− Page15 いざ1泊2日のポニートレッキングへ出発! −



朝日がマレアレアの高原を輝かせ始めました。今日も当然のようにいい天気♪

さてそんなわけで、今日からは1泊2日の予定で上流にあるRibaneng=リバネン村を訪ねるというポニートレッキングなのであります。そういえば「高原のポニー」といえばその昔小海線を走っていた蒸気機関車(C56)の愛称だった気もしますが、そんなことを知っているのはたぶんわたくしTakemaよりも年上の方ばかりでしょうね。



左の地図上を左から右に横断することになります。でも「馬の足で」丸一日コースですからなかなか遠いぞ。



朝になって気づいてみると、Hutの天井にはしっかり風見鶏が付いておりました。

朝食はパンとベーコンと卵、それにオレンジジュースとヨーグルト、コーヒーというシンプルなものでしたがわれわれにとっては十分です。というか、ここでパンとベーコンの一部を食べずにジップロックに入れたわれわれだったのでありました。誤解のないように申し上げれば、これらはあくまで「本来の自分たちの取り分範囲」の中で行ったわけで、決して「他人様の口に入るべきもの」ではありませんでしたので念のため。

さてこれで2日分の「食料」も確保できました‥?用意できた全内容(4食×2人=8食分)はといえば‥

われわれは2人とも小食だからこれで何とかなってしまうわけですね。ちなみに上記のうち、結局おこわ1袋は食べずに持って帰ってきた次第。普通の人ではちょっと、いやかなり厳しい量だろうと思います(笑)。

なお、飲料水については途中の沢水が飲めない(周辺は放牧地帯なので)ということでロッジで購入していくしかありませんが、ロッジオリジナルの水の入ったペットボトルはかなりしっかりしており、馬の背中に揺られても水漏れする心配はなさそうなので一安心。

持っていく荷物はそれぞれデイパック、そこに入らない寝袋や水や防寒着などは青のパニア袋に入れて下さいということでしたが、どうせ1泊だしたいそうな量を持参するつもりもなかったので袋はスカスカ。何か大切なものを忘れたりは‥うん、ちゃんと焼酎も荷物の中に入れてるぞ安心安心(笑)。



というわけでパニア袋とともに乗場へ。あたりは「朝の出発ラッシュ」ですね(笑)。



というわけでまもなく出発です!馬、ポニーというには大きいような気が(笑)。

そうなんです、ポニーといってもロバみたいな大きさ(小ささ)を想像してはいけません。でも気のせいかモンゴルで乗った馬よりは幅がちょっと小さかったように感じましたが‥気のせい?

今回の「ツアー」はわれわれ2人+ガイドのラーさん(実際の発音は「ラ゛ー」の方が近かったけれど、発音しづらいので‥)、そして馬は「4頭」。1頭は左上画像のようにガスのボンベを背負っています。まぁ人間1人を乗せるよりは楽でしょうね。というわけで、9:15に出発です!

しかし出発してすぐ、次のようなことに気づいて(思い出して)しまった大後悔時代というか瞬間がありました。くわー何でこんな計画を立てちゃったんだろうというような。それは‥

いやもちろん、乗り慣れていないから変に力を入れてしまうということもあるのでしょうが、馬上で踏ん張っている時ってふだん使わない筋肉を使うものだから、特に股関節のあたりがかなり痛くなったというモンゴルでの記憶がリアルによみがえってきたのです。

しかしたった今スタートしてしまったこの時点で「やっぱりやめよう」と言い出すのは明らかに変だしもったいないし、しかーししかし、ラーさんはさっき「今日の行程は6-7時間です」というようなことを言っていたわけで、ということは本日これからの数時間、ひたすら「忍」の一字を貫けってこと?亡き某相撲親方の「人間、辛抱だ」という言葉が心にしみていきます。あー、ちょっとしまったかも?しかも明日もあるわけだし!

