−2014/3 ボルネオ編 その5 KKからサラワク州へ(2) まさかマレーシア警察のお世話になるとは!(驚) −


そんなわけでBeaufort=ビューフォートに到着です(ちなみにガイドブックには「ボーフォート」と記載されていますが、「ビューフォート」のほうがアンドリューさんへの通りがよかったのでこっちで通します)。何を食べますかと聞かれたので、マレー料理がいいなぁと返答したので車をバスターミナル側の駐車帯に止めた上で右上画像の「Restran Islamik」へ。あ、でも到着とほぼ同時に「あ、ビール飲めないんだ」と気付いて唖然。でもまぁ無理して飲むこともないか‥(いや全然無理じゃないんですが)。


考えてみれば、東マレーシアでマレー系の食堂に入るのってこれまでそう多くもなかったような気がします。調理済みの料理をあれとコレとそれとねということで注文完了。でもやっぱりその場で調理してくれる方がありがたみがあるよなぁと思ったりもしましたが、中華でもランチなどではこのスタイルですよね。ちなみに結構イケましたので問題なし。

ただ、冷蔵庫から出してきたコーラの缶がなぜか2本ともひしゃげていたのはなぜ?(笑)=右上画像マウスオン。アンドリューさんも同じものを食べた上で(飲み物だけコーヒー系)、食後のまったりタイムにこう切り出してきました。


ハイそれ、何らの問題もありませーん!こういうローカルの町を歩いてみたいのはもちろんですし、そもそもこのビューフォートには帰路の列車での乗換駅として戻ってくるので事前に見ておきたい気もしますし、そして「アンドリューさんのフィジカル的復活も是非お願いしたいところだし(ひとたび居眠りされたら大変なことにもなっちゃうので)」。

そんなわけで「15-20分」お散歩してくるということで話がまとまり、店を出たところで事態は急転直下したのであります!





案の定そうでした。しかし納得がいかないのがアンドリューさん。「ここの駐車帯のペイント、別の場所とまったく同じ黄色いラインですよね、これでどうやって見分けろっていうんですか?」。確かにわれわれが見てもその視覚的な違いは全くわかりませんでした。

しかしたぶん「バスターミナル側の駐車帯はそもそも一般車駐車禁止なんだ」というのがそもそものサバ州道交法なのでしょう。ポリスはアンドリューさんの抗議にはあまり耳を貸さず「あとは警察署でやってくれ」という感じでこの場を去っていきました。

がっくしのアンドリューさん。どうやら駐車禁止違反は)初めてのことらしく勝手がわからないことから‥


これはショックだっただろうなぁ。確信的な違反行為じゃなくてちゃんと黄色いラインの中に止めていたわけですし「サラワクでは一般車駐車禁止の場合ラインが赤いんですよ、それならすぐわかるし止めるはずもありません。でもここは‥ひどいな」アンドリューさん、ここで一寝入りのつもりが警察詣でということになっちゃったわけです(こよなく同情)。

というわけで、アンドリューさんが警察から帰ってくるのをひたすら待つこととなりました。「これはもしかしたら長い戦いになるかも」と直感。日本の場合罰金は郵便局払いとかでさっさと終わりますよね。でもマレーシアでは警察署での直払いのようなのです。そして日本も含めそういう場所での金銭ほかの手続きがスムーズに進むという話は聞いたことがないのですから!(大苦笑)。


ではではということでビューフォートの時間無制限お散歩の開始です。観光の町というわけでは全然ないので売っているものもごくありきたりの日用品ばかり。野菜を買うわけにもいかないし(今考えれば宿に差し入れで果物でも買っていけばヨカッタかなと。ただし3月は果物自体が少ないんですよね)、かといって日用品は「たとえばここでサンダルを買う」必然性もないので眺めるのみ。そうなると町見物もどんどん進んじゃうんですよね。時間はたっぷりあるのに(笑)。

ちなみに右上画像の木造の建物はかなり歴史がある感じでありながらしっかり全て現役でした。これだけ統一感のある建物は今や少ないはずだし、歴史的建造物としてずっと現役のまま維持してほしい気がします。

とまぁ、涼しい顔をしてキーボードをタイプしているように思われるかも知れませんが‥


日本で冬からようやく春めいてきたくらいの微弱系日射しの中で過ごしてきたわれわれにとって、ここボルネオの熱帯パワー炸裂系、下手をすれば月に代わってお仕置きまでもされかねない強烈灼熱系イヤンバカンの直射日光はかなりの刺激です。

こっちの人も特に女性は日傘を差している人もそこそこいて、こりゃやっぱり野蛮レベルの強さだなぁと。でも日本と違って湿気はそれほど高くないので日陰に入ればそこそこイケます。気温はもちろん30度超なのですが、こういう気候はある意味うらやましいような気も(たぶんエアコンの使用度は下がるかな)。でも日射しの強さは酷いよなぁ。


