- 2015/8 キューバ旅行記(7) まずは定番のハバナ市内観光から(その3) -



ちょっと遅めのお昼ごはん。この日は車を運転するわけでもなく、となればやっぱしこれでしょラム酒のカクテル!

トンネルを越えたらそこは雪国だったなどということは一切なく、相変わらず蒸して気温高い系です。でもとりあえずこの時は高曇りで直射日光がないぶんまだマシかなというところ(このあとしっかり晴れちゃいましたが)。タクシーは支倉常長の像(慶長遣欧使節の一行として1614年にここハバナに立ち寄ったとされています)をスルーしてアルマス広場の方まで行っちゃいましたが、まぁそれはいいでしょう。それよりも遣欧使節および支倉常長の行程をあらためて知ることができたことの方が嬉しいことです。



そんなわけでTerminal Sierra Maestraの広場へ。ここから旧市街のメインストリートであるオビスポ通りを歩いていこうという基本中の基本行動です。それにしてもこの広場は‥



お洒落なランドマークたる建物&「いわゆる平和の象徴」たるハトもいますし(別にハト=平和は思わないんですが)、



よく見ればミニマーライオンがちゃんと水を出してましたし、妙に抽象的な芸術作品も。何だかキューバすごい。



路上にもこんな銅像が。おしんこどんは指タッチ。Takemaは親愛の情を示そうとしましたが、かの指は(右上画像マウスオン)。



そんな中ひょこひょこ野良犬が歩き回っていますが、この件については次のページで書きましょう。日本も通ってきた「歴史」です。



そんなわけで旧市街随一のメインストリートであるオビスポ通りへ。観光客目当てのレストランも多く、ここならお昼ごはんにも苦労することはなさそうです(地方に行くと苦労するんですよこれが)。すでにお昼もとうに回っていたので(というかもう14:00前だった)、とりあえず席が空いていたレストラン(=右上画像)の建物内の席へ。そしてまず頼んだのは当然こちら!




(あ、左上画像は「それぞれおかわり」なので何というカクテルなのか覚えてませんが(苦笑))。



そんなわけでモヒート、一気飲みしたい気分満々でしたがもったいないのでちびちびと(100%観光客相手のお店なので高いのですよ、確か3CUCだったかなぁ(当時のレート計算:1CUC=130円)。

ツナサラダとピザを頼んでまったり。ちなみにキューバのピザは(CUP払いの屋台を含め)ピザ生地にチーズと具をのせますが、ピザソースを生地に塗るという発想がほとんどないようで結構味がないです。1回使い切り用にパックされたトマトケチャップを買ってくるんだった!(右上画像マウスオン)。結局ピザはおしんこどんが全部食べきってくれました(感謝)。

そんなわけでまったりしていたら、何と驚いたことに自分たちの席のすぐ前(Takemaの席のすぐ後ろ)で生演奏が始まっちゃいました!



キューバのレストランでは午後から夜にかけてこのようなミニライブが催されるのが普通で、メインは夜から深夜なのですが昼でもそれなりに楽しめます。

実は上画像に写っているギタリストの方々の前にボーカルの方がおられるのですが、「諸般の事情でさらに前に行っちゃった」関係で写っていません。それではボーカリストは何を?というわけで、現地の雰囲気を味わっていただくためにもここで動画タイムといきましょう。おしんこどんも出てきます(ということは?ボーカル不在の理由が何となくおわかりかも)。お隣のイタリア人女性6人組はノリノリでした。




うーむ何とも楽しいです。「キューバに来ているんだなぁ!」という気持ちにさせられます。ちなみにレストランのお客が聞くのは無料ですが、演奏終了後にいくばくかのチップ回収狙いで席を回ってきます(支払いは必須義務ではありません。気に入ればいくばくかのチップを支払えばいいです。相場は知りませんが1CUCで十分だと思います)。また同時にCD(だいたい10CUC)のCD購入も勧めてくることが多いので、それを購入するともっと喜んでくれるでしょう(額が全然違いますから当然ですが)。ちなみにこの時はCDを買いましたっけ。

