− Page5 成田出発&なぜか「シンガポールで乾杯!」 −

というわけで、世の多くの人々に石つぶてを投げられてもおかしくない「21日間のアフリカ旅行」のスタートです。ちなみに今回の旅行ではおしんこどんの旅行スタイルにちょっとした変化が起こりました。それは‥


(ちなみにTakemaの荷物はこれまで通りバックパックですが)

今回の旅行における移動手段の多くはレンタカー、しかも宿はツリーハウスとかではないロッジやB&Bばかりですから、実際に荷物を持って長時間移動することはほぼありません。ならばということでわが家に1つだけあるスーツケース(Takema出張用)に出動命令を出したわけなんですね。

2000年の新婚旅行を含めこれまで全ての海外旅行が夫婦揃ってバックパックだったことを考えれば、「うーんわれわれの旅行スタイルも徐々にエグゼクティブ化しつつあるのか?」と思われても不思議ではないですが(うそ)、まぁ今後どうなるのかはこれから訪問する国次第ですね。

成田のチェックインでは、ケープタウンまでスルーでチェックインすることも可能でしたが(普通ならそうするでしょう)、あえて乗り換え地のシンガポールまでのみチェックインといたしました。その理由は‥ま、すぐあとでわかります。それにしてもインターネットチェックインはカウンターでの待ち時間短縮効果が高いですね。むふふ。

さてゲートが開くまでの時間に朝ごはんも食べなくちゃ。というわけで回転寿司「海鮮三崎港」(時間が早かったためまだ回ってませんでしたが)に入って生ビールで乾杯!あーこりゃええわ‥と思う間もなくそろそろ行かなくちゃ。ではでは寿司よ日本食よ、しばしの別れなのぢゃ!あとはバックパックの中の「芋から作った魅惑の液体」だけが頼りですがな(笑)。

さてこの日のSQ637便ですが、使用機材が何とあの新鋭機「オール2階建てのA380」なのでありました。いや予約段階から知ってはいたんですが、それにしてもヒジョーにわくわくします‥というのも、わたしゃ「飛行機の2階に乗るのって初めてなんです」。普通ジャンボの場合2階部分ってアッパークラスですものね。乗ってしまえば1階も2階も同じなんですが、何だか遠足の子どもになった気分です(笑)。



機内最後部にらせん階段があるんですね。ほとんど誰も使っていませんでしたが。

ちなみにエコノミークラスの場合、1階席は3-4-3の配置なのに対し2階席は2-4-2なんですね。というわけで事前に予約しておいたのは2階最後部の窓際でありました。席をリクエストする場合はいっつもここ。トイレがすぐ後ろなので落ち着かないだろ?とお考えの方もいるでしょうが、慣れてしまえば別に全然気になりませんし、リクライニングも後ろの席の人に気兼ねする必要がないので‥さて肝心の新エコノミー席ですが、液晶も大きくなり座り心地もまぁまぁです。でもまぁ取りたてて大きな変化はないかな。だって所詮はエコノミーだもん(笑)。

と、このフライトでは「やっぱりヒコーキって手作りなんだなー」と実感する出来事が。シンガポールチャンギ空港着陸の瞬間、スムーズなランディングだったにもかかわらず何やら後方で「バタン」と音がしました。後ろを振り返ってみると‥



アテンダントの目を盗んでしっかり撮影に成功しました(笑)。

さて入国審査を終え、荷物をピックアップして向かった先はチェックインカウンター。と、カウンターの手前には自動チェックイン機が並んでいます。チャンギでのこれはまだ使ったことがないからやってみようっと。ふむふむ予約No.や座席のリクエストまでぜーんぶ出来ちゃうのね、よし搭乗券が出てきたぞ、ここで1枚写真を撮ろうと手を搭乗券に添えた状態でポーズをとっていたら‥


(和訳「ボーディングパスが吸い込まれちゃった!」のつもりの英文です)

ありゃま(笑)。ちなみに左上の画像こそがまさに「機械に食べられちゃう」直前に撮った写真です。結局われわれが手にすることのなかった「幻の搭乗券」もちらりと写っていますね(笑)。というわけで「チェックインはしたけれど搭乗券が手元にない」という、非常にナサケナイ状況に陥ったわれわれは有人カウンター(右上画像)に泣きついたというわけでございます(大笑)。

