− 各国のあらましと旅行情報など(2008年9月現在) −
ジンバブエについては別ページにて記載予定です。


位置など 名前の通りアフリカ最南端に位置します。面積は122万sqkm、日本の3.2倍という広い国で、東にインド洋、西に大西洋、そしてその接点となるのが喜望峰というわけですね。ただし喜望峰は本当の最南端には位置しておりません。真の最南端はアグラス岬、もちろん今回の旅行で訪問しました。
人口・人種 4740万人(2006年)。人種比率は黒人が約80%、白人が10%、混血その他が10%ですが、旅行者が訪問する場所に関する限り白人の比率がもっと高く感じるのではないかと思います。それは裏を返せば「一般の旅行者が見るのはこの国のごく一部分に過ぎない」ということでもあります。ちなみに失業率は25.5%ということですが(2006年)、黒人に限ればもっと高いはずです。だからこそ2008年5月の各地暴動が起こったわけですから。
首都 「ヨハネスブルグ!」とおっしゃる人はもちろん、「ふふふ、プレトリア。」とおっしゃるあなたもまだまだ甘い!この国では三権ごとに首都が制定されており、いわゆる行政上の首都はプレトリア、立法の首都はケープタウン、司法の首都はブルームフォンテインなのであります。でもだから何なんだと言われればそれまでです。首都だからどうこうというのは旅行者にはあまり関係がありません。
独立&その後 1814年にイギリスの植民地となったこの地域ですが、1833年に宗主国イギリスが奴隷解放を宣言したことに端を発して白人系住民との対立が激化し、その後20世紀初頭に至るまでイギリスと多くの交戦を行い、結局1910年に南アフリカ連邦として独立したわけです。

しかしその翌年政府が発布した鉱山労働法に始まる人種差別(言い方を変えれば「少数派である白人の保護」なんでしょうが)は第二次大戦後エスカレートし、いわゆる「アパルトヘイト政策」として機能し始めます。

この政策は早い時期から世界各国の批判を浴びていましたが、1961年に「南アフリカ共和国」として再独立を果たすと同時に英連邦を脱退するなど、国際的な孤立の道を歩んだわけです。後にこの国初の黒人大統領となるネルソン・マンデラ氏が投獄されたのもこの頃で(1964年)、彼が釈放されるまでには実に26年の時間が必要となったわけです(1990年釈放)。

いわゆるアパルトヘイト法がなくなったのは1991年、マンデラ氏が大統領になったのは94年。そのあとを同じく黒人のムベキ大統領が継ぎましたが、2008年9月21日に辞表を提出。このページを作っているのは23日なのでこのあとどうなっていくのかは全くわかりません。
通貨と物価 「Rand(ランド)」。2008年9月下旬現在1R=13.1円です。物価については(旅行に関する限り)日本より多少安いといわれますが、それは旅行者自身のさじ加減一つにかかっていると思われます。B&Bに泊まっても夕食をレストランで外食というのなら日本並みの費用がかかるでしょう。ただし例外がワインで、たとえばホテルやレストランでフルボトルをオーダーしても、白ワインなら1200円くらい(赤ワインは多少高くなりますが)。というわけでわれわれは「1夕食1ボトル」を励行しておりました(笑)。