さて食事後はさらにオビスポ通りを西に向かうわけですが‥





右上画像に「ETECSA」という文字が見えますが、こちらは国営の通信会社。WiFiに接続するにはこちらでプリペイドカードを購入する必要があります。また電波が飛んでいるのはこのETECSA各支店周辺および一部の高級ホテルだけですので、必然的に皆さんが集まってくるというわけです。

自分は「そうまでしてネットに接続する必要もあるまい」派でしたので結局一度もお世話になることがなく、そのため詳しいことはわからないのですが、前述のコスタリカ人であるイバンさんによると先月(2015/7)にインターネット関係の規制がゆるくなり、また接続の料金も下がったということです。ただしスピードは激遅だそうですが。もっともこのへんの事情についてはあと数年もすれば大きく変わっていくことでしょう。



ココナッツジュース売りの屋台(場所柄間違いなくCUC払いでしょうが)を横目に見ながら歩いていくと、あれま広い通りに出てきちゃいましたんで散策はここまで。翌日も午前中は暇なので旧議事堂などは明日のお楽しみといたしましょう。

出てきたところで右上画像の車のドライバーが「TAXI?」と声を掛けてきたので、これちょうどよし、クラシックカー初乗車といたしましょう。ちなみにこれが正規にタクシーとして登録されている車両かどうかは知りません(笑)。

カサパルティクラルでもらっておいた宿のカードを見せ、いくらだと聞くと10CUCだというので乗ることに。この時の宿は新市街地の中でもやや西寄りにあるのでちょっと遠いのでしょうがないでしょう。



エンジンは一発で始動しましたが、メーターは動かな‥くても走行に支障がなければいいわけですね(笑)。なお、見かけこそクラシックカーですがおそらくはありとあらゆるところに修理の手が入っているはずで、中にはエンジンそのものを載せ換えている車もあるのだとか(この車のエンジンもとっても過ぎるくらいに順調だったし)。

ただ、このあとも何度かクラシック系のタクシーに乗りましたが、かなりの確率でドアの開閉部分が壊れていました。特に内部側のドアコックは「もはや存在しない」場合が多く、どうやって開けるのかはドライバーさんのみぞ知る場合も(ま、開けてくれるんで問題はないですが)。



車はいったん海沿いに出て、旧市街と新市街内部の混雑を避けるルート取りです。遠回りにはなりますが急がば回れでこっちの方が早いのでしょう。ちなみにハバナ市内の車の運転マナーは特に悪くなく、その意味では日本人でもたぶん運転は可能でしょう(ただし右側通行ですが)。でも、やはりローカルルールのようなものは存在しますので、最初はタクシーなどで移動しながら「様子見」を徹底的におこなうのが賢明かと。「このタイミングだと行かないのか」とか、「クラクションをこういう時に鳴らしてるな」とか、いろいろ勉強になります。



そんなわけで16:00ころにいったん宿まで戻ってきたところでほっこりとビールタイム。日中に少し曇りましたがそれでも気温は35度近くまで上がっていたと思うので夕食までしばし休憩というわけです。シャワーも浴びてさっぱりし、ちょっとうたた寝タイム。

19時を回ったので近隣のレストランへ行くことにしてスマホに落としておいたGPSナビで調べておいたところ(当然ながら街中にLTEや3Gの電波が飛んでいるわけではないのでグーグルマップは使えません)、どうやら徒歩圏内に何軒かあるようなので、そっち方面へと歩いていきます。



さてしかし、あるはずのレストランがなかなか見あたりません。閉店しちゃったにしてもその痕跡ぐらいは残っているだろうに?しかしあとから考えてみると、もしかしたら地元民御用達の目立たないお店ゆえに見落としちゃったのかも知れません。そこで結構遠くまで歩いていくうちに‥





ちゃんと英語も記載されたメニューもあり問題なしです。でも、メニューを見ているうちに「ん?何だかやたらにIranianって単語が出てくるんだけれど?」。そう、ここはイラン料理のレストランだったのです。