もちろんコンピューター上の処理は終わっていますし、予約番号等を印刷した紙は手元に残っていますから問題なく再発行してくれましたが、あー驚きの一瞬でした。しかし搭乗券が出てきてからせいぜい10秒くらいのものだったのに何の予告もなく吸い込んでしまうとは恐るべしシンガポール。日本だったら「ピピー」とかの「取り忘れ警告音」くらい鳴らしますよね。ということは、この国のATMとかも一定時間紙幣を取り出さないと容赦なく取り出し口を閉めちゃうとか?で、「お金を受け取る機会があったのに受け取らなかったあなたがイケナイ」とかいう理屈で口座からはしっかり引き落とされちゃうとか?(さすがにそんなことはないでしょうが)。というわけでわれわれにとっての教訓。


(普通は誰もはしゃがないと思いますが)

さて荷物預けも終了し、いよいよ街へと繰り出しましょー!

そう、ケープタウンまでスルーでチェックインできたのにもかかわらずわざわざシンガポールで再度次区間のチェックインをしたのはまさにこのため。空港内で7時間以上うだうだするのは、エアコンが効いて快適ではあってもやっぱり退屈です。そんなことを考えていたときみいまんさん「空港近隣のチャンギビレッジはなかなかいいですよ」と教えて下さったわけで、もう目指すはここしかありません!イーストコースト何するものぞ!

さてすぐ近くだと思っていたら、空港施設をぐるーっと回りこまねばならぬようで結構な時間がかかりました(15分くらいだけれど)。で、まだ太陽が沈む前だったので、まずは海岸べりに行ってみました。

うわーいさすがに空港至近ゆえ、海の向こうからどんどんどんどんヒコーキがやってきます。何だか成田のさくらの丘公園にいるような気になってきます。うーん、何が釣れるんだろうか?釣れている気配はなかったんで聞けませんでした(苦笑)。そうこうしているうちにもどんどん日没が近づきます。というわけで夕日を見なきゃ?



実は上記の記述は嘘八百でして、この夕日を見たあとに外海側に移動しました。正直だなー(笑)。

しかーししかし!実は今回このチャンギビレッジを訪ねたかったのにはもう一つの大きな理由があったのです。というのも、「もしかして、この場所には今から19年前に来ているのかも?」。そのことを確かめたかったわけですね。

Takemaの初めての海外旅行がNZのワーキングホリデー(1989-1990)であったということは、聡明なる皆さまならすでにご存じのことと思います。で、その時の旅行生活記録については「NZワーキングホリデー」及び「当時の日記」を記したそれぞれのコンテンツにおいて紹介している通りなのですが、実はあの旅行記は全てNZ到着時から始めています。しかしその直前に立ち寄ったシンガポールでTakemaは「初めての第三国日帰り船旅」というのを試していたのです(笑)。

初めての国際線に乗ってシンガポールに到着したTakema、実はシンガポールに3泊していました。しかも宿はといえば「Westin Stanford」。今はどうだかわかりませんが当時としてはかなりのホテルです。そこに泊まりつつオーチャードロードやセントーサ島などを巡ったり、バス路線はよく分からなかったのですが当時の二階建てバスに乗りたくて、そのバスが来たら終点まで行きそしてまた乗った場所まで帰ってきたり、「地球の歩き方」に何もガイドのないMRTの駅で降りてその界隈(だいたい何もありませんでしたが)をうろうろしてみたりと、とにかく中1日目は「何も話さなくていいレベルで」うろうろしておりました。というか、当時は真の意味で英語力がゼロに近かったんですけれどね(笑)。

で、たぶんホテルの部屋に戻って翌日の行程を考えた時、現在のTakemaの行動の減点、いや原点となるような突拍子もない行動を思いついたのだろうと思います。それはたぶん‥。

というような感じだったのでしょう。というわけで中2日目はそこを目指したというわけです。

当時の記憶を思い起こせば、要は初めての海外旅行、それも単独で「地球の歩き方」というバイブルでさえ航路図を示す点線しか書かれていなかったところに行こうと決意した当時24才のTakemaに敬意を表するしかありません(しかも英会話能力は、「俺(私)って海外も行ったことないし、そんなの絶対無理!」とおっしゃる方々と完全に同等でした。これホント)。

