− Page37 ビクトリアフォールズ到着、ジンバブエの現実をちょいと −

そんなわけで最後の訪問国であるジンバブエ、ビクトリアフォールズ空港に「何とか」到着です。「何とか」と書いたのには理由があります。実はこの旅行中も「いざという時には、ビクトリアフォールズ訪問そのものをキャンセルすることを覚悟」していたのです。というのはなぜなのか、まずはジンバブエという国の2008年3-7月当時の情勢がどうであったかについて、ごくごくアバウトにご説明いたしましょ。

1980年の独立以来一貫して政権トップの座に君臨してきたロバート・ムガベ大統領が率いるジンバブエ共和国は、かつては「アフリカの穀倉庫」と呼ばれるほど豊かな農業国でありました。しかし、白人地主から土地を強制収用するなどの強行政策により肝心の農業経済が危機的状態に陥りインフレが進行、それに対して政府は無策というか、かえって事態を悪化させるとしか考えられない法律を乱発した結果、海外資本も一気に引き揚げを余儀なくされ経済は完全に崩壊状態となりました。2008年1月現在の物価上昇率は前年同月比10万%に達していたということです。

そんなさなかの2008年3月29日、大統領選挙が行われました。即日開票の結果は‥野党ツァンギライ候補の陣営が早々と過半数獲得との勝利宣言を発表したにもかかわらず、選管からの公式発表は5/2まで一切なく、その一方で与党側陣営による野党関係者への暴行や拘束が相次ぎました。Takemaがジンバブエ行きを考え始めたのはこの時期あたりからです。

最初に驚いたのが急激に進行するインフレーションによるZ$(ジンバブエドル)価値の下落と、それに対応?するために新発行される超高額紙幣の乱発です。



上のデータは2008年7月のものですがUS$1=Z$168億云々となっています。ちなみにこの頃のインフレ率は非公式データながら903万%に達していたといいます。

2008/4/4 2500万ドル紙幣・5000万ドル紙幣発行
2008/5/5 1億ドル紙幣・2億5000万ドル紙幣発行
2008/5/15 5億ドル紙幣発行
2008/5/15 5億ドル紙幣とは別に、「Special Agro Cheque」(農業用小切手?)として
「50億ドルチェック」「250億ドルチェック」「500億ドルチェック」を発行
2008/7/19 「1000億ドルチェック」発行

またこれと同時に、国内の治安を巡る状況も一気に流動化していました。選管が5/2に発表した「公式の開票結果」によると、「得票率はツァンギライ氏:47.9%、ムガベ氏:43.2%であるが、過半数得票を得た候補がいないため、あらためて6/28に決選投票を行う」とのことでした。

しかし選挙となってくると、(発展途上国ならどこの国でも似たようなものですが)治安が一気に悪くなるのはあまりにも予測可能な流れなのです。そしてその予測通り、与党勢力側による野党勢力への弾圧が始まりました。

ツァンギライ氏をたびたび拘束しての選挙妨害はもちろんのことですが、野党幹部の逮捕や首都ハラレ市の市長(野党支持)の妻の殺害、その他数え切れないほどの拘束やリンチが首都及び大都市のあちこちで始まりました。この頃のTakemaは毎日ジンバブエ関連のニュースをチェックしていたのですが、日々の報道はもはや法治国家の体をなしていないと感じさせるに十分なものでした。

欧米諸国はこの非人道的な行為に関して強く非難し、ムガベ氏に対してヨーロッパへの渡航禁止処分や爵位・名誉博士号の剥奪を行うとともにジンバブエへの経済制裁を科しましたが(これはまだ続いています)、このことはかえってムガベ氏の強硬姿勢に対し火に油を注ぐような結果しか生み出しませんでした。


【ムガベ氏の強硬発言の例】

「わたしを解任できるのは、MDCでも英国政府でもなく、わたしを指名した神のみだ」
「米国と西欧諸国は能なしのバカ」
「ジンバブエは私のものだ。辞任を求める欧米の圧力には決して屈しない」


そうした状態が続いた6月22日、ツァンギライ議長は決選投票への不出馬を表明し、オランダ大使館に保護を要請。決選投票はムガベ氏への信任投票となったわけですが、それでも「ムガベに投票しないと家は焼かれ暴行される」といった脅迫めいた噂(噂だけじゃない?)が横行したわけです。