なお多少大きな町にはまずほとんどスーパーマーケットがありますので(全国展開しているのは「SPAR」。大きな町になると「POWER SUPER SPAR」という巨大店になります)、とにかく日用品の購入に事欠くことはありません。
言語 英語とアフリカーンス語が中心で、その他少数言語も含めて公用語は11。ただし英語が話せれば全く問題ないでしょう。
産業 アフリカ諸国第一の経済規模を誇る南アフリカ共和国、その原動力となっているのが鉱業です。クルーガーランド金貨に代表されるように、金、ダイヤモンド、ウラン、クロム等々、豊富な埋蔵量に裏打ちされた輸出が南アフリカ経済を支えています(ただし、経済における鉱業の比率は減少傾向にあるそうです)。ちなみに輸出相手国の第一は日本。実は皆さんの携帯電話の中にも「アフリカの大地の恵み」が潜んでいるのかも知れません(笑)。
時差 日本より7時間遅れ。この時差は旅行計画&現地との折衝時に非常に重宝しました。というのは、たとえば20:00に質問のメールを送ると、それは午後一番の13:00に現地のオフィスに到着するということで、返事がすぐさまもらえたりするのです。多い日には2.5往復くらいメールのやりとりを行ってましたっけ。
気候 「南半球だから7-8月は夏」という点では間違いないのですが、広い国内なので場所によって天候や気温は大きく違います。7-8月に的を絞って説明すると、まず時期的に雨が多いのがケープタウン及び南岸のガーデンルート。快晴の空のもと喜望峰を訪問できたら「僥倖だ」と思ってください。ま、その分虹が見られる機会も多くなると思うのでそれはそれとして。

一方、同じ海沿いでもダーバンやズールーランド界隈はインド洋側の温暖な海流の影響を受けているので天気は比較的安定しています。

私たちがこの海沿いを移動したときは、ケープタウン周辺=フリース必須、ズールーランド=昼間は半袖ポロのみ、夜になるとそれだけじゃちょっと涼しいけれどでもフリースを羽織るかどうか悩むところ、といった感じでした。

ちなみに内陸地域の天候は基本的に安定しています。ただし標高が高いエリアが多くなるので朝晩は冷え込みます。アルワリノースという町(標高1300m)に泊まったとき、早朝には霜が降りていました(日中は27℃くらいまで上がりますが)。レソトなどにも同じことがいえると思います。

クルーガー国立公園エリアは気候的には同様ながら標高が低いので、昼間はかなり暑く感じます。ただし乾燥した気候なので日陰に入ればさっぱりとした涼風が心地よいです。
治安 きましたねー。南アフリカを旅行の目的地にするかどうかを考える上で一番の問題点がこれなのではないでしょうか。ただしこれについては前ページに書いたとおり。大都市のダウンタウンや、人混みの中を歩かない(夜間はもってのほか、ただし警備が機能している場所を除く)ようにするだけで危険はかなり回避できると思います。ただし一人歩きはやはりリスクが高いかも知れません。

なおわれわれは、「ケープタウン=空港から直接車で喜望峰を目ざし市内には入らず」「ヨハネスブルグ=空港至近の宿(往復無料送迎付き)に泊まり、市内には入らず」という点だけは徹底しました。そもそも虎穴に入ろうとしなければ虎にも襲われないし?
この下は南アフリカ共和国旅行便利情報です
行き方 直行便はありませんので東南アジアかヨーロッパ経由となります。私たちの場合は全区間シンガポール航空で行きました。定評あるエアラインなので、これからも使い続けるだろうな。ちなみに今回は成田〜ケープタウンをスルーでチェックインせず(SIN17:25着、翌日1:30発)、いったんシンガポールに入国してからケープタウン便にチェックインしました。で、町に出て夕食としたわけですね。
入国ビザ 日本のパスポート保持者は事前取得不要です。ちなみに驚いたのが入国に際して「出入国カード不要」という事実。パスポート情報は入国時に全てコンピューター入力されるようです。今回の旅行では南アへの出入国を4回繰り返したのですが、「初入国から3ヶ月以内」だったため、全て最初のビザ情報(パスポートに添付)を読み取っているようでした。
入国と出国 入国は空路陸路とも特に何を聞かれるでもなくスムーズでした。空路での出国も特に問題なし。

あまりスムーズとはいえなかったというかかなり手厳しかったのが「陸路出国」。今回はレンタカーとともに2回陸路出国したのですが、そのどちらにおいても手荷物検査はかなり厳重で、バックパック(Takema)・スーツケース(おしんこどん)それぞれの中身を一つ一つ厳重に検査されました。

