- 2015/8 キューバ旅行記(6) まずは定番の市内観光から(その2) -



海岸の要塞まではこんな「Coco Taxi」にて移動しました。結果的にはかなり高くついたようですが気にしないっと。

そう、ここから利用したのはココタクシー。どこかで聞き知った話によると雇用云々のために導入されたタクシーシステムのようで、見かけはとてつもなく可愛いですが要はタイのトゥクトゥクとまったくおんなじです(それよりちいちゃいです)。

乗った感じでいえばトゥクトゥクよりもエンジンが小さいのか非力感を感じましたが、まぁ近距離なら問題ありません近距離なら。完全メーター制なので乗車前に料金を交渉する必要も一切ありませんし。

でもね、今回は失敗しちゃいました。記念塔(革命広場)からプンタ要塞まではそこそこの距離がありまして、このココタクシーは近距離移動なら割安感もあるのですが、遠いとかえって高くつくのです。革命広場からモロ要塞まで、何と25CUCもかかってしまいました大失敗!うーむ皆さんココタクシーのご利用は計画的にというか近距離限定で!(近距離だと確かに安いはずです。タクシーは折衝しても「5CUCの次のきざみが10CUC」だったりしますから)。



まぁこの時はそんなことを知るよしもなく走っていきますが、やっぱり通行量と車線の数が合っていませんね。首都高速箱崎界隈の日々ぐっちゃらぐちゃら状況を見せてあげたくなりますが、そんなもん誰が見たって「設計者出てこい!万が一にも文化の日に褒章とか受けてないだろうな!」というレベルなので(たぶん褒章はもらってるだろうしもうお亡くなりになっているかと存じますが)、とりあえずここでは、



と思うことにしました(笑)。霞ヶ関や虎ノ門界隈はこの「数百倍のトラフィック」(トラックじゃないですよトラフィック=自分でも読み間違えたので念のため確認ね)でごったがえしているわけで、かえって「こういう(ハバナの)ほうが国家の安全保障上いいんでないの?」と思ってしまうわけで(笑)。その意味では一時構想になっていた遷都も悪くはないですよね。でもそうなると日本の場合どこがいいのかな、大阪とか京都はありきたりだし(でもインフラOKなので個人的に大阪第二首都は賛成)、九州は地勢学的に問題があるし桜島および姶良火山絡みもあるしなぁ。

あ、そうなると太平洋沿岸は全部ダメか(苦笑)。新潟や秋田も悪くはないけれど過去に地震もあったし冬の大荒れ猛吹雪を考えるとどうもだし、以前候補に出ていた那須とか仙台は残念ながら候補から消えたと思いますし。それじゃ札幌か?でも地震はないけれど真冬のススキノ界隈を走るタクシーが「滑らせること前提」でテカテカ路面を走行しているのを見てしまうと「ここを首都にするのはちょっとなぁ」とも思ってしまいましたし(見事に勝手な言い分でスミマセン)、そうなると結局どこがいいのかわからなくなってしまうのであります。あ、キューバの旅行記中なのでこの件はオシマイね(苦笑)。



海沿いのマレコン通りに出てそのままプンタ要塞へと進みます。お金を払おうとしたらお釣りの小銭がないドライバー。たまたま歩いていた人に聞くとすぐそこに「CUC払いのバール(日本でいうビアバー)があるからあそこに行ってみろ!」。そこに行って両替してきたときの画像が右上のものです(笑)。ココタクシーのドライバーさんとしては「本日最大のビッグ売り上げ」になったと思いますが、Takemaとしては「ココタクシーはちょい乗り用なのだな」と身を以て理解した次第です(苦笑)。多分普通のタクシー(料金折衝必要ですが)だったら15CUCくらいだったんじゃないかな。

そんなわけで多分ウハウハのドライバー氏と写真を撮った上で(左上画像マウスオン)、いざプンタ要塞へと進みます。



上画像の大砲門をご覧いただければわかると思いますが、ここプンタ要塞を含む各要塞は対アメリカ防衛対策により設置‥されたものでは全然ありません(そもそも核兵器の時代に砲弾では全然対抗できたわけもありません)。キューバ各地に存在し、世界遺産にも登録されているこれらの要塞は、なんと16-18世紀に当時の宗主国であったスペインによって建設されたものでした。



