- 2011年末NZその24 そして、時は流れたのであります -
さて徐々にピジョンベイに下りてくるにあたり、少しずつその度合いを深めつつある「ある思い」がありました。それは‥
ということであり、そしてさらに‥
という一抹の不安も合わさったものでありました。というわけでご自宅への分岐までやって来てみると‥
この道沿いに住んでいたのはRonさんご一家だけだったはず。これは‥もしかして娘さん夫婦たちもそれぞれ独立してこの地に家を構えたってことか?そんなわけで一瞬期待しましたが、ポストをよく見てみると無記名のものが3つ(無記名でポストとしての役に立つのでしょうか?)、そして見知らぬ人の名前が書かれているものが2つ。しかし肝心な「Ronさんのお名前」はどのポストにも書かれていませんでした(なお前回訪問時にはRonさんのフルネームが書かれていたのをはっきりと覚えています)。
そんなわけでダートの坂道を進んでいきます。と、すぐに何軒かの家が現れました。雰囲気的には別荘のようにも見えましたが、いずれにせよ距離からするとRonさんのご家族とは関係がなさそうです。そこからさらに道を上っていきます。そういえば1999年にはBMWのバイクで、2000年にはおしんこどんとこの同じ道を上ったんだよなぁとしみじみしつつ家の下の広場まで上がってきてみました。すると‥
うわ、変わってない!物置や作業小屋は12年前どころか23年前の姿のままそこに建っていました(ただし隣にあったFirewoodパッキング用の小屋掛けはなくなっていましたが)。そしてトラクターが置かれている小屋の納戸が開いたままであるところを見ると在宅かな?
でもその一方で、母屋に続く小道の入口には草が生え、一見して「今はその通路が使われていない」ことがわかります。そのかわり、倉庫前を通って上まで続いている道路が出来ていましたのでそちらを回って上がってみることに。
ここから見る山の景色は当然昔の記憶通り。でも右上画像のような道やこんな花々はなかったんだよなぁ。
さて、取り付け道路は母屋の脇で終わり、そこには車が3台くらい止められそうな駐車場が。そしてそのすぐ先には、リペイントされているとはいえ見慣れた佇まいの母屋がありました。そこで、
ドアの前で声をかけますが‥ハレ?どなたもいない?失礼してドアに手を掛けてみると、鍵が掛かっています。うっはぁ1999年の訪問時と同様、また「お留守に来ちゃった」ってこと?やっぱりメールだけじゃなくてダイレクトにRonさんにお手紙を送っておくんだったぁ!(失敗)。
とにかくどなたもおられないことは確かなので、記念写真だけ撮って帰ることにしました(ちなみに1999年には書き置きを残して帰ったので、翌年の訪問時にはこれまた電撃系訪問だったにもかかわらず「Take、去年の書き置きはしっかり見たよ、でもまさか今年も来てくれるとはね!」と久々の対面はとってもスムーズだった記憶があります)。
しかし、上の写真を撮影したところでおしんこどんがこんなことをポツリ。
うーむ言われてみれば確かに。Takemaがワーホリ中にお世話になっていた頃この家はライフワーク的改築中だったので簡単には比較できませんが、確かにRonさんは当時建物以外、たとえば庭の手入れなどには全然無頓着だった気がするし、それは2000年の時もそんな感じに見えたっけ。
しかし、誰もいないのではこのことを確かめる術もありません。そんなわけで帰ろうかと思っていた矢先にっ!
うっはぁ何という奇跡、何という僥倖、いやぁ何というか「神よ、感謝します!」的なタイミングです!そんなわけで母屋側から駐車場側まで歩いていくと、車からはご夫婦とおぼしきお2人が下りてきました。が‥
(なお、それでも男性に向かって「あなたはRonさんですか?」と聞いてしまったのはここだけのヒミツです(笑))。
状況的にわれわれは限りなく不法侵入者に近いような感じですので、お2人とも最初こそ不審に思われたようですが(それは当然です)、Takemaが「ここにRonご一家が住んでいると思っていたこと、自分は日本人だが20年以上前にこの家に居候していたこと、今回久々にNZに来ることができたのでこちらを訪問したこと」等々を説明すると「ほほぅ、なるほどね!」というわけで「ようこそわが家へ!」モードとなりました。
学者であるCさんご夫婦は(許可を得ていないのでこのページにお顔の画像は載せません。奥様も然り)、お仕事で世界中(特にアフリカ等)を回り、この家をRonさんから購入したそうです。そのCさんによると‥
「わたしたちは2000年代前半にこの家に引っ越してきたんです。Ronさんとはここ5年くらい会っていませんが、彼は今ここからクライストチャーチ寄りのある町(ここでは名を伏せます)の***通りに住んでいると思います。訪問するのなら、町中にあるカフェで聞いてみるといいですよ、オーナーは彼のことを知っているはずですから。」
ということでした。やはり月日は流れ、Ronさんご夫妻はこの地を離れていたということなのですね。
そうこう話しているうちに、Cさんが「Ronさんが手を入れていたこの家の内外にわれわれはさらに手を加えています。せっかくだから見ていきませんか?」とおっしゃいます。もちろん!というわけで、まずは庭から案内してもらうことにしました。
家の上側には畑や庭園がしつらえられておりました。この池は昔からありましたが風情ある感じに造りかえられています。