ま、違法なものを持っているわけでもないので検査後は無事に出国できたわけですが、あそこまで厳重にチェックされた理由はいまだにわかりません。マイナーなゲートだったので係員があまりに暇だったからかな?(笑)。
ガイドブック ま、「地球の歩き方」が発刊されているので何とかなります。ちなみに今回はロンリープラネットも合わせて持参しましたが、現地でもらえるローカルエリアのリーフレットと「地球‥」とでほぼ十分でした。

また事前調査(宿の有無等を含む)の場合、インターネットでの検索が非常に有効です。かなり細かな地域までいろいろ調べられます。ただし情報量が多すぎてわけがわからなくなる可能性大なので、情報を常に整理しておくことも大切でしょう(Takemaは途中で「どの情報がどこのものなのか」がわからなくなりました)。
お金とカード 両替を考えた場合日本円はまぁ持って行くでしょうが、ローカルな地域の銀行などでは日本円を見慣れていないので手間取ることも予想されます。それ以外にはUS$かユーロなのでしょう。私の場合旅行の最後にジンバブエに行くことを考えてUS$現金を結構多めに持って行きました(正解)。

なお南アフリカの場合、クレジットカードも非常に広範囲で利用可能です。ただしVISAとマスターに限ります。AMEXはごく一部、JCBはお土産物屋さんや日本食レストラン+αくらいしか通用しないんじゃないかな?

今後の情勢にもよりますが、2008年8月現在、ジンバブエ国内においてはクレジットカードが使えない場所が多かったようです。観光客向けの施設においてすらそうですから、ほとんど使えなかったのかも?前述の通りUS$現金を多く持って行ってよかったー。
移動手段 私らの場合最初からレンタカー移動を前提として旅行計画を立てましたので「バズ・バス」などの交通機関については全くわかりません。ここではレンタカー情報のみあげておきます。

南アフリカ国内の道路は大変よく整備されており、地図を見ながらであれば日本と同じ感覚で運転することが可能です(日本と同じく左側通行)。主要国道は道幅も広く交通量も少なく、さらには制限速度が120km/hということもあって非常に快適に移動できます。地方道を含めても道路状況は非常によいと考えてよいでしょう。

ただし町の前後には多くのヒッチハイカーが立っており(たとえそれが自動車専用道路のモータウェイであっても)、当然道路を横断することもあり得るので注意が必要です。なおこの「ヒッチハイカー」は旅行者ではなく黒人の現地居住者たちで、長距離ヒッチをする際などは手にお金を持って「これで乗せて下さい」というような行動を見せることもあります。

彼らをピックアップするかしないかは各自の判断次第でしょう。地球の歩き方などには「危険なため絶対に乗せないこと」とあります。わたしらは3組ほど乗せましたが、やはり女性や子どもだけでしたっけ。
宿の手配 今回は現地の旅行社「African Rainbow Tours」に各種の相談および一部の宿を除く宿の手配を任せました。毎回のレスポンスの早さは特筆ものでしたが、一部の宿手配に不手際があったり、いつの間にか予約した宿が変わっていたりで、仕事ぶりとしては「そこそこ」といったところでしょうか。

ただレンタカーで回る場合「暗くなる前に現着」が鉄則だと思うので、やはり事前の予約があるに越したことはありません。たとえ予約を入れるのが宿泊前日であっても。

ちなみにクルーガー国立公園の宿などは早い時期からいっぱいになってしまうので要注意。
電気関係 コンセントの形状についてはナミビアと同様でちょっと変わっています。海外旅行時にTakemaが普段持参する各コンセント万能対応のはずの「サスコム」でさえ、そのままでは電気が通りません。一番上の穴に耳かきを入れて力ずくで下左右のゲートを開き、すかさずプラグの先端を差し込むのですが、どうも接点の位置が微妙でして、差し込んだだけでは電気が流れてくれません。プラグを上下左右に回してみると「どこか」で微妙に接触するので、その「どこか」の角度でプラグを固定してやる作業が必要です。