スペイン統治時代(1492-1902)のキューバは当時世界最大の砂糖生産国としてだけでなく、周辺諸国(正しくは各植民地ですが)からの生産物の集積地として重要な位置にあり、そのためここハバナやサンティアゴ・デ・クーバなどの重要な港湾入口には、海賊による富の収奪を防ぐべく各地にこのような要塞が構築されたようです。

左上画像はここプンタ要塞のごくごく一部の建物ですが、全体像を記した右上画像を見てちょっとびっくり。



確か函館の五稜郭自体がヨーロッパ起源の築城方式だったよなと思いつつ調べてみると、その発祥はオランダながらその後ヨーロッパ各地に広まったようで、死角が少なく敵の攻撃に即座に反撃できるという利便性が好まれたようです。なるほどねぇ。



ここはハバナ港湾地区の入口に位置する要塞で、当然のごとくこの反対側にはモロ要塞がこちら側よりもより大規模な形でどどんと構えているのがわかります。なるほど、両側から海賊等の侵入を食い止めようとする砦だったわけですね。実際、この入江には両側から鎖が張られ海賊の侵入を阻止していたようです)。



そうそう、このプンタ要塞の周辺ではたまたま道路のメンテナンス(新しい舗装路面に車線の白ペイントを施す工事)をやっていましたが、その工事車両にぴったりと寄り添っていたのがキューバの白バイでありました(白くはないですが)。この時にはよく見なかったのでわかりませんでしたが、一説によると「キューバの白バイはヤマハのビラーゴとスズキのマローダー、それぞれ250cc」だという情報もあります(出元はこちら)。でもアメリカンスタイルのバイクに興味がなかったこともあり、「スズキのマローダー」は初めて聞く車種名でした。

ちなみにキューバ国内では、都市部で多く見るバイクは小排気量のものが多く(多分中華系?)、歴史を重ねた重量系では「JAWA」、チェコスロバキア製の350ccとかもよく目にしました。ちなみにその会社はすでになくもちろんメンテナンスも打ち切られているそうですが、キューバの人たちは直すのです!部品をたたき出して造ってでも!あと、カマグエイなどでは電動ミニバイクも目にしましたが、あまりに走行音がしなくてかえって危ない気が‥

さてこのあとは向かいのモロ要塞、さらにはその横に並ぶ形で存在するカバーニャ要塞へと向かうわけですが、何とこの両区間を結ぶ海底トンネルが存在します!ちなみにさっきまで乗ってきたココタクシーはトンネルに入れないそうなので、周辺にいたタクシーに「モロ&カバーニャ要塞を往復してここよりもうちょっと戻った旧市街まで」と折衝。カタコトながら英語が通じる女性ドライバーでよかったです。



タクシーの車種は「LADA」、旧ソビエトおよび東欧諸国から1960年代に大量に輸入されたモノだそうで、つまりはこれも「半世紀を走り抜けてきた強者」なのですね。

海底トンネルは片側2車線の立派なもので、これがそもそも60年前のキューバ革命以前に計画&施工されたことはびっくりです。と同時に日本の先の見通しの甘さは首都高を見れば丸わかりですからね。箱崎界隈しかり、同じトンネルでいえば東京港トンネルも車線が狭く危なっかしくてしょうがない‥



一国の首都とはいえ実質的に自動車の新規登録をずっと制限してきたこともあり今も通行量は少なくてスイスイとトンネルを通り抜けました。ちなみに「旅行人」雑誌によれば、このトンネル工事を受注したフランス企業は工事完成とキューバ革命とが重なり、当初の受注代金を回収できなかったそうな‥。

さてそんなわけで要塞手前のチェックポイントで入場料金を支払ってモロ要塞へ。右上画像のテントはおみやげ屋さんなのですが、個人的に申し上げれば魅力的なおみやげは全然なくてがっくし。なお結局Takemaは一切のおみやげを買うこともなくこの国をあとにしたわけです(苦笑)。ちなみにこのおみやげ屋テントの後ろは深い掘り割り構造になっていてそこにはロープ1本すら渡されていません(右上画像マウスオン)。もしかしてこれまでに‥(以下略)。



要塞内部を進んでいくと、入江から外海に向けられた大砲の数々が見えてきました。どうやらこんなやつ(右上画像マウスオン)をちゅどーんと撃っていたようで、これだけの要塞をしつらえなければならないほど敵側の需要=海賊のはびこりも甚だしかったということなのでしょう。



