上の2枚の写真ですが、左は1987年のもの(Takemaがまだ細い?)、そして右は2004年のものです。87年には朝日連峰縦走のために泊まり、確か狐穴小屋あたりでキャンプして大鳥池の方に下りたんだっけな。いやぁ月日が経つのは早いものですわ。ちなみに当時は宿近くまで車を乗り入れることは出来ず、1時間くらい山道を歩いた記憶があります。今は直近の駐車場から300m弱。何だか隔世の感がありますね。
んでもって宿そのものを比較してみると、一番変わったのが中央入口の上部に新しく部屋が出来たこと(今回われわれが泊まったのがまさにこの部屋=VIPルーム?でした)、そして窓枠が木からサッシに変わったことでしょうか。でも内部はとても丁寧に整備されていて、とても戦前に造られた建物とは思えません、はい。これも、通年こちらで暮らしていらっしゃるオーナーご夫妻&3代目(今回はお会いすることが出来ませんでしたが)の物心両面に渡る気配りの賜物なのでしょうね。今回、初日に泊まるべき宿としてここを選んだのも、17年前の印象があまりにも良かったからなのですが、今回もその印象を裏切られることはありませんでした。おしんこどんは「来年もここだね!」と決めているみたいです(笑)。
さて、駐車場からは短いながらに歩きです。とはいってもこの時期歩道はまだ雪が残っていて、夕食時にご主人が「これまでに何度も岩魚にビールを飲ませてしまった」とおっしゃっていたのもむべなるかなという感じです。この時期はともかく、真冬の生活は大変なんでしょうなぁと思われます。とはいえ、かつてとは違い宿のすぐそばまで車で入れる現在は何とも楽なもの、汗をかく暇もなくすぐに着いちゃいました。
というわけで動画編4 |
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というわけで最後に宿の建物への橋を渡り、無事古寺鉱泉朝陽館に到着です。いやぁ、17年前とほとんど変わっていません(あちこちリニューアルはされていますが)。何よりも、あの時唯一のお客だった自分を暖かく迎え入れてくれたご夫妻が今もお変わりなくいらっしゃるというのが嬉しいことです。あの時はまだ学生気分がぬけきらない頃で、それでも一人前扱いをして下さったよなぁ(かなり飲んだっけ=今も変わらないけど)。もちろんご夫妻は覚えてはいないでしょうが、それでも何だか勝手に嬉しくなりました(笑)。
変わらないようでいて、しっかりソーラーボードも付いていたりするところがすごい(右写真マウスオン)。
宿の廊下はしっかり「昭和」、居間のちゃぶ台もいいなぁ。
さて、「鉱泉」というだけあって当然お風呂があります。とはいっても男女別であるはずもないのは昔ながらの宿の常識。ただ現在ではさすがに男女別で交互に入浴するようでしたが、それとて時間で区切られているわけではなく、「出たよぉ、次の方どうぞぉ」的なほのぼの感溢れるもの。ちなみにお湯は薪で暖めてます。薪で暖めると湯が柔らかいということでしたから(どこかで聞いた話のうけうりですが)、これまたこのご時世には貴重なお湯です。
湯船そのものは17年前と全く同じ。湿気でへたれる壁だけがきれいになってました。好感。
ちなみに奥の湯船は源泉そのままだったはず。この時期は冷たくてきびしいっ!(笑)。
夜は22:00頃まで自家発電(今は蓄電?)で電気がついてます。
ちなみにこの日の宿泊客は我々を含めて3組5人。GWでこのゆったり感、嬉しいです。
ここのご飯はそのほとんど全てが自家調達によるもので、岩魚なども外の池で泳いでいたものを使ってくれています。17年前の秋に泊まった時は、その全て(確か汁も入れて全13品)が山のキノコでしたっけ。ご主人が採ってきたその日の収穫物(すごい量だった!)をより分けながら話してくれていたことを思い出します。でもこの時期=GWは山菜にも早いので、新鮮山菜を期待するのなら5月末〜6月がおすすめなのかもしれません。
さて翌朝。Takemaが左写真のようなお馬鹿ポーズを取った後にトイレに行ったその隙に、鉄砲を担いだ方が怒涛のスピードで雪の斜面をそれこそ駆け上がっていったそうな(右写真)。どうやら熊撃ちのマタギ@猟師さんだったそうなのですが、朝食時におしんこどんがそのことを尋ねると、奥さんいわく「でもねぇ、今になってもまだ鉄砲の音が聞こえないからねぇ」とのこと。さすがこの地にお住まいになること数十年、余裕の発言です。でもやはり熊が出るのが当たり前の場所なんですね。
というわけで、このあとは鳴子方面へと向かいます‥が、最初は目論見違いばっかり?(笑)。