どうやって固定するかは毎回違いました。靴を二足重ねてて高さを調節したり、部屋のゴミ箱を横に倒し、さらにそこに靴下をあてがったり‥。ま、「どうしてもうまくいかなかった」ということはありませんでしたから、各自の創意工夫ということで。

なお、この形状はレソト・スワジランドにおいても共通です。
位置など ページトップの地図をご覧いただければわかるとおり、南アフリカ共和国内に浮かぶ小島のような位置にあります。この立地にありながら独立を果たせた理由については後述するとして、この国は「天空の王国(The Kingdom in the Sky)」と称されているように国土の多くが高地に立地しています。ちなみに世界で唯一、全国土が標高1,500m以上に位置している独立国なのだとか。うーん、チベット‥。

また、別のキャッチコピーとして「なるほどなぁ」と思ったのが「No Fence Country」でした。南アフリカ(確かナミビアも)では道の両側に当然のように存在していた「延々と連なるフェンス」がないのです。所有権そのものがないわけではないでしょうが、所有についての考え方の違いなんだろうなと思うと、何だかそのことだけでこの国が大変素晴らしく思えてしまうんですが(笑)。

ちなみにレソトとはソト族の国、ソト語を話す人々の国という意味だそうです。首都はマセル、南アフリカとオレンジ川を挟んだ国境沿いにあります。南アフリカとの時差はなく(当然)、日本より7時間遅れです。

気候についても南アフリカの内陸高地に準ずると思います。7-8月でも朝晩はかなり冷えると思って間違いはないでしょう。

治安は‥実はわれわれの3泊は全てローカルエリアにおける宿だったんで、人口密集地域(マセルなど)における安全危険の度合いは全くわかりません。ただし田舎は‥問題ないと思います。日本の村と同じくらい安全のように思えます。ただし最低限の管理は必要です(荷物の車内放置とかはやめましょうね)。
歴史 「王国」と名が付いているだけあって歴史的にも長い国なのかと思いがちですが、ここはアフリカ。現在の形で独立したのは1966年というわけでTakemaより若い国です(笑)。地域的にソト族の暮らすエリアでしたが、そこに侵入してきたのがオランダ系移民を中心とするアフリカーナー(アフリカーナー=ボーア人側からは「グレートトレック」と呼ばれた民族移動)です。

彼らが隣接地域にオレンジ自由国を建国するにあたり「これではたまらない、吸収されてしまう」とイギリスに保護を申し出てイギリスの保護領(植民地ではない、ただし一時的には植民地扱いとなったがその後再度保護領扱いに)となったのが1868年。その後約1世紀にわたる保護扱いからようやく抜け出て1966年にようやく独立を果たしたというわけです。ちなみに独立直後の混乱もあり、「王国」ではありながらも国王には政治的な権力が与えられていません。「象徴天皇」と同じような位置づけと考えていいかと思います。

なお上記「ボーア人の侵入」とタイプしたところでふと気になって調べてみると、アフリカーナーもこれまた苦難の選択による行動だったことがわかります。ここから先は南アフリカの歴史と重なりますがお許し下さい。

アフリカーナーと呼ばれる彼らは、オランダの東インド会社により17世紀半ばにケープ植民地に入植したようです。しかし後発のイギリス側とのせめぎ合いに敗れ、やむなくケープ州からの撤退を余儀なくされ、かといって今さらヨーロッパ大陸に戻ることも出来るはずもなく、ならばまだイギリスの手が及んでいない内陸部へと移動することを余儀なくされたようなのです。そしてその先に現レソト王国の近隣地域があったというわけですね。

しかしまぁ、結局は「自分たちの生活を脅かした元凶(失礼)に自分たちの保護を願い出ざるを得ない」というのには何とも複雑な感情を抱いてしまいますね。

なお、南アフリカでアパルトヘイト政策が実効していた時代、ここレソトはある種の「治外法権地域」として機能していた面もあるようです(レソトは非同盟中立路線を選んだので、経済を実効支配している南アからにらまれたことも多々あったようですが)。その一例として映画「遠い夜明け」をあげておきます。もう15年くらい前にビデオ屋で借りた中にあった南アの人種差別撤廃をテーマにした映画ですが、この中にも逃げ場としてのレソトが出てきました。雨のマセルブリッジに行ってみたいとあらためて思ったっけ。