そういえば珍しいことに旅先でおしんこどんがスカート姿だったりします。今回はアウトドア系アクティビティがありませんからね。

続いてはカバーニャ要塞へ。ここでは毎晩21:00に大砲を放つイベントがあるそうで(何と150年以上の伝統があるそうな)その時間には観光客でごった返すそうですが、いっぽうで「一瞬で終わる」ちょっとがっかり系イベントだという話もあり今回はパスしました(宿から遠かったし)。

で、真っ昼間に行ってみたわけですが基本的にガラガラでやる気なしの雰囲気がかえってよかったです。モロ要塞に比べて観光客の数も明らかに少なく‥。

:

ほぉーら、メインブリッジにも誰もいません。ここカバーニャ要塞は最前線たるモロ要塞サポートのために構築されたそうです。



建設当時は要塞そのものが小さな町の様相を呈していたようですが、今は誰もいない‥あ、はるか先にいた!(左上画像マウスオンでズーム画像に変わります)。さてここから歩いていくと入江(運河)越しに旧市街を望む絶景エリアに出るわけです。



対岸が旧市街、左上画像をズームアップした右画像には旧国会議事堂もしっかり写ってます。



フィデル・カストロ前首相(左上画像マウスオン)も同じ場所に立っていたんですねぇ。引退した今もお元気そうですが。

このあとは再び入口へと戻っていくわけですが、せっかくなのでさっき犬がいた通路の先まで行ってみることに。もうそうそう来ないでしょうからねぇ。



雨は降っていませんが夏の日のキューバは当然暑いです。東京出発時には日々35度レベルの猛烈な暑さでしたが、ここハバナも日中はそれに匹敵する気温になっているので、上画像のように太陽の直射がないというのはそれだけでありがたいことなのです(いやというほど実感)。

それはともかく、この要塞内通路は特に観光的に利用されているわけでもないようで、往時の建物が(修復された上で)そのまま残されています。ん?おしんこどんが右上画像で撮影しているのは?(右上画像マウスオン)。‥なるほど、さっきのワンコのおうちだったわけですね。



ちなみに左上画像のトカゲはここキューバでは比較的ポピュラーな存在らしく、このあとバラデロでも多く見かけました。

で、右上画像の出口近くまで来たところで、今回のキューバ滞在中最初で最後の日本人男性と遭遇(空港とかは除く)。聞けばメキシコ経由でキューバ入りしたそうなのですが、途中でアメリカ留学中の友人と合流したものの、何があったのかそのご友人はキューバが気に入らなかったらしく「彼はホテルに籠もってます。自分だけうろうろしているんです」とのこと。

「えー引きこもりのご友人さん、アメリカだけが世界じゃないんですよぉ!」とものすごく突っ込みたくなりましたが、この方に申し上げても詮無いことなのでもちろん封印。まぁアメリカ本土に1度も行ったことがない(&行く予定もない)自分が言えた義理じゃないですけれどね(苦笑)。実はあえて行こうとしていないわけですが。



このあと、ミグ戦闘機やらミサイルやらを展示しているオープンエリアの脇を通りましたが、どうやら有料っぽかったのでパス。さらにはチェ・ゲバラ氏の私邸とやらにも案内されましたが「元々の私邸であるわけでもないので」こちらもパスしました。というか、革命そのものにはさして興味がないのですから‥。



ゲバラ氏私邸のすぐ近くには大きなキリスト像がありましたが、あれまこちらは改修工事中。でも眺めは悪くないので港湾エリアを‥ん?右上画像に見えているあの船ってもしかして渡し船?(右上画像マウスオン)。

結果的に正解でした。今回の旅行でキューバ各地をぐるぐる回ってきたあと、最後の最後に自分たちもあの船でハバナ旧市街に戻っていったわけです(旅行記的にはまだまだずっと先のお話ですが)。



そんなわけでふたたび海底トンネルを通り抜け、いざ旧市街メインロードへと向かいますがこの続きは次ページにて。このページの最後にここまでのダイジェスト動画をご覧いただきましょう(なお一部で動画の順番がタイムラインと入れ替わっちゃってますがお気になさらぬよう)。




[戻る [次へ]