいらしい名前に変わっていましたが、小松時代には登山者に無料で振る舞われていた熱いお茶と野沢菜漬けのサービス(ちなみに飲み・食べ放題でした)は当然なくなっていました。あれ、すごく嬉しいサービスだったんだけれどなぁ。

ここから先はワンボックスを改造した雪上車(左上写真)が踏み固めた道路を進みます。時折吹く風が木々の雪を散らしてくれますから、ザックも身体も真っ白くなるのはご愛敬。曇っていた天気も徐々に回復し始め、時折青空がのぞき出すのを嬉しく思いながら進みます。

2時間強ほど歩いたところで林道終点。ここからは純然たる山道を行くことになるというわけで小休止。しかし、何かがおかしいのです。何がおかしいって、この段階で予想していた以上に疲れているのですね(笑)。そりゃ、キャンプ用具一式はもちろん、食料やら(ちなみにザックの中からはニラが独特の芳香を漂わせ始めていました)酒やら(今回は芋焼酎が1リットルね)、いろいろと背負っているわけですが、その重さはもともと予想していました(たぶん23kg前後)。でもなぁ、記憶によるとコース自体がもっと楽な感じだったと思ったんだけれど‥

改めて地図等を見てびっくり。どうせ沢沿いだしと思ってナメてかかっていた今日のコースですが、標高差は800mほどあるんですね。1日の標高差としてはまぁまぁ登り甲斐のあるレベルです。でもTakemaの頭ん中ではせいぜい300-400mくらいの標高差しか記憶していなかったわけで、だから予想以上に「疲れた感が激しい」と感じられたわけです。

しかし初めてのコースならいざ知らず、おそらくは10回近く(そのほとんどが冬またはこの時期です)歩いているはずなのに、どうして300-400m程度の標高差というように記憶していたんだろう?そう考えた次の瞬間、これまた恐ろしき現実に気付かされてしまいました。

亦不悲乎。

そのあとは、大した傾斜でもない山道をえっちらおっちら、妙に休憩をこまめに取りながら登ります(開き直ったわけですな)。休憩を取る時は重いザックをそのまま背中バックドロップ系で投げつぶし、へろへろになってその上にへたり込む始末。くぅ、やっぱりしんどいなぁ。

でも悪いことばかりじゃありません。目指す主稜線の上空付近から、雲がどんどん少なくなっていきます。うおおおっと見ているうちに、一気に快晴になっちゃいました。天気予報通りの回復ぶり。こりゃ明日も期待できそうです、よっしゃ!

というわけで、何とか赤岳鉱泉に到着したのは17:00。テントを張る時間を考えればタイムリミットぎりぎりというところでした。しかし、一難去ってまた一難?

[戻る]  [次へ]