いずれにせよ、数奇な歴史の中で奇跡的に?レソトは南アフリカの領土になったことは一度もなく今日まで来たというわけですね。
通貨と経済 レソトの通貨はロチ(複数形マロチ)ですが、短期滞在者はほとんどロティ紙幣にお目にかかることもなく終わるでしょう。というのもロティとランドは等価、レソト国内でもランドがロティ同様に使えてしまうからです。わたしもレソト滞在は3泊でしたが自分の支払いやお釣りは全てランドで授受した次第です。しかしこんなことじゃいけない、このままだと下手をすれば一生ロティにお目にかかることもなくなると思ってわざわざ両替した次第です。なお、クレジットカードも旅行者が利用するような施設では問題なく使えると思います(VISA、マスター)。

経済的にはどう考えても南アフリカに頼らざるを得ない立地ですが、その一方で意外な一面も。駐日レソト王国大使館関係者によると、レソトはテキスタイルの技術に優れ、実は「GAPS」や「Levis」などの商品はほとんどがメイドイン・レソトなのだそうです。「ほとんど」というのが完成品のある部分を指すのか、それとも全完成品そのものを指すのかは不明です。また現在でもそうなのかはわかりませんが。

しかしそのような面をのぞけば基本的には農牧畜業がメインとなります。でも南アフリカの大規模農牧畜に比べて規模的に劣るのは確かで、そうなれば輸出もおぼつきません。そういう意味でなかなか大変な国でもあるのでしょう。

でも南アフリカからこの国に来ると何だかほっとします。そんな感覚はよくインドからネパールに渡ってきた旅行者によく聞かれるところですが、われわれの場合は入国のイミグレでさっそくその感覚を深く感じました。詳しくは旅行記にて。
出入国ほか関連 事前のビザ取得不要、最大14日程度の滞在許可がその場でもらえます。ちなみに自分たちの場合は4日間の滞在予定だったので「5日間でいいです」と正直に申告したら、「いや、最低1週間からなんですよね」といって7日間の滞在許可をもらった記憶があります(笑)。

レンタカーと一緒に入国する場合、チェックされたのは車のナンバーだけでした。荷物のチェックも全くありませんでしたっけ。陸路の場合ですらこうですから、空路の場合はさらに何もなさそうですね。
国内の移動 ミニバスがあるにはありますが、満員になるまで発車しない方式のため時間が読めないのが難点です。やはりレンタカーが一番でしょう。主要道路は舗装されていますが、山国のためカーブが多いですし、道路際にフェンスがないため歩行者の横断は南アフリカよりも圧倒的に多いです。スピードは控えめに。
宿について マセルを除けば旅行者が泊まれる宿の数は多くありません。それでもマレアレアなどポニートレッキングのできる場所の宿は設備もそこそこ整っています。ただし数が少ないこともありハイシーズンは予約必須かと思います。
その他 南部アフリカ地域におけるHIV感染率の高さはかねてから指摘されていますが、ここレソトも例外ではなく‥というよりはその影響を大きく受けているようです。

Wikiによれば、「HIV(俗に言うエイズウイルス)感染者が1990年代以降激増、国民の約1/4がHIV感染者。その為、1990年には220万人であった人口が、2006年には、180万人と激減。平均寿命は60歳から35歳になっており、農業生産も減り続けている」ということです。