そうして6月29日、ロバート・ムガベ氏は5回目の大統領職に就きました。一方で野党勢力や国際社会もこの政権に対して打つ手がないまま約ひと月半が過ぎ、「政権としては」つかの間の安定期に入った8月中旬(経済の破綻はさらに危機的状況に陥りつつありましたが弾圧のニュース数はぐっと少なくなっていた)、ビクトリアフォールズというジンバブエ最大の観光地に降り立ったわれわれだったというわけです。



現地到着後も(そしてその後現在に至るまで)混迷の度合いを深めるジンバブエ、「明日どうなってしまうのか」すらわかりかねる状況ですが、とりあえずここでは現地到着前にTakemaが聞き知っていたことだけを書きました。現地に着いてみたらこれまた驚いた!ということもあったのですが、これについては本文中で書こうと思います。

前置きがずいぶん長くなりましたが、とりあえず予備知識として理解しておいていただくとこのあとの内容がわかりやすいので‥というわけでのっけから長文をお読みいただきありがとうございました(笑)。

ちなみに南アフリカ滞在中はできるだけニュースを見るようにしていたのですが、その中に「ムガベ大統領、軍のパレードを閲兵」という報道がありました。野党勢力に対する力の誇示を目的としたものだったんでしょうが、スタンドにはムガベ大統領の支持勢力が「パパ=ムガベはわれわれの永遠の大統領」といったような横断幕を持ってしきりにアピールしていました。

これを見て、「とりあえずクーデター等により今すぐ政権が崩壊=戒厳令=国際線運行停止によるジンバブエ脱出不能状態に突入、ということにはならないだろうな」と考え、予定通りジンバブエ行きを決行することに決めたTakemaでありました。軍部の支持を得ている政権というのは、こと政権維持についてだけは強いですからね。

さてそんなわけでビクトリアフォールズ空港に到着です(以下、「ビクトリアフォールズ」はMr.Masaさんに倣って「ビック(Vic)」と記載しますので念のため)。駐機場まで移動する間、窓の外にはジンバブエ航空のジェット機が見えました。初期の計画では「ヨハネスブルグからハラレにエアジンバブエで移動し、さらに国内線でビクトリアフォールズへ」という案もあったのですが、やはり首都は何があるかわからないということで撤回した経緯があります。しかし何が起こるかわからないジンバブエ航空ゆえ、それはあまりにも明白に賢明な選択だったと思います。
ちなみにサイトをリンクさせていただいている「Mr.Masa.net」のMasaさん(2002-2004ご夫婦でジンバブエに居住)が、エアジンバブエの国内線でビクトリアフォールズに移動しようとした際のハプニングこちらに紹介されています。2003年当時でさえこんな状態だったんだ‥と驚くほかはありません。ちなみにサイトのトップページはこちら。

なお上記ジンバブエ関連サイトはすでに更新を停止して久しいですが、Masaさんはこのサイトとは別のブログ等で活躍なさっておられるので、この旅行においてもレソトのポニートレッキング情報などを教えていただきました。ありがとうございます)。
さて機内から出てイミグレーションに向かって歩いていきます。とりあえず列に並び、なかなか進まない列の進行を待っているうち、「気づかないうちに」デジカメの電源が入っていて、しかも「持ち替えた時に偶然撮影ボタンが押されてしまっていた」みたいです(笑)。空港内は撮影禁止ですから、自分としては全然撮影するつもりはなかったんですけれどねー(笑)。

イミグレの列の途中、前に立っている人のすぐ先にイミグレのデスクがあります。で、早くも「ジンバブエの現実」の一端を見つけてしまいました(笑)。それは‥

という現実でありました。わかりやすく画像と図で説明すると以下のようになります。

まぁ不本意ながら「撮れてしまったものはしゃーない」というわけで1枚だけね(笑)。

へたくそイラストにもあるように、計16本の蛍光灯でイミグレーション付近を明るく照らしてくれるはずの照明器具なのですが、はい、ここで左上の画像をよく見て下さいね。蛍光灯が1本点灯しているのはおわかりですね、これが全16本のうち僅かに機能を果たしていた3本の中の1つというわけです。ちなみに内側枠の1本、左上画像で「僅かに橙色に一部点灯」しているのが見えると思います。これだって電力を消費しているのに‥この辺の感覚がアフリカらしいのかも知れません(苦笑)。あ、右上画像のマウスオンももうお気づきですよね(笑)。

列の後ろの方にも全く同じ作りの照明がもう1基あるのですが、そちらは唯一の生き残りといえる最後の1本が、いつ果てるとも知れない最後の光を弱々しく照らすだけでした。今はもうおそらく‥そしてこれらとは別の、当時煌々と光を放っていた不等辺五角形のあの灯り(左上画像に見えているアレですね)すらも、今はもうタマ切れになっているのでは?

