というわけで昼食後いよいよ「帰国の途」につきます。うっはぁ悔しいほどに晴れてきたぁ(笑)。

ラハダトゥまで、チャーターした車で一気に!と思いきや、ロッジを出発して1分後、Yoichiさんに遭遇!というか、SAPA家族がちょうどそこにいたんですけれどね(笑)。何はともあれということで写真&動画でお別れを惜しみます。Yoichiさん、これからも是非よろしくお願いします!
それでもやっぱり動画です(15)

「それでは失礼します!」

Yoichiさんからお送りいただいた動画に一部加工したものです。

Wmv形式、311KB、10秒
さてそこからは一気にラハダトゥ目指して車は進みます。悔しいくらいに広がった青空のもと、しかしそれも長くは続かずまたも雨、そして気がつけばまた晴れという繰り返しのもと、ラハダトゥについたらしっかり快晴でしたっけ。以下は道中の写真です。

くわぁ、こんなに晴れたことって全然なかったぞ!うらやましいやら悔しいやら!ちなみに、往路でも結構厳しかった崩壊はさらにその度合いを増していましたが、この1週間後も問題なく通行可能だったとか。そうか、この後は雨が降らなかったんだもんなぁ(悔)。

途中、何ヶ所かボルネオゾウ(遺伝子的にはアジアゾウとかなり昔に別れた亜種とされるそうです。現在個体数約2000とか)の糞を発見!うーん、ボルネオゾウも見たかったけれどまぁ今回もお預けでした。次回(いつになるかはわからないけれど多分また来るでしょ)に期待したいものです。

快調に走っていくと、前方に大型車発見!

うわ、すごい大木を積んだトラックが前方をゆっくりゆっくり進んでいきます。熱帯林の保護が進んでいるとはいえ、それはあくまで保護林の中だけのお話、そこから一歩外に出ればやはりまだまだ伐採は続けられているわけですね。こんな奥地にパーム椰子の農園を作るとは考えにくいのですが、伐採したあとの土地はどうなっているのか、気になるところではあります。これらの木にもいろんな動物が行き来したんだろうなぁと思うとねぇ。

まぁただ一方的に「伐採禁止」を叫ぶくされ環境保護団体を支持するつもりもありませんし、利権の面から考えても伐採を取り巻く状況はそう簡単なものじゃないんでしょうが‥。

そんなこんなのうちにラハダトゥの空港に到着。何と空港の小さな待合室は日本人の若者達でごった返してました。聞けば、某大学のフィールドワーク研修ということで希望者が屋久島とダナンバレーといずれかを選択して現地を訪問しているのだとか。ダナンバレーではレインフォレストロッジとは別の場所のフィールドセンターに滞在していたそうで、んでもってこのあとはトゥンク・アブドラ・ラーマン国立公園(コタキナバルの沖合の島々の公園)に移動するのだとか。そこでは何を「研修」するのだろう?たぶん「熱帯の海をタンノー研修」なんだろうな(笑)。そういえば、彼らの中には「あのタイガーリーチを固結び」してしまった猛者がいたのだとか。若いってすごいな、自分はそんなこと考えつきもしなかったぞ(笑)。でも、多分この研修を一番楽しんでいたのは引率のセンセーに違いない(大笑)。



ヒルの危険がなくなったのですっかりリラックスした格好。これより搭乗開始!

雲が多くてキナバル山も見えないフライトはすぐに終わり、夕闇のコタキナバルに到着。成田行きのフライトは日付が変わって少しした頃なので、今のうちにチェックインをして荷物を預けたあとダウンタウンに出て最後の夕食を取ることに。まぁいつものパターンでカンポンアイルなんですけれどね。昔々と違うのは、空港敷地を出てミニバス等を拾うのではなくさっさとタクシーで「カンポンアイルよろしくです」というところなんですが、まぁそれくらいのゼータクは許されるっしょ。

何にしようかなぁ、どの店にしようかなぁと悩み楽しもうと思っていたのですが、結局は店員のお姉ちゃんに誘われるがままに一番手前のお店へ。最後だからということでこれまたゼータクして、「ロブスターいきますっ!」。