池のあたりには木道が敷かれ、その一番上にはヒミツ基地的なくつろぎスペースも作られていました。そしてしっかり手入れされた草花が咲き乱れ、写真だけ見せられたらここがどこなのかは全くわからないほどです。本当によく手入れされていてびっくり。
庭の案内をして下さっていたCさんですが、突然「あの草むらの方をよく見てごらんなさい、ギース(ガチョウ)の姿が見えるはずですよ」と山手の方を指さします。何だ何だと思ってよーく見てみると‥
うん、確かに頭が見えてます。ちなみに食用のために飼育しているのだそうで、「何羽くらいいるのですか?」と伺うと、
ごもっともです(大笑)。なお、お散歩中に花菖蒲の群生があり、Cさんはおしんこどんに「はい、この花をあなたにプレゼント」。さっきまで不法侵入者だったわれわれに(笑)‥ありがたいことです。さて、そんなわけで母屋近くにまで戻ってきたところで目にしたもの、それは‥
何を隠そう(隠す必要もないですが)、この小屋はTakemaのワーホリ時代に、Ronさんと自分と、そしてもう1人とで建てたものなのです!そのことをCさんにお伝えすると、
と喜んで下さいました。それにしても、ご覧の通りごくごく簡素な造りなのに20年以上も問題なく立っているとは驚きでした。ただし最初に骨組みを立てたときに「水平が正しく取れていないことが発覚したので、もう一度分解して最初から作業をやり直した」ことはここだけのヒミツです(大笑)。
さてこの頃にはすっかり和んだわれわれに、今度はCさん「部屋の中も是非見て下さい」。うわー嬉しさ∞(無限大)!Cさんも以前のこの家の内部については詳しく知りませんから、Takemaは何だか生き字引的に「ここには暖炉があって、ここにも壁があったんですが全部なくなってますね」とか「あれ、この外側にバスタブのあるお風呂があったんですよ。ただシャワーはなかったんですよね。あの部屋はどうやら後付けだったようです」等々いろいろご説明申し上げました。
Cさんも「なるほどそうだったんだ」とか「あーなるほど、確かにわれわれが越してきた時にはここにビリヤード台がありましたよ」とか、奥さんの方に声を掛けながら「驚いたよ、そのあたりには何があったと思う?」などなどと、「知られざるこの家の歴史」に興味津々のご様子でした。あー、何だか来てよかったなぁ。
なお、お宅にいきなりおじゃましたわけですからここで室内画像を公開するわけにはいきませんが、全体がものすごくお洒落な内装になっていてびっくり!そしてテラスに出て見たところで‥
そして室内の階段を下り始めた時、往時に思いをいたす動かぬ証拠が!(左上画像マウスオン。なお、フルネームで公開するわけにいかないので画像の一部をぼかしています)。
いうまでもなくRonさん一家はもうここにはいらっしゃいません。当時中学生だったトレーシーさんにも今はもうそこそこ大きなお子さんがいて、今はどこか別の場所で暮らしておられることでしょう(12年前はダニーデンに住んでいるということでした)。しかしかつてここでご一家が暮らしておられたその痕跡は、またTakemaがほんの僅かの期間ながらここで生活させていただいたその痕跡は、それぞれ今もしっかりこの場所に残されているのです。そのことがわかっただけでも、この地を訪問した甲斐があったように思えてなりません。
このあとはPCをお借りしてインターネットで拙サイトに接続し、ワーホリ時代の記録ページに残る当時の画像を見てもらいました(ちなみにネット接続はアンテナ経由での無線接続ということで「かなり高額」ということでした。確かに高いだろうなぁ)。
最後にお茶をいただきしばし歓談。Cさんも奥様も、「これも何かの縁でしょうから、今度NZに来る時は事前に連絡して下さい。ここをあなた方の『ニュージーランドの家』だと思って、また是非遊びに来て下さいね」とおっしゃって下さいました。
確かワーホリ当時、Ronさんの奥さんLindaさんからも「ここはあなたの家なのよ、いつでも帰っていらっしゃい」と声をかけられた記憶があります。そして今、この家に住む人は変わりましたが、それでもここは「これからもTakemaの『家』」であってくれるというわけですね。わかりました、また必ず「帰ってきます!」(迷惑かな?=(笑))。
そんなわけでCさん宅を辞去することとなりました。ご夫婦を交えた記念写真なども撮りましたがここには掲載しません。というかこの小一時間、何だかあまりにもたくさんのことがありすぎてびっくり。そもそも最初は不法侵入もどきから始まったわけですからね(大笑)。
そんなわけで、到着時とはうってかわってにこやかにこの家を離れることといたしました。
そんなわけで2011年大晦日の午後も少しずつ夕方に近づきつつあります(いや、日が長い時期なんで日の入りまでにはまだまだ時間がありますが、日本的な時間感覚でね)。今宵の宿に向かう車の中ではおしんこどんと先ほどまでの出来事を振り返って「いやぁ、こんなことってあるんだね」系談義に花が咲きました(笑)。
サミットロードまで上がり、今度はアカロア湾側に向かって下りていきます。この道もそれこそ何十回と通った道ではありますがいつの間にか完全舗装となっていましたっけ。
でも、車窓から見えているアカロア湾の風情は何1つ変わりません。人は替わったにしても。
さてこのあとは一気に宿へと向かいます!