その一方で、US$30/人を支払ってパスポートにぺたっと貼られたジンバブエのビザはホログラム入りのあまりにも立派なもので、そのギャップに何だかびっくり。あのー、このご時世では誰もジンバブエビザのシールを偽造しようとは思わないような気がするんですが?(苦笑)。

ちなみにこのような「旅行すらはばかられるご時世」のジンバブエにおいてもここビックだけは完全に例外ということなのか、予約時においても宿はほとんど満室で予約にも苦労しましたし(約ひと月前)、それでも何があるかわからないのでビック空港往復の送迎も事前に前述の旅行社経由で頼んでおいたわけです。空港に着いたはいいけれどタクシーが(ガソリン不足で)1台もいないなんてことだって不思議じゃなさそうでしたからね(本当)。

さて入国ロビーに出ると、「Takema」と書かれた紙を持つ人がいたのでまずは一安心。ドライバーのFさんに連れられて送迎車まで。混乗かと思ったらわれわれだけ、んでもって車をよく見ると(左上画像マウスオン)やっぱり日本からの中古車でしたね。マウスオン画像ではかなり日焼けしてテカっているTakemaの姿と七面山のお守りシールが映ってますが、その横に張られている登録シールには「愛知県豊川市」と記載されておりました。

さて走り出してほどなく、Fさんから「ビジネス」の話を切り出されました。どうやら彼&この車はホテル差し回しのものではなく、彼自身は送迎会社に雇われているようなんですね(経営者というわけではなさそう)。ということは彼経由でアクティビティを予約すれば彼にもお金が入るからいいのか?と思いましたが、渡されたアクティビティリストの相場がどんなもんなのかは来たばかりなので皆目わかりません。でも唯一下調べしてきたバンジージャンプの値段が基本料金(プラス送迎料)だったので、まぁFさんに頼んでもいいかなという結論に達したわけです。



そんなふうにアクティビティの値段表を見ているうちに車は検問を通り抜け(何のための検問?お金を払った気配なし)、ビック市内へと進んでいきます。

ここビックでは何かとお金がかかるというのは分かりきったことでしたから(しかもカードは使えない可能性も高い)、今回はかなり多めにUS$現金を持参しました。よってとりあえず資金面での不安はありませんでしたが(ちなみに「滞在中に出国がロックされても少しは困らないでいられるように」との計算もしていました)、さーてとりあえずどうしようか?

一番気になったのは「Microlightで空中からビクトリアフォールズを眺める」というアクティビティでしたが(「マイクロライトって何?」とお思いになる人はこちらでご確認下さい。その昔パラグライダーのPライセンスを取得したことのあるTakemaならではの発想かもしれません)、残念、これは対岸のザンビア側からの発着でビザ代が1人US$25かかるんだということで断念しました(ただ、ちゃんとツアー会社に申し込めばその限りではない?ということを今初めて知りました。下調べ不足ですね(苦笑)。ちなみにビック市内には大きなツアー会社があります)。

で、夕方のザンベジ川クルーズ(アルコールも含めて飲み放題に惹かれたことを否定しません)と、本題のビック橋バンジージャンプを予約しました(実は計画時、「バンジーさえ飛べればいいや」というつもりでビック訪問を計画したのは今だから言えるここだけの話です)。

ただしここでFさんにお願いしたことのもう一つにこれがありました。それはすなわち、

「Brick Money」。直訳すれば「レンガのような札束」(全然直訳じゃないです、「ような」にあたる語はないぞ)。しかしあまりにも急激なインフレに見舞われているジンバブエでは、



当時でさえビール1本の対価がこんなことになっていたわけです。
(この画像の出所が確認できませんでしたので、とりあえずこのサイト掲載画像を引用しました)

少なくともこれで「Brick」の意味はおわかりでしょう。そしてその金額が決してUSドルにしても日本円にしても「はなはだ高額」ではないことも。この、束でくくられたZドル札を何とか手に入れたいというのがTakemaの希望でありました(というのは、海外からの観光客の多いビックではUSドル払いが普通でしたから‥)。

しかしそこでFさんがおっしゃった言葉にTakemaはもう「唖然」とするしかありませんでした。それは、


こ、これまでと桁がとてつもなく違います。何たって小数点があるゾー!

