− Page15 マレアレアロッジ周辺をお散歩&夕方の憩い −
あー、何とものどかな山村の午後です。
そんなわけで村歩きの開始です。まずはショップへと向かいますが、さてどんな感じの品揃えなのか?インスタントラーメンでも売っていれば最高なのですが、そもそも村人用のショップなのですから多くは望めないかなーと思いつつ入っていってみると‥
「小麦粉2kg」とかはあるんですけれど、いわゆる「個食」にあたるものは皆無でした。ただ、オレンジとリンゴは行動食にも使えるしということで2個ずつ購入。これが「主食」にならずに済むよう祈るばかりであります(笑)。ちなみに後で気づいたことですが、ロッジのレストランでもランチパックは用意してもらえるみたい。今後現地を訪問する人はレストランで尋ねてみて下さい。
と、ここでわれわれは1人の少年と出会うことになります。名前はDくん(13才)。あえてイニシャルでの紹介にとどめておく理由はこのあとの文章を読んでもらえればご理解いただけるかと思います。彼はわれわれの方に歩いてくると、「こっちにもショップがあるよ。Not too far, follow me.」という感じで先導をし始めました。最初は「何だろうこの子、お節介焼きというよりはいわゆる「自称ガイド」なのかな?」とも思いましたが、結構誠実な感じなので(実はコミュニケーション上の距離感が絶妙)、「では、君にこの村を案内してもらおう!」ということに。このあとわれわれ3人に「勝手に合流」してきたJくん(15才)と合わせ(笑)、4人組による村の探索が始まります!
ここマレアレアはレソト国内では珍しい「観光地」というべきなのか、レソトを訪問する旅行者の多くがこの地を目指します(とはいえそもそも旅行者の絶対数が少ないのは事実ですが)。またこのロッジは「地域との共生」をモットーに運営されているらしく、ポニートレッキングは村人たちの現金収入の道を開き、また学校もロッジや旅行者からの寄付によって管理維持され、またクラフトショップ(ロッジの敷地外にある)なども設けられ(われわれも買いました)、おそらく周辺の村に比べればかなり潤っていると思われます。
でもその一方で、ロッジの運営者やトレッキングのガイドさんは「その弊害」も理解しているようです。ロッジ内には次のような掲示もありました。
このあと出会った村の子供たちが「Give me ○○!」と声を掛けてくることはありませんでしたが、この翌日奥の村に入ってみたらやはり「Sweets!」と声を掛けられたのも事実です。しかし「Sweets」に始まるおねだりは、やがて「Money」になり、そしてそんな環境で育った子供たちが大人になるに従って「もっとせしめる方法はないものか」という発想に行き着いてしまうのは自明の理です。東南アジアの「微笑みの国」がいい例のように思います。というわけでこのロッジの運営方針には全面的に賛成ですね。
さてDavidくんに連れられて村の中を歩いていくと、ボロボロになった車を遊び場にしている子供たちに出会いました。物珍しさに車からこちらへと近づいてきた子供たち‥うわ!
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さて続いては反対側へと歩いていくことにいたしましょ。ロッジの出入口すぐ下側にある粉挽きの小屋を通り過ぎて歩いていきます。それにしてもこの日は風も弱くて散歩には絶好でしたっけ。実はこの翌日はこの平原を風がピューピューで、馬上とはいえかなりしんどかったのです。
われわれも歩き、向こうからも歩いてきます。挨拶はソト語の「ドゥメラー!」(こんにちは)。いや、これしかできないんですが(苦笑)。
ソト族の普通の家屋はわれわれの宿と同じ作り。ちなみに雨には弱いそうです。D&Jくんは何だか楽しそう♪
さて、ぽくぽくと歩いていくとJくんがひと言。「あれは小学校(兼教会)なんだ。今日は日曜日だから賛美歌を歌っているのが聞こえるでしょ?ボクのお母さんも歌っているはずだよ」。
でもTakemaはその瞬間、別のことを思い出していたのです。ここに来る少し前にあったクラフトショップの近くに建設途中のまま放り出されていた家(壁の途中までは出来ていた)があったことを。そしてそれを見ながらDくんが「ここは僕のお母さんの家(になるはずの建物)だったんだ」とつぶやいていたことを‥。
なぜ家が建築途中のまま放置されてしまったのかと聞くと、実はDくんの両親はそれぞれ若くして亡くなってしまったというのです。どうして亡くなったのかまでは聞きませんでしたが、「最初に母さんが、そしてしばらくして父さんが」という言葉を聞いてはっとしました。それはもしかして‥HIVではないのか?