このことは国の存続に関わる重大な現実です。レソトはこれからどうなってしまうのか。そういえば現地では「父も母も死んでしまい、孤児となってしまった少年」と知り合うことがありました。もしかして彼の両親も‥?
位置など 南アフリカの東部に位置し、東はモザンビークと国境を接している内陸国です。面積は30,000sqkm(四国の1.6倍)。ちなみにすぐ北側は多くの野生動物が生息していることで有名なクルーガー国立公園(南ア)ですので、レンタカー旅行の場合は動物サファリとセットで訪問するような計画を立てると効率的です(笑)。
歴史・経済・
政治等
レソトがソト族という部族名を国名にしているのと同じく、スワジランドはスワジ族の国という意味です。この部族はもともともう少し北方に住んでいたようですが、他部族の南下によりこの場所に移動してきたようで、そのため先住のサン人は追いやられてしまったみたい。サン人はナミビアなどでも多くの壁画を残していましたが、彼らはどこに行ってしまったのでしょう?(今でもカラハリ砂漠の一部に定住しているそうですが、その絶対数が激減しているんじゃないでしょうかね)。

さて19世紀にスワジ王国が建国されますが、ここでもやはりアフリカーナーの進出やズールー人に対抗するためイギリスに保護を求めざるを得ず。現スワジランド王国として再独立を果たしたのはレソトに遅れること2年の1968年のことでした。

その後、南アフリカでアパルトヘイト政策がとられるようになると、国際的な経済制裁から逃れようとする企業等がスワジランドに経済進出し、そのため経済に占める工業生産の割合は比較的高いといいます。確かに国民一人あたりのGNIは2430ドル、レソトの1030ドルと比べれば倍額以上となっています。ただしそれがそのまま「国民の平均的生活水準の向上」につながっているわけではないところに大きな問題があるわけです。この国の69%の国民は「1日1ドル以下」の生活を余儀なくされているそうで、「富の配分」については全く機能していないようなのです。

スワジランドはレソトと同じく王国=立憲君主制の政体であるとはいっても、その内実にはかなり違いが見られます。レソトでは現在、王は「君臨すれども統治せず(政治的実権を持たない)」という象徴的存在であるのに対して、スワジランドでは国王が多くの実効権力を有し、閣僚も王家と関わりのある人物が多数を占めるなど、形態的には専制君主制に近い状態であるようです。
通貨関係 リランゲニ。ただしレソト同様南アフリカランドと等価になっているため、ランドでの支払いが問題なく可能です。短期の滞在の場合、リランゲニ紙幣を手にすることなく終わってしまう可能性も高いです。カードについては不明ですが、おそらくVISA・マスターなら使えると思います。
出入国・
国内の移動
レソト同様ビザの事前取得は必要なく、また荷物検査などもなさそうでした。なお、レンタカーを持ち込む際には持ち込み料金が必要になります。入国管理事務所に支払いの窓口があるはずなので、「Vehicle云々」というカウンターを探してください。なければ聞いてください(無責任)。料金はE50。

国内の移動はやはりレンタカーが一番です。ただし時に道路標識が不足しているところもあったのか、われわれは注意していたのにもかかわらず大回りを余儀なくされました。ま、その代わりサトウキビをかじれたからいいか(笑)。

ちなみに今回の旅行中一番ガソリンが安かったのはスワジランドでした。税金の違いなのかな?
治安 Takemaはレソト同様首都(ムババーネ)に足を踏み入れませんでしたのでどうなのかわかりません。信頼できる筋に問い合わせてください。ただし自分の見た範囲(田舎)では特に「危険な匂い」は感じませんでしたが‥。ちなみにレソトとスワジランドには外務省の危険情報は発出されていません。
その他 2007年に全人口の1/3が被災するという大干ばつを受けたにもかかわらず、国は対症療法的な政策しか取らず、国王の一族が国を支配するという政治形態が国際的に批判の対象になっているようです。何でも国王の無駄遣いが馬鹿にならない額に達しているようで、しかしそれを控えさせようとする権限すら国民にないというのは‥

もしかして、スワジランド王国の未来は決して明るいものではないのかも知れません。
さーて、長ーい紹介もいよいよここまで。次のページからはいよいよ旅行記の始まりです!
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