しかしあにはからんやモンゴルの時のような苦行には至らずじまいでありました。馬がジェントルだったのか、それともTakemaの乗り方がうまくなったのか?ま、間違いなく前者でありましょうな。



村の中では子どもたちが先導役。お仕事なのか遊びの一環なのかは不明です。



ちいちゃい子どもたちはこれから学校なのかな?後ろの建物がそれっぽいです。




「さ、いよいよ出発です!」

いや、まだこの時はよかったんです。見事に平らな場所だったし(笑)。

Wmv形式、659KB、16秒

と、出発後しばらくしておしんこどんの馬が言うことを聞かなくなったので乗り手のチェンジということとなり、それに伴って荷物の固定し直しを行いました。

というわけでこのあと最後まで乗ることになった馬は「アレックス(おしんこどん)」と「テネス(Takema)」。馬には馬の個性があるのは当然ですが、この2頭にもそれぞれの性格があるようです。中でもわかりやすい性格なのがアレックス。テネスとの相性もあるのかも知れませんが、とにかくアレックスは「テネスに先を行かれるのがどうしても許せない」らしく、テネスの鼻先が自分の首のあたりにまで近づいてくると怒って威嚇します。テネスは別に抜こうと思っているわけでもないようなのにそれが何度も。

そして何かルートの都合などでテネスが自分より先行した場合などでも、追い抜ける場所を見つけるとすかさずギャロップの早足でテネスを追い越します。とはいえテネスとアレックスとに体力差がそうあるわけでもないようで、坂道などでテネスが追いついてしまうような時でも威嚇していましたから、これはもうアレックスの性格としかいいようがありません。アレックスよ、どうしてそんなに対抗意識満々なの?(笑)。

さてしばらくは村から続く平原の中を進んでいったわけですが、やがて道は徐々に下り始めます。斜面の傾斜はどんどん勢いを増し、そして気がつけば‥



しかも、その下り道も最初のうちは比較的緩い斜面をトラバース気味に降りていくだけでしたが、そのうちにジグザグの急降下路となりました。もっとも急峻な場所では、ターン時に馬の首部分は完全に道とは全然違う方向に突き出てしまっていて、「おーい、頼むからそのまままっすぐ進んじゃおうなんて気にならないでくれよ!」と願うような場面も出てきます。しかも当然石がゴロゴロしている場所ゆえ、馬だってたまには足場の石を踏み外すんですね。「がりっ!」と来た瞬間はかーなりビビリます。



左上画像の時はまだ余裕でしたが、右上画像のあたりからキンチョー、核心部では写真を撮る余裕ゼロ(笑)。



馬の気持ちとしても好きこのんでこんなところを降りたくないだろうにすまんねぇ。でもようやく川まで降りてきました!

いやー、どうしてここが「乗馬未経験者でもNo Problem!」なんでしょうね。ま、地域や民族によって価値基準は様々であり、特に日本では戦後教育の賜物により「多分大丈夫は絶対ダメ、危険があればすぐ禁止」というお馬鹿な発想がすっかり市民権を得たというか常識になっちゃいましたからね。人間がどんどんちいちゃくなっていると思うんですが‥。でもこの下り道では結構、特にあぶみが足から外れてなかなか自力ではめられない中での下りはこわかったぞー(笑)。馬だってキンチョーしているんだから止まってくれないもんね。

そんなわけでこの川を渡ります。水深は馬の膝下なのでなーんの心配もしませんでしたが、やばいときは腹下まで来るらしいですし、ロッジに掲示してあった古い写真では、首まで水に浸かりながら(しかももちろん人&荷物満載で)川を渡っている写真が飾ってありましたっけ。ただ、今はこの近くに幅1mくらいの橋が架けられているので、歩いて川を渡る歩行者や大雨の時などはこの橋を利用しているのでしょうね。



あー、天気もいいし気持ちいいです。

しかぁししかし!ここからは何と一気の登りが待っているのです!平原を流れていたこの川も、長い間の浸食によって谷を削り続けた結果現在の深い谷を形成したわけで、つまりは平原の反対側を、マレアレアの村とほぼ同じ高さまで登らないといけないわけですね。

縦走登山の時などによく頂上で「あー、この先の稜線のほとんど同じ高さに次の山があるんだよなぁ、でもその間にはあんなに低い鞍部があって、また登り返さなきゃいけないんだよな。山登りって絶対に理不尽だよなー、橋でも架けてくれないもんかなー」などと、自分の意思で来ていながらこれまた理不尽な思いを抱くことがあるものです(え、ない?ないんですかあなたは?)。

しかしここではそれほど「沈痛な思い」を抱くことはありませんでした。だってさ、

(ヒドイ話だ)

というわけで、「あーら不思議、座っているだけでどんどん標高が上がっていくぅ!」というこの世の悦楽に我が身を任せきったわけであります。テネスくんもアレックスくんもよく頑張ったぞ!