しかし現実は甘くありませんでした。というか何もわかっていなかったのが自分だったのですね。

ウェスティンからタクシーで「チャンギポート、プリーズ」とベタベタの日本語系英語でお願いすると、「エアポートですね?」というような返事を返されたことは覚えています。そこでたぶん「違う違う、チャンギ空港じゃなくてチャンギの港、あのねデサルビーチに行きたいんだから」というようにドライバー氏に言えるのは今のTakemaです。しかし当時のTakemaはまだまだ若い、若いからといって何ができるわけじゃなく、とにかくあたふたと「チャンギポート、マレーシア、シップ!」というような呪文を繰り返していたような気がします。

で、次のはっきりした記憶はもっとすごい世界で、タクシーの運ちゃんが丁寧に案内してくれてチケットも代行購入してくれたんですが、港の係員さんが「こっちだ」という無言の案内をしてくれた桟橋の先には‥屋根もない小型木造船。船の幅は3-4mくらいだったでしょうか(全長はもっと長いですが)。そこに15人くらいの乗客が向かい合わせに座り、誰しも無言‥。

で、港から出たあたりで船長とおぼしき人が「○▲*※■♪!」と大きな声で叫ぶと、乗客全員(自分をのぞいて全員地元ふう)がパスポートを出してましたんで、まぁ自分も出したわけですが、パスポートをこの見ず知らずの船長に渡した瞬間「あー、日本に帰れないかもしれない」と真剣に考えました(笑)。だって、今思えば外見はまさに難民船みたいな感じでしたし(笑)、「パスポートは常に肌身離さず携帯すること」という外務省の御教をとにかく忠実に守ろうとしていた当時のTakemaとしては、かなりのぶったまげあちゃまーやってもーた系の衝撃だったわけです。

もっともそんな不安はすぐに解決というか、対岸のマレーシア側の港に着くと船長はパスポートの束をまとめてマレーシア側のイミグレーションにどさり。何だ、イミグレ係員の手間を省くためだったのね(笑)。このあとは床に大穴の空いたタクシーでデサルビューホテルまで行き、ホテルで勝手に泳ぎ(笑)、レストランで飯を食いビールを飲み、最後にはホテル発シンガポール行きの直通バスで帰ってきたのでした。初めての海外旅行3日目とは思えない大胆不敵な行動だったわけです(笑)。



古いアルバムから引っ張り出してきました。左上画像はマレーシア側イミグレ付近、右上はホテルのバス前にて。19年前の写真です。

そんな小旅行の出発点がここChangi Portだったのです。港周辺はきれいに再整備され、停泊している船もかつてのようなおんぼろではありません。が、港を見た途端、記憶に残るこの場所の映像がよみがえりました。「やっぱりここだったんだ」。いやはやあれから19年、「ただ夕食のためだけに同じ場所を訪れる」ことになるとは思いもしませんでした(笑)。



それにしても19年前はずいぶん無鉄砲だったのね(笑)。

さて港周辺散歩のあとは夕食です。さすがシンガポール、日が暮れてもしっかり蒸し暑いですからまずはこれこれ!



タイガーの生!シンガポールの夜はこれに限るっしょ!

というわけで暑いときこそ(よせばいいのに)熱々の鍋=スチームボートをハフハフとつまみ、ングング、プハァ、店員さん、生のおかわりヨロシク!といった「あまりにも予想通りの場面」が展開されたわけでありました(笑)。この旅行、初日から飛ばしてますな。

さて22:00ころ空港に戻り、あとはひたすらケープタウン行きのフライトを待つだけなのであります。と、何やら搭乗口への通路沿いに置いてあるぞ?

これ、足のマッサージ器なのでありました。トランジット客の多いチャンギ空港ならではのサービスなのですが、何と利用は無料!何だかんだで疲れた足の裏や脛の部分などをやさしく、いや時にはぎゅーっともみほぐしてくれるのでありました。これ、いいじゃないですか!是非成田にも‥いや、日本だったら絶対有料だよなぁ。

そんなこんなで、午前1:30発のSQ480便はほぼ定刻にシンガポールを出発。12時間ものロングフライトですが、「早めにワインやビールを飲んでよーく寝て、到着は朝の7:35、あ、そのあとすぐにレンタカーを運転しなきゃいけないのでお酒は程々に」という感じですね。ではではおやすみなさい‥zzz。
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