− 2009 タイ北部湯めぐり(4) まずは「定番」、首長族の村を訪問 −



肩と顔の距離を考えてみれば、確かに首の長さが際だってます。が、彼女たち、そしてこの村とは‥

実は旅行計画時において、「メーホンソンといえば‥」と言われるようなこの通称「首長族(Long Neck Karen People)」の村には行こうと思っていませんでした。そもそもこの地域に住むカレン族自体がミャンマー(ビルマ)からの避難民であり(「首長族」は通称と書きましたが、彼らはカレン族の流れを汲む「カヤン族(タイでの呼称はパドゥン族)」、そして彼等自身がタイ政府によって認定された「難民」の扱いであること、そして基本的に「観光業者に搾取された見せものの村」になっているようだと思っていたからです。ちなみに「首長族」についてのWikipediaサイトはいろんなサイトからのコピーペーストそのものですがかなり詳しいのでご一読を=こちら。ただしどこまで正しいのかについては責任が持てません。

しかし、Sさんからのメール、そして車のチャーターについて折衝しているうちに気持ちが変わりました。

もちろん宿の方は「ロングネックの村云々‥」と勧めてきます。最初こそ不満な気持ちになりましたが、ふと考えてみれば「搾取があるにしても、村人たちがその収入を生活の糧にしているのであればわれわれが行くのも村のためにはなるはずか」と思うようになったというわけです。難民扱いでの生活であっても、たとえ「見せ物」による観光収入が一定の生活源であっても、その状況を解決する過程には必ずお金がいるわけですからね。仮に現ミャンマー政権が崩壊したとしても、普通には帰れない彼らなのですから‥。
個人的に思うには、ミャンマー政権が崩壊しても彼らが「ビルマ」に戻り、かつての祖父祖母と同じ場所で同じ生活を送ることはもはや不可能だと思います。タイ語と片言のカレン語しか話せない子ども、そしてその子どもにとっての「故郷」はまさに現在住んでいる村です。

実はTakema個人の見解としては「北方領土は『日本固有の領土』ではあっても、今や単純に(もし万が一4島返還などという流れになったとしても)そのまま返してもらっては困る」と思っています。かの地で生まれ育った日本人の「思い」を最大限尊重すべきというのは当然ですが、それと同時に「かの地で生まれ育ったロシアの人々」の思いを抜きにして考えることは出来ない」と考えるのです。日ロ新旧住民にとって「国境(土地帰属)」なるものは意味がなく、ただ大切なのは「自分の故郷」に暮らせるかどうなのかというところだと思うのですが‥。「共同統治」という落としどころはないものなのかと考えてしまいます(ここまで、あくまでTakemaの主観です)。
話を戻しましょう。メーホンソン周辺には3つの村があるそうですが、いわゆる「お客」が少なめと思われるファイブーケン村に行くことに。ここはパーイ川をボートで溯って行かなければなりません。



そんなわけでチャーターしたバンで船着き場へ。

立派なゲートのある船乗り場でボート=500B(往復)+入村料を支払い、ここからはボートでカレン族の村へと進みます。別に期待していなかったんですがこれはかなーり楽しいっ!途中ではうまくすればゾウの姿を見ることが出来るかも知れません(2頭見ました)。



おお、かなり大きめで安定感のあるボート。タートンとチェンライを結ぶボートと同じサイズかな?



走り出してしまうと快適そのもの。片道20分くらいだったっけ。束の間の船旅をお楽しみあれ。



Takemaは無防備ですが、おしんこどんは日焼け帽子のためムスリム系になっておりました(笑)。



あちらのボートはお客が多いので船首がかなり上がってますね。そうこうしているうちに村に到着です。




「船は行く行くパーイ川」

村へは川を遡っていきます。メコン川のスピードボート(ラオス発着)に比べてスピードもゆっくりで安定感もあるので気持ちいいったらありません。

Wmv形式、3.41MB、1分31秒


そんなわけで気持ちよく上陸したわけですが、どうやら他に観光客の姿はなし。上の動画や静止画でお客を乗せたボートとすれ違う場面がありますが、実はこれは帰り道のものなんですね。というわけで村では「部外者」はわれわれだけでした。