ね、谷の向こう側とおんなじ高さでしょ。




「来たぁいきなりの急降下&川渡り、そして登り返し」

乗馬未経験者でもOKなコースとは思えないハードなコースです。しかもまだ先は長いんだから‥。

Wmv形式、2.31MB、1分1秒

そんなわけで反対の平原まで登り切ったところで最初の休憩(11:00)です。出発から1時間45分経っていましたが、途中荷物の付け替え等があったから15分は馬を下りていたかな‥ということは逆に考えれば、1時間半ものあいだ馬の背中で揺られっぱなしだったともいうわけですね(苦笑)。しかもまだ4時間以上はこの「荒行」が続くということ?(大汗)。ま、思っていたより下半身の疲れというから痛みが少なかったからいいかな。



馬は休憩モード満開、村の人々は「ドゥメラー」と声を掛けると手を挙げて応えてくれます。この人はこれから下るのかな?

この対岸の平地はハッカラフィスという村で(村長=チーフの名前から命名されたらしい)、点々と家屋が並んでいるわけですが、われわれが登ってきたのを見つけて少年たちが訪ねてきてくれました。が‥君たち、学校は?(今日は月曜日)。



村はこんな感じ。水はどうやって確保?下まで汲みに行くのかな?ちなみに毛布巻きは老若男女を含めこの地域のデフォルトです。



しっかりポーズを取ってくれましたが‥

このあと、彼らからは「Sweets‥」と遠慮がちの声が。うーんやっぱりこの村の子供たちももはやそうなのかとちょっと複雑な気持ちになります。でもここに来る客は必ずロッジでトレッキングを手配して来るわけだから‥

いや、マレアレアロッジの訪問客に対するアピールはまだまだ弱いですから(トレッキング情報の掲示板に明記されてはいます。でもそれ以上でも以下でもありません)、旅行者自身がこの申し出にいかに対処するかが試される場であるのかもしれません。

かくいうわたしらもかつてラオス(2002)では「子供たちを喜ばせたい」という気持ちからお菓子を渡したという経過があります。どこかの世代の子どもたちが「ねだればもらえるかも」という願いを「もらえるはずだ」という確信に転化させてしまえばもう取り返しがつかないことになります。その子供たちが親になり、その親の教えは「次の子供たちにとっては絶対的な価値観の一つになる」わけですから。

そんなことをタイプしていたら、「では文房具=子供たちが生きていくために必要な教育を受けるための必須アイテム、であれば果たしていいのか?」という壁にも勝手にぶち当たってしまいました(苦笑)。鉛筆やノートはどう考えても1年持たせることは不可能です。たとえば1本の鉛筆を毎日数時間使うと考えると、おそらくひと月もてばいいでしょう(というかひと月はもたない?)。ノートも数ヶ月がせいぜいのはずで、そうなると「援助で手に入れた物を使いきったあとは、またこれまでの学習環境に戻らせねばならない」わけですね。しかも、子供たちの中に「ノートや鉛筆があったときはよかったなー」という思いを抱かせながら。

日本人の考える援助とは、しばしば「きっかけだけ」で終わってしまうとよく言われます。いわく「日本の援助で学校の校舎はできたけれど、貧しい親が子どもを働かせてしまうので結局子どもが勉強する環境にない」、「最初こそ学校として機能したけれど、政府が教育予算を出さないものだから先生の給料さえ支払われず、結局授業が成り立たない」などという話をよく聞きます。

08年11月現在、某民放TVでは「チャリティーオークションによる援助」などを謳ったヘタレ番組を大々的に放送していますが、どう考えても制作側は「長期的な視野に立った番組作り」を考えているとは思えません。たぶん視聴率が下がり始めたらさっさと撤退を考えることでしょう。しかしそれは現地の人にとっては「勝負のハシゴを下ろされた」に等しいのです。そう考えると、うがった見方をすれば「オークションの名のもとに人々を不幸に追いやる番組」なんだよなぁと暗い気持ちになってきます。

ま、この話はこのあたりでやめておきましょう。その昔はネス○(コーヒーなんかで有名な大会社、昔はネッス○という名前でした)なども「アフリカの子供たちに粉ミルクを!」と援助したにもかかわらず、結果はある種の逆効果になってしまったということもあります。それだけ「人に施す」というのは難しい問題を内包しているんだなと思うわけです。

話がすっかりそれてしまいました。そんなわけでトレッキングを続けましょう!
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