いやー、これにはたまげました。超ハイパーインフレといえば第一次世界大戦後のドイツが思い出されますが、その当時も

とあります(by Wikipedia)。しかし、このジンバブエのデノミは「10ケタ」ですよー!空前というか超然というか、まさに「歴史に名を残す」超々スーパーハイパーインフレーションが起きているわけですね、しかも現在進行形で!(この進行形にはまだまだ続きがあります/2009年2月現在)。というわけで、FさんにUS$5をお渡しして「とにかく旧札のブリックマネーを集めてきてくださいね」とお願いしたわけです。

ちなみにデノミ後も旧札はまだ通用しているとのことでしたし、レートはもう何が何だかわからない状況なので「一桁違おうが二桁違おうがUS$5の中であれば構わない」と開き直り、何と先渡しで5ドル札を渡したわけです。欲しいのはとにかく総額ではなく「Brick Money」なのでしたから(この発想からしてだいぶ狂ってますね)。

そんな話をFさんとしていたら、何とFさんは思いがけない行動に出たのであります(しかも運転中)!

いきなり予期せぬ「札束」をいただきました(左上画像)。しかも、Takemaが左手に持っているのは旧紙幣ゆえFさんが言う「落ちていても誰も拾わない紙切れ紙幣」ではありますが、一緒にもらった数枚の紙幣は‥「これって、10億分の1デノミとともに発行された新紙幣でしょ!」。

まだデノミから日の浅いこのタイミングではそこそこの価値を持っていたこの新ドル札、それを惜しげもなくTakemaに対価なくくれたということは‥
可能性その1 Takema夫婦はどうやらアクティビティの予約をしてくれそうだから、その手配仲介で入るリベートからしたらこれくらいの新Z$は痛くない。
可能性その2 US$5を預かったけれど、Takemaが欲しいのはブリックマネーの束であって等価のZ$じゃないんだから、二束三文のブリックを渡せばこれくらいの新Z$は痛くない。
このいずれかであろうと推察したわけであります。でもこのFさん案外悪い人じゃない気がしたので、結局この日のザンベジ川クルーズと翌日のバンジージャンプ片道送迎付きをお願いすることに。右上画像はホテルのロビーでそのうち合わせをする図であります(笑)。ちなみに2日後、「Fさんはうっかり八兵衛だがやっぱり誠実な人だ」ということをしっかり確認する出来事がありました。まぁそれはおいおいね(笑)。

さてそんなわけでとりあえず連泊予定の宿である「Victoria Falls Rainbow」ホテルへ。ホテル名が最近変わったようですが(たぶん経営も)、たぶんたぶん以前は「Hotel Mercure Rainbow」だったと思われます(違ったらごめんなさい)。



経済破綻にあえぐ国とは思えないホテルのたたずまい、ここは「ジンバブエにありてジンバブエにあらず」の場であります。



これほどの設備ですからね。「ジンバブエに行った」と広言できないほどにリッチな別世界なのです。

もちろんTVは衛星放送が入るしエアコンもちゃんと入るし、さすがに有線 or 無線LANというところまではいきませんが、そもそも様々なインフラが崩壊状態にある(それまで機能していた基礎インフラさえ崩壊しつつある)ジンバブエにおいては、いくらビックであろうとも「ネット経由で予約した情報がこのホテルにきちんと届いていた」だけでも僥倖として感謝しなければいけないのかなと。

ただしちょっと思うのは、ここビックを巡る情勢は決して首都ハラレとは違うんだろうなということ。圧倒的な数の外国人旅行者が首都を経由せずに訪れ、そしてZ$に換算すれば0がいくつあっても足りないほどの外貨をこの地に落としていくわけで(いや、地元の人でもパンを一斤買うのに旧ドルなら末尾に0が11個付くくらいのお金を用意しなければならなかったはずですが)、そうなると、

海外資本が引き揚げる前は曲がりなりにも首都ハラレが一番の外貨稼ぎ頭だったのかも知れません。でもこれだけ国内が混乱している中で「唯一治外法権的に安定」(ただし富の分配についてではないですが)している場所、それが少なくとも2008/8現在のビックだったように思います。

さてこのあとは白人&韓国人グループとともに(笑)、Fさん経由で予約したザンベジ川クルーズです。「アルコール飲み放題」が何とも気に入りました(笑)。
[戻る] [次へ]