さてそんなわけでビューフォート駅に到着です。この時間は上り線のタンジュンアル(KK)方面も下り線のTenom方面もしばらく発着がないので静かなもの(左右上画像マウスオンで別画像に変わります)。蒸気機関車の動輪と思われる右上画像のモニュメントは、かつての隆盛の誇りを今に伝えようとしているのでしょうか。


待合室内は閑散。というのも、この駅を発着する列車は上り下りを合わせても5往復しかないのです。ちなみにKK郊外のタンジュンアル駅からサバ鉄道終点のテノム駅まで直通で運行する列車はなく、ここビューフォート駅では必ず乗り換えが必要になります(ついでにいえばテノム行きはさらに途中駅で乗り換えになります=後述)。

さて、たった5往復のために存在する駅としてはかなり立派なたたずまいの駅なのですが、改札には人数自動記録のためのバーがあり、妙に近代的だったりします(左上画像マウスオン&その運用実態についてはこれまた後述しますが)。一方待合室の椅子では、猫が「足が痒いよ痒いよ」と格闘しておりました(右上画像マウスオン)。ま、それだけのんびりした時間が流れていたということで(笑)。

さてそんなわけでそろそろさっきの食堂界隈に戻ることにしましょう。まさかすでにアンドリューさんが戻っているとは思えないんですが(苦笑)。


と、途中でこちらの救急車を目にしました。ちなみにご存じない方のために説明すれば、こちらの救急車には例の「赤十字マーク」の代わりに「赤くて細い月」のマークが付いています。これはイスラム国側が救急システムを導入する当時、「赤十字の理念及びシステムは十分に理解できるしわれわれもそのシステムを是非導入したい。しかし唯一にして最大の問題がある。それは『その名称』だ。『十字』はどうしても受け入れられない」というような申し出があったとかいう話で、そのためイスラム国では赤十字社の代わりに「赤新月社」が設立されることになったのだそうです(雑学系)。

ま、「名より実をとる」の見本のような話で、外交でもこういうようなやりとりができればイイんですけれど実際はね。ただ、中国も韓国も、日本では考えられないほど「メンツを重んじる」国民性があるので(特に中国の場合は歴史的にみても「メンツの歴史」みたいな世界なので)、そのあたりをうまく考慮した外交戦略は必要だと思います。

とまぁなぜか国の舵取りについて語ってみたりしてみても、やっぱりアンドリューさんの車は戻ってきません(苦笑)。右上画像の赤い建物がバスターミナルなので、そこのベンチに座って待っていましたが、どんどん日陰部分が移動していくんですけれどっ!(今ふと考えたんですが、この裏のモスクに行って「塔の展望台に登らせてもらえませんか?」とダメもとでお願いしてみる価値はあったかなと‥失敗!)。

正確に時間を確認していたわけではないのですが、お散歩後1時間くらいは待っていたかなというタイミングで突如予想とは反対の方向からアンドリューさんの車が到着。すぐさま乗り込んで出発です。となるとまず最初の会話といえばこの駐車違反の件なのですが‥アンドリューさん、いやぁよく喋るっ!(笑)。






ただ、おしんこどんにこの話を説明していたら「どこでも支払えるということは当然データがコンピューター処理されてるってことだよね。そうなると『なかったことにする』っていうのは無理なんじゃないかなぁ」と至極まっとうな考察が。もちろんそのことはアンドリューさんも考えていたようで「難しいとは思うけれどさ‥」と何だか祈るような感じで呟いておりました(笑)。


さて、アンドリューさんにとって忌まわしき記憶の町となってしまったビューフォートを出発し、サバ/サラワクの州境を目指します。途中のSipitang(シピタン)の町は、町の規模といい中心部の雰囲気といい何だかいい感じだったなー(両上画像)。計画段階で「帰路はもしここからテノムへのバス路線があるようであればこの町で数時間バス待ちかな」という仮定も立てていたのですが、結局はこのようなお大尽系の車チャーターになっちゃったわけです。ただしこの日に限っていえばロスタイムが随分多いので(笑)、ラワスまで公共バスで来てももっと早く現着できたような気もしますが(大笑)。


さてそんなわけで州境のボーダーに到着です。パスポートを提出するわけですが特に車から降りる必要もなく、また顔の確認なども一切おこなっていないようでした(ま、アンドリューさんがイミグレの係員氏と顔見知りだったようなので「この人のお客なら大丈夫だろ」ということもあったかも知れませんが)。


ではではこの続きは次ページということで。なかなか到着しないのはいつものことです!(開き直り)。

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