とはいえイランのお国柄に合わせることもなくアルコール関係は問題なく頼めますし、壁にはなぜか世界各国の著名人(ガンジーさんもいたしウォルト・ディズニーさんもいたような)の肖像画が描かれていて、何だか結構お洒落です。なお、キューバのほとんどのレストランは半屋外系でエアコンはありません(ホテル内のものは違うでしょうが)。こちらのお店の場合、扇風機の風がうまくあたる席に座れたのでラッキーでした。

はい、もちろんお飲み物は冷え冷え系のカクテルです。サングリア系のと、透明な方はモヒートではなく別のもの(名前忘れた)でしたが、結構度数が高くて飲み甲斐があったぞ(笑)。



ところで注文した食事はなんと右上画像のものだけ。メギの実のせごはんとチキン(ブロック2つ)にサラダ等々。実は今回の旅行時の夕食はその多くが「1人前をシェア(取り皿をもらって分けて食べる」方式にしました。貧乏旅行というわけではないですが、シェアしなかった時の夕食は1人前の量があまりにも多くて難渋しちゃったので。

キューバでは鶏肉が美味しいと一部の旅行者に評判ですが、うん確かに。とはいえキューバはグルメ旅をするのにうってつけの国「ではない」ことが旅を続けていくうちに判明していったのでありましたが(ここのお店の料理は美味しかったですよ)。



お会計をお願いし、出てきたレシートを見ると(左上画像マウスオン)、料金がCUC建てとCUP(ペソ・クバーノ=地域通貨)建て療法で記載されていますね。ペソでも払えるってことなのか?ただし超高級レストラン等を除き、お支払いは「みんなニコニコ現金払い」のみですのでお財布の中は潤沢に。12.30CUCってことは約1600円ですからねぇ、キューバ旅行にはそこそこお金がかかります。

支払いを終えたところで、奥の方から民族衣装を着た女性が出てきて踊り始めたのでそのまましばし見学することに。




というわけでお店を出ようとしたところで1人の男性に呼び止められました。「中国人ですか?日本人ですか?」と英語で聞かれたので「日本人ですよ」と答えると、嬉しそうに「わたしは25年くらい前に日本で働いていたんです。新宿や、えーっと、はだ‥何だっけな?」「秦野(はだの)ですか?神奈川の?」「そうですそうです!」。

「日本人らしいお客さんが来るとこうして日本語アップデートのつもりで話しかけているんです。日本人は皆さん優しかったですから」。

わざわざお店の奥から出て来られてこうして挨拶してくれるくらいだから当然変な裏はないでしょう(というか、場所柄あの店に日本人の個人旅行客が来ることはほとんどないと思うので)。しかし奥から出てきたにもかかわらず店の制服も着ていなかった(青のポロシャツにウエストポーチを肩からたすき掛け)ということは、もしかしてあの方はこちらのレストランのオーナーさんだったのでしょうか?(まず間違いなく)。

さすがに25年もの時が経ち日本語もだいぶ忘れておられるようでしたが(自分だってNZのワーホリから25年が経ち英語がかなりボロボロになっていますのでよくわかります)、でも「日本人は優しい」とおっしゃり、「日本人かなと思ってわざわざ出て来て下さる」そのご行動だけで十分です。この方が今も日本に好意を持っていて下さること、素直に嬉しい。

当時この方と接して下さった方々(勝手に日産自動車関係かなと思っていますが)に感謝申し上げたいとともに、これからの日本はこのような方々をどんどん増やしていく方向の「国際化」を図っていかなければならないと思っています。日本ファンの外国人の皆さんが自国でどれほど日本のことを無償でアピールしてくれていることか、そしてそれはお互いの信頼感ともつながります。「お金じゃない、心なんだ」という流れで。本当はもう少しインドネシアのこととか書きたいところですが旅行記なので割愛します。

それにしても、イラン人であるあの方が日本を離れなぜキューバに渡り、そしてハバナ市内でお店を開くに至ったのか。この経緯についてはとっても興味があります。次にキューバに行くことがあったら必ず再訪してその辺のところを聞いてみたい!