「観光の村」であるとはいえ、ここが部族の皆さんの「生活の場」であることに変わりはありません。「おじゃましまーす」という感じで進んでいくと、道沿い(ただし車やバイクはありませんし入れません。そもそも道が通じていないからボートで行くわけなんでしょうし)の家々に、真鍮のリングをはめた方々が「本日の仕事」にいそしんでおられました。

屋根材の木の葉を組み合わせている方のところでしばしその作業を拝見していたら、その方が身振り手振りと地元の言葉で「これをはめてごらん」とおっしゃっているようです。というわけで半円形状のリング(観光客用)をおしんこどんがはめた上で記念写真。



おしんこどんも首は長い方なんですが‥肩の高さからして全然違いますね。

こちらでちょっとした「お買い物(20B)」をしてもう少し歩いて行くと、今度は子どもたちが仕切る「お店」に声を掛けられました。2人ともまだ小さいので首の真鍮は数本だけですが、これからどんどん本数が増えて行くに従って結構しんどい生活を余儀なくされるんでしょうね。

ちなみにこの年長の女の子、中央画像はあまり写真映りがよくないですが実は結構な美人さんです(左画像を見るとその片鱗が?)。でもそれだけでなく既に商売の才を身につけていて、英語も日本語も「ビジネス語」としては堪能であると同時に、われわれが近寄っていったと同時に絵はがきを隠したんですね。

でもそれを見ていたTakemaが「絵はがきはないの?」とあえて聞いてみると「ありません」との返答。でもここでおしんこどんがブレスレットを買ったところ、その隠した場所から絵はがきを取り出して「これはサービスです」。うーん、なかなかやるじゃないのさ!キミはこれからなかなかの商売人になると思うよ!ちなみにこのブレスレットはおしんこどんも結構お気に入りの様子でした。

でもこの子たち以外にはほとんど声を掛けていただけませんでした。だから左&中央画像のように呑気な記念写真を撮ったりもしていたんですが、右画像のお姉さんなどはひたすら黙々と織物にいそしんでおられました。「Hello」と声を掛けると返事が返ってくるくらい。まぁもっともあまり「商売のやる気」を出されちゃうと興もそがれてしまうわけなんですが‥。

でもってさらに奥に進んでいくと、ただ今家屋解体作業真っ最中の現場に出くわしました。全て手作業で解体していたのですが‥

やはり首にリングをはめた女性がほうきで掃除をしていました。これを見ても彼女らが決してただの「見せ物」ではなく、この地この村で生活をしている一員であることがよくわかります。でも慣れているとはいえやっぱり首回りはきついんでしょうね。ちなみに真鍮はかなりの重量があるということもここに付け加えておきます。

集落の一番上まで上がったところには「Middle School=中学校」がありました。看板には「Kayan」の文字が見えています。でもなぜか学校は平日なのにお休みモード満開、でもその棟続きで窓のない部屋からは日本語のドラマ番組とおぼしき音声が聞こえておりました。今考えたら部屋の中の人に声をかけてみればよかったよなー。

で、そのまた上には小屋があったんですが(トイレかな?)、そこには何と驚きの看板が掛けられておりました。



どのような団体さんなのでしょう?NGOなのか任意の有志団体なのか?今さっきググってみたんですが、どうもヒットしないようなので有志の皆さんなんでしょうね。とにかくこちらの皆さんがこの建物の建設に携わったのは確かなようです。鍵がかかっていたのは学校がお休みだったからなのだと思うことにしましょう(笑)。

学校のそばにはあずまや的な建物もあって、そこには「仏教の拝礼の仕方」やその他数の数え方など小学生向けの貼り紙もありました。みんな頑張っているねー。

さてそんなわけでそろそろこの村をおいとましなければなりません。そもそも出発が遅かったし(13:00)、このあとはさらに2箇所(うち1箇所は温泉ね)を訪問しなければならないのですから!ということで船着き場に戻ってくると、待っていた船頭さんと舵取りさん(たぶん親子かな?)が準備を始めてくれました。おまちどおさま。

出発前に船頭のお父さん?と記念写真。ちなみにこの方はミャンマー(ビルマ)風の腰巻き(ロンジー)を身に付けておられました。やはり向こうの習慣ということなんでしょうか。ん?でもビルマ族であるわけでもないし?ちょっとわかりませんが、無口でありながらもとっても温厚な雰囲気のお2人でありました。

さーて、このあとはちょっと変わった「魚の王国」へと向かいます!
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