この活ロブスターがわれらが食卓に。ガーリックが効いていて美味しかったぁ。
(画像にマウスオンすると調理後の画像に変わります)

いやぁ激ウマで、至福の時を過ごしました。ちなみに、ここカンポンアイルの野外食堂は物売りのお兄ちゃんや子供たちが寄ってくるのが難点といえば難点なのですが、今回はたまたま隣の席にインド系のグループが座っていて、「こりゃこっちの方が商売になりそうだ」と考えた物売り一同はみーんなインドグループに流れていってくれました。何とも静かにゆったりと食事が出来ましたわ(笑)。



ギネスにカールスブルグ、やっぱり暑い夜はビールで熱く過ごすに限ります!

ちなみにこの店では従業員が皆揃いの制服というか、店のロゴ入りのポロシャツを着ていました。となると、元Tシャツ収集家(というほどでもないか)の血が突如として騒ぎ出します(笑)。

「あのぉ、そのポロシャツ、売ってもらうことは可能でしょうか?」

店員さんはおそらく経営者のもとに聞きに行ったのでしょう。そしてしばらくして戻ってきた彼女はTakemaにこういいました。「大丈夫です。お売りできますよ」。というわけでこの薄っぺらいポロシャツはTakema家の所蔵品に加えられたのであります(笑)。



確か15リンギットだったっけなぁ。しかし、一体いつ着ればいいのか、それが問題(笑)。

そんなこんなでのんびりとボルネオ最後の夜を楽しんだ後は、再び空港へと戻り一気に機上の人となりました。はぁ、ボルネオの海とジャングルの合わせ技一本、楽しかったぁ!

とまあ普通ならここで旅行記も終わりになるところなんですが、もうちょっと続きます。飛行機はほぼ朝一番で成田に着きましたからまだイミグレーションもガラガラで、何ごともスムーズに進みます。荷物をピックアップし、税関を通り抜けて到着ロビーへ。と、何だか妙な腕章を付けた人たちがこちらに近寄ってきます。腕章には「報道」の文字、一緒にいるカメラを抱えた人のカメラには「NHK」のロゴが見えました。以下その会話。
N:NHKの取材班、T:Takema
N 「突然申し訳ありません。NHKですが、今回はどちらの国に行かれたのでしょうか?(カメラ回ってる)」
T 「(何が何だかわからず)え、えっと、マレーシアですけれど‥」
N 「(わが意を得たりとばかりに)そうですか!では地震とか津波はどのような感じで、また現地の状況はいかがだったんでしょう!?」
T 「(ますます何が何だかわからず)え゛、地震?マレーシアで地震があったんですか?」
N 「(「ダメだこの人、状況を全然理解してないよ」という感じで)そうですか、実は昨日インドネシアのスマトラ島近くで大きな地震があったものですから‥」
T 「(何とか取り繕いたくて)いや、マレーシアといってもボルネオ島なんで、全然揺れなかったんです。だから知らなくて‥
N 「(たぶん気分は「次いこ、次!」だったに違いない)そうですか、ありがとうございました。」
うわぁスマトラでそんな地震が起きていたなんて知らなかった!ならば実家でも心配しているかも知れないぞというわけで、帰宅後実家に連絡を入れました。すると‥。
H:Takemaの母親、T:Takema
T 「あ、もしもしTakemaです。いま家に着いたところ。ところで地震があったみたいだけれどおかげさんで全然問題なしなんで安心してね。」
H 「あらまぁ、どこの国に行ったんだかメモもしていなかったから心配してたのよ。でもまぁ良かった。でもねぇ、お前たち夫婦は無事でもお父さんが無事じゃないのよねぇ。」
T 「え???」
H 「実は25日の朝方に倒れちゃってねぇ、脳梗塞で。で、今は○○病院に入院中で‥(以下略)。」
ありゃまー、旅行中にそんなことが起きていたとは!というわけで、その日からさっそく病院通いを始めたTakemaでありました。父が旅立つことになる日まで‥。



何だか最後の最後で妙に湿っぽくしてしまいましたね(笑)。ま、生前も旅行好きだった父の意思を受け継いで?これからもあちこちに出かけていくつもりですので、皆様これからもよろしくお願いいたします!というわけでおっしまい!

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