レソトに限らず南部アフリカ地域におけるHIV感染率は世界でも群を抜いて高く、ここレソトは2006年現在のデータでは「世界第3位のHIV有病率=全人口の23%が感染者」だといいます。この国におけるHIVとは一部の特殊な人ではなく、それこそ「どの家にキャリアがいてもおかしくない」ところまで来ているのです。この国の人口が減少しているのも、もはやHIVを抜きにして語ることは出来ないのです。
もしDくんの両親もそうだったのだとしたら‥。明るく振る舞っていながらも急にしんみりと下を向いてしまうこともあったDくんの姿を思い出すたびに、この穏やかな村にも存亡に関わる大きな問題が横たわっているのだと考えてしまうのです。
さてそんなわけで孤児になってしまっているDくんなのですが、彼を取り巻く状況は決して悲惨なことばかりではありません。彼は何度か「パパ・マイケルが云々」と口にしていました。そのマイケル氏とは、どうやらロッジのマネージメントを取り仕切っている彼のことらしいのです(違ったら申し訳ありません)。孤児となった子供たちに衣服を支給したり、学校に行かれるように等々いろいろと心を砕いている「パパ・マイケル」。この名前を発するときDくんの目がひときわ大きく見開かれていたのは今でも記憶に残っています。
さて話がそれてしまいましたが、再び村内散歩の話に戻りましょう。
2人の「ガイドくん」に従ってさらに村の奥の方まで歩いていきます。たぶん彼らがいなかったらせいぜいクラフトショップあたりまでしか行かなかったかなと思うと彼らの存在は貴重で、この段階において「正しい対価としてのガイド料」も支払うつもりでおりました(笑)。
で、そんな奥の方まで歩いてくる旅行者は少ないのか?点在する家々からは子供たちが物珍しさから飛び出してきます。ただし前にも書きましたが「何かちょうだい」系のリクエストは一切なし。そんなひとコマを動画にて紹介いたしましょ。
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村の一番奥(ロッジから約2km)にあったのはミュージアム。ここにこんな施設(無人)があるということ、そして案内なしにここまで来るのはかなり困難であるということを考えると(ロッジに地図の掲示はありましたが道中には一切看板なし)、この「村内ガイド」も少年たちの立派な仕事として成立しているのではないでしょうか(ただし需要はあまりなさそうですが)。大人はポニートレッキングのガイドとして働くという棲み分けもできているようですし。ちなみに彼らにガイド料を払ったりするのはロッジとしても「Please!」だそうです。
ミュージアムは予想通りシンプルなものでしたが、それよりも彼ら2人の案内が楽しかったです。
道中、ソト族のダンスについての講習を受けるおしんこどん(笑)。
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帰り道、数頭の牛を追う牛飼いさんとすれ違いました。
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そんなわけでロッジまで戻ってきました。いくばくかの「ガイド料」を支払い記念写真を撮りましたが、Jくんに比べてDくん(左)は全然元気がなくしんみりしたような感じです。考えてみればまだ小学校を卒業してすぐの年齢、精一杯大人ぶってはいたけれどまだまださびしがりやの少年なんですよね。この時の情景をおしんこどんは日記にこう記しています。
さてそんなわけで部屋に戻ってちょっとゆっくりするともう夕方です。17:30からは野外のコンサートが(毎夕)あるというので、ちょっと早めに会場と思われる場所(プラ椅子が並んでいるのですぐわかる)に行ってみると、ここに来る旅行者の中でそんなにせっかちな人間はいないということか、だーれも来ていません(笑)。
というわけで夕景をバックに記念写真などを撮りつつ時間つぶし。野鳥の餌場には何とクジャクが!