それにしても、なぜ一緒に写真を撮らなかったのか、とっても悔やまれます。ちなみにこちらのレストランです。



そんなわけでお会計後はテクテクと15分くらい歩いて宿まで戻りました。危ない雰囲気は全くなく、キューバの治安維持が十分機能していることに納得です。というか、そこそこメインストリートなのに21:00前に全然車がいない、これもまたハバナの現実です(夜は基本的に静か)。

宿に戻ってきたのは21:20ころ。再びシャワーを浴びてさっぱりし、日本から持参の芋焼酎を水で割りながらちびちびやっていたところ、例のお二人(コスタリカ&オーストリア)が屋上テラスでまったりしていたので混ぜてもらうことに。彼らは明日空路コスタリカに戻るのだそうで、イバンさんは明日のTakema手配(13:00宿ピックアップで国内線空港までのタクシー、ドライバーの名前はウゴ=「雨後の竹の子」で覚えた、空港ターミナルまで20CUCであること)を全て伝えてくれた。彼も宿からすればお客さんなのにね(笑)。ちなみに宿のご家族等は基本的にスペイン語オンリー、あのぉ、英語も通じるっていう登録なんですが?(結果オーライなのでいいんですが)。

まぁ結果オーライ、4人でビールなどを飲みながら(共用冷蔵庫にサーブされていて、冷蔵庫に貼られた紙に名前と何を飲んだかを申告記入する性善説方式)、いろいろと聞いてみます。すると‥(リアルさを強調するために以下は当時のメモをそのまま掲載します)、

*バラコアからモアまでは70kmくらいだが3hくらいかかった。道がひどい。

*ハイウェイといっても一般道とはいっても路面に注意。大穴があることはもちろん、舗装路でも急な段差があって車が上下に振られることもある。とにかく常に路面状況を確認しておくこと。またバナナ等の売り子がいきなり道に出てくるので路肩近くにはきをつけること。彼らにとっては「滅多に車が通らない道にいい車がやって来るということはお金持ちのツーリストを乗せたレンタカーの可能性が高い」ということでスイッチが入るらしい。走行注意。

*一般道でも穴がありそうなときは隣接or反対車線にはみ出るのはこちらでは結構普通のこと(昨日の空港からのタクシーもそういう運転だった)。万難を排するために進行路の変更を確実に行うこと(だから車線を変更しそうな前方車にはあらかじめクラクションを鳴らしてこちらの存在を知らせるのがこちらのロー カルルールになっているのかもしれない=断定は出来ないが)。

*道を聞くときはこれまた困ったことが起きる。標識のない分岐などで地元の人に道を聞くと、丁寧に道を教えてくれるのだが、その案内が長すぎて覚えられない。適当なところで切り上げて「OK、グラシャス」とすべし。

*彼らは宿飛び込みで行ったのだが、最初に飛び込んだ宿が満室の場合その先の手順がとてつもなく長くなる。宿の人が「10分待ってね」のあと心当たりの (仲よしの)別のCasaにTEL(当然)→「今晩部屋空いてる?あ、そう○○なのね、了解。そうそう電話ついでの話だけれど、この前のあれってどうなっ てる?え、そうなの、それいいじゃないよ是非やりなさいよ、不肖わたくしもおてつだいしますわ(笑)、あ、でもわたしだけじゃさすがに手が足らないわね、 じゃ、このあと何人かに手分けして電話してみるから期待して待ってて。それはそうとあんたの旦那とこの前ピザ屋台の前でばったり会ったのよ。ここだけの話 だけど旦那さんまた太ったんじゃない?やっぱりね、運動しないと肥満はどんどん進むっていうし、そうそう、この前肥満防止にいい運動のことをTVで紹介し てたのよ、それによるとね‥(以下略)」→(数十分経過後)「ごめんなさい、心当たりもやっぱり満室ですって」→「こっちの(宿探しにかける)時間を返せー!」という感じの流れがリアルにあったそうな。

ま、最後の件だけは「すでに各宿をおさえてある」われわれには無縁でしたが、この2日後、サンティアゴ・デ・クーバからレンタカーで発進(運転)するTakemaにとっては「こりゃあ、心せにゃならんぞ」と身を引き締めるに十分な内容でありました(笑)。

さてこの翌日は午前中いっぱい市内観光の残りを回った上で、一気にキューバ東部&キューバ第二の人口を誇るサンティアゴ・デ・クーバへと移動です。

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