そうこうしているうちにイブニングコンサートの始まりです。コーラスとダンスミュージックの二本立てでしたが、やっぱり「日没の風景をバックにしながら聴くコーラス」の方がよろしかったような(個人的感想です)。それぞれ終了後にはCDの宣伝もしていましたが、こういう「リアルな売り込み」にはとても弱いTakema、当然のように2枚とも買っちゃいましたとさ(笑)。いや、これもこの村自活のための糧になるのですから!(単に自分が欲しかっただけですが)。
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さてコンサートも終わりすっかり冷え込んできた中、そろそろ夕食をいただかなければということでレストランへ。完全セルフ、メニューは1種類のみとまさに山小屋的なサーブなのですが、隣の部屋にあるリカーストア兼パブで赤ワインのボトル@R55を購入して持ち込みます。
われわれの向かいに座ったのはアメリカ人女性のニコール。USAミシガンの大学2年生。彼女は夏休みを利用して南アフリカに滞在し、ヨハネスでHIVキャリアの子供たち向けに英語その他の啓発ボランティアをしているのだそうな。うーん、言葉の壁がないとそこまでのことが出来ちゃうのねとうらやましかったぞ。‥ん?言葉の壁だけなのだろうか?
この日のTakema日記によると「自分のこと、自分のスキルアップばかりを考えていたらどんどんちいちゃくなっちゃうぞ!」とあります。20才そこそこ、「わたしプディング大好きなの!」とTakemaのぶんもしっかり食べきったニコール(あ、Takemaが「自分の分もよろしければどうぞ」と言ったんですけれどね)を育んだ「フロンティア精神の育成に今なお積極的なアメリカ」に、日本はまだまだ学ぶべき点が多いです。そこそこの英語力だけ身につけて満足していないかい若者よ?
さて「現実」に戻りましょう。ここMalealea Lodgeの宿泊は素泊まりが基本、ゼータクなコテージ(でも大してゼータクでもなさそうでしたが)に泊まろうと、われわれのようにフォレストハットに泊まろうとも、そしてテント持参の格安滞在であろうとも、基本的に夕食はここで食べることになるのであります!上にも書いた通りセルフでステーキの配給を受けたわけなんですが‥。この時、Takema&おしんこどんの中にキラリと輝き始めた野心。それは‥。
ちなみにステーキは勝手に取り放題というわけではなく、「1枚ずつおばさまから皿に載せてもらう」という厳重な形式なのですが(笑)、そのお肉がそもそも大きいので、目の前に置かれたパンとともにこっそり挟んでジップロックに収納。これって別に違反じゃないですよね?というかそもそも1人前を平らげられないわれわれですので‥(笑)。
レストラン隣のパブには悩ましげなネオンというか照明が「おいでおいでサイン」をキラキラさせていましたが、明日からの「どんなことになるかわからないポニートレッキング」を控えた身ですのでやめておきました。というか、すでに2人で赤ワイン1本空けているんですよね(笑)。
部屋に戻ると頼りない灯りがぼんやりと部屋を照らしておりましたが、日記を書いているうちにそれも消えました。あー、それでも部屋の前の自炊用キッチンにいるフランス人がうるさ‥いや、この人たちとは長い付き合いになったので文句は言うまい!(笑)。というわけで何だかやたらに充実していたこの日も終了です。明日からは「お尻の皮がむけませんように」と願うばかりのポニートレッキング!
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